白夜の炎

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アジアにEUが必要だ/エコノミストの記事

2012-10-26 19:33:53 | アジア
「欧州連合(EU)にノーベル平和賞を授与する決定は、無理からぬ浮かれ騒ぎを引き起こした。少なくともノーベル賞委員会は欧州に経済学賞を授与することは控えたと言ったコメディアンは1人ではない。

 それでも、過去の戦争からの緊張が依然くすぶるアジアでは、一体どの機関がEUのような役割を果たしてきたのか問うてみる価値はあるだろう。1つもない、というのがその答えだ。

アジアにEUのような機構が存在しない理由

 アジアには重複した組織が多すぎるほど存在する。しかし、欧州よりもはるかに複雑で、多様なうえに人口が多いこの地域にあって、北大西洋条約機構(NATO)はおろか、多少なりともEUと同じ役割を果たせるだけの幅広さや奥行きを持った組織は1つもない。

 制度機構のギャップには十分な理由がある。まず、アジアは欧州が考え出した言葉のような1つの地域ではない。ヘロドトス以来、アジアという言葉は漠然と欧州の東方を指すために使われてきた。

 第2に、1945年以降の大半の期間において、アジアはイデオロギーが異なる陣営に分かれて凍りついていた。敗北した日本は米国の従属国となり、冷戦で分裂した世界の一方の側にいた。共産主義の中国はもう一方の側に属した。

 アジアのドイツとフランスに相当する日中両国が異なるブロックに分かれることになり、欧州統合のような事業が成功する見込みは全くなかったのだ。

 実効性のあるアジアの地域機構はいくつか形成されてきた。過小評価されている東南アジア諸国連合(ASEAN)は、東南アジア10カ国の協力を育むうえで大きな役割を果たした。だが、ASEANには中国も日本も含まれない。アジア太平洋経済協力会議(APEC)は参加国・地域がずっと多いが、あくまで経済に限った集まりで、外交組織を装うこともない。

空白を埋めてきたパックス・アメリカーナ

 これまで空白を埋めてきたのはパックス・アメリカーナだった。ベトナム戦争への米国の関与――米国は秘密の空爆作戦でカンボジアとラオスまで手を広げた――は、米国が常に平和を保証してきたという露骨な主張を損ねる。

 それでも過去数十年間にわたり、米海軍のプレゼンスは、多くのアジア諸国が自国の驚異的な経済成長を描くことのできる安定した背景を提供してきた。

 ところが中国が台頭するに従って、アジアの制度上の弱点が明白になった。日本が尖閣諸島と呼び、中国が釣魚島と呼ぶ無人島を巡る日中間の論争を見るといい。古い国家主義の再燃に対処する仕組みが存在しないため、日中は2国間でとことん戦うしかなくなっている。

 中国の街頭では反日デモが勃発し、海上では何度か潜在的に危険な小競り合いが発生している。両国の国家主義者たちは戦争を求めている。

中国政府のジレンマ

 新たな力学は中国政府にジレンマを突きつけている。中国は強大になるにつれ、世界が「国際法」と呼ぶものに従うべきなのか? それともインドの随筆家パンカジ・ミシュラ氏が述べたように、「他人の世界秩序のステークホルダー(利害関係者)になることを拒む」ことが正当化されるのだろうか?

 実際には、中国政府は概して、多国間の対話よりも2国間の対話を好んできた。1つの選択肢は、中南米諸国に対する欧州の干渉拒否を宣言したモンロー・ドクトリンの中国版を出すことだ。ミシュラ氏は、米国と異なり中国には改宗を迫る衝動がないと主張する。中国はこれまで他国に儒教や共産主義を強要しようとしたことはない。

 しかし、中国の近隣諸国は中国政府の善意を信用しないだろう。ベトナム、フィリピン、日本、インドは皆、中国の台頭に対応して米国に接近してきた。米国政府は海軍の兵力の6割を太平洋地域に配置すると約束している。それでも年を追うごとに、パックス・アメリカーナは維持が困難になっていくだろう。

 では、一体何がパックス・アメリカーナに取って代われるのだろうか?

