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始まりに向かって

ホピ・インディアンの思想を中心に、宗教・心理・超心理・民俗・精神世界あれこれ探索しています。ご訪問ありがとうございます。

卍、あるいは十字架の起源・・「蛇と十字架」(1)

2013-06-11 | 古代キリスト教



「蛇と十字架」という安田喜憲氏の本を読んでみました。

「十字架は蛇の変形である」という、面白い説です。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


             *****

           (引用ここから)


私が1991年に「大地母神の時代」を書いたきっかけは、山形孝夫著「レバノンの白い山」を読んだことにある。

その本には、次のようなことが書かれていたのである。


「紀元1世紀から2世紀は、地中海世界に初期キリスト教が最初に浸透する時代にあたっていた。

当時の地中海世界では辺境の地にすぎないパレスチナで誕生した、素性の知れないキリスト教が、文明の中心地に拡大浸透していくためには、病気を治し、奇跡を起こす神としての性格を強調しなければならなかった。

しかしすでに地中海世界には、アスクレビオス神という強力な病気治しの神がいた。

そしてその神の象徴は、「蛇」だった。


キリスト教が地中海世界に浸透していくためには、このアスクレビオス神と戦わなければならなかった。

キリスト教徒は、「蛇」を象徴とするアスクレビオス神と戦い、ついに勝利を手にする。

キリスト教徒は「蛇」を殺しアスクレビオスの神殿を焼き払い、地中海世界の支配者となった。

私はこの本を読んで初めてキリスト教が担わなければならなかった暗い闇を知った。



1989年の秋、私はシリアのアレッポの考古学博物館で、奇妙なものをみつけた。

それは2匹の蛇が絡まり合って、大木のようなものを取り巻いている彫刻であった。

そして絡み合った2匹の蛇は、最後に鎌首をもたげてキスをしているのではないか?


説明文には「5000年前のマリ遺跡から出土した」と書いてあった。

さらにこの絡み合った2匹の蛇を抽象化した波型の模様は、土器など至るところに造形されていた。

いったいこの2匹の絡み合った蛇は何を意味するのだろう、とずっと考えていた。


吉野裕子先生はそのご著書「蛇」でこんなことを書いておられる。

「日本の縄文中期の土器の中で、常に注目の的になるのは、生々しく活力にあふれた「蛇」の造形である。

この縄文人が「蛇」によせた情念、信仰にまで高められた思いの源はどこに求められるのか?

それは「蛇」の形態がなによりも男性を連想させることにある。

縄文土器の「蛇」が躍動するのは、「蛇」によって象徴される、縄文人の性に対する情念の表現に他ならない。」


その吉野先生にお会いした時、私の疑問に対して、こう言われた。

「安田さん、しめ縄は、じつは「蛇」なのですよ。そう、絡まって交合している雄と雌の「蛇」なのですよ。」


私の謎は、吉野裕子先生の一言で明快に解けたのである。

マリ遺跡から出土した2匹の絡み合った「蛇」が、大木のようなものを取り巻いているのは、しめ縄と同じく、雄と雌の「蛇」が交合している状態を表わしているものだったのだ。

シリアのアレッポ博物館で見た5000年前の2匹の絡み合った「蛇」の彫刻と、日本のしめ縄は、こうしてしっかりと赤い糸で結ばれたのである。


土器につけられた波状型の文様は、メソポタミア地方のみではなく、トルコ、ギリシア、イタリアなど、古代地中海世界に広く見られるものである。

巨大な神殿をつくり、数々の彫刻を残し、金属器を携えていた古代メソポタミアや地中海世界の人々と、古代の日本人が抱いていた世界観は、実は極めて類似したものであった。

物質文明のレベルでは、古代のシリアと日本とでは月とすっぽん以上の隔たりがある。

しかし人々の抱いていた世界観は大変よく似ていたのである。


                  (引用ここまで)


                     *****



こういう本を読むと、人間とは、不思議な生き物だなあ、と思わずにいられません。

安田氏や、吉野氏のご意見が、100パーセント正しいものであるのかどうかはわかりません。

いったいどのようにしたら、それを証明することができるのだろうか、と思うばかりです。

しかし、これらの人々が捉えている(あるいは、囚われている)奇妙な観念は、もしかしたら正解なのかもしれません。


爬虫類である「蛇」と、哺乳類である人間の間に、いったい如何なる因果があるのだろうか?。。

人類の「蛇」への畏敬の念は、哺乳類が持つ、祖先としての爬虫類の記憶かもしれません。

地球の覇者は、本当は今も爬虫類なのかもしれません。

「爬虫類は哺乳類に進化をとげた」というのは、人類の記憶の誤りで、もしかしたら、爬虫類から哺乳類への移行は、退化なのかもしれません。

人間が「神」という概念を保持し続けてきたのは、「爬虫類こそが神なのだ」という思い(あるいは、事実)を伝えたい一心からであったのかもしれません。



wikipedia「アスクレーピオス」より


アスクレーピオスは、ギリシア神話に登場する名医である。

ラテン語ではアイスクラーピウスという。長母音を省略してアスクレピオス、アスクラピウスとも表記される。

優れた医術の技で死者すら蘇らせ、後に神の座についたとされることから、医神として現在も医学の象徴的存在となっている。

ユーロ導入まで発行されていたギリシャの旧10000ドラクマ紙幣に肖像が描かれていた。


神話

アスクレーピオスはアポローンとコローニスの子。

コローニスはテッサリアのラピテース族の王プレギュアースの娘で、アポロンは一羽のカラスを使いとしてコローニスとの連絡係にしていた。

このカラスは言葉を話し、その羽は純白だった。

あるとき、カラスがコローニスの浮気を告げたために、怒ったアポローンはコローニスを矢で射殺した。

このカラスの報告は道草を食っていた言い訳に付いた嘘だったという説と、カラスがうっかり者で早とちりをしたという説がある。

いずれにしても、アポローンはカラスを罰して言葉を取り上げ、白い羽を真っ黒に変えた。

このカラスの姿が現在のからす座である。

一説には、からす座のすぐ近くにコップ座があるにもかかわらず、そのくちばしは永遠にコップの水に届かないという。

コローニスは身ごもっていることを告げて死んだため、アポローンは胎児を救い出してケンタウロスの賢者ケイローンに養育を託した。

この胎児がアスクレーピオスである。

ケイローンのもとで育ったアスクレーピオスは、とくに医学に才能を示し、師のケイローンさえ凌ぐほどであった。

やがて独立したアスクレーピオスは、イアーソーン率いるアルゴー船探検隊(アルゴナウタイ)にも参加した。

その医術の技はますます熟達し、アテーナーから授かったメドゥーサの右側の血管から流れた蘇生作用のある血を使い、ついに死者まで生き返らせることができるようになった。

アスクレーピオスはアテーナイ王テーセウスの息子ヒッポリュトスを蘇らせたという。

冥界の王ハーデースは、自らの領域から死者が取り戻されていくのを“世界の秩序(生老病死)を乱すもの”とゼウスに強く抗議した。

ゼウスはこれを聞き入れ、雷霆をもってアスクレーピオスを撃ち殺した。

逆に収まらなかったのは子を殺されたアポローンであった。

ゼウスに対して直接の非難はできなかったため、アポローンはゼウスの雷霆を作っていた巨人族で一つ目のキュクロープスたちを腹立ち紛れに皆殺しにしたという。

アポローンはゼウスに罰せられ、テッサリアのペライの王アドメートスのもとで羊飼いとして家畜の世話をさせられたという。

アスクレーピオスは、死後天に上げられてへびつかい座となり、神の一員に加わったとされる。


医学の守護神

古代ギリシアにおいては、病院を「アスクラピア」と呼んだ。

アスクレーピオスの子どもたちはいずれも医術にかかわっており、息子にはともに医学の知識に長け、トロイア戦争で活躍したマカーオーンとポダレイリオスが、娘には衛生を司るヒュギエイアや治癒を司るパナケイアがいる。

ヒポクラテスは彼の子孫であるとも言う。


アスクレーピオスの杖

杖にヘビの巻きついたモチーフは「アスクレーピオスの杖」(蛇杖)と呼ばれ、医の象徴として世界的に用いられている。



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などあります。(重複しています)
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「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は」・・パンとワインの味わい

2010-01-19 | 古代キリスト教
昔のことになりますが、町のカトリックの教会のミサに何回か参加させていただいたことがあります。

カトリックのミサでは、神父さんがホスチアという白いおせんべいのようなものを一人づつ並んだ信者たちの口に入れていく儀式がありました。

これはイエスが弟子たちに“パン”を与えたことを模した儀式と思われますが、
わたしは後ろの方の席でこれを見学して、思わず陶然となってしまいました。

この変わった儀式が伝えているものは、人間の立場をとても正確に現わしている、と思いました。

人間のたましいはいつも飢え、乾いている。
その飢えと乾きを満たすものは神聖さそのものである、という儀式の意味が気に入ったのです。

そしてその人間の魂の餓えを満たす神聖さは、白い、丸いおせんべいのようなものとして目の前にあり、いつでも常に、すでに神によって人に与えられているから、飢えも乾きも幻想にすぎないと、ミサを見ていると体をとおして実感できたからです。

宗教オタクのわたしですから、受洗することはありませんけれど、、カトリックの神秘性は十分魅力的な文化だと思いました。

人間を罪深い者と考える、というスタンスを、わたしは多分生きているかぎり持ち続けるだろうと思っています。


臼井隆一郎さんという方が書いている「パンとワインを巡り神話が巡る」という本を読んでみました。抜粋して少し引用します。

血と肉をめぐるキリスト教、ユダヤ教、ギリシア文明、シリア文明の歴史が書かれていました。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。



       *****

         (引用ここから)

イエスは「神の子」である。

この時代に「神の子」を主張するということは当然、別の「神の子たち」との競争関係に入ることを意味するであろう。

「わたしが命のパンである」と言うイエスは、今まで見てきた食の英雄ヘラクレスやワインの神ディオニュソスとどのような位置関係にあるのであろう。(略)


イエスが神の子であるならば、はっきりと名前そのものが「神の子」(=ディオヌソ)と意識されるディオニュソスとの関係が問題になる。

イエスは12月25日に生まれたことにされた。
ディオニュソスの誕生日を踏襲したのである。


厩(うまや)に生まれたイエスのゆりかごは飼い葉おけであった。

飼い葉おけで眠る赤ん坊は他にもいる。

ギリシアのアテネからエレウシスに向かう儀式の行列の先頭には乳母に変装した男やディオニュソスの赤ちゃん時代のおもちゃを座布団に乗せて運ぶ人々がいた。
ディオニュソスのゆりかごであった飼い葉おけを運ぶ人もいた。

厩(うまや)で動物を従えて生まれ、飼い葉おけに遊ぶ幼子イエスは、エレウシス復活信仰の象徴というべき幼子ディオニュシスに酷似しているのである。


ディオニュソスは奇跡をおこなった。

イエスもワインの奇跡をおこなった。
4,5斗も入った水がめの水をワインに変えるのである。


イエスもディオニュソスと同じく奇跡を起こすことが出来るのである。

しかしディオニュソスをディオニュソスたらしめているのは、ディオニュソスみずからの受苦を介して、ワインそのものとなり、人に飲まれ吸収され、人と合体することによって、神とも人とも区別のつかない“バッコスの境地”を作り出すところにあった。


イエスがディオニュソスに匹敵し、それを凌駕する神の子の実を示すためには、イエス自らがワインと化すことである。

イエスが犠牲のワインそのものとなってわれわれの前に立ち現われてくるのは、イエスが地上の最後の夜をすごすゲッセマネの夜である。

翌日は逮捕、処刑されるという最後の夜、イエスは苦しげに言う。

「父よ、あなたはなんでもお出来になります。この杯をわたしから取り除けて下さい。」

イエスは自分を、生贄としてのワインを入れる献酒杯に注がれるワインに見立てている。

実際イエスは、踏みしめられ絞りぬかれるブドウそのものである。

場所はオリーブ山の麓のゲッセマネ。
ゲッセマネとは油搾り器のことである。


イエスは言う。

「わたしは命のパンである。」

「わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」

「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者はいつでもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。」

「生きておられる父がわたしをお遣わしになり、またわたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もまたわたしによって生きる。」


こうしたあきらかに食人を思わせる言い回しは、やはり驚くべきことである。

動物の血を飲むことはユダヤ人には禁じられている。
ましてや人間の血を飲むなどもっての他である。


パンを裂き、ワインを飲むことで暗示される、肉を引き裂き、血をすするという事態を含む神話の圏域はディオニュソスの圏域であろう。

それは巨人や信女に八つ裂きにされ、食いつくされるディオニュソスの再現以外の何ものでもない。


イエスにはパンの供養(エレウシス)、ワインの生贄(ディオニュソス)、小羊の屠り(ユダヤ)のそれぞれが等しく見られるにも関わらず、一つ類を絶した構造がある。

倶犠には、倶犠に献げられる聖なる犠牲獣と、共同体を代表して倶犠を献げる聖なる祭司が不可欠であるが、

その両方を、イエスと言う一人の人間が担っていることである。


イエスはみずから圧搾され飲まれるワイン、引き裂かれ分配されるパン、そしてほふられる小羊の三重の生贄であると同時に、

その生贄儀式が聖書に書かれた通り成就するために、式の進行を完全に取りしきる祭司である。

そしてイエスは、動物倶犠の手順を踏んでいるのである。

          (引用ここまで)


       *****


生贄には人類の意識のドラマが隠されていると、著者は考えています。

生贄とは、人間が差し出すものと神からやってくるものの交換の儀式であり、

イエスが言った「これはわたしの肉、これはわたしの血である」という言葉は、キリスト教のテーゼであるとともに、

はるか古代から、食べるために動物を殺し、宗教儀式として人や動物を生贄に捧げ続けてきた人類の意識の根幹の感覚を呼び覚ます言葉なのだ、と著者は述べています。


        *****


        (引用ここから)


人間は殺す存在である。

ならば殺してもよいのか、いや人間は殺すべきではない。

では殺すすべは習わなくてもよいのか。

それでは生活は成り立たない。

矛盾をとりいれた秩序として、たえず平衡をくずす危険にさらされながら、しかし発展性を宿した秩序として、生の運動平衡感覚とでもいうべきものが人間文化の基礎的伝統のなかに刷り込まれたのである。

新石器時代革命もまた革命であった。

農耕革命は暴力革命であった。

大地を耕作するとは、母なる大地をその武器で傷つけることに他ならない。

牧畜革命も同様である。

農業と牧畜という牧歌的な光景はけっして心底、平和と思える風景としては把握されない。

それはいわば、大地は鋤に痛めつけられ、ブドウの枝は鎌に切り払われ、牛はくびきにあえいでいる光景でもある。

しかしまさにそうであるからこそ、人間に“殺す人”の自覚を強いる太古の動物供犠は、農耕革命と牧畜革命の後もはるかに長い余命を保ち、

その優に5万年をさかのぼるとされる起源を、農耕牧畜社会の諸々の祭祀に残すことになるのである。

       (引用ここまで・同書より)


          *****


食べるという行為は、まことに大いなる神秘をはらんでいると思わずにいられません。



Wikipedia「エレウシスの密儀」より

デメテルの祭儀はエレウシスの祭儀、またはエレウシスの秘儀と呼ばれ、古典古代時代最もよく知られた秘儀のひとつである。

エレウシスの秘儀は紀元前1700年頃ミケーネ文明の時代に始まったと言われている。

マーティン・P・ニールソンはこの秘儀が「人を現世を超えて神性へと到らせ、業の贖いを保証し、その人を神と成し、その人の不死を確かなものとなす」事を意図されていたと述べている。

その内容を語ることは許されなかったため、断片的な情報のみが伝えられている。

参加者の出身地を問わないこと(アリストパネスの断片による)、娘ペルセポネーを探すデメテルの放浪およびペルセポネーの黄泉からの帰還の演劇的再現が一連の秘儀の中核をなしていたであろうことが推定されている。

秘儀への参加者には事前に身を浄めることが要求され、その秘儀は神の永遠なる浄福を直接見ることといわれた。

キリスト教が広まり、ローマ皇帝テオドシウス1世により多神教的異教の祭儀が禁止されると、エレウシスの祭儀も絶えた。


Wikipedia「ディオニュソス」より

本来は、集団的狂乱と陶酔を伴う東方の宗教の主神で、特に熱狂的な女性信者を獲得していた。

この信仰は その熱狂性から、秩序を重んじる体制ににらまれていたが、民衆から徐々に受け入れられ、最終的にはディオニューソスをギリシアの神々の列に加える事となった。

この史実が、東方を彷徨いながら信者を獲得していった神話に反映されている。

またザグレウスなど本来異なる神格が添え名とされることにもディオニューソス信仰の形成過程をうかがわせる。

とはいうものの、実際にはミケーネ文明の文書からゼウスやポセイドーンと同様にディウォヌソヨ(Διϝνυσοιο)という名前が見られ、その信仰はかなり古い時代までさかのぼる。

ギリシア人にとっては「古くて新しい」という矛盾した性格を持つ神格だったようである。

アテーナイを初めとするギリシア都市ではディオニューソスの祭りのため悲劇の競作が行われた。

ローマ神話ではバックス(バッカス)と呼ばれ、また豊穣神リーベルと同一視されている。

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“東方”なるもの・・イエスを祝ったのは誰だったのか(その4)

2010-01-15 | 古代キリスト教
イエスの誕生を祝いにやってきた「東方の三博士」とはどんな人たちだったのか、についての続きです。

引き続きエイドリアン・ギルバート著「マギ・星の証言」から、抜粋して引用します。


            *****

    (引用ここから)


8世紀、イスラム勢力はスペイン、北アフリカ、パレスチナ、メソポタミア、ペルシアから北インドまで広がっていた。

キリスト教世界はこの時、ヨーロッパとトルコだけに縮小してしまった。

しかしだからといって新しいアラブ人の帝国にキリスト教徒が全くいなかったわけではないし、これらの土地の住民のすべてがイスラム教徒にならなくてはならなかったわけでもない。

実際、イスラム教は西洋人が考えているほど異質な宗教ではない。

イスラム教は多くの点でキリスト教の改良版であり、預言者ムハンマドは一種のプロテスタント的な原理主義者であった。

「イエスは神の子である」、というキリスト教徒の信念は馬鹿げたものとして否定しながらも、ムハンマドは預言者としてのイエスに敬意をはらった。


キリスト教徒はイスラム勢力の拡大という新たな政治状況に慣れる必要があった。

キリスト教が生まれた豊かな東方は、つねに西方よりも知性的であった。

初期の多くの教師たちが現われたのは、アンティオキア、アレクサンドリア、エデッサといった東方であり、これらの場所にはモーセの時代にさかのぼるほど長い哲学的伝統がある。

また東方にはネストリウス派やヤコブ派といった多くの小さな異端のグループがあった。

これらはローマ・カトリックが神学を独占していたヨーロッパ社会では全く知られていなかった。

イスラム支配だったからこそ、このような周辺的な教会は権威による干渉を受けることなく伝統を存続することが出来た。

しかしそれは同時に他の教会との和解の機会がなかったということでもあった。


こうしてキリスト教の異教的伝統はイスラム支配のおかげで、保たれた。

その知識と伝統は共同体の内部で世代から世代へと受け継がれ、けっして表に出ることはなかった。

           (引用ここまで)


        *****

“マギ”とは、非キリスト教の知恵者であり、キリスト教は異教と接触しながら生まれ、異教と接触しながら存続した、と言っていいのではないかと思います。

“マギ”の伝統を受け継ぐ者は、カトリックが専制政治を行うことになった後も、非キリスト教圏の文化において常に密かに存在し続けた、と言われています。

非キリスト教的思想は、ルネッサンス以降は、神秘思想として再びヨーロッパに紹介されるものもあり、それらは西洋の神秘思想として今の精神世界にも継承されていると思われます。

そのひとつであるヘルメス学は、15世紀ルネッサンス期にヨーロッパにもたらされましたが、

その文書を研究したイタリアの哲学者ジョルダーノ・ブルーノは、ガリレオより早期にコペルニクスの地動説を認めた人ですが、処刑されてしまいました。

        *****

       (引用ここから・同書より)

ブルーノの罪状の中には、「キリスト教の処罰法である十字架はイエスの磔刑に由来しているのではなく、もっと古いシンボルであるアンサタ十字、すなわちエジプトのアンクからきているという信念をもっている」ことがあった。

フランシス・イエィツはこのことについて、ベネチア宗教裁判に関する文書から引用している。

            ・・・・・

非常に重要なのは、ブルーノが十字架をエジプトの神聖なしるしと考えていた点である。

ブルーノは述べている。

「キリストがはりつけにされた十字架は、もともとはキリスト教の祭壇の形式ではなかった。

じつは女神イシスの胸に彫られたしるしであったものを、キリスト教徒が盗んだのだ。」というのだ。

「わたしはマルシリオ・フィチーノの著作を通して、この十字架の美質と神聖さが、われらの主が受肉した時代よりはるか古代にさかのぼること、それがエジプトの宗教が盛んだったモーセの時代に知られていたこと、このしるしがセラピス神の胸につけられていたことを知った。」と彼は語った。

そして、かれは火あぶりの刑に処された。

       (引用ここまで)

        *****

処刑されても主張し続けるべき真理が書いてあった文書「ヘルメス文書」については、wikipediaに以下のようにあります。

         ***

ヘルメス文書とは、ヘルメス・トリスメギストスが著したと考えられた、神秘主義的な古代思想の文献写本の総称である。

彼はモーゼと同時代の知者とも考えられていた。

文書には紀元前3世紀に成立した占星術などの部分も含まれるが、紀元後3世紀頃までにネオプラトニズム(新プラトン主義)やグノーシス主義などの影響を受けて、エジプトで成立したと考えられている。

ヘルメス選集の中でも、第一文書「ポイマンドレース」は、グノーシス主義的な文献として有名であり、アラビア語に翻訳され、イスラム圏のスーフィーズムでも言及される文書である。

ムスリムにとって、ヘルメスは預言者エノクと同一視されており、クルアーンでは預言者イドリースとされる。

内容は複雑であり、占星術・太陽崇拝・ピュタゴラスなどの要素を取り入れている。

他にも、「一者」からの万物の流出(ネオプラトニズム的)や、神を認識することが救いである(グノーシス主義的)などの思想もみられる。


        ***

ここにまとめられているように、ヘルメスという概念は多岐にわたっていて、キリスト教文化がキリスト教以外の周辺の密教的文化を総称してそう呼んでいるのではないかと思うほどです。

同様に、東方の知恵者という意味での“マギ”とは誰だったのかという問いは、「東方」という言葉が実際には非キリスト教世界すべてを対象としているのではないかと思われます。

雄弁な西洋文明の周りには、いつでもそれ以外の文明が静かに、相補的にあり続けた、ということです。

現在でも、“マギ”の知識の伝授が実際に行われているかどうかは、定かではありませんが、自ずから明らかにされるまでは、僧院や秘密結社やミステリースクールという形をとることもあればとらないこともあるものとして、存続していくのではないかと思います。


写真は、フランク族の墓碑に描かれたイエス・キリスト像・7世紀(創元社「図説世界の歴史3」より

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画面右上の検索コーナーで、ブログ内検索にして
「エジプト」で15件
「十字」で15件
関連記事があります。



Wikipedia「アンク」より

エジプト十字とも呼ばれる。そもそも Ankh という古代エジプト語自体が生命を意味しており、生命の象徴とされる。

ラテン十字の上部がループ状の楕円となった形状をしており、サンダルのひもをかたどったものと言われる。

また、ヒエログリフにおいて、Ankh ないし Anx 音を表す文字としても用いられ、ツタンカーメンも Tut-ankh-amen の ankh の部分にこの文字が用いられている。

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マギと秘儀とグルジェフ・・・東方の三博士を求めて(その3)

2010-01-11 | 古代キリスト教
「マタイによる福音書」の東方の三博士(マギ)は誰だったのか、ということを、引き続き考えています。

「マギ・星の証言」の著者エイドリアン・ギルバート氏は、その著書の冒頭に、本を書いた意図を記しています。


      *****

     (引用ここから)

キリスト教を一般に広めるにあたり、教会はそれがまったく新しい啓示であるかのような装いを与えた。

世界史の中で地上に突然現わされた雷光・・それがキリスト教であるかのようだった。

だが、それは本当だろうか?。


福音書の物語を客観的に見れば、ユダヤ教の大祭司がイエスを背教者とみなしていたのは明らかだ。

これはたんにイエスがモーセの教えを拡大解釈していたせいばかりではない。

イエスの教えには明らかに、非ユダヤ教起源の部分があったのである。

しかし、そのような非ユダヤ的源泉とは何なのか。

イエスはどのようにして、その源泉と接触することになったのか。

それこそ、わたしの探求のテーマであり、また“マギ”に関心を抱いた理由である。

       (引用ここまで)

     
  *****


著者はこの問いを抱いて、20年以上、“マギ”の伝説の背後に横たわる大きな問題の答えを探し続けました。

そして、彼は続けて書いています。


      *****

 
        (引用ここから)

わたしの考えでは、世界の多くの人々が神の息子として崇拝するようになった救世主イエスは、単独で活動していたわけではない。

イエスは、彼が演ずるべき歴史的な役割(運命)と、秘教的な知識の両面について、かくれた叡智の師匠(マスター)たちの指導を受けていたのではないか。

        (引用ここまで)

             *****


彼の最初の問いは、22歳の時、イスラエルに貧乏旅行をして辿り着き、ベツレヘムのクリスマスを見物したときに芽生えました。


             *****

           (引用ここから)


ベツレヘムの教会前の広場には電飾のプラスチックの星が輝いていた。

よく見ると、プラスチックの星は五亡星だった。

五亡星は伝統的にクリスマスの星とされている。

けれども考えてみると妙だ。

聖書ではベツレヘムは「ダビデの町」と呼ばれている。

だが、ダビデの星はシナゴーグやイスラエル国旗にあるように六亡星だ。

なぜベツレヘムの星が六亡星でなくて五亡星なのか。

電飾の星を見ながら、東方の三博士のことを考えた。

彼らはベツレヘムを訪れた最初の巡礼者だ。

だが彼らは何者なのか。

   (引用ここまで)


              *****



そして彼は、秘教的な知恵の持ち主と接触をもったと名乗っていた思想家グルジェフの孫弟子にあたる人に会うことを決意し、再び旅に出ます。

彼は、知恵あるマスターが弟子たちに世界の真理を伝授する、そのような“秘教的な教団”が今なお存在しているに違いない、という確信を持っており、福音書に現れる“東方のマギ”は、その歴史的な系譜の上にいるのではないかと考えたのです。

そして思想家グルジェフはその歴史的な系譜に与しているのではないかと考えたのです。

       
           *****


        (引用ここから)


ウスペンスキーによれば、グルジェフは「自分の教えは“秘教的キリスト教”だ」と述べたという。

それは多くの教会にはもはや理解できない秘密の伝統に由来する教えだ。

グルジェフは、この秘教的キリスト教の教えは、古代エジプト起源だと述べる。

「キリスト教会、ならびにキリスト教の礼拝の形式は、教会の神父が作ったものではない。

教義は、エジプトですでに完成されていたものを、そのまま採り入れたのだ。

それも我々の知るエジプトからだけではなく、我々の知らないエジプトからもだ。

この未知のエジプトは、今のエジプトと同じ場所にずっと昔に存在した。

歴史の中で生き残ったのは、そのほんのわずかであり、
しかも秘密に守られたので、
われわれはそれがどこに隠されているのかさえ知らないのだ。」

ウスペンスキー著「奇跡を求めて」より


グルジェフが説き、ウスペンスキーが集大成した思想は、従来のキリスト教からかけ離れた刺激的なものである。

その思想には独自の説得力があり、わたしも含めて興味をひかれる者は多い。

しかし彼自身、旅の最中にほんとうに秘密のスクール「サルムング教団」に遭遇したのだろうか。

その教団はどこにあるのだろうか。

その教団の教師は、かつてのマギの系譜を継ぐのではないだろうか。

(引用ここまで)
       
        *****


続きます。。

写真はエジプトのコプト教会(創元社「図説世界の歴史3」より)


wikipedia「グルジェフ」より

ゲオルギイ・イヴァノヴィチ・グルジエフは、ロシアの神秘思想家。

神秘思想家として紹介されることが多いが、著作・音楽・舞踏によっても知られる。

ギリシャ系の父とアルメニア系の母のもとに当時ロシア領であったアルメニアに生まれ、東洋を長く遍歴したのちに西洋で活動した。

20世紀最大の神秘思想家と見なされることもあれば、怪しい人物と見なされることもあるというように、その人物と業績の評価はさまざまに分かれる。

欧米の一部の文学者と芸術家への影響、心理学の特定の分野への影響、いわゆる精神世界や心身統合的セラピーの領域への影響など、後代への間接的な影響は多岐にわたるが、それらとの関係でグルジエフが直接的に語られることは比較的に少ない。

人間の個としての成長との関係での「ワーク」という言葉はグルジエフが最初に使ったものであり、近年ではもっぱら性格分析のツールとして使われている「エニアグラム」はグルジエフが初めて一般に知らしめた。

精神的な師としての一般的な概念にはあてはまらないところが多く、弟子が精神的な依存をするのを許容せず、揺さぶり続ける人物であった。


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マギとゾロアスターとミトラ・・イエスを祝いにやってきた東方の三博士は誰だったのか

2010-01-02 | 古代キリスト教
福音書にある「東方の三博士(マギ)」とは誰なのか、ということを考えています。

引き続きエイドリアン・ギルバート著「マギ・星の証言」という本から、抜粋して紹介します。

リンクを張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。



           *****

            (引用ここから)

エジプトやメソポタミアと同様、ペルシアもきわめて古い国だ。
その宗教の起源はきわめて古く、文明の曙にまでさかのぼる。

ピラミッドが建設される以前、アブラハムがカルデアのウルへの壮大な旅を行うはるか昔の時代、イランにも、インドにもすでにインド=ヨーロッパ語族に属する人々が住んでいた。

今日のペルシア人、ヨーロッパ人の祖先に当たるこれらの人々は、それぞれの王朝で部族ごとに組織されていた。

宗教は祭儀を中心としたもので、その宗教的要素の多くは今もなお当地に見られる。

ゾロアスター教以前の古い宗教を奉じていた祭司たちはすでにマギと呼ばれていたという。

マギに認められることが、新しい預言者にとっては決定的に重要だった。

ベネットは「叡智のマスターたち」の中で書いている。

      ・・・・

マギはゾロアスターの現れる以前から中央アジアに存在した階級集団であった。

2人のマギに、ゾロアスターが真の預言者かどうかを試みる任務を与えられた。

その結果ゾロアスターの授かっていた秘儀は二人の知る範囲を超えたものであることが分かった。
王はマギのすすめに応じて改宗した。  「叡智のマスター」

・・・・・


ゾロアスター教は、救世主が生まれるとされる終末の訪れを待望している。

そのとき 悪魔はついに滅び、悪は追放され、世界は正しくなる。

ほぼ250年の間、ゾロアスター教は人々の宗教心を満たす役割を果たしてきた。

しかし紀元前324年、アレクサンダー大王の侵入によって、ペルシア帝国の情況は激変した。

福音書の「マギ」がイエスの誕生を見るためにベツレヘムに出かける頃にはゾロアスター教はすっかり影の薄い存在になっていた。



紀元前1世紀、メソポタミアのほとんどの地方はパルティア帝国に併合されていた。

だが、ローマが政権を握るまで、トルコ東部やメソポタミアの多くの小国では政治的にも宗教的にもかなりの自由が認められていた。

こうした寛大な状況で、多くの土着の教団がおこった。

中でも最も重要なのが、ミトラ教だ。

ミトラ教はゾロアスター誕生以前、アーリア人が信仰していた神である。

パルティア帝国周辺にミトラ教をはじめ、多くの教団が存在したことから考えると、福音書の「マギ」がやってきたのはペルシアではなく、メソポタミアからだったとも考えられる。


ゾロアスターが動物の犠牲に反対していたのに対し、ミトラ教では雄牛の犠牲が重要な位置をしめていたことでも分かるように、

実はミトラ教がゾロアスター教の後継者であるという、いくたびとなく繰り返された教科書的な見方は間違っているのではないか。

両者は、元は原型となる同じ宗教に由来しているが、
その発展の道筋が異なっていた別の宗教なのである。

両者の原型となったのは、非常に古いアーリア系の宗教であり、
その起 源は最後の氷河期にまでさかのぼるという説もある。

この宗教はゾロアスター教の時代よりはるか昔に、中東や北インドに広まっていた。

しかしながら、このヴェーダ系、あるいはアーリア系の神々について触れている最古の文献が見つかったのは、ペルシアでもインドでもなく、トルコなのだった。


紀元前2200年頃、フルリ人と呼ばれる人々がメソポタミア北部の肥沃な土地へとやってきた。

ペルシア人と同じくアーリア人であったフルリ人は当時の最新の発明品をたずさえていた。

戦車である。

新しい兵器で武装したフルリ人は、たちはだかる者たちを蹴散らし、ミタンニ王国を築いた。
今日、漠然とクルディスタンと呼ばれている地域である。

フルリ人は進撃を続け、紀元前1800年にはペルシア湾に到達した。

そこからシリア、パレスチナへ進み、すでに平定していたその地方のセム系諸部族とまじりあった。


紀元前1400年頃、ミタンニと隣国のヒッタイトとのあいだに条約が結ばれた。

その条文の中にインドラ・“ミトラ”・ヴァルナ・二人のアシュヴィンからなる五柱のアーリア系の神々に触れた個所がある。

ミトラは、紀元前630年頃に生まれたとされるゾロアスターよりずっと前にトルコ東部で知られていたのである。

わたしはミトラ教が初期キリスト教の発展に大きな影響を及ぼしたと考えるようになっていた。

        (引用ここまで)

    *****



ゾロアスター教以前の古い宗教を奉じていた祭司たちはすでに「マギ」と呼ばれていた。

「マギ」に認められることが、新しい預言者にとっては決定的に重要だった。


「マギ」はゾロアスターの現れる以前から中央アジアに存在した階級集団であった。


本書にはこのように書かれていますので、「マギ」という宗教的な職種は、非常に古くからあったのだと考えられます。

イエスの生誕を祝いにやってきたという東方の三博士は、古代的な響きのするゾロアスター教よりさらに古い伝統に属する人々だったということです。

筆者は、ミトラ教はゾロアスター教から派生したという説をしりぞけて、ミトラ教はゾロアスター教以前から存在したと指摘しています。


・・・・・

ゾロアスターが動物の犠牲に反対していたのに対し、ミトラ教では雄牛の犠牲が重要な位置をしめていたことでも分かるように、

実はミトラ教がゾロアスター教の後継者であるという、いくたびとなく繰り返された教科書的な見方は間違っているのではないか。

両者は、元は原型となる同じ宗教に由来しているが、
その発展の道筋が異なっていた別の宗教なのである。

両者の原型となったのは、非常に古いアーリア系の宗教であり、その起源は最後の氷河期にまでさかのぼるという説もある。

この宗教はゾロアスター教の時代よりはるか昔に、中東や北インドに広まっていた。

・・・・・


起源を氷河期にさかのぼることができる宗教があるとすると、それは人類の謎を解く鍵をもっているに違いありません。

“牡牛を犠牲にする宗教”は、どのような起源と広がりを持っているのか、大変興味深く思われます。


キリスト教とミトラ教の関係について、次に続きます。

関連記事
画面右上の「検索スペース」で、ブログ内検索にして「ミトラ」「ゾロアスター」「キリスト」「クロマニヨン」などで関連記事があります。



wikipedia「フルリ人」より

フルリ人(英: Hurrian)は、古代オリエントで活動した人々。
紀元前25世紀頃から記録に登場する。
彼らは北メソポタミア、及びその東西の地域に居住していた。

彼らの故郷は恐らくコーカサス山脈であり、北方から移住してきたと考えられるが、確かではない。
現在知られている彼らの根拠地はスバル(Subar)の地であり、ハブール川流域や後には北メソポタミアと歴史的シリアのいたるところで小国を形成した。

フルリ人達が建てた国の中で最も大きく、有力であったのはミタンニ王国であった。


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クリスマスは、ミトラ教の祭りの日・・誰が誰を祝うのか?

2009-12-24 | 古代キリスト教
クリスマスといえば、クリスチャンではない私たちにとっても、年の終わりの楽しみであり、ちょっとしたイベントであり、いつもと違う何かであると同時に、ひと時の安らぎを感じさせてくれるものだったりします。

この安らぎはどこから来るのかと考えると、それはイエスの誕生日だからと、みんなにもお祝いのことばとプレゼントとごちそうが与えられる日であるという気持ちが感じられるからでしょう。

東方の三人の博士たちも、お祝いのことばとプレゼントを持って、イエスのもとに訪れたのでした。


「マタイによる福音書」に書かれている「東方の三博士」とは誰だったのか、について調べています。

引き続きエイドリアン・ギルバート著「マギ・星の証言」から、抜粋して引用します。


*****


(引用ここから)

わたしはミトラ教が初期キリスト教の発展に大きな影響を及ぼしたと考えるようになっていた。

キリスト教の司教冠のことを“ミトラ”というのも、ミトラ教に由来しているのではないか、と言っても驚くにはあたらないであろう。

新興宗教であるキリスト教がミトラ教から引き継いだものは司祭冠だけ
ではないからだ。

キリスト教徒にとっては居心地の悪い気がするが、ミトラとローマ・カトリック教との間には多くの類似が見られる。

たとえば、12月25日はミトラ生誕の日である。

また、ローマのバチカン市の地下墓所にはミトラに捧げられた祭壇が隠されている。

このミトラの祭壇で、正確にどのような儀式が行われていたかは分かっていないが、ミトラ教が、後にライバルとなったキリスト教と共通する多くの要素をもっていたことは十分うかがえる。


神話学者キャンベルは、「神の仮面」で述べている。

・・・・・

ペルシアの救世主ミトラの中では、二人のアダム「原初の人間アダムとキリスト」が結びつけられている。

この世のかりそめにすぎない人生において、かれは罪からも、堕落からも自由であった。

神の子ミトラはナイフで木の実をとり、その葉で着物を作った。
かれはアダムと同じことをしたが、罪に問われることはなかった。

           「神の仮面」より

・・・・・

またミトラは雄牛を生け捕りにして、肩に背負って洞窟まで運ばなくてはならないとされる。

ミトラはここで雄牛を犠牲に捧げるのだ。(これはキリストの受難の姿を思いださせる)


エジプト、特にアレクサンドリアは、古くからキリスト教共同体の本拠であった。

当時、アレクサンドリアには、多くのギリシャ人、ユダヤ人、そのほかの移民が住んでいたし、東部地中海諸国との間で人々は自由に行き来していた。

この国際的な都市にあって、初期キリスト教徒は地盤を固めるために、自分たちと古代の神秘主義教団との教義の類似を利用して、信者を獲得しようとした。

こうしたこころみによって、エジプトには折衷的なグノーシス派キリスト教の伝統が発展した。

ちょうどゴルゴダの丘でイエスが処刑されたことから多くの教義が引き出されたように、メンフィスの秘儀をキリスト教と結びつけたのである。

だが2世紀になると、保守化した教会はこうした寛容な対応を問題視するようになった。

グノーシス派は迫害され、西暦390年にはエジプトの異教信仰を禁止する法王の勅令が出された。

その前年にはセラピス神殿は接収され、教会に改造されていた。


マタイによる福音書に出てくるマギを導いた星が超新星だとは、われわれ二人とも信じていなかった。

むしろ、この星は全天で一番明るい星であるシリウスだったのではないか。

シリウスは近東全土で崇拝されていた星であり、エジプト人はこれを「王の誕生」と密接に結びつけていた。

マタイが福音書を記したのは、星の出現から30年ほどたってからのことだった。

マタイが想定していた読者は、おそらくユダヤ人ではなく異教徒だった。

マタイとしては、エジプト人やギリシア人やシリア人やその他の民族に、自分たちの救世主=福音書のイエスは単なるユダヤの預言者ではなく、普遍的な救世主であることを証明する必要があった。

そこで、イエスという人物が救世主であることを保証するための一つの方法が、イエスを「王の星」として神聖視されていたシリウスと結びつけることだったのではないだろうか。


古代エジプトでは、母なるイシスは人気のある図像であった。

神の子ホルスを産んだ未亡人の母イシスというシンボルが、聖母子像という形でキリスト教に受け継がれたことはよく知られている。


初期教会の時代、キリスト教の冬の祭りは公現祭・エピファニーであり、1月6日に祝われていた。

この祭りはイエスの誕生日とは関係なく、むしろヨハネによる洗礼を祝う日だった。

なぜなら、イエスは自分の使命を実行するに先立って、洗礼を受けて秘儀に参入する必要があったからであろう。

その後、融通のきかなくなった教会の教義では、「イエスは神の子であり、父と子と精霊という三位一体の2番目であり、全知全能である」とされた。

そしてイエスが“洗礼といった一連の通過儀礼を経て能力を得た”、という見方は聖職者にとって好ましくなかったために、忘れ去られてしまった。


イエスの洗礼の日付を異教徒の祭日に置いたことは、異教徒たちのキリスト教への改宗を促した。

アレクサンドリアの異教徒たちは、処女神コレーからアイオーンが誕生したこと(=この場合は新年を迎えること)を1月6日に祝っていたが、

彼らは彼らの最も重要な祝祭の日付を変えることなく、イエスをアイオーンと、マリアをコレーと同一視することを受け入れた。

のちに同様な理由で、イエスの誕生日であるクリスマスはミトラ教の主神の誕生日12月25日に移動され、その代わりに1月6日がマギの礼拝を記念する日になった。


キリスト教の起源をめぐる研究は非常に広範で、多くの問題をはらんでいる。

325年、異端と正統をめぐる問題を解決するため、二ケーア公会議が開かれた。

この公会議によって、キリスト教とかかわる秘教的知識、とくに古い星の宗教とのかかわりをめぐる知識の多くは失われた。

グノーシスの立場からすれば、教会の見方はひどく浅はかであるとされる。

教会は、キリスト教の寓意や神話の奥にひそむ叡智に気付かないばかりか、キリスト教のうまれる何千年も前の人々が知っていた、地理的、天文学的、人類学的な事実にもあまりにも無知だと言うのである。

だが、教会信条の立案者たちにとっては、こうしたグノーシスの知識は異端とされるのだった。

      (引用ここまで)


        *****

ミトラ教についての記述が少ないので、ミトラとグノーシスが混ざってしまいましたが、

“クリスマスの日にキリストの生誕を祝いに東方の三博士がやってくる”という、聖書の有名な一場面は、当時広く流布していたミトラ教の影響のもとに創作されたのである、と言われています。

イエスが生まれた日は分かっておらず、12月25日という日は、当時一大勢力を誇っていたミトラ教の主神の誕生日であると言われます。

“東方の三博士”なる人々は、イエスの誕生を祝いに来たと同時に、イエスの聖性を保証する“権威”でもあったと考えられます。

もう少し続きます。。


wikipedia「ミトラ教」より

ミトラ教またはミトラス教(Mithraism)は、インド・イランの古代よりの神話に共通する、太陽神ミトラ(ミスラ)を主神とする宗教である。

ヘレニズムの文化交流を通じて、地中海世界に入り、主にローマ帝国治下で、紀元前1世紀より5世紀にかけて大きな勢力を持つ宗教となったが、実体については不明な部分が多い。

クリスマスとミトラ教 

12月25日はイエス・キリストの誕生日としてキリスト教の祭日となっている。

しかし実際にはイエス・キリストがいつ生まれたかは定かではなく、12月25日をクリスマスとして祝うのは後世に後付けされた習慣である。

聖書にもイエス・キリストが生まれた日付は記述されていない。

前述のローマ帝国時代において、ミトラ教では冬至を大々的に祝う習慣があった。

これは、太陽神ミトラが冬至に「生まれ変わる」という信仰による(短くなり続けていた昼の時間が冬至を境に長くなっていくことから)。

この習慣をキリスト教が吸収し、イエス・キリストの誕生祭を冬至に祝うようになったとされる。


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クリスマス・・イエスのお祝いに訪れた“東方の三博士”は、誰だったのか?(その1)

2009-12-20 | 古代キリスト教
「ユダの福音書」、「マグダラのマリアによる福音書」と読んでみて、今度は「マタイによる福音書」を読んでみました。

「マタイによる福音書」には、4福音書中ただ一つ、イエスの誕生を知り、東方から祝福にやってくる「東方の三博士(マギ)」のことが書かれています。

この場面は、かいば桶の中で眠るイエスとともに、クリスマスカードの定番で、印象深く人々の心に浸透しています。

しかし、東方とはどこなのか、彼らがなぜやってきたのか、なぜ一つの福音書だけにそのことが書かれているのか。。

よく考えると、わからないことが多いようです。

エイドリアン・ギルバートという人は、「マギ・星の証言」という本において、東方の三博士(マギ)とキリスト教のかかわりについて述べています。
抜粋して少し引用してみます。


         *****

           (引用ここから)


マタイによる福音書には書かれている。

     
          ・・・・・・

イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。
そのとき占星術派の博士たち(マギ)が、東の方からエルサレムに来て、言った。

「ユダヤの王としてお生まれになった方はどこにおれられますか。
わたしたちは東方でその方の星を見たのです。」

ヘロデ王は占星術の博士たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。
そして「行って、そのことを詳しく調べ、みつかったら知らせてくれ。
わたしも行って拝もう」
と言って、彼らをベツレヘムに送り出した。

彼らが王の言葉を聞いて出かけると、かつて東方で見た星が先だって進み、ついに幼子(おさなご)のいる場所の上に止まった。

博士たちはその星を見て、よろこびにあふれた。

家に入ってみると、幼子はマリアと共におられた。
彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として捧げた。

その後彼らは、「ヘロデの所に帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国に帰っていった。


          ・・・・・・


マタイの記したイエスの生誕物語の中で、博士たちの役割は非常に謎めいている。

イエスの誕生に際し、博士たちの一人一人が贈り物を捧げる。

贈り物はそれぞれイエスの運命を象徴している。

黄金は王、乳香は祭司、没薬はヒーラーとしてのイエスの役割を示唆する。


この物語はマタイによるまったくの創作であるとする議論もあれば、マタイにはこの話を福音書に収めなくてはならない理由があったのだという見方もある。

いずれにしても、三博士の伝説には常軌を逸した、秘伝的な要素があるのは確かなのだ。


マギが幼子イエスに贈り物を届けにやってきた日を「救世公現祭」という。
これは1月6日に祝われる。

初期キリスト教会ではエピファニー、公現祭は聖なる日ではあったが、それはイエスの生誕とはまったく関係なかった。

むしろこの日はキリストがヨルダン川で洗礼を受けた日と考えられていた。

この日は「光の日」と呼ばれ、イエスの光、そしてヨルダン川に輝いた光と結びつけられている。


12月25日にクリスマスを祝うようになったのは、西暦353年、法王の宣言の後のことである。

それ以前、キリスト教最大の祭りは、キリストの洗礼であった。

これは1月6日に行われた。


キリストの洗礼という重要な祭りを行うのに、なぜこの日を選んだのか。

それは過去に、その元型となる習慣が1月6日に行われていた歴史によるらしい。


その習慣があったのは、エジプトであった。

ローマ時代、港町アレクサンドリアにコレイオンと呼ばれる非常に大きな神殿があった。

この神殿では1月6日に童子神アイオーンの誕生を祝っていた。

この異教の祭典が聖エピファニウス(西暦315-402)の時代になっても行われていたことは、その著書にも記されている。

エピファニウスは書いている。

    
       ・・・・・

アレクサンドリアの、いわゆる「処女の境内」とよばれる巨大な神殿コレイオンでは、人々は一晩中、音楽を奏で、偶像に祈りを捧げる。

夜が明けると、人々は灯りをもって地下聖堂におりて、輿の上にむき出しで横たわる木製の偶像を運び出す。

その額には金の十字架の刻印があり、両手や両膝にも同様な印がある。

これら五つの十字架の印は、いずれも金でできている。

人びとは偶像を抱えて一番奥の神殿の周りを、笛や太鼓を奏で、讃歌を歌いながら、7回まわる。

そして喜びの中、再び偶像を地下聖堂に運ぶ。

この秘儀の意味を問われると、彼らはこう答える。

「今日、この時刻、かの処女(コレ)がアイオーンを産んだ。」

     (ミード編「三倍偉大なヘルメス」より)

       ・・・・・


これは「処女降誕」と公現祭、すなわち西洋で言う顕現祭、エピファニーとが結びついていたことを示す注目すべき証拠だ。

しかもそれは古代エジプトがマギの伝説の源泉の一つである可能性も示している。

これはみかけほど眉唾な見方ではない。

イエスの時代、アレクサンドリアはおそらく世界で最も文明の進んだ都市であったし、大きなユダヤ人共同体の本拠でもあった。


アレクサンドリアの最も偉大な哲学者フィロンもユダヤ人であり、また優秀な市民であった。

フィロンの膨大な著作は、当時をしのぶ最良の資料の一つである。

それは当時の賢者たちの信仰と習慣について多くのことを伝えてくれる。

その中には大勢のペルシャのマギが登場する。

彼らは真の知識の探求のために自然の営みを注意深く観察することによって沈思の中で、このうえなく明晰な(神秘的な)像を用いて神のような美徳をたたえた秘儀へと参入し、また自分たちの後にやってくる参入者を迎えるのであった。

フィロンは単に異国の宗教を観察していただけではない。

彼はそれらと密接に関わっていたようだし、おそらくはセラピスを崇拝する教団の一員であった。

セラピス崇拝の中心はアレクサンドリアの南にあった。

しかも面白いことに、フィロンがセラピス信者とその信仰について記していることの多くは、キリスト教を先取りしているのだ。

      (引用ここまで)

   
        *****


写真は「マギの礼賛・ローマの共同墓地にあるフレスコ画・3世紀前半」イアン・ウィルソン著「真実のイエス」より


Wikipedia「公現祭」より

公現祭(こうげんさい、ギリシア語:エピファネイア( 現れ、奇跡的現象の意))は、人としてこの世に現れたイエス・キリストが神性を人々の前で表したことを記念するキリスト教の祭日。

本祭日は教派によって何を記念しているかについて違いがある。

西方教会(カトリック教会・聖公会・プロテスタント諸派)では幼子イエスへの東方の三博士の訪問と礼拝を記念する。

これに対し、正教会では神現祭(しんげんさい)もしくは洗礼祭(せんれいさい)と呼んでヨルダン川でのイエスの洗礼を記念し、三博士の礼拝は降誕祭で祭られている。

「公現節」「主の公現」「主顕節」などとも呼ばれる。


Wikipedia「マギ」より

マギ(ラテン語複数形 magi)は、本来、メディア王国で宗教儀礼をつかさどっていたペルシア系祭司階級の呼称。

本来のマギと意味の変遷

ヘロドトスの『歴史』には、「マギには、死体を鳥や犬に食いちぎらせたり、 アリや蛇をはじめその他の爬虫類などを無差別に殺す特異な習慣があった」と記されている。

これらの習慣はアヴェスターに記された宗教法と一致しており、彼らはゾロアスター教と同系の信仰を持っていたと考えられる。

一方、キリスト教世界では新約聖書、福音書の『マタイによる福音書』にあらわれる東方(ギリシア語でanatole。当時はペルシャのみならずエジプト北部などその範囲は広い)の三博士を指して言う場合が多い。

三人の王とも訳される。

直訳すれば星見すなわち占星術師であるが、マタイ福音書の文脈では、天文学者と推測される。

やがて、マギという言葉は 人知を超える知恵や力を持つ存在を指す言葉となり、英語のmagicなどの語源となった。

これはマギが行った奇跡や魔術が、現代的な意味での奇術、手品に相当するものだったと推定されるからである。

また磁石を意味するマグネットmagnet, マグネシウムmagnesiumの語源も、マギが奇跡のために使用したことに由来する、という説がある。


Wikipedia「フィロン」より

アレクサンドリアのフィロン(20/30年? - 紀元後40/45年?)は、ローマ帝国ユリウス・クラウディウス朝時期にアレクサンドリアで活躍したユダヤ人哲学者。

豊かなギリシア哲学の知識をユダヤ教思想の解釈に初めて適用した。

ギリシア哲学を援用したフィロンの業績はユダヤ人には受け入れられず、むしろ初期キリスト教徒に受け入れられ、キリスト教思想のルーツの1つとなった。



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マリア、使徒と語り合う・・マグダラのマリアによる福音書・その2

2009-11-26 | 古代キリスト教
前回の続きです。
カレン・キング著「マグダラのマリアによる福音書」を読むことで、マリアの語るマリアの近辺の使徒たちの姿を見てみたいと思います。

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         *****

    (引用ここから)

彼女は言った。

「わたしは主(イエス)を幻の中に見たのです。

そしてわたしはあの方(イエス)に言いました。
『主よ、わたしはあなたを幻の中に見ました。』

あの方は私に答えました。
『(よみがえった)わたしを見て動揺しないとは、あなたはなんとすばらしい。
心のあるところには、宝があるのです。』

わたしはあの方(イエス)に言いました。
『それでは主よ。
幻を見る者は魂によって見るのでしょうか、それとも霊によって見るのでしょうか?』

救済者(イエス)は答えました。

『人が幻を見るのは、魂によってでも、霊によってでもない。
むしろその二つの間にある知性によって見るのである。
そしてそれが。。(欠落)』

『世界にあって、わたしが拘束から解かれたのは、世界からであって、そして範型の中にあって、上なる範型からであり、また時間の中にある忘却の鎖からである。
これから先、アイオーンのしかるべき時のために、わたしは沈黙の内に休息を受けよう。』」

マリアはこれらのことを言ってから、沈黙した。
救済者(イエス)が彼女に語ったのはここまでであったから。


アンデレが答えて、兄弟姉妹たちに話しかけた。

「彼女が語った事柄について、あなた方に言いたいことがあれば、言うがよい。
わたしに関する限り、救済者(イエス)がこのようなことを言ったとは信じられない。
これらの教えはなじみのない考え方である。」

ペトロが答えて、同じような懸念を持ちだした。

彼は救済者(イエス)について彼らに尋ねた。

「あの方が私たちには隠れて、内密に女と話したのか?
私たちの方が向きを変えて、彼女に聴くことになるのか?
あの方はわたしたちを飛び超えて彼女を選んだのか?」


その時マリアが泣き、そしてペトロに言った。

「わたしの兄弟ペトロよ。
あなたは何を想像しているのですか?
わたしがこのようなことを自分一人で勝手に考えたり、あるいは救済者(イエス)について私が虚偽を語っているとでも思っているのですか?」

レビが答えてペトロに言った。

「ペトロよ、あなたは前々から怒りっぽい人だ。
あなたはまるで敵対者に対するように、この女性に議論を仕掛けている。

もし救済者(イエス)が彼女を価値ある人としたのであれば、彼女を拒否するあなたはいったい何者なのか?

たしかに、救済者の彼女に関する知識は完全に信用に値する。
あの方(イエス)が私たちより彼女の方を愛したのはもっともなことである。
むしろ、私たちは恥じ入るべきなのだ。

わたしたちは完全な人間を身にまとい、あの方がわたしたちに命じたように、わたしたち自身まことの人間を身につけ祝福の告知に向かうべきだ。
救済者(イエス)が語ったこととは違う規定や法は、一切定めないで。」

彼(レビ)はこれらのことを言った後、彼らは教えるために、そして宣教するために出て行った。

「マリアによる福音書」終

      (引用ここまで)


      *****


「人が幻を見るのは、魂によってでも、霊によってでもない。
むしろその二つの間にある知性によって見るのである。」

とイエスは語ったのだとマリアは言っています。

そしてマリアはそのように知性をもってして幻を見たことで、使徒たちよりイエスに近い者とされ、イエスについて述べることを求められています。

そして、イエスは語りました。

「これから先、アイオーンのしかるべき時のために、わたしは沈黙の内に休息を受けよう。」

と、本当にイエスが言ったのだとすれば、イエスは今安らかに休息しているのでしょう。
そうだとすれば、それはよかったと思わずにいられません。

イエスが言う“しかるべき時”とはいつなのか、触れられていませんが、あまり切迫した感じはありません。
歴史を予言の実現としてとらえる思考形態からのへだたりを感じます。

そして、マリアが聞いた言葉はこれで終わりだと語られます。

もし、そうだとすると、他の福音書のおびただしい言葉はなんだったのだろうということになります。

そしてマリアの言葉を聞いた使徒たちが、なんとも人間臭い話し合いを展開しますが、最後には使徒の一人は次のように決断したと書かれています。

「わたしたちは、あの方がわたしたちに命じたように、わたしたち自身まことの人間を身につけ祝福の告知に向かうべきだ。
救済者(イエス)が語ったこととは違う規定や法は、一切定めないで。」

イエスの後継者たちの中には、“イエスが語ったこととは違う規定や法を定めた人々もいる”ということが暗に示されているのだと思われます。


これは一体どういうことなのかをめぐって、同書は詳しく論じています。

同書の解説を少し紹介しますが、マリアが伝えたイエスの言葉は本当のものなのでしょうか?
そして、ここに書かれたような使徒たちの初歩的な話し合いは本当にあったのでしょうか?

マリアはその後自分で伝道をしたのでしょうか?
マリアは教会を建てたのでしょうか?
マリアを継ぐ者はいたのでしょうか?


        *****


(引用ここから)

キリスト教の起源に関わる名作(=新約聖書)によれば、イエスは生前、男性の弟子たちに真の教えを伝えた。

復活の証人としての彼らは、地の果てまで出て行ってこの教えを広めるように命令された。

その“真の使徒たち”の教えが“サタンによって改ざんされる”のは、後代になってからであるとされる。

サタンが、“異端”という雑草の種子を使徒たちの畑に播いた、というのである。

しかし、『マリア福音書』のシナリオによれば、その雑草の種子は使徒たち自身によって播かれたのである。

ペトロやアンデレのような男性が、救済者(イエス)の教えを誤解し、教団内に不和の種子を播いたのだ。

例の名作(=新約聖書)によれば、キリスト教の教義全体はイエスによって定められ、教会の教義という形で伝えられたという。

『マリア福音書』はそうではなく、福音書の物語は未完だという。

キリスト教の教義と慣行は、普遍の原則ではない、これをそのまま受け入れることもあれば、拒否することもある、というのである。

近年歴史家はますます、「マリア福音書」の描写を、・・その(新約聖書の)仮想に基づく念入りな仕上げにも関わらず・・新約聖書の描写よりもいくつかの点で歴史的に正確であると理解するに至っている。

われわれがこの福音書に注目するのは、この最初期のキリスト教文書が調和のとれた、画一化された霊的に完全な教会の産物ではなく、意見の対立する問題をとおして機能しつづける共同体のものであるからである。


エジプト出土の古代テクストを見れば、初期のキリスト教徒が、“イエスの十字架と肉体的復活が救いにとって大切であるかどうか”といった極めて重大な問題についてさえ、同意見ではなかったことがわかる。

「マリア福音書」などの著者は、イエスの教えを自分のものにすることこそが真の弟子となり、救いに達する道であると力説している。

(引用ここまで)


   *****


Wikipedia「ナグ・ハマディ写本(ナグ・ハマディ文書)」より

1945年に上エジプトのナグ・ハマディ村の近くで見つかった初期キリスト教文書。

農夫ムハンマド・アリ・サマン(Mohammed Ali Samman)が壷におさめられ、皮で綴じられたコデックス(冊子状のの写本)を土中から掘り出したことで発見された。

写本の多くはグノーシス主義の教えに関するものであるが、グノーシス主義だけでなくヘルメス思想に分類される写本やプラトンの『国家』の抄訳も含まれている。

ナグ・ハマディ写本研究の第一人者ジェームズ・ロビンソン(James Robinson)による英語版の『ナグ・ハマディ写本』の解説では、本書はもともとエジプトのパコミオス派の修道院に所蔵されていたが、司教であったアレクサンドリアのアタナシオスから367年に聖書正典ではない文書を用いないようにという指示が出た[1]ために隠匿されたのではないかとしている。

写本はコプト語で書かれているが、ギリシャ語から翻訳されたものがほとんどであると考えられている。

写本の中でもっとも有名なものは新約聖書外典である『トマスによる福音書』である。(同福音書の完全な写本はナグ・ハマディ写本が唯一。)

調査によって、ナグ・ハマディ写本に含まれるイエスの語録が1898年に発見された「オクシリンコス・パピルス」の内容とも共通することがわかっている。

そして、このイエスの語録は初期キリスト教においてさかんに引用されたものと同じであるとみなされる。

このことから本写本の成立はギリシャ語で「トマスによる福音書」が書かれた80年以降、すなわち1世紀から2世紀で、土中に秘匿されたのが3世紀から4世紀であるとみなされている。

ナグ・ハマディ文書そのものは現在カイロのコプト博物館に所蔵されており、日本語を含む各国語に翻訳されている。(日本語版は1997年から1998年にかけて岩波書店から全四冊で出版されている。)
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マグダラのマリアによる福音書・・マリアはイエスの高弟だったのか?

2009-11-22 | 古代キリスト教
1945年にエジプトで発見された新約聖書外典の写本群「ナグ・ハマディ写本」はグノーシスの気配が濃厚ですが、19世紀に見出され1955年に出版された「マリアによる福音書」も同じ系列の文書であると考えられています。

「マリアによる福音書」は3世紀初頭と5世紀に書かれた写本がみつかっていますが、原本が書かれたのはさらに遡った古い時期であると考えられています。

「ユダの福音書」同様、この文書もまた全文が残っているわけではなく不完全な形ですが、非常に示唆に富んだ文書であると言えると思います。

キリスト教の常識が存在する今の世で、私たちがこの文書を見ると、まるでパロディーか安っぽい茶番としか思えませんが、文書が書かれた当時は、新約聖書の福音書はいまだまとめられていなかったのでした。

ですから、キリスト教の枠組みができていなかったということを考えると、福音書の正典、偽書の区別自体がなかった中立の情況を想定しなければならず、この文書は正典のパロティーだったわけではないと考えられ、当時イエスの弟子たちが何を考え、何をしていたのかを考える資料として、興味深いと思います。


「マリアによる福音書」では、マグダラのマリアとして知られているマリアが、娼婦マリアではなく描かれ、ペトロ他イエスの高弟たちに『心を強く持ちなさい』と語りかけ、イエスから聞いた秘密の逸話を彼らに語るという構成になっています。

以下 カレン・キング著「マグダラのマリアによる福音書」より抜粋し引用してみます。
2回に分けます。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


        *****

        (引用ここから)

救済者(イエス)が答えた。

「一切の本性、すべての形あるもの、すべての被造物は相互に関連して存在する。
そしてふたたびそれらはそれ自身のあるべき根源へと解体していく。
物質の本性はその本性に属するところのものへと解体されるからだ。」

それからペトロが彼(イエス)に言った。

「あなたはすべての問題を説明してこられました。
もう一つ私たちに教えて下さい。
世の罪とはなんでしょうか。」

救済者(イエス)が答えた。

「罪といったようなものは存在しない。
むしろあなた方自身が罪を産み出しているのである。
それは罪と呼ばれる姦淫の本性と一致した行動をとる時に生じる。
このような理由により全なる方があなた方の中にあらゆる本性に属する全なるものを求めてきたのである。
それはその根源にそれを据えるだろう。」

それから続けて彼(イエス)は言った。

「ほらここに、ほらあそこに、と言ってあなた方を迷わすもののために警戒しなさい。
まことの人の子はあなた方の内に存在するのだから。
それに従いなさい。
求める者は見出すであろう。
それだから、行って王国の福音を述べ伝えなさい。

わたしがあなた方のために定めたもの以外に、いかなる規則も定めることをするな。
法制定者のように法を発布することもするな。
さもなければ、あなた方はその法によって支配されることになる。」


これらのことを語り終えてから、彼(イエス)は彼ら(弟子たち)を離れた。

しかし彼ら(弟子たち)は心を痛め、激しく泣いた。

彼ら(弟子たち)は言った。

「私たちはよその土地へ行って、まことの人の子(イエス)の王国の福音をどんな仕方で述べ伝えることができるだろう?

彼ら(イエスを張り付けにした人々)はあの方(イエス)を容赦しなかった。
どうして私たちを容赦するなどということがあるだろう?」


その時マリアが立ち上がった。
彼女はかれら全員にあいさつして、彼女の兄弟姉妹たちに言った。

「泣くのはよしなさい。
めそめそしないで、心を強くもちなさい。
あの方の恵みがあなたがたすべてにあり、あなた方をかばって下さるのですから。
むしろ私たちはあの方の偉大さをほめたたえるべきなのです。
あの方はわたしたちのために道を整え、私たちをまことの人間にしてくださったのですから。」

マリアはこれらのことを言ってから、彼ら(弟子たち)の心を全なる方へ向けさせた。

すると彼らは救済者(イエス)の言葉について論じ始めた。


ペトロがマリアに言った。

「マリアよ、救済者(イエス)がすべての女性たちよりもあなたを深く愛しておられたことを私たちは知っています。

あなたが憶えている救済者(イエス)の多くの言葉、あなたが知っていた、私たちが聞かなかった言葉をわたしたちに話して下さい。」

マリアが答えた。

「あなた方には隠されている言葉を教えましょう。」
そして彼女は彼らに語り始めた。

(引用ここまで・続く)


*****

マリアはイエスが最も愛した高弟だったという、このストーリーは、本当なのでしょうか?

自信に満ちたマリアの姿は、見慣れないせいか、とても不思議なものに感じられますが、何度も読み返すと、だんだん、こんな場面が本当にあったのかもしれないと思えてきます。

イエスがマリアを深く愛し、評価していたと言われると、女性の読み手は思わず嬉しくなってしまいますが、男性の読み手にはとても受け入れがたい話に違いないと思われます。

この話も教会の真逆をいくストーリーです。

かくも教会の説と真逆のストーリーが、どうして生まれたのでしょうか?

あるいは逆に、どうしてこのようなストーリーが、かくも長い間、闇に埋もれていたのでしょうか?


Wikipedia 「マリアによる福音書」より

グノーシス主義の福音書文書の一つである。

登場人物のマリハム(マリア)とは、内容からイエスの母マリアではなく明らかにマグダラのマリアと考えられる。

この故に本文書は『マグダラのマリアによる福音書』とも呼ばれる。

初期キリスト教の『新約聖書』の外典としてこの名の書籍の存在が伝わっていたが、全容は知られていなかった。

しかし19世紀に偶然に発見され、内容から外典とされていた『マリアによる福音書』であることが確認された。

『ナグ・ハマディ写本』から発見された諸文書とともに、グノーシス主義の原典資料として貴重であるだけでなく、初期キリスト教や当時の地中海世界の宗教状況の研究にも重要な文書である。
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ユダの福音書・その3・・そしてユダは輝く雲の中に。。

2009-11-18 | 古代キリスト教
前回の記事の続きです。

この「ユダの福音書」は、エジプトで発見された写本は4世紀前半のものと考えられていますが、最初に実際に書かれたのは2世紀、正典の4福音書が書かれたのとほぼ同じ時代であることが分かっています。
(異端への反駁文の資料の年代考証から)

なるべくつながっている個所を選びました。
長い欠落部分は「・・・」で表します。

なおリンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入可能です。


        *****

    (引用ここから)

別の日、弟子たちはイエスに言った。
「先生、私たちはあなたを幻で見ました。
わたしたちは夜大いなる(未来の)夢を見たのです」

弟子たちは言った。
「大きな家があり、その中に大きな祭壇があり、12人がいて、かれらは祭司のようでした。

そして群集が祭壇のところで待っていると祭司たちが捧げものをし、受け取ります。
祭壇の前に立つ人々はあなたの名を唱え、自分たちの行いは不完全なのに犠牲は完全に行っています。」

そう言うと彼らは黙った。
心が騒いだからである。

イエスは言った。

「なぜ心を騒がせるのか?
本当にわたしはあなたがたに言う。

彼らは、わたしの名によって、恥ずべきやり方で、実がならない木を植えた。

あなたがたが見た捧げ物を受け取っていた人々、それがあなたがたの正体である。
それがあなたがたが仕える神であり、あなたがたが見た12人はあなたがたである。
あなたがたが見た、犠牲として捧げられていた牛は、あなた方が迷わせてその祭壇の前に連れていく人々である。

・・・はこのようにわたしの名を用いるだろう。
そして代々の信仰深い人々は彼に従い続けるだろう。

彼ののち、淫らな者たちから別の人が立ち、また別の一人が子殺したちの中から立ち、また別の一人が「私たちは天使と似ている」と言う人々から立つだろう。
彼らはすべてを終りに導く星である。」


イエスは弟子たちに言った。

「あなたがたが祭壇の上に・・したものを犠牲に捧げてはいけない。
それらのものはあなたがたの星と天使の上にあり、そこですでに終わっているからだ。
だから彼らをあなたがたの前で罠にかからせ、去らせなさい。
パンを焼く者一人で天の下なるすべての者に食物を与えることはできない。」

イエスは言った。

「わたしと争うのはやめなさい。
あなた方おのおのに自分の星があり、すべての人の中に来た者の泉・・その木のために・・このアイオーンの時のために・・だが彼は潤すために来た。
神の楽園を、そして続いていくだろうその世代を。
なぜなら、彼はあの世代の生の歩みを汚さないからである。」

ユダは言った。

「先生、やはりわたしの種は支配者たちの掌中にあるということなのですか?」

イエスは答えて言った。

「来なさい。わたしは・・だが王国とその世代のすべての人々を見れば、お前は深く悲しむことになるだろう。」

これを聞いて、ユダはイエスに言った。
「わたしがそれを知ると、どんなよいことがあるのでしょうか?
あなたはあの世代のためにわたしを特別な存在にしたのですから。」

イエスは答えて言った。
「お前は13番目となり、後の世代の非難の的となり、そして彼らの上に君臨するだろう。
最後の日々には、聖なる「世代」の元に引き上げられるお前を、彼らはののしることだろう。」

イエスは言った。

「来なさい。
いまだかつて何びとも目にしたことのない秘密をお前に教えよう。

それは果てしなく広がる永遠の地だ。
そこには天使ですらその広がりをとらえられない御国があり、
そこには、偉大な見えざる霊が存在する。
そこは、いかなる天使でさえ見たことがなく、
いかなる心の思念によっても理解されず、
いかなる名前でも呼ばれたことがない。」


そしてそこに輝く雲が現われた。
大いなる天使、照り輝く神なる、自ら生まれた者が雲の中から現れた。

アダマス=アダムは天使たちですら見たことがない第一の輝く雲の中で神と呼ばれる者たちに囲まれていた。


ユダはイエスに言った。
「人間はどれほど長く生きるのでしょうか?」

イエスは言った。

「お前はなぜそのことを思い患うのか?
アダムが彼の世代とともに、王国を受け取った場所で、その支配者とともに末永く生きたということを。」

ユダはイエスに言った。
「人間の霊は死ぬのでしょうか?」

イエスは言った。
「(この世の)神がミカエルに、人々に霊を質として与えて、奉仕させるよう命じたのはそのためである。
しかし大いなる者はガブリエルに、誰にも支配されない大いなる世代に霊と魂を与えるように命じた。」

「・・光・・のまわりに・・あなたがたの内にある霊を天使たちの世代の間でこの肉に住まわせよ。

しかし神は混とんと冥府を司る王たちがアダムとその一族に対し横暴にふるまったりしないようにアダムらに知識を与えた。」

ユダはイエスに言った。
「では、あれらの世代はなにをするのでしょうか?」

イエスは言った。

「本当に私はあなたがたに言おう。

彼らすべてにとって、星星が事物を成就させるのです。
サクラス(愚か者)に割り当てられた時間が終了すると、最初の星があれらの世代と共に出現し、彼らは約束したことを成し遂げるのです。

それから彼らはわたしの名において姦淫し
彼らの子ども達を殺し、
・・彼らはそして・・あなたの星を13番目のアイオーンの上に・・だろう。」

その後イエスは笑った。

ユダは言った。
「先生、なぜわたしたちを笑っておられるのですか?」

イエスは答えて言った。

「わたしはお前を笑ったのではなく、星星の過ちを笑ったのだ。
この6つの星星はこの5人の闘士たちと共にさまよい、そのすべてが、そこに生きる生き物たちと共に滅ぼされてしまうからである。」

イエスはユダに言った。

「だがお前は真のわたしを包むこの肉体を犠牲とし、すべての弟子たちを超える存在になるだろう。

すでにお前の角はたちあがり
お前の憤りは燃え上がり
お前の星はあかるく輝き
お前のこころは強くなっている
本当にお前の最後の・・となる。
なぜなら彼は滅ぼされるからだ。

そしてその時、アダムの大いなる世代の像は高みに上げられる。
なぜなら天、地、天使たちが存在する前に、永遠の王国からやってきたあの世代が存在するからである。


さあ、これでお前にはすべてを語ったことになる。
目を挙げ、雲とその中の光、それを囲む星星を見なさい。
皆を導くあの星がお前の星だ。」

ユダは目を挙げると明るく輝く雲をみつめ、その中へと入っていった。
地上に立っていた人々に、雲の中から声が聞こえた。
声は言った。
「大いなる世代・・(以下欠落)」


