まるさんかくしかく〇△☐Ⅱ

雑感・雑記・日記

居なくなるということ

2021-10-27 20:54:56 | 私の心に響いた一言たち

随分前になる。
函館にちょっと里帰りして来るから、戻ったらまた会おう!と電話をくれた山仲間の女友達KS。そのまま途絶えた連絡。

彼女の旦那もまた山の仲間だった。私は結婚して山から離れたが、彼女とは時々居酒屋で色々と喋る仲が続いていた。既に結婚していた彼女はこれからの私の結婚へ贐(はなむけ)の言葉?「二人の孤独」を贈ってくれた。どの夫婦も実感か。

犬は自分の最期を予知して死に場所を探して"居なくなろうとする"んだよ、と、山仲間の女友達は言った。飼い犬が哀し気な声を上げながら、家の外、フェンスの外に出たがったが叶わず、終いには彼女の膝と腕で動かなくなったという。夜通しその愛犬のぬくもりを温めていたそうだ。彼女と音信不通になる随分前の事だ。

彼女は稀に見るほど裏表のない人物だったし、それっ放しにするタイプではない。
私が何か嫌な言動をぶつけてしまったのだろうか、とennui な気分になったこともある。彼女は乳癌を患い手術、また山に復帰。自分の身体にメスが入るなんて思いもしなかったとお茶をしながら語った。その後 大動脈解離にもなって定年前に職を辞した。同い年の彼女は「お先に楽してるよ」と連絡をくれた。

私にとって、信頼のおける彼女が"居なくなる"ということは、寂し過ぎる事に違いは無かった。
いつだって安い酒とつまみだけで幾時間でも喋れた。齢とっても年に一度の一里塚的に出会っても逢って喋りたい人間だった。親しみ深い口調ながら言葉遣いは丁寧。いつも"大好き"になれるものをキラキラとした眼で探しては喜んでいるような人だった。病を患う内に酒からは遠ざかるがアルコール抜きでもお喋りは面白い。うちのカミさんとも何度か一緒に飲んだり食べたりもしている。飲もうよ、会おうよ、と必ず彼女から連絡が来た。山行や仕事で忙しい女だったから。

山に行く人は、どこかしらで"死"を覚悟しているものだ。現に彼女の所属する山岳会の仲間が滑落や雪崩などで命を落としている。私も八海山では滑落死を身近なものとして突き付けられた経験がある。だからという訳ではないが、彼女がいつの日か逝ってしまうことは在ると無意識に認識し、彼女もまた私がいつ死んでもおかしくないくらいには思っていてくれた筈だ。

何度か自己反省を試みながら待った電話も年賀はがきも来なかった。その時に何となく直感した。あいつ、死んだかも。
今日、何故だかあの「死に場所を探しに行く犬」の話を思い出しながら、彼女が帰郷したことと結び付けていた。満身創痍であったろう人生後半。彼女の口癖に、「人は人生の前後半で様々な境遇や体験をするけれど、死ぬ時には帳尻が合うようになっているみたいな気がする。」というのがある(仕事の同僚の男性が、若くして不遇なまま亡くなった時には、理不尽だ!といたく心を波立たせていたことはあったが)。
その話とも、なんとはなしに重ね合わせて彼女の心情に思いを馳せてしまった。

何のことはない、私の潜在意識がさせたことで根拠もない。

いつか"居なくなってしまう"ということ。高齢者となった今、そういう漣(さざなみ)を日々感じてしまう。
自分自身もそうなることは覚悟の上とは思っても、細波は寂しく音も無くさざめいて。 (2021-10-22)

色白で何処かしら欧米的にも見える顔立ち。ひょっとするとアイヌ系だったのではないかと、この頃思ったりする。函館の北方民族資料館では、先住民族にはロシア大陸系の種族の存在も解説されていた。

彼女が亡くなったのだとしても、アイヌの死生観では喜ばしい事のようだ。"知里幸恵という娘さん"(2020.10.18 の追記)
アイヌの死生観では、死んだら魂は天国みたいな処に行き、懐かしい故人と生活できる~。
彼女の事だ、きっとあちらでも聡明な明るさで人を励まし鼓舞しながらスピリチュアルに活き活きしてるに違いない。 (2021-10-27)

それにしても、彼女も、またうちのカミさんも(ひょっとしたら多くの女性も)、探究心は旺盛。常に(現在・将来)必要な事を掬いあげ吸い上げながら生きているように感じる。好奇心も自然体で、一応手に取ることを躊躇しない。持った感じの皮膚感覚のようなもので取捨していく。当たり前のようだし時間がかかりそうな気もするが、それをお喋りの中で昇華したりしているようだ。女性同士のお喋りは、傍で聞いていると「そんな根拠の薄い話を長々やって何になる」と思うが、あれはあれでリハーサルなのだろうか。お喋りや会話、それから対話とで、クオリティーを変えていくのだろうか。いずれにせよ、面白い人が同じ空間に居なくなるということは、寂しくも悲しいものに違いはないのだけれど、だったら"居る"うちに時々でも会っておいた方がいいに決まっている。 【会いに行こう】 (2021.11.6)

魂なのか思い出なのか、ずっと生き続けていく。
いつか忘れ去られてしまうことも、口承にせよ記述にせよ心から心へと伝播して思いがけないところに蘇る。

ただ、此処に居なくなる、ということ。



+++++++++++++++++++居なくな+
***** **

2021.10.28 『良い人ほど早く亡くなるね~』。よく聞く台詞、そして実感。アイヌの死生観を聴けば、頷ける。
2022.2.3 思い出は無くなりはしない。思い出にだって、少年の時の様な笑顔で、出会えると思う。大切なモノを温める。

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