Negative Space

日本映画、文語文学、古代史劇映画、西部劇、フィルムノワール、hip-hopなど。

ミンクのコートに魅せられて:『魅せられて』(Caught)

2014-08-15 | マックス・オフュルス




 マックス・オフュルス『魅せられて』(1949年)


 モード雑誌のページがめくられていくオープニング。二人の若い女性がお目当ての品を交互に指差しては夢見がちな嬌声を発している……。

 ミンクのコートに憧れるビンボーモデルを演じるのはバーバラ・ベルゲデス(『ママの想い出』、『めまい』のミッチ)。基本ドリス・デイ・タイプのはつらつそばかすお姐さんだが、見事なブロンドに加えてやけに地味なルックスがわずかに『忘れじの面影』のジョーン・フォンテーンを思い出させる。

 かのじょはあこがれのミンクを手に入れる代償として愛のない結婚をし、暴君的な夫に虐待されるが、さいごには用なしになったそのミンクがうっちゃられてハッピーエンド(夫の子どもも都合よく流産する)。

 夫役のロバート・ライアンは、ピンボールマシンに張り付き、妻に触れることも、まともに妻の目を見ることもないオタク的富豪。『ヴェンデッタ』の監督を降板させたハワード・ヒューズへのあてつけであり(ライアンと見かけが似ている)、プレストン・スタージェスのキャラも反映されているらしいが、チャールズ・フォスター・ケーンか、あるいはギャツビーか、はたまた『風と共に散る』のロバート・スタックか、と既視感が何重にもまといつくキャラ。リメイクするならディカプリオ?

 金に目が眩んだベルゲデスもベルゲデスなら、自分の鼻っ柱をへし折った精神分析家へのあてつけだけから独身主義を捨て去るこの男もこの男。分析家を演じているのは『忘れじ……』の聾唖の執事役のアート・スミス。

 次回作『無謀な瞬間』を予告するようなノワールタッチのメロドラマ。じっさい、夫にネグレクトされるヒロインをジェームズ・メイスン演じる純心な男が救い出すという筋書きは、『無謀な瞬間』そのもの。

 一方、主人公がモデルなのは前作の『忘れじの面影』との共通点。髪型の変化が境遇の変化を表現しているところも同じだ。

 ライアンの太鼓持ちのシニカルなピアニストにも、『忘れじ……』のルイ・ジュールダンのキャラがいくぶん反映されているだろう。

 もともとはリュイス・マイルストンがジンジャー・ロジャースで撮る企画だったらしい。ジョン・ベリーが早々にリタイアし、オフュルスが引き継いだが、ぴりっとしない出来は、撮影当時かれが病み上がりだったせいもあるだろう。

 ベリーはリアリズムを重んじた映画にするつもりでいたが、オフュルスが恋愛ものにしてしまったと文句をたれている。チーフ助監督だったロバート・アルドリッチも、オフュルスをひそかに Max Awfulsと呼んで呪っていたらしい。

 製作のウォルフガング・ラインハルトはマックス・ラインハルトの息子。脚本のアーサー・ローレンツ(『ロープ』『追憶』のほか『ウェストサイド物語』の原作)。撮影リー・ガームズ(オフュルスの仕事ぶりに感嘆していたらしい)。編集にロバート・パリッシュ。

 当初フランスでは未公開だった本作をボリヴィアで見たジャン=リュック・ゴダールは、「アメリカ仕立てのマリアンヌ(Marianne made in USA)か、はたまたラミエルか。ようするにマリヴォー風味をまぶしたスタンダール」と、いつもながらの奇妙な褒め方をした。

 夫婦の諍いの発端になるホーム・ムーヴィーのシーンを『レベッカ』のホームムーヴィーのシーンと強引に結びつけ、この二本が「女を映像へと還元するという傾向が、女が映画を鑑賞している最中でさえ容赦ない力で働くものであるということを証明している」と吹聴しているフェミニスト批評家がいた。今どき流行らない説ですな(現にその本はとうに絶版)。このシーンが喧嘩の原因になるのは、たんにかかっている映画がおよそヒットしそうにない建設業のPR映像だったからだろう。


 本ブログではハリウッド時代のオフュルス作品4本のうち、これで3本取り上げたことになる。残りの『忘れじの面影』も取り上げちゃいますか?