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「海を渡った神ビラコチャ」を探る・ヘイエルダール・・南アメリカと南太平洋(7)

2017-04-22 | アフリカ・オセアニア


「南海文明・グランドクルーズ・・南太平洋は古代史の謎を秘める」という荒俣宏氏・篠遠喜彦氏共著の本の中の、荒俣氏のお話の部分をご紹介を続けます。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

この「ビラコチャ」=「ケツァルコアトル」=「白い兄」=「白い神」のことは、当ブログのメインテーマと言ってもいいくらい、度々取り上げて考えてきています。

どうしても消し去ることができない、人類史上の重要なテーマなのです。

西洋人が押し付けたのではないのです。

北米・中米・南米にわたって、先住民の魂の底に焼き付いた記憶があるのです。


*****

(引用ここから)


「コン・ティキ・ビラコチャの正体」

太平洋のアメリカ大陸側は、地理、地質、気候、そして眺め、どれもユニークなものでありました。

そこへ別の大陸から人間がやってきて、植物栽培技術、石組、さらに薬学や高度な天文技術を発達させました。


ではその人たちは、どこから来たのか?

定説は、「氷河期に北極地域と北米大陸と旧大陸が地続きとなった時にアジアからやってきた」というものですが、

今残るインカ文明や蛇の神、そして黄金と太陽崇拝、ミイラ作りの技術などを統合すると、もっと可能性のある民族とのつながりを想定したくなります。


たとえばエジプト人です。

エジプト人が、「陸の橋」ではなく、舟で大西洋を渡ってきたとしたらどうでしょうか?

すでに述べたように、「アメリカ大陸に文明を伝えたのは、中国の殷だ」とする説も出ています。

ほぼ同時代に中国に匹敵する文明を誇っていた古代エジプトが、なぜ海を渡れなかったというのか?

むしろ渡れたと考える方が自然ではないでしょうか?


1988年から1994年にかけて、ペルー北部の「トゥクメ」という土地で、古いピラミッド型構造物の発掘調査が行われました。



wikipedia「トゥクメ」より

トゥクメは、ペルー北部ラ・ラヤ山のふもとの平野を流れるレチェ川の南に位置する町の名前であり、また、その町からちょうど 1km 東へ行った所にあるプレ・インカの遺跡群の名称でもある。

トゥクメ遺跡の面積は220Ha以上で、26の大きなピラミッドや墓がある。

この地域は、地元の人々によって「煉獄の地」とされている。

地元のシャーマンは、彼らの儀式の中でトゥクメ遺跡やラ・ラヤ山の聖なる力を呼び起して信仰療法を行っている。

そのため、地元の人々はこの土地に対して畏怖の念を抱いている。

シャーマン以外で、夜にこの土地にあえて足を踏み入れようとする者はほとんどいない。


トゥクメの広大な平野はランバイエケ県にあり、ペルー北海岸地域におけるもっとも大きい渓谷である。

ランバイエケ渓谷には、自然および人工的に作られた水路があり、約250もの崩壊した日干し煉瓦のピラミッドがある。


地元には、トゥクメのピラミッドは、「"Naylamp"という海から来た英雄が造った」という神話が伝わる。

「海から来た"Naylamp"は、ランバイエケ平野に隆起するラヤ山のふもとに住んでいた民とともに力を合わせて町を建設し、ピラミッドを造った」とされる。


トゥクメの遺跡群に対する最初の考古学的調査は、トール・ヘイエルダールがこの地にやってきたときに行われた。

ヘイエルダールは調査プロジェクトを指揮し、遺跡群の中で最も重要と考えられて"Huaca 1"と番号が付けられた「ワカ=聖なる場所」の隣に博物館を建てて調査結果をまとめた。

1970年代から始まる考古学的調査の結果、この遺跡は、シカン文化(紀元後 800年~1350年)、チムー王国(1350~1450年頃)、インカ帝国(1450~1532年)における巨大な宗教センターであったと考えられるようになった。

