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インドネシアとの経緯 (1/5):「東ジャワ州へ」

2006-04-03 11:12:10 | インドネシアとバリ島の話

 「エセ男爵ブログ」を継続するには、どうしてもインドネシアの話をしておかなければならない。本日は、昨年2月の「飴風呂に掲載した記事」を是非とも再掲載したい。決して「手抜き投稿」ではなく、上述の目的により改めて本日の記事投稿をお許しいただきたい。
 本文は、某ヤフー掲示版から「インドネシア査証(Visa)」の取り付けについての質問に対して返答した内容。そんな経緯を背景とした文章になっています。
 
 今後、インドネシア滞在中の手記の中から、

「ここが変だよ!インドネシア共和国?」等、、

と、題する「逸話」や「紀行文」なども記事にしたく思っています。

 本日は、その「序章」程度にお考え下されば幸いです。

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<以下、本文・・・>

2005-02-19

タイトル:「東ジャワ州へ」

私事、少しインドネシアとのいきさつについて、
1999年から1昨年(2003年10月)前まで、縁あって現地の大学関係との活動でインドネシア(バリを含め特に東ジャワ州)に滞在、といっても(査証の関係もあり)日本との間を行き来しています。
査証は共同研究目的でそのつど大学の招聘状を受け、日本帰国時にシンガポールで宿泊し、在シンガポールインドネシア大使館でソシアル査証を受け、行き来していました。
東ジャワ州は、おもにマラン市に在住。
マラン市内の某大学のゲストハウスに滞在しながら、月に一度スラバヤに出向いて1週間ばかりのホテル住まいを繰り返しています。
それまでは休養目的で、あるいは経由地として、帰国前後の数日のみ滞在していたバリ島ですが、バリ島爆破事件の後、2003年の3月、バリ島の某観光専門大学に招聘されたのがきっかけでバリ島に出向きました。
 その後バリ島には約6ヶ月滞在し、その間、一度シンガポールに出向いて例のソシアル査証を取っています。一昨年の6~7月、「観光目的滞在が30日になる」とうわさされた頃、悪しくも父が脳梗塞で倒れ、病状が不安で帰国しました。
 今回また現地からの要請もあり、今年は4月からバリ島に出向く計画を立てています。

 最初の東ジャワ訪問(1999年)は、仲間内10人くらいで視察旅行に同行しますので、当面は連中共々「観光査証」で入国し、私はそのまま居残り、一度シンガポールに出向き、Social cultural Visaを取得する段取りです。このたびの推薦状も、大学発行のものを使います。
 私の場合はたまたま大学関係ですが、この査証は目的に幅が広く、つまり訪問の目的は各人で微妙に異なり、招聘状推薦状の内容と対象は千差万別です。そういった意味で、当査証の中身は、それぞれ違った種類があると表現したのです。
さて、
 Social-Cultural Visa取得の件ですが、60日間は(必ず)滞在可能と確信しています。なぜなら昨夜、在カナダ・在ドイツ等など、在日以外のインドネシア総領事館査証案内のサイトを開きました。もちろん日本語サイトも、、、。それらサイトの更新年月日は概ね2004年3月以降のものです。Social-Cultural Visaは全て60日間滞在となっています。在日インドネシア大使館や領事館はお話になりません。相談しても、的確な回答は出してくれないと思います。
 いずれにしても「査証」さえ取り付ければ、現地滞在延長可能でして(私の実体験による)、すじの通った招聘状推薦状さえあれば(なくてもOKか?)、12ヶ月(1年間)くらいまででしたら「滞在延長申請」可能です。現在も可能のはずです。延長申請は入管がらみとなり比較的手続きが面倒ですので、2ヶ月毎にシンガポールに(日帰り)渡航され、同じ査証を新たに取得可能です。
継続的に中期長期滞在をお考えなら、まずソーシヤル査証を取得を繰り返した後、さらに上位の別のカテゴリーの査証取得が可能です。肝心なことは、現地の何処と連携し、どのフィールド、どのレベルの推薦状取付が可能か?に、かかっています。
加えてインドネシア国内のイミグレーションの対応は、州により違いがあると感じます。東ジャワ州のほうが、バリ島(バリ州)より楽で、料金も安かったという記憶があります。バリ島のイミグレーション担当官は、(個人的な違いはあれども)完全に汚染されています。その意味で、私にとってのバリ島は最悪の場所です。

あらためて東ジャワ州とバリ島の違い、良し悪しなどなど、感想を述べたいと思います。
私自身、バリ島または東ジャワ州での中高年層の長期滞在にたいへん興味があります。
またお話させてください。

<・・続く(次回掲載予定:4月6日木曜日)・・>

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<掲載地図>:(CIA Fact-Book より・・)

朝食は、「アボガドジュース」・・

2006-04-02 13:32:35 | インドネシアとバリ島の話

 レギャン通りの朝は、遅い!

行きつけのレストランで「アボガドジュース」!

なぜか、アボガドにも旬がある。

バリ島は熱帯域、いつのシーズンでも好みのフルーツが味わえる、と思い込んでい

るのが我々日本人滞在者の感覚である。

いつもアボガドジュースが飲めるわけでもなさそうです。


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上記、飴風呂にて、昨年2月下旬投稿記事より、、、。
(当事は、「アボガド・ジュース写真」、いかにも写真がメイン記事。これで精一杯の記事であった・・・)
単純にして、無意味明快・・・
 しかし、こうして振り返れば、
当事の記事は素朴ですね~・・・

アボガドは、かなりカロリーは高く、栄養バランスのとれた「すぐれもの」!
このジュース一杯で、食パン一切れに野菜ジュース500mlを飲んだくらいの「効能」があるそうです。
これ、バリ島での写真ですが、東ジャワ州に滞在していた時、アボガド+キャロット+蜂蜜の特別オーダーミックスジュースがオーダーでき、最高の気分を味わえました。(バリ島では結構高いよ・・・)

フレッシュジュースのお好きな方もそうでない方も、是非下記の「アボガド色のバー」、クリック応援お願いします。
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ビバ!『楽農大学』(1):初参加見学体験記・・

2006-04-01 13:02:18 | つれずれ紀行

本日の嗜好はガラリと変わり、「楽農大学」見聞録・・・

 先週の日曜日(3月26日)、中学及び高校の同期生たち総勢9名と広島港にて合流。数十年ぶりに広島港(旧称・宇品港)からフェリーに乗船し、瀬戸内海の島に渡った。
 場所は、広島県江田島市(江田島市の概要:ウイキペディアより)の沖美町。瀬戸内海の島に赴いたには、それなりの訳がある。上記メンバー他、約30数名で開設された『楽農大学』の見学と取材を目的に、参加した。

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詳しくは知らないが、おおよそ楽農大学の開設趣旨とは、

1)そろそろ現役を退き、暇人(おっと失礼!今尚忙しくしている仲間もいるぞ)?もとい!
ようやくフリータイムの取れる年齢に差し掛かった我々、しかも中学(3箇所)高校(1箇所)を同じくする広島市内に在住していた仲間が「楽しく」集いたい、

2)旧友が集えば、「飲んで騒ぐ」楽しみのみ。に、止まりたくなく、

3)ならば、(全国?世界?に散らばって活躍していた時代を経て地元に帰った連中も、今尚関東地区関西地区を中心に県外に住まいを持つ古き仲間も合わせて)故里地元に触れ、郷土に少しでも役に立つ「志ある行動計画」を成し、

4)以って、「志を行動」に移したく、

5)ならば、郷土と地方地域への貢献を以って楽しみに変えたい?‥等と、

6)結果、「楽農大学」と称し、今まで、土いじりや農業に縁の無かった街中育ちの仲間が集い、畑仕事や土いじりを楽しむ会を結成する。時に瀬戸内海で漁業の手伝い?はたまた船で瀬戸内海に乗り出しての「魚釣り」も加えて・・・

 しかし我々の故里郷土たるや、日本の歴史に名立たる貧乏県。今尚大赤字(地方行政府として)を抱える広島県。広島県に属する瀬戸内海の島々でも、まだ少しは見込みのある「江田島」(広島県江田島市のホームページ)は如何か?実は、元々江田島は、江田島町・能美町・大柿町・沖美町など、3つの町から成り立つ(同じ島内にて)。その中、沖美町(江田島の中で一番小さな町であった)の元町長が小学中学の同級生であった事、聞き及んだ。元町長TN氏夫妻に会った。元々学生時代に於いて、我輩はTN氏との出会いはない。会えばしかし、噂通りの(我輩にとっては)、まことに面白い人物である。以後追って、彼のプロフィール及び現役時代の活躍ぶりをエッセイにしたい。と、思う。
 したがって、自動的に、心情的に、情緒的に、同情的?に、おのずと満場一致にて「楽農大学」のキャンバス、実験場&ワークショップは「元・沖美町」に決定したのだ。と、我輩は勝手に回想する。

かくして我輩、初めて沖美町に行った。

実は、下心があった。
それは、

 A)今もって縁のある、インドネシア東ジャワ州マラン市内にある、国立ブラウイジャヤ大学経済学部及び農学部との交歓フィールドワーク等、切っ掛け作りの模索可能か。

 B)かねてから「瀬戸内海紀行」なる短編小説and/or随筆、はたまた「村上水軍」にまつわる歴史小説乃至随筆を書きたい気持ちを持っている。そのつもりで「江田島」を訪れた、、、。かの宮島も、(回数と時間を掛けて)歴史上の裏舞台的資料を集るつもりでいる。「厳島と江田島」、この二つの島の中世歴史資料。揃えば、「たいしたシロモノ」になるであろう。そんなフィールドワークに期した創作意欲、気分は、高揚!テンションは上がっていた。
 
 しかし、島に渡り、島の地に脚を付け、現地を見て驚いた。当日の天候は冬型、肌寒く小雨状態も影響したか。
高ぶっていた気分は一転した!故事資料の蒐集入門、人的訪問、見聞交流等、切っ掛け作り、どころではない。現地は、あまりにも過疎化が進み過ぎているではないか!段々畑は荒れ放題。崩壊しかかった「空き家」はチラホラ、いや、軒並みといっても過言でない地域もある。これでいいのか?日本の地方は、瀬戸内海の島々は・・・
日本における地方地域の行き過ぎた衰退を、このまま放って置いていいのか?

 この瀬戸内海周遊を終えて、想った。
 想えば我輩の半生、期せずして(仕事柄)世界を奔走、、、。外国を放蕩周遊見聞しつつも、真面目に異国の人々と交流交友を続ける最中(さなか)、グローバル的視野にたって「ポジティヴに活動」してきた(つもりの)我輩にとって、良し悪しくも「目から鱗が落ちた」心境に襲われた。
すなわち、
 「灯台下暗し」を『モロ出し』で突っ走って往った我輩の半生、これ、如何に無様なものであるか。を、、、
 いかにも、地元を知らなさ過ぎたのだ・・・
 郷土の『土』を触ったことなく、まして(半端な地方都市の中心地に生を受け)農村部の生活習慣と農業に、全く縁のなかった我輩の半生。かくして「楽農大学」に参加したく、今、諸々考えている。
 毎週週末、メンバーの誰かが現地を訪れ「楽農」を楽しんでいると聞く。毎月イヴェントがあるという。そして次回のイヴェントは「鯛の底引き網」(5月2日予定?)に参加するという。我輩も誘いを受けているから、スケジュールの許す限り参加したいと思う。それまでに、今一度、「楽農大学」キャンパスを訪れたいとも考える。
 その節は、また記事に取り上げたい。

  <・・続く・・>

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<添付写真>:
撮影日2006年3月26日(午後1時頃、曇天・小雨混じり)
撮影場所:広島県江田島市沖美町。撮影の前方方角は、東南東か?曲がりくねった農道を経ての撮影地点にて、太陽は出でず、羅針盤無し、もって方角を見失う。(尚、同記事連載により、同日撮影画像は別途連続掲載を予定しています・・)