 オーストラリア前首相のケビン・ラッド氏は最近シンガポールで行った講演で、同氏が「パックス・パシフィカ」と呼ぶアジアの制度を提唱した。その中核的な目的は、地域の不安定化を回避し、米中間の戦争を防ぐことだ。

オーストラリア前首相が唱える「パックス・パシフィカ」

 まずは、米国政府が中国の台頭の正当性を認め、中国政府が地域における米国の継続的なプレゼンスを認めることが起点となる。この制度が単なる米中による地域分割にならないようにするうえでは、ASEAN諸国が中心的な役割を担う。

 ラッド氏は、領有権を巡る論争は凍結すべきであり、各国は争点となっている資源の共同開発を模索すべきだと言う。各国の軍の間に新たなホットラインと協定を設ければ、海洋での衝突がエスカレートする事態を防ぐことができる。軍は、犯罪と戦い自然災害に対処する共同作戦を通じて、互いに協力することを学べるだろう。

 これは、どこからともなく出てきた空虚なアイデアではない。米国は昨年、東アジアサミットに参加した。東アジアサミットは参加国が多い比較的新しい組織で、極めて重要なことに安全保障を担う。これで初めて、中国、米国、日本、インド、ASEAN諸国、さらにはロシアをも含む主要な役者が皆、大胆な野心を抱く大規模な地域機構に参加することになったわけだ。

 ラッド氏は、これが発展して「アジア安全保障協力機構」のような名前の機構になるのではないかと期待している。

枠組み創設に対する中国の反応は?

 結論を出すにはまだまだ時期尚早だ。重要になるのは、アジアの制度的枠組みを創設しようとする試みに対する中国政府の反応だ。

 中国は、少なくとも理論上は中国の台頭に応じて地域の秩序を再構築する必要性を認識した構想を支持する可能性がある。その一方で、パックス・パシフィカは単に変装したパックス・アメリカーナにすぎず、別名「封じ込め」だと結論づける可能性もある。

 1つ、分かっていることがある。空白は危険だということだ。アジアには、ノーベル平和賞に相応しい制度機構が必要だ。

By David Pilling
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http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/36396

 結局鳩山が正しかったのではないか。私はそう思います。

生活が第一結党パーティ/田中龍作ブログより

2012-10-26 18:54:59 | 政治
「 マスコミが意図的に小さく扱う「国民の生活が第一」の結党パーティーが25日夜、都内のホテルで開かれた。

 「おばんでございます」。開会に先立ち、三保恵一・福島県二本松市長が挨拶した。「二本松市には浪江町から役場ごと3千名が避難して来ていて、先の見えない避難生活を送っている。対応が遅々として進まない。脱原発を進めていかなくてはならない」と語った。

 福島からはこのほか、JA代表や幼い子供を持つ郡山市の主婦などが登壇し口々に「原発事故で苦しんでいるのに消費税を上げるのか」「安心して子育てができる生活が欲しい」と訴えた。

 「消費税増税」、「TPP締結」、「原発再稼働」に突き進む民主党にあいそをつかした議員たちが離党し、結成したのが「国民の生活が第一」だ。当然、「増税反対」「TPP反対」「原発ゼロ」が政策の三本柱となる。

 小沢一郎代表は次のようにスピーチした――

 「原点に戻る。新党としての具体的な政策を論議しています。当面、国民にアピールしなくてはいけないことは消費税大増税を何としても凍結、廃止しなければならないのが第一点であります。もう一つは、国民の生活に大きなダメージを与えた原発をゼロ、脱原発を実現しようということです…(中略)…本当に子子孫孫、将来安心して暮らせる日本にするために政策を実行しなければならない…(後略)」


ニューオータニの大広間は4千人の参加者(主催者発表)で埋まり、立錐の余地もなかった。=写真:田中撮影=

 評論家の勝谷誠彦氏が登壇し、新党「生活」登場の背景をスパイシーに語った――

 「数日前から復興予算がどんなひどい使われ方をしているか(新聞に)出ています。あんな奴ら(官僚を指す)に皆さんの消費税を任せることができますか。私が尊敬する学者がこう言っていた。『原発に賛成している産業界。自分たちはマケて(安くして)もらえるから増税に賛成している大マスコミ。こいつらは恐竜みたいなものだ』。恐竜が滅びた後出てくるのは、小さくても賢い皆さんのような一人ひとりの哺乳類だ…」

 パーティーには原発に反対し子供を守る活動を続けている福島の女性6人が参加した。福島市在住の佐藤幸子さんは、「生活」に所属する国会議員一人ひとりと名刺交換し「原発を止めて下さい」と“陳情”した。

