マヤの文化とは何かを考えたく、マヤの予言「チラム・バラムの書」(望月芳郎訳)を紹介しています。
続きです。
リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。
*****
(引用ここから)
汝らの客たちを、
髭の生えた男達を
神の御しるしの伝達者たちを迎えよ。
汝らの兄たち、タントゥンの人々が最後にやって来る。
彼らは汝らに、神への供物を共にしようと申し出るだろう。
彼らの太陽の神官の名はアー・ミスニラクベ。
今訪れんとする「時」、汝らを連れ去ろうとする「時」の顔は“ピューマ”、反キリストである。
ああ、わが息子たちよ。
多くの不幸がやって来る。
我らの殿の予言は次の通りだ。
「訪れるこのカトゥンの間、地は燃え、天には大きな白い輪が現れるだろう。」
それは父なる神の御口から出る真実の言葉である。
ああ、キリスト教の布教を見るカトゥンの荷物はまことに重い。
その荷物がやってくるとき、その予言は「奴隷の身」という予言であろうし、
すべての人間は奴隷となるだろう。
その予言がやって来る時、汝らは分かるだろう。
「二日間の玉座の主」たち、「二日間のマットの主」たち(訳注・すぐに退く者たち)が、年の終わりの不吉な5日、贖罪の日々の間にやって来るだろう。
まことにそれは神の予言の終わりとなるだろう。
カトゥンの殿の杯の数は、11だろう。
汝らは多分死ぬか、生きていても「生きている書物」(訳注・さまざまなしるし、教え、予言)の言葉が分からないだろう。
マヤパン(マヤの都の一つ)の男がただ一人のその息子、法管だった。
彼は牢につながれ、大道を引き回され、縛られ、鞭打たれた。
座らせられ、耳を打たれた。
彼は頭に帽子をかぶり、足にサンダルをはいていた。
彼が着いた時、体は網で縛られていた。
白い肌の若い男はやってきた。
彼は天から降ってきた。
人の言うところの若い処女は、七つの赤い星の母であった。
おお、準備せよ、イツァの民よ。
汝らの息子たちはカトゥンの喜びを、カトゥンの戯れを知るだろう。
それが席につくためにやってくるとき、ケツァル鳥(訳注・ケツァルコアトル)の終わりと破滅となり、三角の山々〈訳注・ピラミッドのこと)の崩壊となるだろう。
カトゥンの荷物の中には、多くの絞首刑がはいっている。
おだやかに汝らの客を迎え入れよ。
カトゥン5アハウは4番目のカトゥンである。
このカトゥンの治世の間、そのまなざしは厳しく、その合図は険しい。
それが訪れる時、人間の息子たちにとって、おおきな災難が起こるだろう。
この世で悪魔の争いが始まり、神の顔、“神の実体”の顔は覆いを被せられるだろう。
大地では絞首刑がはじまるだろう。
流星の尾がやってくるとき、この世の父が作られる時、男たち、女たちはあまり息子を持たないだろう。
それから人々は予言者の踊りを見るだろう。
カトゥン3アハウは第五のカトゥンである。
その治世の間、偉大な賢人の時代は、「星=神」がその顔である。
その治世のあいだ、その顔は反キリストの顔である。
イチカンシホでは、牡鹿の角笛から炎がほとばしるだろう。
赤いジャガーの皮が、広場に広げられるだろう。
不毛の雨、天の兎の雨、天のやけどの雨、天のキツツキの雨、天の最も深いところからの雨、それから三本のシュロが天降るだろう。
戦いが始まるだろう。
いなごの年が来るだろう。
生き残った者たちは、遠くに追い払われるだろう。
彼らは戦いに敗れたのだ。
山のような屍が積まれ、天然痘が荒れ狂うだろう。
住民は悲しみ、四つ辻では蝿の群れが悲しげに唸るだろう。
カトゥンの殿達が来ている。
開かれた真っ赤なイツァ族の住居では、たましいが叫ぶだろう。
わたし、カトゥン3アハウはここにいる。
わたしのイチカンホシの町は建設された。
わたし、カエサル・アウグストゥスはここにいる。
わたしは供物を、森の奥で受ける。
(引用ここまで・終わり)
*****
>マヤパン(マヤの都の一つ)の男がただ一人のその息子、法管だった。
>彼は牢につながれ、大道を引き回され、縛られ、鞭打たれた。
この“男”の姿は、キリストに似ているように思われますが、この男は、マヤ族の者だと言われています。
二つの印象が、重ね合わされているようです。
>人の言うところの若い処女は、七つの赤い星の母であった。
“人の言うところの若い処女”とは、聖母マリアのことかと思われますが、訳注には、以下のように説明がありました。
マヤの天体図における「赤い星」は金星を意味する。
だがここの「七つの赤い星」は、金星のほか、太陽、月、水星、火星、木星、土星を意味すると思われる。
>わたしカエサル・アウグストゥスはここにいる。
この西洋人のような名前の人物については、訳注には、以下のようにありました。
この名の由緒は不明だが、ティミシン文庫では“狩猟の神「アー・ウウク・ヨル・シブ」”となっている。
>我らの殿の予言は次の通りだ。
>「訪れるこのカトゥンの間、地は燃え、天には大きな白い輪が現れるだろう。」
>それは父なる神の御口から出る真実の言葉である。
全編に、さまざまの表象が現われていますが、これは彼らの救いと勝利を意味する「しるし」と見てよいように思えます。
全体にわたって見られるように、これらの文章は、わざとマヤ文化とキリスト教文化を混同した書き方をしています。
おそらく、そのような書き方をしなければ、発行禁止、どころが、命も危うかったのだと思います。
>わたしは供物を、森の奥で受ける。
最終的に、マヤ族の人々が供物をささげるのは、森の奥の、彼らの神なのですから。
関連記事
ブログ内検索
マヤ 15件
キリスト 15件
十字架 13件
髭を生やした 4件
白い兄 10件
白い神 8件
兄弟 15件
チチェン・イツァ 3件
ケツァルコアトル 14件
チラム・バラム 5件
(重複しています)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます