始まりに向かって

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わたしは ダイヤモンドのように きらめく。。

2016-04-21 | メディテーション



先日は、ちょっと瞑想をしました。

テーマはハートの味わい。

で、いざ、ハートの瞑想を始める。。

何が出てくるか、じっくりと見ることになる。。

目前に広がる情景は千変万化ではあるけれど、「ひとつ呼び名をください」とお願いしたら、いきなり鷹になった。

はいはい。


高度100メートルくらいだろうか。

ずいぶん、高く飛んでいく。

緑が濃い。

ときおり建物に遭遇する。

中に入るも、すぐに窓があらわれる。

出たいらしい。


軽々と、出奔するわが身。

時々、光るような、ダイヤモンドのごとき自分を感じる。

そうよ、これがわたしの本体、と納得する。

しかし、、わたしの本体はあるのだけれど、自分は全然、本体についていけていない。

でも、エネルギー源がまったく違うから、問題はない、と思い返す。


わたしの本体と、わたしのエゴは、なんの関係もない。

これは事実だ。

わたしの本体について、心配しなければならないことは、実際何もないのだ。


考えてみれば、驚くべき事実だ。

小学校で子ども達に教えたら、どれだけいいだろう。

瞑想、などという名前で、なぜ秘密にするのだろうか?

チベットではかつて男性の4分の1が出家僧であったと聞くけれど、それだけの蜜を共有できる社会があったということだと思う。


競争社会なんて、辛いだけじゃないでしょうか?

なんで、こんなことを長々とするのでしょうか?

いつまでも、、ならまだしも、崩壊が目の前にある。

そういうことはもういい、と思うのです。

命の危機に直面するのも、誰もがいやなこと。

だから、もうやめてほしい。

そして、やめてほしい、とやめたい、が錯綜する。


でも、ハートは全く、そういった心の動揺とは関係ない。

本心(ハート)の自分は鷹であり、地上100メートルをゆうゆうと飛翔している、という事実がある。

わたしは、ダイヤモンドのようにきらめく、自由で力に満ちたエネルギー。

だれもそれを侵すことはできない、自分ですら侵すことができない自由で高貴なエネルギーなのだと確認した。

今までも、今も、これからも、永遠に変わることなく。。


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