高村光太郎作 「レモン哀歌」
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そんなにもあなたはレモンを待ってゐた
かなしく白くあかるい死の床で
わたしの手からとった一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパアズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱつとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽喉に嵐はあるが
かういふ命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
昔山頂でしたやうな深呼吸を一つして
あなたの機関はそれなり止まった
写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置かう
高村光太郎「レモン哀歌」
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死というものにおよそ無縁な高校生のころ、学校の国語の授業でこの高村光太郎の「レモン哀歌」を聞いたことを思い出します。
それは午後の授業で、その授業のあとは、みんな机を教室の後ろに下げて、掃除の準備をしなければなりませんでした。
ところが、ある机の列がある男子生徒が机につっぷしているので、その移動が止まってしまいました。
なんだよ、早くしろよと、みんなが言ったのだけれど、その男子は動きませんでした。
じっと見ると、かれが泣いているということがみんなわかりました。
みんな、それで、そのまま教室を出て行きました。
わたしはみんなといっしょにその光景を風景のように通り過ぎたことをおぼえています。
国語の担当の先生は大変上手な先生でしたけれど、それでも、わたしは泣くことはありませんでした。
どうしてこの人はこんなところで泣いているんだろうという、不思議な気持ちばかりでした。
そしてそれからだいぶたって、ある瞬間、「ああ、そうか、、わたしは、人を愛するということも、愛されるということも、なにもかもわかっていなかったのだ、、。」
とやっと気づいた瞬間のことだけが今も思い起こされます。
そこから人生がやっと始まったのだと、今では思い起こされます。
智恵子のように、あなたと呼ばれて大切にされることがどれほど稀有なことなのか、わからなかったし、そのために不安でもあった時代を思い出します。
机に泣き伏していた男子は、本当の恋をしていたのだと、当時半分分かったようなことがやっともう少しわかったように感じられたのでした。
無限の未知数をはらんだ青春の時を、もう一度味わいたいような、、。
レモンの香気はもう似合わないのかもしれないような、、。
光太郎と智恵子の物語は清冽で、レモンの香りはいつまでたってもみずみずしいので、こんな詩を読むと、生きていることが切なくて、今頃になって泣いてしまいます。