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淺川嘉富氏の解説「先史文明と考えるべきだ」・・オルメカ文明に関するZ・シッチンの見解(6)

2011-06-29 | マヤ・アステカ・オルメカ
「神々の起源と宇宙人・・マヤ・アステカ・インカ」(五次元文庫)には、先史文明研究家・淺川嘉富氏が、筆者ゼカリア・シッチン氏のよき理解者として解説を書いておられます。


その中で、オルメカ文明に関していくつかの見解を述べておられる部分を、以下に抜粋してご紹介させていただきたいと思います。


                       *****


                (引用ここから)


気になる点がいくつかあったので付記させていただくことにした。

第一点はオルメカ人の問題である。

著者はオルメカ文明発祥の地と言われているメキシコのタバスコ平原に残された黒人の顔が彫られた数個の人頭像を根拠に、オルメカ人は黒人であったと述べている。

たしかに黒人種の一団がユカタン半島のメキシコ湾に面した一帯にいたことは間違いないが、

その時代は著者が述べている紀元前1000年~3000年よりさらに古い時代ではなかったかと、わたしは考えている。


と言うのも、タバスコ平原の「ラ・ベンタ」遺跡などに残されていた黒人の人頭像の原石はハイテクノロジーで彫られているからである。

人頭像を作ったのは現代文明をしのぐテクノロジーをもった人々であったと考えざるをえなくなってくる。


紀元前3000年ごろにオルメカ文明を築いた人々は、先史文明に直結する黒人ではなく、彼らよりはるかに後の時代に、かの地にやって来た人々であったのではないだろうか。


マヤの長老であるドン・アレハンドロは「オルメカ人はマヤ族の一族だ」と語っている。

またマヤ人でシャーマンでもあるヴィクトリアーノ・アルバレス・ファレス博士はマヤ・トルテカ文明説の中で、「オルメカ人はグアテマラの太平洋沿岸の高地で文明を持っていた太古のマヤ人が、紀元前2000年ごろにタバスコ平原に移住した民族だ」と述べている。

なお長老は、「マヤ族に文明をもたらしたのはプレアデス星からやってきた4人の宇宙人の一人で、彼こそがククルカン(ケツァルコアトル)と呼ばれる神であった」、と語っている。

著者の主張するニビル星人とは異なっている。


ただ、メキシコの地に黒人像が数多く残されていることを考えると、セム系の白人と一緒にアフリカから渡ってきた太古の先史文明の黒人一族が紀元前3000年ごろまで生き残っていた可能性はありそうだ。

偉大な姿で残された人頭像は太古の黒人の姿であり、それ以外の黒人像は大カタストロフィーを生き延びた彼らの末裔の姿を描いたものではないかと思われる。

人頭像以外の黒人やセム系の人々の容姿が決して高貴な人物として描かれていないのは、そのためではないだろうか。


            (引用ここまで・終わり)


                  *****


淺川嘉富氏HP「ようこそ!淺川嘉富の世界へ」
http://www.y-asakawa.com/



大きなテーマでありますが、オルメカ文明はマヤ文明の謎を解く一つの切り口であることは間違いないと思われます。

前出の記事で引用させていただいた16世紀の宣教師サアグンによる伝承の記録書も、直接確認したいと思っています。

また、同じオルメカ文明に関するグラハム・ハンコックの見解も興味深いと考えております。



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