始まりに向かって

ホピ・インディアンの思想を中心に、宗教・心理・超心理・民俗・精神世界あれこれ探索しています。ご訪問ありがとうございます。

ホピの祈り場と、ホログラム

2009-05-20 | ホピ族




北米インディアン・ラコタ族の生まれであり、インディアン思想を研究しているA・C・ロスさんの「我らみな同胞・・インディアン世界の宗教世界」からの抜粋と紹介を続けます。


        *****

わたしの最初の結婚相手はホピ族の女性だった。

わたしはインディアン同士ならうまく暮らしていけるだろうと思っていた。

それにも関わらず、彼女とわたしは喧嘩ばかりしていた。
自分でもどこが悪いのかまったく分からずに、わたしは混乱しきっていた。

そこでわたしはホピ族のものの考え方について研究してみれば、この状況に対する良い考えが浮かぶかもしれないと思った。

そこで最初に分かったのは、ホピ族というのは母系制の人々だということだった。
一家の長は女性なのである。
家も畑も羊も、部族にとって大切なものはすべて女性の所有物なのだ。

わたしはダコタ族のオグララ氏族の中で育った。
これは父系制である。狩猟部族だから、男性が一族の長なのだ。

そこで妻の部族について学べば学ぶほど、わたしは自分自身についてより多くのことがらを知った。

他の文化を学ぶ過程の中で、人は自分自身のことをも同様に学び、自分はその文化の一部をなす存在なのだということが分かるのである。

わたしはこれは(ユングのいう)個人化の過程であり、普遍的機能に一歩近づく道であると考える者である。


ところでホピの予言には、二人の兄弟・・赤いもの(弟」と白いもの(兄)・・の物語がある。

「白い方(兄)は地球の裏側に旅に出たが、やがて帰ってくるであろう。

そこで彼が帰って来た時、二人は一緒になって共に語らい、互いから様々に学ぶことがらを見出すだろう。

その後異なる生活方法を持つ二人は一緒になって、その生活ぶりは同じものになるだろう。」というものである。


わたしがこの予言を聞いた時、真っ先に頭に浮かんだことは、あの脳の左右の半球のことだった。

わたしの考えるところでは、この赤い色と白い色の兄弟はそれぞれが話す言語のために、左脳優勢型と、右脳優勢型になっている。

そのためにばらばらになっているが、いつの日か二人は一つのものになると予言されているのではないだろうか?

異なる文化を持つ者は互いの違いから学べば、我々の脳は総合性を持ったものになるのではないだろうか?


マリリン・ファーガソンは左右双方の脳半球の機能をいっしょにすることができれば、そこにはなにか新しいものが生まれるはずだ、と提唱している。

左右双方の脳の総合状態からくる知識はそれぞれを足し算した以上のものであり、それぞれのいずれとも異なるものなのだとも言っている。

均衡の哲学、つまり「赤い道」の哲学は総合的な脳活動の鍵である。

ブレイクスリーは右脳を使うことによって、我々は集団深層意識の世界と接触することができるということを言っている。

またユング博士はすべての文化の中にある神話はそこに真実を含み、かつそれらは集団深層心理の世界からやって来たものであると述べている。


*****


赤い弟と白い兄というホピの神話は、右脳と左脳の統合の象徴ではなかろうかと、彼は語っています。

次に彼は、ホピの祈りの場「キヴァ」について、ホログラム理論を用いて検証を試みています。



         *****


さてわたしは、ネイティブアメリカンの哲学思想と一致する考えを外の世界に探し求めていく努力の一環として、まず心霊によるエネルギー解釈に焦点をおく。

エドガー・ケーシーはその心霊による情報の中で、

「神のエネルギーはさまざまな部分から成り立ちながら、同時に一つの総合をなす。」と語っている。

ゲイリー・ズーカフは「踊るウー・リー師匠達」という著書の中で、

「もしわれわれが自分たちの現実を第四次元の方向から見ることができるならば、宇宙の森羅万象は我々の前に過ぎ去っていく時とともに解き明かされてきたもの、描かれ、ありようのままに、織りなされる空間時間の上にすでに存在してきたものであることがわかるだろう。

