ルドルフ・カイザー著「ホピ・宇宙からの予言」を読んでみました。
リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。続きです。
著者は「白い兄弟の帰還」というテーマをホピ族の神話体系の中で捉える必要性を述べています。
*****
(引用ここから)
世界の周期的な死と再生というのは、先史時代の文化に広く見られるテーマである。
ホピにとっては、時のはじめから宇宙の運動の一部であった「種子」の成長に、このサイクルのすべてが関わっているのだ。
この意味で神話の過去と未来は一つであり、予言はまさに未来についての神話となる。
だからこそホピは過去から未来を読むことができるのだ。
たとえば長老は次のように語っている。
「わたしたちホピには、こうなることは以前から分かっていた。
なぜならこれは宇宙の計画だからだ。
大神霊と創造主によってつくられた計画。
だから生き残りたいと思うなら、そもそものはじめの生き方、平和な生き方に立ち戻らなければならない。
創造主の教えをすべて受け入れて、それに従わなければならない。」
伝統派のホピにとっては、時の始めに定められた世界の秩序を維持し回復することが何にも増して重要なのであり、それに比べたら進歩や発展によって新しいものを生みだすことは大した価値を持たない。
●聖書との類似
ホピの予言の基本的な構造は、聖書などの他の予言と明らかに似ている。
聖書に出てくる多くの予言でも、この世の終末のことを「終わりの日々」、「さばきの日々」とよんでいる。
これはホピの予言の表現と同じである。
「白い兄の帰還」という予言も、世界の終わりにイエスキリストが再臨するというマタイの福音書の予言に似ている。
同様の予言の例としては、ユダヤ人に伝わるメシア願望、ヒンズー教におけるビシュヌ神の化身クリシュナの帰還の予言、イロコイ族の予言者の輝く光となって東から帰ってくるという誓約、神からつかわされた予言者が夜の内に東から現れて人々の魂を清め彼らを教え導く、というエスキモーの伝承などがある。
そして忘れてならないのがアステカの、ケツァルコアトルが帰ってくるという神話である。
アステカのケツァルコアトルは有翼のヘビ神で、みずからに火をつけて生贄として死んだ。
しかし死ぬ前に「いずれ平和をもたらすために東の大海を越えて帰還する」と約束したという。
ユダヤ教のメシア、キリスト教のイエス・キリスト、ホピのバハナ、そしてアステカのケツァルコアトルはみな、平和をもたらす者として帰って来ると語られている。
彼らは、「世界が暗くなり終末が近づいて光をもたらす者が必要な時に帰ってくる」という神話上の救世主なのだ。
このような神話は、人類が太古から持ち続けている希望や贖罪、浄化、平和、救済への願望の現れなのだろう。
ここに上げたような類似の予言が生まれたのは、宗教上の相互交換作用の結果ではなく、普遍的な、全世界共通の宗教または神話的モチーフが、多くの宗教や神話に個別に現れたものと考えるべきだと思う。
●ところで、部族民の宗教はその部族の神話から切り離すことができないので、一般的には部族民はその予言を世界中に広めようとはしない。
ホピの予言も元々は彼らだけの世界、時間、未来についての解釈だったのだ。
しかし村の地下室で1947年と48年に下された決定により、部族の神話は世界の神話に変容することになった。
ホピの予言は世界に向けて発せられたものとみなされるようになったのだ。
第二次世界大戦が世界に及ぼした影響、技術の進歩、とりわけ原子爆弾に対する世界的な反動も追い風になったのかもしれない。
いずれにしても第二次世界大戦後まもなく、一部のホピの宗教的指導者たちは彼らの予言に世界的な価値があると認識しはじめ、それまで多かれ少なかれ秘密にされてきた先人の教えを世界に広めようと提唱した。
ホピは存亡の危機に立たされている。
そしてこの世界の未来と後の世代の幸福を心にかける人なら、理由こそ全く異なるものの、ヨーロッパ・アメリカ型の西欧文明もやはり危機的な状況にあることを進んで認めるだろう。
つまり根本的に異なる二つの生き方がいずれも等しく未来の不安にさらされているわけだ。
そしてそのことがこの二つの道に融合をもたらし、正反対の方向から発しているにも関わらず、互いに互いを大きく強化することにつながったのだ。
(引用ここまで・終わり)
*****
著者の考えはごくまっとうで、ホピ族の予言は本来部族のためのものであったということです。
おそらく、それはそうなのだと思います。
その部族の祈りが、人々や地球全体への配慮に満ち満ちているということが、敬意にあたいする価値のあることなのではないでしょうか。
しかし、それだけではまだ問題はほとんど解けたとは言えないでしょう。
彼らの待つ「白い兄」とは誰なのか?
