Negative Space

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私生活のない女:『永遠のギャビー』

2014-08-16 | マックス・オフュルス


 『永遠のギャビー』(マックス・オフュルス、1934年)
 
 アイリス・イン。回転するレコード盤のバックで、可憐な歌声をかき消すような大声で男たちがなにやら言い争っている……。

 ヒロインは、La signora di tutti (みんなの女)。皆の崇めるスターになる前に、住み込みで働いていた家庭で主人夫婦と息子全員に「愛されていた」。

 一家の半身不随の妻がギャビーに(あるいは夫に)嫉妬し、狂乱の体で車椅子ごと階段から転げ落ちる。この映画、ずいぶん前にたてつづけに二回見ているのだが、『風と共に散る』と『戦艦ポチョムキン』を足したようなこのド派手な場面すらすっかり記憶から抜け落ちていた。本作は由緒正しいイタリア映画にならった二部構成。ここで第一部の幕が閉じられる……。

 スターの伝記を執筆中という設定で、魔性の女の半生がフラッシュバックで物語られていく。自殺を謀り、手術台に運ばれた彼女に女陰のような形の麻酔用マスクが下がってきて彼女の顔を覆うと画面が真っ暗になり、おもむろに寄宿舎生時代の合唱の授業のシーンへフェイドイン。教師が自殺した(?)との報がもたらされると、大柄なブロンドの美少女が大袈裟に卒倒する。教師と関係をもっていたギャビーは即刻退学、父親には「恥めが」となじられる。転落の人生のはじまり。
 
 天井からスパンコールのリボンがおびただしく垂れ下がるスタンバーグふうのセットのなかを、くるくる回転しながらいくつもの部屋を横切る『たそがれの女心』みたいなダンスシーン。ボートを漕ぐギャビーと愛人の運転する車とのユーモラスなカットバック。肖像画(『笑う相続人』)。彼女を愛した男の別れの言葉を受話器ごしに聞きながら、苦い涙流すヒロインのクロースアップを、印刷中のポスターの上で輝かしい笑顔振りまくスターの顔が覆い隠す。とそこへスターの死の知らせが届けられ、けたたましい音とともに稼働していた輪転機がただちに止められる。FINE。

 D.O.A.状態の女性の生涯が走馬灯のように(他人の頭のなかに)断片的に去来するという物語話法は『忘れじの面影』を先駆けるものだ。くどいほどの階段の多用はじめ、オフュルス的な道具立てはひととおり出揃っているが、オフュルス作品としてはあくまで異質。ヒロインのたびたびの「狂乱の場」があまりにベルカントオペラ風で、オフュルスほんらいの親密なタッチとそぐわない。ヒロインは外側から冷静に観察される被写体にすぎず、観客もかのじょにすこしも共感できない。それが映画スターなるものの運命ってか? 私生活のない女(あらゆる意味あいにおいて)ってか? それを言っちゃあおしめえよ。

 主役のイザ・ミランダ(『輪舞』)は、公開当時、ディートリッヒにしきりと比較されたというのだが……。撮影は『無防備都市』のウバルド・アラタ。