われわれは、すべてを、過去を、現在を、未来を、一目で見ることができるであろう。」
と語っている。

この言葉をわたしが解釈すると、

「もし人が自我を超越して第五次元に立つことができるならば、その人はすべてを見ることができるだろう。」と言えよう。

さらにわたしはこのことに関して即座にエドガー・ケーシーの次の言葉を思い出した。

「もしひとが集団深層意識の世界と交信するならば、過去と未来のすべては現在となる。」


すでに述べたように、集団深層意識の世界は知能の下層部分に属する。

そこでわたしが突き当たったものは、頭脳の働きに関するさまざまな研究だった。

ホログラフィーというものは、スクリーンなしで映像を空中に投射する。

ホログラフィーは、一連の鏡を異なる角度に設置し、その映像が一点に集中することができるようにする投射の特別な仕掛けである。

「ホログラフィーの本」の中でジェフ・バーナーは「ホログラムの独自の視野は、あたかもその物体を見ている人間がその物体の内側に入って、本来的に自分が立っている場所をその内側から見ているようなものである。」と述べている。

脳心理学者とホログラフィー技術者は、われわれの頭脳はホログラフィーのように働くという点で、意見の一致を見るだろう。

人間の脳というものは、それ自体を観察することのできる唯一の器官なのである。


さらに技術者たちは次のように問う。
「われわれ人類は、宇宙全体のホログラフィー的な投影なのではないだろうか?


わたしとしては、この疑問が投げかけるところのものに、非常な興奮を覚える。

なぜなら、ホログラフィーはわれわれの伝統的儀式の説明を助けてくれる可能性が実に大だからである。

そこでまずその試みとして、ホピ族の祈りの場「キヴァ」を持ち出そう。

これはその建築構造とその使用のしかたにおいて、その方面の典型と言うべきものである。


「キヴァ」は円形の構造をもっていて(現在は四角)、地下に作られ、その入口は屋根の上に作られた穴である。

メキシコのリオ・グランデ・プエブロで伝統的な儀式の踊りをみた日の夜、わたしは夢を見た。

その夢の中で「キヴァ」は、すでに述べたユングの心理モデルと同じものとして現れたのだ。

「キヴァ」のてっぺんはエゴで、それを経て中に入った人は、自分の集団深層意識の中に入っていくのである。

「キヴァ」の中から出てくる踊り手たちは、その集団深層意識の中の、さまざまなアーキタイプ(元型)なのだった。

夢からさめたわたしは今や自分はホピ族の広場の踊り手の踊りが意味する、内的な秘伝の意味を知ることができたと思い、とても幸せな気がした。

そしてホピ族が「キヴァ」の中に伝統的な作法にそって入る時、その人はもはやその人ではなく、カチーナの世界の一部になるのだということが心底理解できたのだった。


同様にスウェットロッジも、この方面における別の例として挙げることができる。

人が神聖なスウェットロッジの中に入るとき、それはもはや二本の足を持った生き物ではなく、霊魂の世界の一部になる。

ラコタの祈りはつねに「ミタクエオヤシン」つまり、「我らみな同胞」という言葉で終わる。

宇宙のすべてのものは互いに関連しているということである。

この様な心で物事を見るということは、わたしに観察者が立っているはずの場所を、あたかも自分がそこにいるように、その立場から見ることを可能にしてくれるものである。

わたしの経験から言えることは、ホピの「キヴァ」の中にいる人もこの様に感じているに違いないということである。

これは「われわれの存在は宇宙のホログラム的な投影ではないのか?」、という疑問に対する答えなのではなかろうか。


       *****


彼はインディアンの儀式ではスピリット達が訪れ、人々にさまざまなアドバイスをもたらすという経験を何度もしているので、そのようなことがおこる“場”について、科学的根拠を説明しようとしているのだと思います。

そこがいかに“集団深層意識的”であり、かつ四次元的であるか、ということを彼は考えているのだと思います。

そこでは、伝承が語るように、世界の森羅万象が巡る輪をたどっている様が、具体的に感じとることができるのだということが言いたいのでしょう。

彼の言葉を用いるならば、「われわれはなにゆえにしかじかのことを行うのか」についての考察なのだと思います。

少し分かりにくいのですが、傾聴に値すると思い、紹介させていただきました。


写真は、ロス博士が見た夢、「ホピ族の祈り場「キヴァ」の内側をサイキの中の潜在意識の世界としてとらえたもの」と説明がついています。

縦長な絵なので、上半分と下半分になりました。
コメント
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