コロラド大学でネイティブアメリカン哲学思想、歴史、芸術を教えておられたラコタ・インディアン、A.・C・ロスさんの本「我らみな同胞(ミタクエオヤシン)・インディアン宗教の深層世界」という本を読みました。
彼は幼い時から白人の家で育てられ、白人による教育を受けたのですが、大学生時代、ユング心理学の講義を聞いたら、なんとそれはラコタ族のごく普通の考え方と同じであることを発見し、インディアンの文化は西洋の文化とどのような関係をもっているのか、さらにインディアンの発祥の地はどこか、と研究した人です。
以下「我らみな同胞」より抜粋して紹介します。
*****
最近になってはじめて自身の伝統文化に接するようになった人間として、わたしは次のようなことを自問しはじめた。
「なぜわれわれはしかじかのことをし、しかじかのことを信ずるのだろうか?
このような伝統的信仰の裏には、それなりの理由があるにちがいない。」
ラコタの人間として自分のルーツを探っていくわたしの試みは、こうしてインディアンの創世に至るすばらしい探究の経験に至ったのである。
欧米文明は、アメリカ・インディアンの先祖はおよそ20000年前にベーリング海峡を経てアジアの北東部からアメリカ大陸にやってきたと教えている。
ところがラコタ族の口承の歴史では、インディアンは常に西半球に、特に北米大陸に存続・在住していたと記録されているのである。
わたしはこのことをよくよく考えてみた。
学会の権威は人間が進化を遂げたのは西半球ではないと言っている。
私は手に入るあらゆる本によって自分のルーツを求めるきっかけを探した。
本で始まったわたしの研究は、のちには郷里の祖父母から昔話を聞くという方向に向かった。
*****
昔話の探索の後、部族の伝統的な行事や儀式に参加して、彼は大学に戻りました。
そしてユング心理学を専攻することにして、はじめて講義を聞いて、それが自分の部族が行っているさまざまな行事や儀式の考え方と同じだと知って驚きます。
転載を続けます。
*****
ユング博士は、心は三つの段階に区分することができると言っている。
心の一番上層をユング博士は「意識」とよんだ。
これはまたの名をエゴとして知られている。
これは心の中の活動的な部分で、わたし達は起きている間、常に使っているものである。
その下に位置するものを彼は「個人意識」と呼び、ここにはわたし達がこの世に生まれて以来、見知ったことがらの記憶が堆積している。
ここは抑圧または抑制された部分であるから、われわれはずっと昔の事柄は憶えていない。
最も下位に位置するものを、ユング博士は「集団意識」とよぶ。
彼によれば、わたし達の祖先から伝わったすべての知識や記憶はこの部分に潜在意識となって堆積しているという。
ユング博士によれば、現代人は人種に関わらず、あまりにも意識の世界にかたよって均衡を逸しているという。
そして現代人はこの無意識の部分をおろそかにしていると言うのである。
博士の研究はこの下層心理に働きかける、従来とは異なる方法が存在することを知っている。
そのために彼が使った方法の一つが「夢」である。
彼の説によれば、夢とは意識的な内容の無意識な完成なのである。
別の言い方で言えば、夢とは無意識の世界からやってきて意識の世界に浸透したものなのである。
だが心の中の無意識の部分はそれ自体では語ることができないので、それが意識の世界に浸透すると、イメージや象徴、考え、勘といったような形をとる。
ラコタ族は伝統として世の中の森羅万象は、めくるめく環の中にあると信じている。
伝統的なネイティブアメリカンの世界には書き言葉はない。
伝統的な社会では、人はなにかの知識や情報を得たければ、儀式に行くのである。
“通訳”(儀式の担い手)はあの世と交信し、そしてあなたの疑問に答える。
*****
彼はまた、脳の右脳と左脳について考えます。
*****
本能は右脳の機能の一つである。
人がもし、あることについて何らかの感触をもったなら、その人はそれを意味あるものとして受け入れるべきだろう。
このような受け入れの態度こそ、我々が子供に教えなければならないものなのである。
それが本能を研ぎ澄ます助けとなるからである。
別の右脳の機能は全体性思考で、これは一目で物事の総体図が分かるものである。
これはそこから始まって、その総体を構成している一つ一つのものを見てゆく考えを統率するもので、つまりは左脳の直線的思考と反対の方向を辿る。
ところでこの全体性思考はネイティブアメリカンの伝統的な儀式で使われているものである。
その例は「パイプの儀式」で、パイプに詰められたたばこは、地上のすべての緑のもの、四つ足のもの、翼あるもの、そして水の中に住むものをあらわす。
パイプにこのようなものを詰める行為は、これらすべてのものがパイプの中に集まってくれるようにする祈りの行為なのである。
そしてそのパイプは四つの方向、宇宙の神秘を統率する不思議の力、そして母なる大地に捧げられる。
あなたがそのパイプを吸うとき、あなたはこれらすべてのものがあなたの中に入り、あなたと一つになるよう念願しているのである。
これは非常に全体的な思考形態、宗教というものに対する右脳的なアプローチである。
ラコタ族の言葉では、祈りの締めくくりは「ミタクエオヤシン」であるが、その意味は、直訳するならば、「わたしのすべての同胞たち」(オール・マイ・リレーションズ)ということになる。
これは「われわれはすべてのものと関連を持つ」ということである。
私には、これはどう見ても右脳的思考のように思われる。
*****
彼は、西洋人とインディアンの二つの文化を相対的に見て、インディアンの思想が現代の西洋人の心にとっても、とても大切なものではないかと語っています。
彼の元奥様はホピ族だったということで、ホピ族の文化の紹介もしています。
続きは次回に。。
彼は幼い時から白人の家で育てられ、白人による教育を受けたのですが、大学生時代、ユング心理学の講義を聞いたら、なんとそれはラコタ族のごく普通の考え方と同じであることを発見し、インディアンの文化は西洋の文化とどのような関係をもっているのか、さらにインディアンの発祥の地はどこか、と研究した人です。
以下「我らみな同胞」より抜粋して紹介します。
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最近になってはじめて自身の伝統文化に接するようになった人間として、わたしは次のようなことを自問しはじめた。
「なぜわれわれはしかじかのことをし、しかじかのことを信ずるのだろうか?
