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原発停止 地元67社「影響ない」 柏崎刈羽原発 本社調査/新潟日報

2015-12-15 16:48:30 | 放射能
「原発停止 地元67社「影響ない」
柏崎刈羽原発 本社調査

 東京電力柏崎刈羽原発が地域経済に与えた影響や貢献度を調べる目的で、新潟日報社は12日までに、地元企業100社を無作為抽出して聞き取り調査を行った。現在、柏崎刈羽原発は全7基が停止中だが、3分の2の企業が、全基停止による売り上げの減少について「ない」と回答し、経営面への影響を否定した。1号機が運転を始めてからことしで30年となったが、原発関連の仕事を定期的に受注したことがあると答えた地元企業は1割余りにとどまった。30年間で会社の業績や規模が「縮小」したとの回答が4割を超え、原発の存在が地元企業の成長にはつながっていない実態も鮮明になった。

 東電福島第1原発事故後、柏崎刈羽地域では、原発が約3年9カ月にわたって停止している。このため、経済界を中心に地域経済への影響が指摘されている。地域経済活性化への期待から原発の早期再稼働を求める声があるが、柏崎刈羽原発の再稼働が地域経済を大きく押し上げる原動力となるかどうかについては、疑問符が付く結果となった。

 調査によると、原発の長期停止によって売り上げが減少していると答えた社は33社で、減少はないとする社は67社に上った=グラフ(上)参照=。売り上げが減少したと回答した33社のうち、具体的な減少幅について1社が「5割」と答えた。次いで6社が「1~3割」とし、それ以外は「1割未満」「分からない」などだった。

 また、原発の再稼働をしてほしいかとの問いには、66社が「はい」と答え、「いいえ」が16社、「判断できない」「どちらでもいい」が合わせて18社だった。

 原発関連の仕事を定期的に受注したことがあるという社は14社、何回か受注したことがある社は20社で=グラフ(下)参照=、合計しても全体の3分の1にとどまった。

 1号機営業運転開始から30年間で、会社の業績や規模がどう変化したかとの問いには4割余りが「縮小した」と答え、「拡大した」を上回った。

 特に原発の恩恵で拡大したという企業は少なく、原発が地元企業の成長にほとんど結びついていない実態も浮かび上がった。

 調査は柏崎商工会議所の会員などを対象に10~11月に実施。柏崎刈羽原発1号機が営業運転を始めた1985年以前に創業した企業を対象に、柏崎市の産業別就労人口(2010年国勢調査)の割合に応じて産業別にコンピューターで無作為抽出した。

    ◇    ◇

 柏崎刈羽原発の再稼働に向けた国の審査が進んでいます。2016年3月11日で東電福島第1原発事故から5年となるのを前に、原発をめぐる課題をあらためて多角的に検証し、県民とともに原発の必要性を考えていきます。


◎経済効果の検証必要

 柏崎刈羽地域の地元企業100社調査では、原発が地元企業に及ぼす経済効果は限定的であることが浮き彫りになった。東京電力福島第1原発事故後の原発再稼働論議では、九州電力川内原発など各地で、「長期停止で地域経済が疲弊している」という説が自明の前提のように語られてきた。そうした説は具体的な根拠に基づかない“神話”だったと捉えることができる。

 柏崎刈羽地域が原発を誘致したのは、地域経済活性化への期待だった。6月、柏崎商工会議所が中心となり、柏崎市議会に提出した早期再稼働を求める請願は「運転停止による負の影響が市内全業種に及んでいる」と強調されていた。

 ただ、原発が地元企業の経営にどの程度影響しているのかという調査事例は少なく、原発立地地域では、原発と地域経済は密接な関係にあると考えられてきた。しかし、今回の調査では立地地域でも、経営上、原発関連の仕事に大きく依存する企業は少ないという結果が出た。

 柏崎刈羽原発6、7号機は、再稼働の前提となる原子力規制委員会の審査が終盤に入っており、来年は再稼働論議が本格化するとみられる。原発は地域経済の発展に貢献するのか。そもそも原発は必要なのか。今後、これらを議論するためには、冷静かつ正確な現状把握と、事実の客観的な分析から始める必要がある。

【社会】 2015/12/14 09:20」

http://www.niigata-nippo.co.jp/news/national/20151214223220.html

自由貿易の幻影/ル・モンド・ディプロマティークより TPPが用意する未来

2015-12-15 14:07:31 | 国際
「自由貿易の幻影


ロリ・M・ウォラック(Lori M. Wallach)
パブリック・シチズン‐グローバル・トレード・ウォッチ代表(ワシントンDC)



訳:山中達也

« 原文 »


