Negative Space

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扉の陰の秘密:『兄とその妹』(1939年)

2014-08-21 | その他

 島津保次郎『兄とその妹』(1939年、松竹)


 まっくらな夜道を小走りに歩くコート姿の男の背中を追うトラッキングショット。男の正面からのショットに切り返す。男前の佐分利信。背後から響く足音をしきりに気にしている……。

 タイトルから『隣りの八重ちゃん』ふうのほのぼのホームドラマを予想して見始めると、なにやらサスペンスフルなアクションのさなかにいきなり投げ入れらて、驚く。

 街灯のある路地へ出ると、バタ屋のおじさんに出くわす。「遅くまでご苦労さんですな」「旦那こそ、最近はいつもお帰りが遅くて」。ドラム缶に張った氷を棒で割るような作業(?)をするバタ屋。なにをしているのかよくわからん。

 門口にたどりつき、慌ただしげに格子戸を叩く佐分利。中から妻らしき女性のシルエットが開けに出てくるのが見える。三宅邦子。ここからやっとタイトルどおりのホームドラマがはじまる。

 ……「空きっ腹だと夜中に寝られないからね」「もう夜中ですよ」「おっと二時過ぎだ」。とぼけた会話が心をなごませる。

 ……真っ暗なバックに、やかんにハタキをかける謎めいた映像が浮かび上がる。掃除の物音で目を覚ましつつある佐分利の夢らしい。『十月』の神々のシーンでも意識したのか? サイレント時代の尻尾がちらりと見えたような感じがして、なぜかそわそわしてしまう。

 佐分利の妹の桑野通子は、兄夫婦と同居している語学堪能なキャリアガール。いつもド派手な柄の毛皮のコートで出勤している。オフィスにはいつも上司の菅井一郎と二人だけ。ゴルフのスイングらしき派手な仕草ぎこちなく披露する菅井が愛おしい。

 そこをたびたび訪ねてくる取引先の若い男。横分け、メタルフレーム、仕立てのよさそうな三揃えにつるっとした面相。上原謙だと最後まで気づかんかった。このチャラ男、佐分利の上司で囲碁仲間でもある会社重役の甥なのだが、桑野にホの字に。重役から兄の佐分利に結婚の話が。

 桑野と兄夫婦はハイキングに出かける。桑野は高山植物に夢中。富士山を掌にのせた体でおどける桑野。「これも女学校時代に教わったのよ」。無邪気に面白がる佐分利。「妻にもやって笑わせてやろう」「もう私がやったわよ」「なんだ面白くない」。なごむ。佐分利は桑野に結婚話を切り出すが、断られる。桑野の言い分は、縁故を作ることで佐分利が職場で煙たがられるからというもの。これ以前にも、桑野は兄が重役と毎晩のように碁を指すことを媚を売っているといやがっていた。しかしそれはおそらく言い訳にすぎない。この辺から、桑野が男性恐怖症であり、兄に普通でない愛着を抱いていることが詮索好きな観客にはなんとなくわかってくる。キャリアガールという看板も男性恐怖の隠れ蓑である。というわけで、ふたたびほのぼのホームドラマのさなかに緊張が走る。とはいえ、大袈裟な言い方はすまい。兄妹の愛情は、ちょうど『晩春』の笠智衆と原節子父子を結びつけていたのと同じような愛着である。じっさい、笠智衆は佐分利のダンディーな元同僚の役で出演しているし、原は松林宗恵によるリメイク版で妻を演じている(わたしは見ていない)。本作では糟糠の妻を演じる三宅邦子の無駄にゴージャスな顔立ちが、純和風美人のキャリアガール桑野の童顔を際立たせていて効果的だったと思う。リメイクも洋風な顔立ちの妻というコンセプトを踏襲したのか? とはいえ、リメイク版の妹役は司葉子ですぜ。そういえば、前回取り上げた『青空娘』にも三宅邦子が出ていた。不倫して「不義の子」をもうけたあげく今は貧民街に住む母親という役どころだったが、疲れた地味な中年女の顔に残り香のように射すゴージャスな気品が彼女の役柄を厚みのあるものにしていたといえるだろう。

 閑話休題。で、その直後、佐分利は昇進を妬んだ同僚の陰謀に陥れられて、退職を余儀なくされる(職場の陰湿な風土は、一歩先に退職していた笠智衆によってすでにほのめかされている)。「またやめるのか」と笠。自分が立ち上げ、いまや満州方面に地盤を広げつつある小さな会社を手伝うことを佐分利に提案する。涙を流し感謝する佐分利。それまでほとんど筋らしい筋もなくのんびりした時間が流れていたのだが、ここからラストまでの急展開が唐突であっけにとられる。

 佐分利が退職したので、桑野の結婚への障害はなくなった。で、チャラい上原と結婚して、めでたしめでたしという結末になるのかと思ったら、ちがった。『晩春』みたいな展開にはならない。最後は佐分利一家が満州かどこかに移住するために飛行機に乗り込むところで終わっている。当然のごとく桑野もくっついて行くのだ。なんとも不思議な映画である。で、冒頭のサスペンスはいったい何だったのだろう?

 基本は『隣りの八重ちゃん』ふうののんびりしたホームドラマ。若夫婦の享受するモダンな風俗の描写をとりまぜながら(アイスクリーム etc.)どうでもいいような家庭の一コマ、家族のやりとり、しぐさを、ゆったりと引いたショットのなかでばか丁寧に見せる。こういうネオレアリズモふうの手法もじゅうぶんアヴァンギャルドだが、ほのぼのホームドラマのさなかに突然、不協和音が走る瞬間がある。このオフビート感がモダンだ。体裁よくまとめようというこせこせしたところがなく、柄のでかい映画である。

 窓越しに人物をとらえたショットが多い。