白夜の炎

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小沢の発言・自民党時代の原発依存への反省/田中龍作氏から転載

2012-10-30 17:48:09 | 原発
「 「国民の生活が第一」の小沢一郎代表は今夕の定例記者会見で、筆者の質問に「(自民党時代に)原発に依存してしまったことを反省する」と述べた。

 政治家が国の根幹をなし、しかも自らが関わった政策について自己批判するのは極めて稀だ。

 小沢代表は25日、都内のホテルで開かれた結党パーティーの挨拶で、福島原発事故について触れ、「自然エネルギーへの取り組みが遅れたことを反省しなければならない」と述べていた。

 小沢氏は原発を推進した自民党で長く要職を務めた。このことを含めた反省なのか?筆者は小沢代表に質問した。小沢氏は「(原発の危険性が)認識としてあった。だが結果として依存してしまったことを反省しなければならない。今後しっかりやってゆく」と答えた。

 小沢氏は福島の事故が起きる前から「原発は過渡期のエネルギー」と話していた。2011年1月(事故の2ヵ月前)、フリー記者と赤坂の居酒屋(割り勘)で論議した時のことだ。理由として「核廃棄物の捨て場がない」ことを挙げていた。

 「僕はねえ、科学技術庁(文科省の前身)の政務次官(1975年~76年)をやった時に原発のことを調べたんだけど、こりゃ問題だと思ったね」。熱燗をちびりちびりとやりながら首を傾げて話していた小沢氏を思いだす。繰り返すが「3・11」の前である。

 小沢氏は自民党時代、東電の平岩外四会長(当時)と親交があったことが指摘されている。だが、過去の失政に口をつぐむ政治家ばかりのなか、失政を反省し、脱原発を政策の柱に掲げたことは評価できる。

 この日の記者会見では「大地(鈴木宗男代表)」が北海道8区で擁立する候補は小沢氏の関係者であることも明らかになった。北海道8区は、建設工事再開が決まった大間原発の対岸にあたる函館市、北斗市から成る。脱原発を政策の柱に掲げる「生活」の選挙戦が早くもスタートしたようだ。


小沢氏はフリー記者らと割り勘で飲みながら、原発の危険性をしみじみと語った。=2011年1月、赤坂。写真:田中撮影=

 小沢代表は今国会で内閣不信任案が出れば同調する方針であることも明らかにした。クラブ詰記者の質問に答えたもので、小沢氏は次のように述べた――

 「3年前の選挙で掲げた政策・理念とは今の民主党はあまりも違い過ぎており、国民の支持を失っている。国民に約束したことをやろうという真摯な態度で政治を行っていれば、このような支持離れは起きなかった。私どもは前の国会でも不信任案を出している。今、不信任案を否定する状況にはなっていない」。

 民主党からは、きょうまた2人が離党した。あと6人離党すれば、過半数を割り込む。離党予備軍は10人前後いるものと見られている。不信任案が提出されれば、成立する可能性があるのだ。

 野田政権はどっぷりと危険水域に浸っているのだが、新聞・テレビの論調からは「不信任案」可決の現実味が伝わってこない。ある新聞は、「選挙に向けた準備が整っていない『生活(衆院37議席)』が、不信任案に同調しないものとみられる」と“迷分析”している。

 記者クラブメディアは、次期政権が「自民・民主・公明の連立」となることを望んでいるのである。談合できるからだ。「生活」を意図的に小さく扱うのは、もし「生活」が核となった政権ができれば、「政・官・マスコミ」による利権のトライアングルが崩れるからだろう。」

http://blogos.com/article/49272/

北京駐在の日本の記者は・・・/ふるまいよしこさんのブログから

2012-10-30 17:33:17 | アジア
 どうもふるまいさんのブログを読んでみると、日本の記者は中国人の世界とかけ離れた空気を吸いながら、本国のデスクだけを念頭に記事を書いている様子。

 これではねぇ~。


「2012年10月19日

日本メディアの駐在記者たちを見ていて思うこと:昨日のツイートから

北京に駐在する日本の記者さんを見ていて、ものすごくもったいなぁと思うのは移動は社用車かタクシー、特に取材がなければ夜も仲間の記者たちとだべったり、昼もアポがなければ勤務中だからとオフィスにこもったり。忙しいのも理由かもしれないけど、日本で日本の記者するのとは違うんだけど。