兄と弟は、何を約束したのか?
それらへの答えはまだ何一つないからです。
ケツァルコアトル神とホピ族の関連が不鮮明なのは、なにかが故意に隠されているようで、気になりますが、ホピ族の祭祀に見られる驚くような伝承は、本当に「失われた第3の世界」の記憶であるのではないかとも思います。
神と人が共に暮らしたはるか太古の神代の記憶なのではないか?
あるいは、宇宙からの指導者の帰還を待ちのぞんでいるのではないか?
そういう可能性はあるのではないかと思っています。
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白い兄 7件
白い神 5件
ホピの予言 15件
石版 10件
ケツァルコアトル 6件
キリスト 15件
聖書 15件
などあります。
(重複しています。検索結果は15件がマックスのようです。)
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著者は「白い兄弟の帰還」というテーマをホピ族の神話体系の中で捉える必要性を述べています。
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(引用ここから)
世界の周期的な死と再生というのは、先史時代の文化に広く見られるテーマである。
ホピにとっては、時のはじめから宇宙の運動の一部であった「種子」の成長に、このサイクルのすべてが関わっているのだ。
この意味で神話の過去と未来は一つであり、予言はまさに未来についての神話となる。
だからこそホピは過去から未来を読むことができるのだ。
たとえば長老は次のように語っている。
「わたしたちホピには、こうなることは以前から分かっていた。
なぜならこれは宇宙の計画だからだ。
大神霊と創造主によってつくられた計画。
だから生き残りたいと思うなら、そもそものはじめの生き方、平和な生き方に立ち戻らなければならない。
創造主の教えをすべて受け入れて、それに従わなければならない。」
伝統派のホピにとっては、時の始めに定められた世界の秩序を維持し回復することが何にも増して重要なのであり、それに比べたら進歩や発展によって新しいものを生みだすことは大した価値を持たない。
●聖書との類似
ホピの予言の基本的な構造は、聖書などの他の予言と明らかに似ている。
聖書に出てくる多くの予言でも、この世の終末のことを「終わりの日々」、「さばきの日々」とよんでいる。
これはホピの予言の表現と同じである。
「白い兄の帰還」という予言も、世界の終わりにイエスキリストが再臨するというマタイの福音書の予言に似ている。
同様の予言の例としては、ユダヤ人に伝わるメシア願望、ヒンズー教におけるビシュヌ神の化身クリシュナの帰還の予言、イロコイ族の予言者の輝く光となって東から帰ってくるという誓約、神からつかわされた予言者が夜の内に東から現れて人々の魂を清め彼らを教え導く、というエスキモーの伝承などがある。
そして忘れてならないのがアステカの、ケツァルコアトルが帰ってくるという神話である。
アステカのケツァルコアトルは有翼のヘビ神で、みずからに火をつけて生贄として死んだ。
しかし死ぬ前に「いずれ平和をもたらすために東の大海を越えて帰還する」と約束したという。
ユダヤ教のメシア、キリスト教のイエス・キリスト、ホピのバハナ、そしてアステカのケツァルコアトルはみな、平和をもたらす者として帰って来ると語られている。
彼らは、「世界が暗くなり終末が近づいて光をもたらす者が必要な時に帰ってくる」という神話上の救世主なのだ。
このような神話は、人類が太古から持ち続けている希望や贖罪、浄化、平和、救済への願望の現れなのだろう。
ここに上げたような類似の予言が生まれたのは、宗教上の相互交換作用の結果ではなく、普遍的な、全世界共通の宗教または神話的モチーフが、多くの宗教や神話に個別に現れたものと考えるべきだと思う。
