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マヤの予言書「チラム・バラムの書」(望月芳郎訳)に、同書を原語からフランス語に翻訳した作家ル・クレジオが書いた、「チラム・バラム」に寄せた文章が載っていました。
以下に、抜粋して紹介させていただきます。
リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。
*****
(引用ここから)
「チラム・バラムの書」は記録ではない。
その「予言」は復讐的である。
一世紀近く続いた異民族に対するマヤ人の闘い、「カースト戦争」と呼ばれた長い熾烈な闘いを想起しなければ、それらの「予言」の真意は分からない。
チラム・バラムのいにしえの予言の言葉により感電させられたようになったマヤ人は、この聖戦を戦い抜いたのである。
なぜならば、いにしえの神々は消え去ってはいなかったからだ。
神々はただ、名を変えただけにすぎなかった。
チャン・サンタ・クルスの町で反乱者が立て籠った教会の中では、常に同じ言葉が響き渡り、異民族に対するマヤ人の勝利を告げていた。
「太陽の偉大なる神官」たちの言葉は、最初の反乱者の言葉であり、兵士達の言葉であり、十字の代弁者の言葉であった。
なぜならば、天空の民マヤ人は決して彼らの神々のために生きることをやめなかったからである。
征服後、予言者たちによって告げられた大異変が起こり、人々が衣服、法律、神々を変えた時でも、彼らはいにしえの声に耳を傾けるのをやめなかった。
運命がおのずから成就することに、ひたすら従っていたのである。
その時、天の言葉がそう欲するが故に、彼らは真のキリスト教徒に、彼らだけがその名に値するキリスト教徒になった。
いにしえの神々は天空から消えていたが、人々を鼓舞するのは常に同じ信仰であった。
クルソオブの反乱者たちにとって、寛衣を着た“もの言う”十字架は、大宇宙とかつて雨の神々が支配した四方位の象徴であった。
「チラム・バラムの予言の書」は聖書であった。
そこに書かれた言葉は、今やキリスト教徒の神となった「真実の神」の口から出たものであった。
かつてトルテカ族の傭兵から受けたように、いまスペイン人の征服者やメキシコ連邦政府の軍隊に虐げられ、辱められたマヤ人は自分達を、ユダヤ教徒や初期キリスト教の殉教者と同じだと思い込んだ。
あの神聖なテキストの中の一冊が「ユダヤ人の書」という題を持っていることは意味のあることである。(訳注・日本語訳はない)
今日、再度闘いに敗れたマヤ人は、もう「チラム・バラム」の言葉に耳を傾けようとしないであろう。
だが、ユカタン半島の東部、密林の中に隔絶されたいくつかの村々では、依然としてそれは忘れられてはいないだろう。
自ら「隔絶者」と称する人々は今でも、消えうせた予言者の神聖な言葉を聞き、じっと待っている。
おお、父よ。
悲しみに沈みながら、あなたに告げる。
おお、イツァの民よ。
汝らを訪れんとする人々が道を進んでくる。
彼らは近づきつつある大地の主人たちなのだ。
これは一民族全体の感情の表現であり、その魂、その生命なのだ。
遠くから謎のように、マヤの神託の声は我々のために、天空に、星の間に書かれたその昔のメッセージを読み続ける。
(引用ここまで)
*****
wikipedia「ル・クレジオ」より
ジャン=マリ・ギュスターヴ・ル・クレジオ(1940年 - )は、フランス出身の小説家。1963年、『調書』でデビュー。2008年、ノーベル文学賞受賞。
フランスのニースにイギリス籍の父とフランス籍の母との間に生まれる。
18世紀末のフランス革命期に「長髪を切ることを拒んで」ブルターニュからインド洋モーリシャス島に移ったブルトン人の移民の家系である。
1966年からは義務兵役代替のフランス語教授としてタイ、翌年からはメキシコに滞在。
この頃から中南米に惹かれるようになり、1970年から1974年までパナマの密林に住むインディアン(エンベラ族)に混じって生活しながら執筆を行なった。
この体験がエッセイ『悪魔祓い』(1971年)として描き出され、この作品により1972年にヴァレリー・ラルボー賞を受ける。
1975年にベルベル人の血を引くモロッコ人女性ジェミアと結婚。のち3子をもうける。
1970年代後半からメキシコの文化に傾倒し、メキシコの各地の大学で客員教授を務めながら、ヨーロッパによるアメリカ先住民への略奪の歴史を研究、初期メキシコの歴史に関する論文によりペルピニャン大学で博士を取得した。
1980年、これらの研究の成果を間接的に生かすかたちで書かれた小説『砂漠』を発表。この作品でアカデミー・フランセーズにより第1回ポール・モーラン賞を受賞した。
