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「古代メキシコ・オルメカ文明展」に行ってみた・・マヤ文明の源泉か?

2011-01-04 | マヤ・アステカ・オルメカ
明けまして おめでとうございます。

いつも お読みくださり ほんとうにありがとうございます。

本年も どうぞよろしくお願いいたします。



先月、池袋のサンシャインシティで開催されていた「古代メキシコ・オルメカ文明展・・マヤへの道」に行ってみました。

「古代メキシコ・オルメカ文明展」HP
http://www.bunpaku.or.jp/exhi_olmeca.html


オルメカ文明は紀元前1500年から紀元前500年ごろまで栄えた、中米最古の文明であるということでした。

マヤ文明につながる大きな文明であったようですが、マヤ文明が発生する頃に衰退していったということで、「謎の古代文明」と言われます。


博物館の会場に入ってから出るまで、静かに理解を阻むものがあり、言葉がみつからないという思いがつのりました。

有名なオルメカヘッドもありました。

高さが3メートルもある20トンの巨大な頭。

この人はいったい誰なのだろう?

頭にかぶった戦闘帽のようなものは何なのだろう?

なぜ頭だけの像なのだろう?

そして、こんなに重い石をどのようにして運んだのだろう?




手のひらに乗るほど細かい人物の像もたくさんありました。

3000年前のそれらの人々の顔は、オルメカヘッドの像の顔とはまったく違う顔で、

いったい何を見ているのだろうと思うと、分からない、という以外ないのですが、

能面のような表情はしかし、何事かをはっきりと告げるために作られており、深い秘密で結ばれた魂たちだと思われました。



展示はオルメカ文明を、マヤ文明につながるマヤ文明の源泉、という紹介の仕方をしていて、とても論理的にていねいに説明されていました。

本邦初公開のマヤ暦のレリーフもあり、比較できるようになっていました。


確かにマヤのレリーフとそっくりなレリーフだなぁ、、とつぶやいて、ようやくこれは比較が逆になっている、と気づかされました。

オルメカ文明がマヤ文明にそっくりなのではなく、マヤ文明がオルメカ文明にそっくりなのでした。

私も、この展示は“マヤ文明の何か”と思って行きました。

しかし、マヤ文明の根幹には、もっと大きな流れがあったのでした。


わたしが理解した限りでは、
古代のメキシコには“マヤ文明と共通する”あるいは“マヤ文明の源泉である”古代文明が、マヤ文明に先んじて存在した、ということと思いますが、

マヤ文明から、さらに古い文明としてのオルメカ文明に基軸を移して捉えることで、世界の見方がずいぶん変わったように感じました。


世界の見方が変わる、ということで言うと、メソアメリカ(中米)研究者の青山和夫氏が著書「古代メソアメリカ文明」の中で次のように指摘しておられたので紹介させていただきます。

 

         *****


             (引用ここから)


脱・「四大文明」史観


日本において「世界の古代文明」といえば、旧大陸の四大文明を指し、あたかもアメリカ大陸を除外するような大変残念な傾向がある。


この「世界四大文明」という、世界的に見てもきわめて珍しい人類史観が日本で最初に登場したのは、第二次世界大戦後の世界史の教科書においてであった。


これは旧大陸の四つの大河流域(チグリス・ユーフラテス河、ナイル河、インダス河、黄河・長江)の肥沃な平地で、大規模の灌漑・治水事業が発達して大文明が最初に起こり、以降の文明はこの流れを汲む、という古い考えである。