●ところで、部族民の宗教はその部族の神話から切り離すことができないので、一般的には部族民はその予言を世界中に広めようとはしない。
ホピの予言も元々は彼らだけの世界、時間、未来についての解釈だったのだ。
しかし村の地下室で1947年と48年に下された決定により、部族の神話は世界の神話に変容することになった。
ホピの予言は世界に向けて発せられたものとみなされるようになったのだ。
第二次世界大戦が世界に及ぼした影響、技術の進歩、とりわけ原子爆弾に対する世界的な反動も追い風になったのかもしれない。
いずれにしても第二次世界大戦後まもなく、一部のホピの宗教的指導者たちは彼らの予言に世界的な価値があると認識しはじめ、それまで多かれ少なかれ秘密にされてきた先人の教えを世界に広めようと提唱した。
ホピは存亡の危機に立たされている。
そしてこの世界の未来と後の世代の幸福を心にかける人なら、理由こそ全く異なるものの、ヨーロッパ・アメリカ型の西欧文明もやはり危機的な状況にあることを進んで認めるだろう。
つまり根本的に異なる二つの生き方がいずれも等しく未来の不安にさらされているわけだ。
そしてそのことがこの二つの道に融合をもたらし、正反対の方向から発しているにも関わらず、互いに互いを大きく強化することにつながったのだ。
(引用ここまで・終わり)
*****
著者の考えはごくまっとうで、ホピ族の予言は本来部族のためのものであったということです。
おそらく、それはそうなのだと思います。
その部族の祈りが、人々や地球全体への配慮に満ち満ちているということが、敬意にあたいする価値のあることなのではないでしょうか。
しかし、それだけではまだ問題はほとんど解けたとは言えないでしょう。
彼らの待つ「白い兄」とは誰なのか?
兄と弟は、何を約束したのか?
それらへの答えはまだ何一つないからです。
ケツァルコアトル神とホピ族の関連が不鮮明なのは、なにかが故意に隠されているようで、気になりますが、ホピ族の祭祀に見られる驚くような伝承は、本当に「失われた第3の世界」の記憶であるのではないかとも思います。
神と人が共に暮らしたはるか太古の神代の記憶なのではないか?
あるいは、宇宙からの指導者の帰還を待ちのぞんでいるのではないか?
そういう可能性はあるのではないかと思っています。
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マヤ 15件
種子 9件
白い兄 7件
白い神 5件
ホピの予言 15件
石版 10件
ケツァルコアトル 6件
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聖書 15件
などあります。
(重複しています。検索結果は15件がマックスのようです。)
私は、ノアの洪水が再来すると確信しています。シュメール神話の惑星二ビルまたはマルドぅークが地球に再接近して、地球の地軸大移動を引き起こすと考えています。後四半世紀でしょう。もうじき終わりが訪れます。でも救いもいくらか残されていると思います。聖書は凄いですよ。
はじめまして。
コメント、どうもありがとうございます。
ノアの洪水の再来。。
ありそうな気がしますね。
人間の意識は、地球外生命によって発生したものかもしれませんね。
人間の意識は、人間に本来的なものではないのかもしれません。
なにかが、地球外から意図的に起こされているのかもしれない、という気はします。
もっとも何も起こらなくとも、あと四半世紀もすれば、わたしは骨と皮になるでしょうけれども。。
もの凄く長い旅の繋がりですね。
通りすがり様
コメントありがとうございます。
憶測ですが、宇宙人は地球に来ているのではないでしょうか。
そして、アメリカ・インディアンは人類の中でそれなりの役割を担っているのではないかという気がします。
シンプル イズ ベストと言いますが、シンプルで在るには神の御加護が必要なのではないかと思っています。