このような伝統的信仰の裏には、それなりの理由があるにちがいない。」
ラコタの人間として自分のルーツを探っていくわたしの試みは、こうしてインディアンの創世に至るすばらしい探究の経験に至ったのである。
欧米文明は、アメリカ・インディアンの先祖はおよそ20000年前にベーリング海峡を経てアジアの北東部からアメリカ大陸にやってきたと教えている。
ところがラコタ族の口承の歴史では、インディアンは常に西半球に、特に北米大陸に存続・在住していたと記録されているのである。
わたしはこのことをよくよく考えてみた。
学会の権威は人間が進化を遂げたのは西半球ではないと言っている。
私は手に入るあらゆる本によって自分のルーツを求めるきっかけを探した。
本で始まったわたしの研究は、のちには郷里の祖父母から昔話を聞くという方向に向かった。
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昔話の探索の後、部族の伝統的な行事や儀式に参加して、彼は大学に戻りました。
そしてユング心理学を専攻することにして、はじめて講義を聞いて、それが自分の部族が行っているさまざまな行事や儀式の考え方と同じだと知って驚きます。
転載を続けます。
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ユング博士は、心は三つの段階に区分することができると言っている。
心の一番上層をユング博士は「意識」とよんだ。
これはまたの名をエゴとして知られている。
これは心の中の活動的な部分で、わたし達は起きている間、常に使っているものである。
その下に位置するものを彼は「個人意識」と呼び、ここにはわたし達がこの世に生まれて以来、見知ったことがらの記憶が堆積している。
ここは抑圧または抑制された部分であるから、われわれはずっと昔の事柄は憶えていない。
最も下位に位置するものを、ユング博士は「集団意識」とよぶ。
彼によれば、わたし達の祖先から伝わったすべての知識や記憶はこの部分に潜在意識となって堆積しているという。
ユング博士によれば、現代人は人種に関わらず、あまりにも意識の世界にかたよって均衡を逸しているという。
そして現代人はこの無意識の部分をおろそかにしていると言うのである。
博士の研究はこの下層心理に働きかける、従来とは異なる方法が存在することを知っている。
そのために彼が使った方法の一つが「夢」である。
彼の説によれば、夢とは意識的な内容の無意識な完成なのである。
別の言い方で言えば、夢とは無意識の世界からやってきて意識の世界に浸透したものなのである。
だが心の中の無意識の部分はそれ自体では語ることができないので、それが意識の世界に浸透すると、イメージや象徴、考え、勘といったような形をとる。
ラコタ族は伝統として世の中の森羅万象は、めくるめく環の中にあると信じている。
伝統的なネイティブアメリカンの世界には書き言葉はない。
伝統的な社会では、人はなにかの知識や情報を得たければ、儀式に行くのである。
“通訳”(儀式の担い手)はあの世と交信し、そしてあなたの疑問に答える。
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彼はまた、脳の右脳と左脳について考えます。
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本能は右脳の機能の一つである。
人がもし、あることについて何らかの感触をもったなら、その人はそれを意味あるものとして受け入れるべきだろう。
このような受け入れの態度こそ、我々が子供に教えなければならないものなのである。
それが本能を研ぎ澄ます助けとなるからである。
別の右脳の機能は全体性思考で、これは一目で物事の総体図が分かるものである。
これはそこから始まって、その総体を構成している一つ一つのものを見てゆく考えを統率するもので、つまりは左脳の直線的思考と反対の方向を辿る。
ところでこの全体性思考はネイティブアメリカンの伝統的な儀式で使われているものである。
その例は「パイプの儀式」で、パイプに詰められたたばこは、地上のすべての緑のもの、四つ足のもの、翼あるもの、そして水の中に住むものをあらわす。
パイプにこのようなものを詰める行為は、これらすべてのものがパイプの中に集まってくれるようにする祈りの行為なのである。
そしてそのパイプは四つの方向、宇宙の神秘を統率する不思議の力、そして母なる大地に捧げられる。
あなたがそのパイプを吸うとき、あなたはこれらすべてのものがあなたの中に入り、あなたと一つになるよう念願しているのである。
これは非常に全体的な思考形態、宗教というものに対する右脳的なアプローチである。
ラコタ族の言葉では、祈りの締めくくりは「ミタクエオヤシン」であるが、その意味は、直訳するならば、「わたしのすべての同胞たち」(オール・マイ・リレーションズ)ということになる。
これは「われわれはすべてのものと関連を持つ」ということである。
私には、これはどう見ても右脳的思考のように思われる。
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彼は、西洋人とインディアンの二つの文化を相対的に見て、インディアンの思想が現代の西洋人の心にとっても、とても大切なものではないかと語っています。
彼の元奥様はホピ族だったということで、ホピ族の文化の紹介もしています。
続きは次回に。。