2008年、ヨーロッパ文明への批判的な視点と詩的な文章が評価されノーベル文学賞を受賞。フランス語作家としては1985年のクロード・シモン以来23年ぶりの受賞者となった。
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(重複しています)
以下に、抜粋して紹介させていただきます。
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(引用ここから)
「チラム・バラムの書」は記録ではない。
その「予言」は復讐的である。
一世紀近く続いた異民族に対するマヤ人の闘い、「カースト戦争」と呼ばれた長い熾烈な闘いを想起しなければ、それらの「予言」の真意は分からない。
チラム・バラムのいにしえの予言の言葉により感電させられたようになったマヤ人は、この聖戦を戦い抜いたのである。
なぜならば、いにしえの神々は消え去ってはいなかったからだ。
神々はただ、名を変えただけにすぎなかった。
チャン・サンタ・クルスの町で反乱者が立て籠った教会の中では、常に同じ言葉が響き渡り、異民族に対するマヤ人の勝利を告げていた。
「太陽の偉大なる神官」たちの言葉は、最初の反乱者の言葉であり、兵士達の言葉であり、十字の代弁者の言葉であった。
なぜならば、天空の民マヤ人は決して彼らの神々のために生きることをやめなかったからである。
征服後、予言者たちによって告げられた大異変が起こり、人々が衣服、法律、神々を変えた時でも、彼らはいにしえの声に耳を傾けるのをやめなかった。
運命がおのずから成就することに、ひたすら従っていたのである。
その時、天の言葉がそう欲するが故に、彼らは真のキリスト教徒に、彼らだけがその名に値するキリスト教徒になった。
いにしえの神々は天空から消えていたが、人々を鼓舞するのは常に同じ信仰であった。
クルソオブの反乱者たちにとって、寛衣を着た“もの言う”十字架は、大宇宙とかつて雨の神々が支配した四方位の象徴であった。
「チラム・バラムの予言の書」は聖書であった。
そこに書かれた言葉は、今やキリスト教徒の神となった「真実の神」の口から出たものであった。
かつてトルテカ族の傭兵から受けたように、いまスペイン人の征服者やメキシコ連邦政府の軍隊に虐げられ、辱められたマヤ人は自分達を、ユダヤ教徒や初期キリスト教の殉教者と同じだと思い込んだ。
あの神聖なテキストの中の一冊が「ユダヤ人の書」という題を持っていることは意味のあることである。(訳注・日本語訳はない)
今日、再度闘いに敗れたマヤ人は、もう「チラム・バラム」の言葉に耳を傾けようとしないであろう。
だが、ユカタン半島の東部、密林の中に隔絶されたいくつかの村々では、依然としてそれは忘れられてはいないだろう。
自ら「隔絶者」と称する人々は今でも、消えうせた予言者の神聖な言葉を聞き、じっと待っている。
おお、父よ。
悲しみに沈みながら、あなたに告げる。
おお、イツァの民よ。
汝らを訪れんとする人々が道を進んでくる。
彼らは近づきつつある大地の主人たちなのだ。
これは一民族全体の感情の表現であり、その魂、その生命なのだ。
遠くから謎のように、マヤの神託の声は我々のために、天空に、星の間に書かれたその昔のメッセージを読み続ける。
(引用ここまで)
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ジャン=マリ・ギュスターヴ・ル・クレジオ(1940年 - )は、フランス出身の小説家。1963年、『調書』でデビュー。2008年、ノーベル文学賞受賞。
フランスのニースにイギリス籍の父とフランス籍の母との間に生まれる。
18世紀末のフランス革命期に「長髪を切ることを拒んで」ブルターニュからインド洋モーリシャス島に移ったブルトン人の移民の家系である。
1966年からは義務兵役代替のフランス語教授としてタイ、翌年からはメキシコに滞在。
この頃から中南米に惹かれるようになり、1970年から1974年までパナマの密林に住むインディアン(エンベラ族)に混じって生活しながら執筆を行なった。
この体験がエッセイ『悪魔祓い』(1971年)として描き出され、この作品により1972年にヴァレリー・ラルボー賞を受ける。
1975年にベルベル人の血を引くモロッコ人女性ジェミアと結婚。のち3子をもうける。
1970年代後半からメキシコの文化に傾倒し、メキシコの各地の大学で客員教授を務めながら、ヨーロッパによるアメリカ先住民への略奪の歴史を研究、初期メキシコの歴史に関する論文によりペルピニャン大学で博士を取得した。
1980年、これらの研究の成果を間接的に生かすかたちで書かれた小説『砂漠』を発表。この作品でアカデミー・フランセーズにより第1回ポール・モーラン賞を受賞した。
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