 パーティーに参加した理由を佐藤さんに聞いた。「子供を守るためにあらゆることをする。きょうは国会議員に訴えに来た」。

 「『生活』を選んだ理由は?」

 「民主党は私たちを今苦しめている。自民党は論外。本気かどうかは分からないけど、『生活』は明確に脱原発を掲げているから」。

 「生活」の「脱原発」は選挙目当てだとの指摘もある。それでも原発が止まり、無駄な消費税は払わなくても済む。庶民が病院にかかれなくなる可能性が高いTPPなんぞに加盟せずに済む……であれば支持したくなるのが民の心情ではないだろうか。

《文・田中龍作》」

http://tanakaryusaku.jp/

橋下・維新の会の地元で起こっていること/内田樹のHPより

2012-10-26 18:39:23 | 政治
「012.10.24
人々が「立ち去る」職場について

大阪府教委は23日、来春採用の府内の公立学校教員採用試験で、平均倍率が4倍で史上2番目の低さだったと発表した。
中学理科では倍率が2倍を切り、府教委は「水準に達する人材が確保できなかった」と異例の追加募集を行う。
大阪維新の会の主導で厳しい教員評価などが盛り込まれた条例の施行後、初の採用試験。大阪府では橋下前知事時代から給与カットが続き、小中学校教員の平均基本給が全国平均より月約2万8千円低いことも響いた可能性がある。(朝日新聞、10月24日)
記事によると、中学理科の倍率は大阪が1.9倍、京都は3.85倍、兵庫は3.1倍。東京は(中高共通枠なので単純に比較はできないが)5.44倍。
条例施行によって、大阪府の教員応募者が激減することは当然予測されていたはずである。
絶えざる査定と格付け圧力にさらされ、保護者からのクレームに対して行政は原則として「保護者の側に立つ」と公言している就業環境である。
このような事態になることは高い確率で予想されていたはずである。
雇用条件が全国平均よりはるか低いレベルにまで引き下げられ、首長や議会や教委がきびしく教育活動を監視し、保護者たちが教員にクレームをつけることそのものを制度化し、産業界が要求する「グローバル人材」の効率的な育成をうるさく求められるような職場環境に進んで就職したがる若者がいるだろうか。
ふつうに考えればわかるはずである。
維新の会の橋下代表は府知事時代から、反撃するだけの力のない「敵」を選び出しては、そこに攻撃を集中させるという手法で、「既得権益を享受している層を叩き潰す」風景に溜飲を下げる選挙民たちのポピュラリティを獲得してきた。
短期的には愉快なスペクタクルだったかも知れない。
だが、そのようにして叩き潰されたセクターの中には「士気が高く、使命感のある人たちが安定的に供給されなければ、システムそのものが停滞する」ものも含まれていた。
教員もそのようなセクターの一つである。
そこに人が来なくなった。
維新の会が教育行政を統括している限り、この流れは止らないだろう。
能力の高い教員志願者たちは、大阪よりはるかに条件のよい就職先を探して、近県に散らばるはずである。
わざわざ監視や恫喝や罵倒が制度化された職場を選ばなければならない理由は誰にもないからだ。
府教委が率直にカミングアウトしているように、今年の志願者には「水準に達しなかった」ものが例年よりも多く含まれていた。
来年以降この傾向が回復するということはあるまい。
あるいは「異常に低い倍率で教員試験に合格できる大阪府は今が狙い目だ(それに府知事や市長がいずれ代れば、こんな条例は廃止されて教員の待遇はふたたび好転するはずだ)」というようなクールな計算をする若者たちが集まってくるのかも知れない。
だが、彼らにしても維新の会の教育行政方針に賛同したわけではない。
むしろ「こんな非常識な条例がいつまでも保つはずがない」という条例の短命についての見通しによって進路を選択するのである。
同じような「立ち去り型サボタージュ」は維新の会がこれまで攻撃の標的にしたすべてのセクターで起きる可能性がある。
職員基本条例によって政治活動を規制され、組合活動を抑圧された府市の職員たちが、これまで以上に高い士気と創発性を発揮するだろうという見通しに私は与しない。
「公務員は勝手にさせると、仕事をさぼり、不当に利得をむさぼる」という公務員観に一面の真理があることを私は認める。
だが、それを前面に掲げて、公務員を監視と査定の対象にした場合に、組織のパフォーマンスが向上するということはありえない。
人間には「好きにやっていいよ」と言われると「果てしなく手を抜く」アンダーアチーブタイプと、「やりたいことを寝食を忘れてやる」オーバーアチーブタイプに二分される。
このどちらかだけを作り出すということはできない。
そして、ブリリアントな成功を収めた組織というのは、例外なく「『好きにやっていいよ』と言われたので、つい寝食を忘れて働いてしまった人たち」のもたらした利益が、「手を抜いた」人たちのもたらした損失を超えた組織である。
「手を抜く人間」の摘発と処罰に熱中する組織はそれと同時にオーバーアチーブする人間を排除してしまう。
必ずそうなる。
「手を抜く人間」を際立たせるためには「全員を規格化する」以外に手立てがないからである。
だが、それが成功した場合でも、達成されるのはせいぜい全員が定時に来て定時に帰り、労働契約通りの仕事しかしない組織が出来上がるというだけのことである。
そのような組織が高いパフォーマンスを達成し、創造的な事業を始めるということは原理的にありえない。
維新の会はこれまでそのようにして「現場の自由裁量を許すことによってのみ発揮される潜在的な組織の力」を潰してきた。
みごとな手腕だったと思う。
だが、壊すだけ壊しただけで、「新しいもの」はまだ何も生まれていない。
これから生まれるかどうかについても私は懐疑的である。」

