ぶうちん村、風わたる。

風の吹くまま、気の向くままなんて、なかなかできませんが、楽しみを見つけながら過ごしたいものです。

国鉄・宮之城線の今  074

2009年12月04日 23時51分50秒 | Weblog
 樋脇駅に到着です。

1924(大正13)年10月20日に、川内から樋脇までの区間13.4㎞が新規開業しました。
 終点の駅ですから、樋脇は営業収益の見込まれる町だったのでしょう。

 ただし、当時、川内駅は川内町駅と呼ばれていました。
 開駅した時、この辺りは平佐村・隈之城村(駅は境目になるようです)と呼ばれていました。1929(昭和4)年に東水引村・隈之城村・平佐村が合併して川内町が誕生するわけですが、合併直前の時期でもあり、そもそもこの辺りを川内町と呼んでいたのかもしれません。

 話が樋脇から離れてしまいすみません。
 
 さて、樋脇駅の近くには旧樋脇町役場があったり、樋脇川が流れていたりしていることからも、人々の交流、産物の集散の中心だったことがうかがえます。ここに樋脇駅ができることは自然の流れだったのでしょう。

 駅舎は宮之城線の廃線当時のものです。宮之城線全20駅の中で当時の姿をとどめているのは、この樋脇駅、次の上樋脇駅、以前紹介した楠元駅の3駅だけです。
 とりわけ、夕方ともなると、近所の高齢者が集まってきて、ベンチにこしかけています。きっと列車が走っていた頃も、そんな姿があったのかもしれません。

 以前も書きましたが、最近は古い建造物を残そうという動きが広がっています。しかし、鉄道遺構についてはなかなかそういった動きは広がりません。
 橋やトンネルなどコンクリート仕上げのスマートさはなくても、煉瓦や石を積み上げた時にできるデザインは美と呼んでも差し支えることはないものですし、駅舎跡が地域の人々の交流の場として残っているのであれば、私たちの文化遺産としてとらえもよいと思うのです。

 そういう思いを持っているので、自分の仕事を通してできることで、この秋、あるしかけをしました。来春以降の4年間で確実にそれは影響を及ぼしてくれるはずです。ちょっと楽しみです。 
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国鉄・宮之城線の今  073

2009年12月04日 00時04分03秒 | Weblog
 杉木立を抜けました。
 ここからは線路跡は2車線の道路になっていますが、ゆるやかな左カーブを描きつつ、樋脇駅に向かいます。

 左側には田の広がるのどかな風景が見えます。右側はちょっと田畑があって山なのでそれほど楽しい景色ではありませんが、家が何軒もあり、現役時代はそれらの家々の庭や近くの小道で遊ぶ子どもたちの姿が見られたに違いありません。

 さあ、いよいよ樋脇です。
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