Negative Space

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『The Wire ザ・ワイヤー』は本当に傑作か?(続き)

2014-08-06 | ドラマ
 シーズン1の3話まではきわめて退屈であった。つづく4話の実況見分の名場面(「Fuck, fuck,fuck…」――放送禁止用語ものともしないHBO)あたりからゲームの規則を理解できるようになり、味わい方がわかってくる。こせこせと「つかみ」に心を砕いたりしないのは余裕のあらわれなのか?

 アクションも恋愛もない。盗聴をめぐるサスペンスも一切ない。スーパーヒーローは出てこない。登場人物は類型。かれらの関係だけがかれらについて何ごとかを教える。一都市をひとつながりの複雑なネットワークとして描き出そうとするのがこのドラマの野心。台詞がよくわからんが、人物関係や各自のキャラが見えてくると、なんとなく展開についていけるようになる。もともと、リアリズムを信条とするこの英語を聞き取るのは骨が折れるようだ。

 シーズン1を通してみて、ドラマに敬意は抱くことができたが、禁欲的すぎて大いに疲れた。シーズン2に入ると、シーズン1の閉所恐怖症的な雰囲気(地下室、路地裏、団地、闇)とはうって変わり、海と港湾地帯の開けた眺めが気持ちを潤す。第一楽章とは対照的な楽調。シーズン1が昔の殺人事件の裁判から始まっていたのとは対照的に、シーズン2では視聴者の目の前で13人の美女の遺体が発見される。発見者の女性警官ベアトリスも、シーズン1のキーマ(レズビアンの黒人警官)と比べると、ずっとハリウッドふうのなじみやすいキャラ。シーズン1の黒人キャストの多さには圧倒されたが、シーズン2は白人メイン。2話のラストは暗黒映画ふうのバイオレンスシーン。わかりやすく、サービス精神旺盛。とはいえ、あくまで楽章ごとの個性を出そうというねらいであろう。

 シーズン1のチームは解散し、メンバーはほとんど左遷。ムショに入っているエイヴォン・バックスデイルは財力にものを言わせ、独房でケンタッキーを頬張ってごきげん。「超ウマ!」。懲りない。スキンヘッドだったディアンジェロはムショで髪が伸びていたが、世界の不幸を一身に背負っているかのようなメランコリックな童顔はあいかわらず。港湾警察の制服のジャンパー姿が滑稽なマクノルティ。ダナ・アンドリュース(ミニマリズム)にコーネル・ワイルド(野性味)まぜたような面相だが、シーズン1のあとのほうでキーマを矢面に立たせたことを涙ぐみながら詫びる臭い芝居からもわかるように、ドミニク・ウェストの演技はギャグとしてたのしむのが基本だろう。元いた部署の面会室でバンクと蟹むさぼる場面はわるくない。ロンダはマクノルティに不満。「あたしはあんたのなんなの?」一方、ダニエルズ夫婦の仲はますます冷えきっている。「今夜は冷えるわね」……「きみの言うことはいつでも正しいさ」。ロンダとダニエルズがこのあとくっつく展開になるらしい。主題歌がトム・ウェイツのヴァージョン(ワンコードで押し通す)に変わっていた。