その結果「世界六大文明」を構成したアメリカ大陸の文明、特に古代メソアメリカ文明は日本ではまだあまり知られていない。


そればかりか、「謎・神秘の古代文明」としていろいろと誤解されている。


中南米の古代文明として一括して「インカ・マヤ」「インカ・マヤ・アステカ」、という風に同一視され、混同されていることが多い。


こうした“インカ・マヤ・アステカ・シンドローム”とも言うべき同一視と混同は、西洋中心主義的な世界史の教科書によって形成されてきたと言っても過言ではないであろう。


日本の「世界史」という教科は、東洋史と西洋史を中心に成り立っている。

しかし「世界六大文明」を構成したメソアメリカ文明とアンデス文明の適切かつ十分な記述抜きに真の世界史とは言えない。


人類史を正しく育成するためには、旧大陸と新大陸の古代文明を対等に位置付けなければならない。


バランスのとれた真の世界を学ぶためには、コロンブス以前のアメリカ大陸の歴史の質量ともに充実した記述が欠かせないのである。


20世紀の半ばまで、マヤ文明は西暦250年ごろに熱帯雨林で突如起こり、周辺地域から孤立して発展した戦争のない平和な文明だと誤解されていた。


そこは都市なき文明であり、一握りの神官支配層が人口の希薄な空白の儀式センターで、天文学、芸術、暦の計算や宗教儀活動に没頭していた、とされた。


農民は儀式センター周辺に散在した村落に住み、一様に農業に適さないマヤ低地においてトウモロコシを主作物とする焼き畑農業だけを行ったと考えられた。


そして9世紀に突如崩壊し、退廃していったと論じられたのである。


だが、新しいマヤ文明観によれば、その起源は紀元前600年に遡ることが分かっている。


そしてマヤ文明は周辺地域との交流を通して徐徐に発展した都市文明であった。


そして9世紀に“突如崩壊した”のではなく、一世紀以上にわたって部分的に衰退したのである。


マヤ文明は16世紀にスペイン人が侵略するまで、社会全体としては発展し続けたのである。


古代メソアメリカ文明はわれわれ人類の歴史の重要な一部であるだけでなく、現代からも隔絶したものではない。


中米で独自に発展した古代メソアメリカ文明は、16世紀以降も子孫の先住諸民族は千数百万人を超え、今日に至るまで形を変えながら、先住民文化を創造し、力強く生き続けている。


現代メソアメリカの文化は地球の反対側で現在進行形の生きている文化・伝統なのである。


      (引用ここまで)


             *****



四大文明から六大文明へと歴史観を修正することで、ユーラシア大陸を中心にした歴史観に欠落している視点を加え、世界観を修正する必要がある、

また、マヤとインカの文明はそれぞれ別の、中米と南米の先住民族の生きた文化なのだ、

西洋人はそれらをいっしょくたにして、なにか「神秘的な古代文明」であるかのように扱うが、それらの文明が「神秘的」に見えるのは、それらの文明を跡方がなくなるほどまでに破壊して、最早“誰にも分からないもの”にしてしまった西洋人の責任である、

西洋人は他の文明を破壊したことに対する責任を放棄している、

マヤやインカの文明を「神秘的」であるとする風潮は、生きた他民族の文明を理解できない西洋人の錯誤に満ちた無理解に他ならない、

という青山氏の説は、力強く、正しいと思います。


本当に、コロンブス以前のアメリカ大陸の文明について、ちょっとした話を知るだけで、世界の歴史観は大きく変わり得ると思います。


しかし同時に、マヤ文明とインカ文明を、別々の独自で生きた文明であると考えた場合にも、それらの文明や、オルメカ文明という“密林の古代文明”は、やはりどうにも説明しがたい深い秘密をはらんでいるのではないか、という思いがして、その「謎」を捉えるのは簡単なことではない、という気持ちが残ります。


四大文明にせよ六大文明にせよ、不思議なことに、わたしたちはいまだ、「文明はなぜ出現したのか?」という根本的な問いに対する答えを持っていない、、という思いに立ち返ってしまうのでした。



オルメカ文明についての調べ物は、少しずつ続けたいと思います。

「マヤ文明の源泉」は、本ブログの中心テーマである「ホピ族の文化の源泉」とも直接的な関わりがあることと思っています。

答えが出ないこととは思いますが、出来る限りの努力をしてみたいと思っています。



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