Negative Space

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やくざ絶唱:『関の彌太っぺ』『股旅 三人やくざ』

2014-08-24 | その他

 錦之助二題。いずれも東映時代劇の金字塔にして股旅ものの傑作。


 『関の彌太っぺ』(山下耕作、1963年)

 黄金色の秋の夕焼け空のショットにはじまり、果たし合いに赴く錦之助の後ろ姿が小さくなっていくショットで終わる。錦之助の明暗二つの顔のコントラストの妙を山下耕作の静的な様式美が際立たせる。



 『股旅 三人やくざ』(沢島忠、1965年)

 おしゃれなオムニバス時代劇。タイトルバックのモダンな墨絵風のイラスト。季節ごとのテーマに合わせた童謡の一節をダークダックス?が奏でて物語に入っていく。最初のエピソードは秋。凶状持ちと噂される礼儀正しい浪人の仲代が、騒ぎを起こした女郎(桜町弘子)の監視役を務める。女郎は自分を思う心ゆえに無茶をした男の女房になろうとしているが、その男の顔さえも覚えていない。狭く薄暗い地下室で二人の心が通い合う。仲代は女を逃し、自分は果たし合いに赴く。川岸の木立越しに水面を往く舟を捉えた移動撮影ではじまり、最後は逆方向からの同じショットに男女の図柄の石碑?がフレームインするとフェイドアウト。吹雪の夜。男たちの怒声を背に、一枚の布でほおかぶりした二人の男が小屋からもんどりうって走り出てくる。いかさま師の志村喬を若い松方弘樹が助け出したらしい。助けた謝礼を要求する松方。とりあえず暖をとりに近くの無人のあばら屋へ。「朝からろくなもん腹に入れてないからな」。やせたたくあんをかじりながら酒を呷る松方。ぽつりぽつりと昔語り。父親とのこじれた関係を悔やむ松方。遠くで雪崩の音がする……。とそこへ家の主である若い女が帰ってくる。藤純子。女は自分と母親を残して放浪する博打打ちの父親を憎んでいる。志村こそほかならぬその父親であり、いかさまで手にした金を携えて家族の許に舞い戻ってきたのであった。そうこうするうち追っ手が迫る。松方は父娘の和解を願って二人を屋内に閉じ込め、一人で追っ手に立ち向かう。助太刀に行こうとする志村。「おとっつぁん、いかないで!」涙を流し抱き合う父娘。と、雪崩の響きが轟きわたり、男たちの怒声をかき消す。いまやあたりには静寂だけが支配する。雪い半分埋もれた地蔵が映し出され、フェイドアウト。晴れ渡った空の下、いちめんのなのはなのあいだを旅装束の錦之助が歩いてくる。陽気は上々だが、腹を空かせて機嫌が悪い。せめて水で腹を満たそうと、小川の水に口をつけようとすると、上流で子どもが小便をしているのが目に入る。怒鳴りつける錦之助。大木の根本で昼寝をしていると、村の衆に囲まれ、馳走をふるまいたいとの申し出を受ける……。狸汁をふるまわれ、腹がふくれてご機嫌な錦之助「これで一宿一飯の恩義ができた。頼み事があれば、なんでも言ってみな」。一斉にひれ伏す村の衆。ぎょっとする錦之助。かれらをくるしめる悪代官を殺してほしいとの頼み。錦之助は人を斬ったことがない。逃げ出そうとするが、狸の罠を仕掛けにきた子どもたちに出くわす。なんとか誤摩化してその場を逃れようとするが、折悪しく罠に狸がかかり、あたりに大音響が響き渡る。一斉に戸外に駆け出してくる村の衆。「かかったどお!」やけ気味で歓声を上げる錦之助……。苦しまぎれながらも一宿一飯の恩を無事返し、ふたたび菜の花畑の真ん中を去って行く錦之助。と、彼に惚れた村の娘(入江若葉)が走って追ってくる。法螺吹きの臆病者ではあっても、やくざものの道だけは外さないことを誇りに生きてきた錦之助。堅気の女には手を出せぬとしぶしぶ女から身を隠す。女の姿が見えなくなると、いいかげん自分のばか正直にうんざりした体で、笠とどてらと刀を花畑に投げ捨てて道を続ける。

 閉鎖空間に数人の人物を閉じ込めた息詰るメロドラマの前二話から一転して、ロケの魅力いっぱいのコメディー。刀を使えない役どころゆえ殺陣こそ味わえないが、錦之助の明朗で侠気ある魅力が全開した大傑作エピソードだ。とはいえもちろん、前二話あってこそ際立つ最終エピソードの輝き。いずれも腹を空かせていても仁義に厚い三者三様のやくざものを描く。第一話の田中邦衛のコメディーリリーフもうれしい。脚本が野上達雄、笠原和夫、中島貞夫という面々。軽妙な音楽に佐藤勝(第三話は『七人の侍』を思わせる)。