Negative Space

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成瀬ふたたび:『桃中軒雲右衛門』『秀子の車掌さん』

2014-08-31 | 成瀬巳喜男

 成瀬巳喜男 二題。


 『桃中軒雲右衛門』(1936年、PCL)

 キャメラがよく動くのはちょうどこの作品あたりまでらしい。ラスト近く、桃中軒が息子を「ぶち殺」そうとする場面。画面右手前、受話器を耳にあてた釜足の後ろ姿から右方向に回り込むような弧を描いてキャメラがパンして画面奥でもみあう男たち(+千葉)を捉える。電話で細川ちか子の死を知らされる釜足のアップ。電話の向こうの弟子のアップ。病床で涙流す細川のアップ(フラッシュバック)。ふたたび先ほどと同じパン。釜足のアップ(今度は画面右方向を向いている)。「切ってくれ、そっちから切ってくれ……」。ふたたび同じパン。フェイドアウト。
 スザンネ・シェアマンは、桃中軒の行為や来歴が「間接話法」で提示されることが多いとしている(『成瀬巳喜男 日常のきらめき』キネマ旬報社)。なるほど、『市民ケーン』みたいなアプローチの可能性もある素材なのか。大方の批評の一致するように人物描写が浅いのはたしかだが、それは心理の掘り下げといったレベルでクリアーできる課題ではあるまい。
 うっかり三島雅夫をアイデンティファイできなかった。


 『秀子の車掌さん』(1941年、南旺映画)

 バスのフロントグラス越しの田舎道を捉えるオープニング。座席に上がり、窓を眺める子供たちの足のアップ。こぼした吸い殻のアップ。蠅のアップ。人物(ことに小説家)は台詞以上に仕草を通してその人物像が描かれる。蝉に水をかける小説家、子供らにシロップをかけてやる釜足、等々。小説家を見送る場面では、手を振る小説家の顔が見分けられない。「実験精神」というと大袈裟だが、日常生活で電車を見るのと同じよう」な視点で描かれているわけだ(シェアマン)。バス事故の省略的描写もじゅうぶんに野心的。