http://blog.tatsuru.com/

薄煕来続報/刑事訴追へ

2012-10-26 15:28:49 | アジア
「(CNN) 中国の全国人民代表大会(全人代)常務委員会は、重慶市トップを解任された薄熙来(ポーシーライ)氏の全人代代表の資格取り消しを発表した。国営新華社通信が26日に伝えた。これで薄氏は最後まで残っていた公職を失ったことになり、刑事訴追の条件が整った。

中国では第18回共産党大会が11月に開幕し、10年ぶりに交代する新指導部の顔触れが明らかになる。
これに先立ち薄氏は9月に共産党の党籍を剥奪されていた。

薄氏はかつて、中国共産党の最高指導部である政治局常務委員の有力候補と見られていたが、英国人実業家が殺害された事件に関連して「重大な過ちを犯した」として4月に重慶市のトップを解任され、失脚。収賄や職権乱用、女性との不適切な交際などが報じられていた。」

http://www.cnn.co.jp/world/35023625.html

同様の記事→BBC http://www.bbc.co.uk/news/world-asia-china-20091588

 薄煕来が不満を持つ民衆をあおって自らの権力基盤にしたのが事実だとしたら、それは橋下や石原慎太郎に似ているのかもしれない。

 橋下や石原も日本社会の不満につけ込み、ネット右翼など、何の根拠もなく在日韓国・朝鮮人や中国への反感だけで動く思慮のない人たちの気分を利用し、時には右翼や被差別の問題を自分に有利な側面だけ利用する。

 無思慮無分別な大手メディアは大した批判精神もなく、その発言や動向を-政局なる観点から-追いかけ、いつの間にか日本政治の一大事に仕立て上げる。

 中国の薄煕来はおそらく自分が権力の中枢には入れないと知っていたため、あのように一般受けする「運動」を作り出したのだろう。

 しかし党中央の幹部たちは、それが広範な中国版のネット―この場合は左翼か-左翼や、その他もろもろの不満に火をつけた場合、事態が統制不能になることを懸念したのだろう。

 その判断が正しいのか、あるいは行き過ぎた対応だったのかを分からない。

 個人的には、この判断は少し杞憂にすぎる。あるいはそれにかこつけた政治決断だったのではないかと考えている。

 なぜなら、経済がなんだかんだと言っても大きく成長し、人々が未来を描ける今の社会に、それを根底から覆そうとする政治勢力が台頭するとは考えにくいからだ。

 これに対して日本の側は、本当に先行きが見えない中で、教育レベルが低く思慮のない不安定な社会層が拡大しており、政治権力に対する批判的観点をほとんど持たない日本のメディアが自体をきちんと批判できない中(http://blog.goo.ne.jp/baileng/e/ef7f0aa7c53bf03da6409aadd8d55f9e)、ネトウヨレベルの政治になりかねないと危惧される。


 なお多維新聞によると、薄煕来は正式に秦城監獄に移送されたとのこと。→http://china.dwnews.com/big5/news/2012-10-25/58926177.htmlhttp://china.dwnews.com/big5/news/2012-10-25/58926177.html

 写真は秦城監獄。