焼き固めていない日干し煉瓦は雨に弱く、エルニーニョ現象がもたらした豪雨により数多くの「ワカ=聖なる場所」群が崩壊し、遺跡になったと考えられている。

                  ・・・

トゥクメは、前インカ時代の遺跡です。

もっとも重大な発見は、儀式用の構造物と思われる遺跡から発見された壁画で、それに浮彫があり、巨大な外洋航海用の葦舟が描かれていました。

それが古代エジプトで用いられてきた舟の形に酷似していたというのです。

またその葦舟の浮彫には、「鳥の頭と鳥の翼をつけたシャーマンらしい人物」、いわゆる「鳥人」も描き添えられていました。


もうひとつ重大な調査があります。

「トゥクメ」をはじめペルーの多くの墓で発掘された王位の人々の「ミイラ」の研究でした。

ペルーは気候の関係で「ミイラ」の保存状態が良いとお話ししましたが、髪の毛もまだ残っていたのです。

その「ミイラ」の髪の毛を調査したところ、驚いたことにコロンブス以前に死んだ人々の遺体にも関わらず、髪が赤くて細くウェーブを巻いていました。

なかには金髪もあったといいます。

そして頭蓋骨も、ヨーロッパ型の特徴である長い頭だった可能性が高いというのです。


これに加え「コン・ティキ伝説」に関する調査もあります。

それは「髭を生やした白い人」に関する言い伝えです。

ペルー人は人種的特色として、あまり長い髭が生えませんし、肌の色も白くありません。

しかしペルーやメキシコなど中南米の古い文明には、同じような伝説があるのです。

それが「髭を生やした白い人」の話です。


ペルーではその人を神とみなし、「ビラコチャ」と言います。

メキシコのマヤ文明では「ケツァルコアトル」の神とされています。


ここではペルーの「ビラコチャ」について簡単に述べておきましょう。

「ビラコチャ」はインカ成立以前、チチカカ湖周辺にいた人々に信奉された神でした。

高山の湖に住む人々の神にも関わらず、「ビラコチャ」とは「海の泡」を意味します。

またもっと詳細にこの神の名を語る人々は、「コン・ティキ・ビラコチャ」と呼んでいました。

この名は「白い髭を生やした白い人」を指す、各地域の異名を3つ合わせたものと言われています。

「ビラコチャ」の神は白くて背が高く、ひげを蓄え、頭髪は金色に輝いていたそうです。

この神がある時、どこからともなく出現し、チチカカ湖に住み着き、太陽の神として崇拝されるようになりました。

「ビラコチャ」は人々に文明と倫理を教え、ピラミッドを始めとする石造建築や葦舟の作り方などの技術を教えました。

やがて「ビラコチャ」はペルー全土に文明を根付かせ、さらに「黄金の国」をめざすと言って、現在のエクアドルのマンタ港(ここは赤道直下です)から太平洋に向けて船出していった、というのです。

この「ビラコチャ伝説」は、中南米の太平洋側にもたくさん残っています。

ですからインカでもアステカでもスペインの征服者がやって来た時、白い肌と金髪の大男たちを見て、てっきり「ビラコチャ神」が帰ってきたのだと思い込んだのでした。

つまり「ビラコチャ」は航海民の王で、優れた技術と文明を携えて、ペルーへやって来た人間だったことになります。

それにピラミッドとミイラづくりの文化を加えると、「ビラコチャ」の正体が少しずつ想像できます。


チチカカ湖に近いティアワナコで、20世紀半ばに発掘された「コン・ティキ・ビラコチャ」の赤い石像は、長い衣をつけ、角のある蛇と2頭のピューマを従えた、髭のある神像でした。

メキシコのオルメカ文明にも、「ビラコチャ」そっくりのセム系人種を思わせる人像と、どうみても黒人に見えるネグロイド系の顔面像が残されています。

ネグロイドの顔面像は有名です。

つまりこれらの伝説は、どう見ても〝アメリカ大陸土着でない、高度な文明人が、遠い昔、船でやってきた″、ということを示しています。


わたしも中米・ユカタン半島にあるピラミッド遺跡「チチェン・イツァ」を見物したことがあります。

あの場所に残されたレリーフの一つにたくさんの人種が描かれたものがありました。

黒人はいる、エジプトの神官はいる、おまけに旧世界にしかいないはずの馬までがいるので、本当に驚きました。

どうしてアメリカ大陸がコロンブス到着まで旧世界と交流がなかったと言われているのか、まったく理解できなくなりました。


そして以上のような発掘や調査を行った人物の一人が、仮説を出しました。

古代アメリカ大陸に渡ったのは決してアジア系の人々だけではなかった。

「肌が白くて金髪」のフェニキア人やエジプト人が、そしてさらに後にはバイキングたちもアメリカ大陸にやってきて、インカ族やマヤ族にピラミッド、ミイラ、そして葦舟づくりを伝え、子孫も残していったと。


この人物こそ、ノルウェーの偉大な人類学者トール・ヘイエルダールでした。

彼によって南アメリカ、エジプト、そしてイースター島を含むポリネシア、まさにアメリカを間にはさんだ古代文明の「西への伝播」が主張されたのでした。

それはかつて、民俗学者柳田国男が、浜辺で拾ったヤシの実から、米をはじめとする日本文化の源流に南方とのつながりを直観した事件と同列の、まことにショッキングな文化的出来事だったと言えるでしょう。

            (引用ここまで)

              *****

長くなりましたので、人類学者ヘイエルダールについては、次の記事で説明することにします。

今までは古代南北アメリカ大陸先住民族の伝承という観点から見てきた「白い神」伝説を、人類学者として研究実証した人として有名です。

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