引き続き北沢方邦氏の「ホピの太陽」のご紹介をいたします。
リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。
*****
(引用ここから)
ホピ族の友人シドニーといて驚いたことは、シドニーの時間についての感覚の鋭さだった。
デイスクールの用務員という職業にも関わらず、彼は腕時計を持っていなかった。
彼に限らず、私たちはアメリカインディアンが時計を持っているのをほとんど見たことがない。
つまり彼らは時計を必要としないほど、時間の感覚を正確に所有しているのだ。
シドニーと一緒に外に出て、家に帰り着く時はたいてい正確に食事の時間だった。
一つの原因はホピの天文学からきている。
たとえば「布告役首長」の役目の一つは、村の最も高い建物の屋上から毎朝太陽の運行を観察することである。
それぞれの村によって異なる目標から、太陽が「冬の家」に入ったとか「夏の家」の北限に達した、とかが観測され、それが祭りの日を起算する資料となる。
キバの梯子穴はまた、天体観測の天文台でもあり、儀礼の開始や終了は、たとえばソヤル(冬至)の儀式がその方形の穴の中央にスバルが煌めく時刻に始まり、
また儀式の頂点であるカチーナの入来がオリオン座の三ツ星がそこにかかる時刻に行われる、というように、星座の位置によって決められている。
おそらく天文学に対する深い関心と正確な観測は、マヤ以来の伝統であろう。
チチェン・イツァの遺跡の有名な天文台が象徴するように、マヤの暦法や天体観測は、かつてないほど精密であった。
例えばマヤの太陽暦は現代の天文学の観測による計算にわずか0・0002日の誤差しかなく、西洋の太陽暦の基本となってきたグレゴリオ暦より正確である。
また太陽系諸惑星の観測から、彼らは天文学的時間を算定し、月の一年周期である360日を1単位とし、6億年にいたる計算法を考えだした。
今でもホピの暦は冬至から冬至に至る太陽暦であるが、夜の儀礼は必ずこの月の運行の暦に従っている。
ホピの暦は一日の単位で見れば、日の出と日没によって区切られる昼と夜の世界に分けられ、「父なる天」の諸聖性、とりわけ太陽の支配する昼=生と、地下の諸聖性、とりわけ夜の太陽である火と、死を司るマサウの支配する夜=死との二元論的循環によって完全な円となっている。
それをまた一年の単位でみれば、冬至から夏至に至る「夏の季節と、夏至から冬至にいたる「冬の季節」との循環によって成り立っている。
夏は神々の諸精霊の使者であるカチーナがホピの村々に滞在する季節であり、カチーナによる儀礼と祭りが中心となる季節である。
冬はカチーナ達が去ったあと、すでに述べたスネークダンスのように、人間たちが仮面をつけずに顔に色彩を塗って儀礼を行い、祭りを催す季節である。
なぜならトウモロコシが蒔かれ、生育する夏は精霊たちの助力が必要なのであり、それによって収穫がもたらされる冬は人間たちが神々や精霊に感謝する時だからである。
したがって、この2つの季節の循環の接点となる冬至と夏至を中心とした月に、最も重要な儀礼が集中することとなる。
すべての生命の死と再生、そして生のたわむれである性的結合と生誕を示す4大儀礼が、月の暦にしたがって配置され、夏=生の世界への誕生と、冬=死の世界への誕生をそれぞれ表わしている。
この宗教的意味論の中で回転する正確な暦のなかで育ってきたホピの人々が時間についての、正確で独特の反応を示すのは当然であろう。
シドニーはふと何気なく太陽をふりあおいで、そろそろ帰ろうとつぶやいたが、その時彼は太陽の位置で正確な時間を無意識に測定したのだ。
あたかも我々が、必要があるとき、無意識に腕時計に目をやるように。
いや、時には彼は太陽さえも必要ないのかもしれない。
自然のさなかに生きる人々は、人間に固有の天文学的な時間の測定法とともに、動物にも共通の、正確な体内時計をもっているのが普通なのであるから。
(引用ここまで)
*****
ブログ内関連記事
「水木しげるのホピ体験・・ゆったり暮らせば、お化けも逃げない」
「2012年(6)・・オリオンからの訪問者」
「ホピの祭・・夏至祭・精霊たちを見送る(ニマン・カチーナ祭1)」
「冬至・星のしるしを持つ者が、太陽を引き戻す・・ホピの祭(ソヤル祭2)」
「かつて「青い星」と月が入れ替わった・・ホピ族と、かくされた青い星」
「マヤ・アステカ・オルメカ」カテゴリー全般
「北米インディアン」カテゴリー全般
「ホピ」カテゴリー全般
「ブログ内検索」で
マヤ暦 7件
天文学 10件
冬至 10件
夏至 13件
オリオン 12件
カチーナ 11件
マサウ 15件
などあります。(重複しています)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます