「へンくつ日記」

日常や社会全般の時事。
そして個人的思考のアレコレを
笑える話に…なるべく

“正しくない認識(バカ)”の構造

2012年02月17日 15時22分54秒 | Weblog
 
伊映画『ライフ・イズ・ビューティフル』(1997)を
覚えているだろうか。第二次世界大戦の頃、ナチスに
囚われたユダヤ系イタリア人の主人公グイドが、家族
を守る奮闘を描いた名作だ。 物語のなかで、以前、懇
意にしていた善良なイタリア人医師に出会ったグイドは
彼に助けを求めようとする。だが、医師は「助ける」意
味を全く理解していないというシーンがあった。その時
のグイドの底知れぬ落胆は見る者の胸を痛めた
一般にも、病気を経験していない者は、病人の本当の苦
悩は判らず、貧乏を知らない人間は、貧困のなんたるか
を理解しないと言われるが、囚われたユダヤ人の怒りや
悲しみ、苦しみは、特権階級にいる医師には、到底、判
らないものかと、悔しさと怒りを感じたものだ

人間の理解には「選択的知覚」というのが影響してくる
つまり、人間は情報をそのまま受け取るのではなく、自
身の信条・関心・経験に添うものだけを都合よく選択し
て認識する。つまり、「見たくない」ものは「見えない」
という現象が、脳内で無意識に行われているのだ。それ
がどんなに正しく価値的で、認識することによって自ら
が向上する事柄であろうともだ

更に、先哲の言葉に『たとへば餓鬼 は恒河を火と見る・人は
水と見天人は甘露と見る、水は一なれども果報にしたがつて
見るところ各別なり』というのがある。同じ川の水でも、見
る者の生命のランク状態・境涯によって、様々に違って見え
るという意味である

親の影響など育った環境、経験、そして「選択的知覚」に加え
自らの生命の境涯によっても、物が違って見え、受け止める感
じも異なるのだ

だから、同じ事柄を知見し、同じ本を読み、同じ話を聞いたと
しても、各人の認識度は異なり、場合によっては「全く認識し
ない」こともある。例えば、裁判などの証言で、嘘や他意がな
い証言者でも、全く逆の証言をすることがあったり、同じ会議
に出ていても、後で「俺は聞いていない」という社員が出たり
するのはそのせいなのだ

養老猛司氏なら、これを「バカの構造」と切り捨てるだろうが
この構造は殆どの人間が抱えている問題だ。事実を正しく知見
し認識する人間のほうが少ない、のではないか

森羅万象というソフトを正しく知見し認識し処理できるハード
たる頭脳を持つ人間の増大に比例して、社会は賢明で健全なも
のになってくるに違いない

つまり、良い社会にするには、自らの「正しくない認識」構造
の変革しかないのだ。社会変革よりも“自己変革”なのだ
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