 メキシコ、米国、カナダの間で締結された北米自由貿易協定(NAFTA)は膨大な約束事とともに1994年1月1日に発効された。NAFTAの主唱者たちは同協定が貿易を拡大し、それが成長を後押しし、雇用が創出されることで不法移民も減少するだろうと繰り返し主張してきた。こうしたなかワシントンポスト紙(1993年9月14日付)は、NAFTAがもたらすという「新たな機会と利益の数々」に感嘆の声をあげた。またウォール·ストリート·ジャーナル紙(1992年8月7日付)は、「幅広い製品の価格低下」が消費者利益につながるという理念を賛美した。ロサンゼルス·タイムズ紙(1993年5月29日付)に至っては、「NAFTAはそれによって奪われる雇用よりもはるかに多くの雇用を創出するだろう」と断言したのである。

 人々の不安を和らげるようなこうしたコメントはNAFTAが新しい種類の貿易協定であることと関係があった。NAFTAにはこれまでの貿易協定にみられたような関税の削減や輸入割当量の引き上げ以外に、規格の平準化や外国人投資家のための非常に保護主義的な諸政策が含まれていたのだ。さらに同協定は一企業が政府を裁判所に提訴し、国家政策に直接抗議することを認めようとしていた。これらは現在、環大西洋自由貿易圏(GMT)[環大西洋貿易投資パートナーシップ(TTIP)]プロジェクトにおいても見受けられる条項である(1)。われわれはNAFTAが歩んだ20年間を概括することで、その理想と現実の間の隔たりについて判断することができるだろう。自由貿易の福音伝道者らを信用してはならないのだ。

 1993年、ピーターソン国際経済研究所のゲイリー・C・ハフバウアーとジェフリー・J・ショットは、NAFTAによって米国の対メキシコ・カナダ貿易が拡大し、1995年末までに17万人の雇用が創出されると説明していた(2)。ところがこのセンセーショナルな発言から2年も経たないうちに、ハフバウアーは、NAFTAが雇用に及ぼす影響は「ゼロに近い」ことを認め、こう言い放った。「私が学んだことは予測を行う際には十分用心しなければならないということだ」(3)。ハフバウアーによる告白とは裏腹に、ピーターソン国際経済研究所は今後も環大西洋自由貿易圏に対して楽観的な予測を繰り返すであろう……。

 NAFTAは米国企業に新たな輸出市場を提供し、雇用を支えただけではない。労賃の低いメキシコを筆頭に海外子会社の設立が急増し、産業の国外移転を促進したのである。農業部門では多くの米国食品加工会社が南へ進出した。これらの米国企業はNAFTAによって引き下げられた衛生・環境基準のおかげでメキシコの低賃金労働を利用することができたのだ。実際に1994年以前は、メキシコで加工された食料品は危険だとして米国への輸入が禁止されていた。当時メキシコから北への製品輸出が許可されていたのはたった1つの牛肉加工工場のみだった。それから20年が経過した現在、メキシコおよびカナダ産牛肉の輸入量は133%増加し、数千人におよぶ米国の畜産農家を破産に追いやったのである(4)。

 メキシコとカナダに対する米国の貿易赤字は拡大しつづけ、1993年には270億ドルに過ぎなかったものが、2013年には1770億ドルまで達した(5)。米国の経済政策研究所の試算によれば、対メキシコ貿易赤字の拡大によって1994年から2010年の間に米国では70万人の雇用が失われたという(6)。さらに米国では、カナダとメキシコへの生産移転と両国からの輸入増大によって職を失った84万5000人にのぼる労働者たちが「貿易調整支援」として手当を受け取っているのだ(2013年)(7)。

 NAFTAは米国内の雇用の数を減少させただけでなく、その質にも影響を及ぼした。製造業部門において解雇された人々は、より低賃金で不安定な条件のもと既に飽和状態のサービス産業(ホテル、メンテナンス、レストランなど)へと向かったが、こうした新しい労働者の流入が賃金の低下圧力となっている。労働統計局によれば、2012年には経済的理由によって解雇された労働者の3分の2が前職よりも低賃金の仕事を受け入れなければならなかった。そしてそのうちの半数は賃金が20%以上も減少したのである。2014年の米国の労働者の平均年収は4万7000ドルだったので、約1万ドルの収入を失った計算になる。これが米国で労働生産性が増大したにもかかわらず賃金の中央値が20年間停滞している理由のひとつだ。

 NAFTA推進者の一部は、1993年の時点で雇用の破壊と賃金低下といった現象を予測していたが、かれらはその後、米国の労働者は同協定によって安価な輸入品を購入することが可能となり購買力が上昇するので利益を確保することができる、と主張したのである。しかし輸入の増加は必ずしも価格の低下につながらなかった。例えば米国では1994年から2014年の間にメキシコとカナダからの食料品輸入が3倍に増加したにもかかわらず、食料品の名目価格は67%上昇した(8)。価格が低下した生産物もあることにはあったが、資格をもたない数百万の労働者たちの実質賃金は12.2%も減少しており、かれらが被った損失を埋め合わせるには至らなかった(9)。

 だがNAFTAによって被害を受けたのはアメリカの労働者だけではない。同協定はメキシコにも悲惨な結果をもたらしたのである。何の障壁もなしに輸出することが認められたためメキシコ市場は、集約農場で栽培した補助金漬けの米国産トウモロコシで溢れかえった。これにより農産物価格の低下が引き起こされ、メキシコ農村地域の経済は不安定化した。農村を追われた何百万人ものカンペシノ(農民)は、低賃金労働しか望めないマキラドーラ(10)へ移住するか、国境を越え、米国に定住しようと試みた。そして農村からの人口流出はメキシコの都市部において麻薬戦争の拡大につながるさまざまな社会問題を悪化させたのである。

 メキシコのサリナス大統領によればNAFTAはその発効とともに、北へ向かう移民の流れを減少させるはずだった。1993年に「メキシコは国民の輸出よりも製品の輸出を好む」と宣言し、メキシコの隣人たる米国には「メキシコのトマトを輸入するか米国内でトマトを栽培するメキシコ人移民を受け入れるか」の選択肢があるとしていた。1993年に米国へ流入したメキシコ人移民は37万人だったが、2000年には77万人におよぶメキシコ人が移住したのである。また1993年の時点で米国に住むメキシコ人移民のうち480万人が不法滞在者であったが、2012年にはその数は1170万人にまで増加している……。

 このような大規模な人口流出は、とりわけ生活必需品価格の急騰によって説明される。2000年代半ば、米国でバイオエタノール生産のためのトウモロコシ使用量が増加したためメキシコ国内においても食料価格の高騰が引き起こされたのだ。これがメキシコに米国産食料品への依存という重大な結果をもたらしたのである。

 メキシコでは主食のトルティーヤの価格が1994年から2004年の間に279%上昇した(11)。またNAFTAの発効から20年間でメキシコの生活必需品価格は7倍に増加したが、最低賃金の上昇は4倍にとどまった。同協定はメキシコに繁栄をもたらすとされていたが、今も国民の50%以上が貧困ライン以下の生活を余儀なくされている。1994年から2014年の間、メキシコの1人当たり国内総生産(GDP)はわずか24%しか増えていない。一方で1960年から1980年の20年間には102%(年間3.6%)も成長していたのである。もしメキシコがこの成長率を維持していたならば、国民の生活水準はヨーロッパ諸国のレベルまで近づいていたことであろう……。

 もはや耳あたりのよい約束の数々は消え去った。しかしNAFTAの失敗を総括し、より公正な経済統合モデルを構築するためにはその方が良い。米国ではオバマ大統領自身、NAFTAが抱える多くの欠陥を認めてきた。その上でオバマは未来の自由貿易協定に向けて「問題を解決」すると豪語しているのだが、環大西洋自由貿易圏の交渉担当者たちはこれらの失敗から学ぶどころか同じ過ちを繰り返そうとしているのだ。



(1) « Le traité transatlantique, un typhon qui menace les Européens », Le Monde diplomatique, novembre 2013. 参照。
(2) Gary C. Hufbauer et Jeffrey J. Schott, Nafta : An Assessment, Peterson Institute for International Economics, Washington, DC, 1993.
(3) The Wall Street Journal, New York, 17 avril 1995.
(4) « Interactive tariff and trade dataweb », United States International Trade Commission.
(5) 同上。
(6) Solde entre les emplois créés et les emplois perdus. Robert E. Scott, « Heading South : US-Mexico trade and job displacement after Nafta », Economic Policy Institute, Briefing Paper 308, mai 2011.
(7) Public Citizen, « Trade adjustment assistance database », 2013.
(8) Bureau of Labor Statistics, « Consumer price index database », ministère du travail des Etats-Unis.
(9) « Wage statistics for 2012 », Social Security Administration, février 2014.
(10) メキシコの米国国境地帯に位置し、外国資本に開かれた輸出向け製品の組立加工工場・保税制度のこと。
(11) Anne Vigna, « Le jour où le Mexique fut privé de tortillas », Le Monde diplomatique, mars 2008. 参照。
(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2015年6月号)

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12月14日(月)のつぶやき

2015-12-15 03:39:07 | EU

イギリスは「テロとの百年戦争」の最中にある ロンドンは、ずっと過激派の標的だった | ヨーロッパ - 東洋経済オンライン ln.is/toyokeizai.net… @Toyokeizaiさんから