大祭司たちは不平を言った。
イエスが部屋に入って祈りを捧げていたからである。
しかし何人かの立法学者たちはそこにいて、祈りの間に彼を捉えようと注意深く見張っていた。
イエスが皆から預言者とみなされ、大祭司たちは民衆を恐れていたからである。


大祭司たちはユダに近づいて言った。
「おまえはここで何をしているのか?
お前はイエスの弟子ではないか?」

ユダは彼らの望むままに答えた。
そしていくらかの金を受け取り、彼をかれらに引き渡した。

「ユダの福音書」終わり
          (引用ここまで)


    *****


「ユダは大祭司たちにイエスを売り渡した」、という現代のドラマのようなあっさりとした描写で、この福音書は終わります。

その後のはりつけも、復活もありません。

これほど大胆不敵な「福音書」があろうとは、、という印象です。


この「福音書」に登場するイエスとユダは、“イエスの肉による復活”というキリスト教の信仰告白をまったく無視しています。

焦点は“肉体の復活”ではなくて、霊的世界への帰還に当てられているようです。

そして以下のように、イエスがするかのごとく、ユダが、人々の眼前でその帰還をなしとげる様が書かれているのは圧巻です。

    ・・・

ユダは目を挙げると明るく輝く雲をみつめ、その中へと入っていった。
地上に立っていた人々に、雲の中から声が聞こえた。

    ・・・


笑うイエス、昇天するユダ、、なかなかいいんじゃないかと思います。
史的イエスも、おそらくこうした無頼派のような人だったのではないかという気がします。

その何者をも恐れない大胆不敵さこそが、人間の心を動揺させ、いわゆる人間の暗部の象徴のような“ユダ”のドラマが生まれ、そして“復活”というどんでんがえしのストーリーが必要だったということだろうか、と思ったりします。

“わたしは神であると名乗る人間が、人間を名乗る神である”というパラドックスが、キリストのストーリーであるとすると、そのパラドックスを生きるのは相当なエネルギーを必要とするのではないかと思います。

そのパラドックスを生きるのがキリストの信仰であると、わたしは思う者ですが、この「ユダの福音書」はグノーシスの資料でありキリスト教とは関係がない、とも言い切れないように思います。

この“ふっきれた”雰囲気のイエスと、彼の友ユダというストーリーは、「いわゆるキリストのストーリー」のちょうど反対側に位置し、「いわゆるキリストのストーリー」が内蔵する緊張のエネルギーのガス抜きをする役回りをしていると言えるかと思います。

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笑うイエス・・ユダの福音書・その2

2009-11-14 | 古代キリスト教
「ユダの福音書」本文を少し抜粋してみます。

できるだけ文章がつながっているところを選びました。
長い欠落部分は「・・・」で表わします。
長いので2回に分けます。

誰にも気兼ねなく、なんの心配ごともなく、あっけらかんと周囲を切り捨てて笑う、アウトローな雰囲気のイエスが描かれています。

愛の教えや、犠牲の教えや、奉仕の教えの雰囲気がない、異空間を感じさせるイエス像ではないかと思います。

神につかわされ、人間の罪のあがないのために命を差出し、十字架上で苦悩し、よみがえりにより永遠の命となるイエスはここにはいません。

神と人の間に立って苦悩するイエスもいません。

人間社会にも、信仰にもなんの興味も示していない、人間嫌いのイエス、という印象を受けます。

その人間嫌いなところがユダといい勝負、というところでしょうか。。
これもひとつのイエスの真実だったのかもしれないと思います。




*****

(引用ここから)


イエスが週の間、過ぎ越しの祭りを祝う3日前に、イスカリオテのユダとの対話で語った、秘密の啓示の話。


イエスは地上に現れた時、人々の救いのため、奇跡と大いなる不思議な技を行った。
そしてある者は正しい道を歩み、ある者は罪の道を歩んでいたので、12人の弟子たちが呼び寄せられた。

イエスは弟子たちと、この世を超えた神秘について、また終わりに起こることについて話し始めた。

しばしばイエスはそのままの姿で弟子たちの前には現れず、一人の子供として弟子たちの中にいた。


ある日イエスは弟子たちと共にユダヤにいて、見ると、弟子たちが集まって信仰深く儀式を行っていた。

集まって座り、パンに感謝の祈りを唱えている弟子たちに近づくと、イエスは笑った。

弟子たちはイエスに言った。
「先生、あなたはなぜ私たちの感謝の祈りを笑っておられるのですか?
わたしたちは正しきことを行っていたのですが。」

イエスは彼らに答えて言った。

「わたしはあなた方を笑っているのではない。
あなた方は自分たちの意志でそうしているのではなく、そうすることによってあなた方の神が讃美されるだろうからそうしているのだ。」


彼らは言った。
「先生、あなたはわれわれの神の子です。」

イエスは言った。

「あなた方に、どうしてわたしが分かるのか?
わたしはあなた方に言う。
あなた方の内にある人々のどの世代にも、わたしが分からないだろう。」

これを聞いて弟子たちは腹を立て、怒りだし、心の中でイエスをののしりはじめた。

彼らが理解していないのを見ると、イエスは彼らに言った。

「なぜこの興奮が怒りに変わったのか?
あなた方の(利己的な)神があなたがたの内にいて、あなたがたに心の中で腹を立てさせたのだ。

あなた方の内にいる、本当に勇気のある完全なる人を取り出して、わたしの眼前に立たせなさい。」

しかし彼らの霊は、イスカリオテのユダを除いてイエスの前に立つだけの勇気がなかった。
ユダはイエスの前に立つことができたが、イエスの目を見ることができず顔を背けた。

ユダはイエスに言った。

「あなたが誰か、どこから来たのか、わたしは知っています。
あなたは不死の王国バルベーローからやってきました。
わたしにはあなたを遣わした方の名前を口に出すだけの価値がありません。」

イエスは彼に言った。

「他の者から離れなさい。
そうすれば王国の秘密を授けよう。

お前はそこに達することはできるが、大いに嘆くことになるだろう。
12の使徒が再び全員そろって(彼らの)神と共にあるために、誰か他の者がお前にとって代わるからだ。」

ユダはイエスに言った。

「そういったことについて、あなたはいつ私に教えてくださるのですか?
そして偉大なる光の日があの世代のために明けるのはいつなのですか?」

しかし、ユダがこう話すと、イエスは離れて行った。


このことがあった翌朝、イエスはふたたび弟子たちの前に現れた。

彼らはイエスに言った
「先生、私たちと別れてどこへ行き、何をしておられたのですか?」

イエスは彼らに言った。

「わたしは、ここではない別の大いなる世代のところへ行っていた。」

弟子たちはイエスに言った。

「主よ、今はこれらの国にいない、私たちより優れ、わたしたちより聖なる大いなる世代とは何ですか?」

イエスはこれを聞いて笑って言った。

「本当にわたしはあなたがたに言う。
このアイオーンに生まれてあの世代を見る者はいないだろう。
星星の天使の軍勢もあの世代を支配することはなく、死をのがれない生まれの人が、あの世代と交際することもない。」

イエスの弟子たちはこれを聞いて、それぞれ心を騒がせた。
彼らは一言も語ることができなかった。

(引用ここまで・続く)

         *****


「あなた方の内にいる、本当に勇気のある完全なる人を取り出して、わたしの眼前に立たせなさい。」。。

この問いかけは、ずいぶん難しいものだと思いますけれど、キリスト教的な感じはありません。
ですが、もしかしたら、イエスは本当に弟子たちにそのように言ったのかもしれません。


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ユダの福音書・・ユダから見たキリスト

2009-11-11 | 古代キリスト教
「ユダの福音書」と名付けられた、近年エジプトで発掘された4世紀の写本を読んでみました。

「福音書」といっても、使われている言葉の用法から、キリスト教の文献であるというよりは、グノーシス派の資料であることは間違いないのですが。

この写本は1978年に発見され、幾多の人の手に渡った後、2002年に復元作業が開始され、2006年に出版されました。

古い上に保存状態がひどく悪いので、何ページも欠落していたり、解読不能の個所が多いのですが、西暦4世紀初めに書かれた写本であることが科学的に確認されているようで、原始キリスト教についての第一級の資料だと言っていいようです。

なぜグノーシス派の資料がキリスト教の資料なのかと言うと、原始キリスト教成立当時は、その周辺のたくさんの人たちが「福音書」と名付けられた文書をものしており、それらの中から、“正統派”キリスト教の福音書が取捨択一され、編纂されていったわけで、その過程をたどることは、ユダヤ教、ギリシア思想、ゾロアスター教、マニ教、グノーシス、キリスト教がどのように影響しあって成立していったのかを知ることになるのだと思います。

グノーシス派の教理は古代思想ではありますが、現代にも通用するすごく切れのいい持ち味があります。

それは、今知りうる古今東西の神秘主義に通底するものだと思います。

ですが、わたしは神秘主義としてのグノーシス派の文書「ユダの福音書」が「福音書」と名付けられていることに、改めて胸震える思いがします。

つまり、これは仮定なわけですが、この資料の中にもまた、活けるイエスがいるのではないか、と考えたいからです。

2000年も昔に、神への愛と裏切りというテーマで、人間たちが思索し、苦しんだのだという事実は、人類のドラマとしてはやはり忘れてはならない出来事であり、神の愛と人間の愛、そして人間の罪と神のあがないという深い事実に、改めて思い至ります。

そのドラマで大役を果たしたのがユダだと言うこともできると思います。

人類が、「なぜユダはイエスを裏切ったのか?」という問いに2000年かかっても答えることができないということは、驚くべきことではないでしょうか?

資料は次の記事にします。


wikipedia「グノーシス」より

グノーシス主義は、1世紀に生まれ、3世紀から4世紀にかけて地中海世界で勢力を持った古代の宗教・思想の一つである。

物質と霊の二元論に特徴がある。

普通名詞としてのグノーシスは古代ギリシア語で認識・知識を意味する言葉であり、グノーシス主義は自己の本質と真の神についての認識に到達することを求める思想傾向を有する。

またグノーシス主義は、地中海世界を中心とするもの以外にイランやメソポタミアに本拠を置くものがあり、ヘレニズムによる東西文化のシュンクレティズムのなかから生まれてきたものとも云える。

代表的なグノーシス主義宗教はマニ教であるが、マニ教の場合は紀元15世紀まで中国で存続したことが確認されている。
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