もちろん、中にはアポに行くのも自転車だったり、日本からの趣味が高じて「バス夫」になっておられる方もいるけど、基本的に記事で「消費者物価が云々で、豚肉価格が…」 とか中国報道を翻訳して引用している記者さんのうち、どれだけの人が日頃、街で豚肉買ったことがあるのか。たぶん、日本でも買ったことない人いると思う。

あたしの印象では、日本の記者さんたちはとにかく真面目。堅物。そんな人じゃないとたぶん、今の日本のメディア企業ではやっていけないんだろうな、と想像はするけど、それにしても堅物過ぎて、中国人のちゃらんぽらんな(と日本人には映る)、でも流動的な生き方を、その堅物さでどうやって理解できるのかな、と。

もっと中国の庶民の生活を真似したり、覗きに行ったりしてもいいと思う。そうでなければここの人たちの生活の本当の「水準」はわからないし、いざ、ということが起こったときには現地感覚での 「違和感」すらも湧いてこない。

たとえば、反日デモのときに日本メディアは一斉に「指導部間の対立」に傾いたけど、中国メディア関係者はみんなクビをかしげてた。その理由が「(限られた情報で判断する)日本的」には条件にハマってるけど、それを中国人に投げてみると「(生活感で判断する)中国的」に「なんでそうなるのー?」感。一部にはそういう日本側の報道を、「中国に責任をなすりつける態度」と読んだ人も。

日本に向けて報道するんだから、日本人的センスを維持し続けるのは当然だけど、もっと現地にも触れて、現地の感覚も知ってほしい。

実のところ、基本的に日本人記者さんは忙しい。現地情報のみならず、日本で起こっている中国がらみの話題(でも現地では全然話題もネタにもなってない)とか、他社他紙他誌の報道を読んだ日本側からの裏付け追跡取材要求、そして現地の日本企業や日本人社会(メディア関係者は一般企業の駐在員さんからは「特殊な立場」と見られて、ある意味持ち上げられている)、さらには同業他社とのお付き合い。あと、日本からやってきた人のご接待やお相手。

でも今はだいたいもう携帯とメールでどこでもつながるんだし、いやもっと言えば携帯でメールも原稿もニュースも読める。だったら、町中歩きながら本社からの連絡を受けてもいいはずだし、北京の街はあちこちにWiFiあるから、そんなコーヒーショップに駆け込んで原稿書きながら隣のビジネスマンの商談に聞き耳立てたり。

「それがなんになるの?」と言われれば、今日の原稿にはならないかもしれない。でも、ここに生まれ育ったわけではない日本人が、ここの日常のリズムとかを知るには、やっぱりバスに乗ったり、ラッシュにもみくちゃになったり、スタバでだべったり、市場でおばちゃんたちの阿鼻叫喚を聞いたりして、努力しながら自分で嗅ぎ取るしかないものがあると思う。

あたしなんか、ラッシュ時のバス席に座っていて頭上で交わされたOLたちの「お昼ごはん話題」を耳にして、「外資とかそれほど美味しい仕事しているわけではない、大卒OLはとにかく『安い』という理由でインスタントラーメンを大量に買い込んで、オフィスの電子レンジで温めて食べている」という事実を知った。ランチタイムに財布を握って西洋人たちと同じレストランで食べている人だけ見てたら分からないと思う。これって、CBDと言われる繁華街のオフィスに勤める人々の生活観念を知る意味でとても重要な例になった(と同時に、彼女たちの健康が気になっている)。

だから、やっぱり中国で豚肉すら買ったことがなく、日頃はいくらするかも知らない人が、翻訳ネタで豚肉の値上がりを取り上げて「庶民の生活を圧迫している」とか書くのはどうかなー?と思うんだ。少なくとも書いてる人はそういう状況下で論じてますよ、ということを読む人は知っておくべきだと思う。

西洋人記者も忙しいけど、ふらふら出かけていって街で友達作ってる。中国人アーティストの展覧会のオープニングとか行っても、そこで「○○通信の記者」という人を中国人の友人から紹介される。でも、そういうところに日本人記者が私人として出現してるのはあんまり見たことない。北京での行動は常に目的ありきの感じ。ぱったりどこかまったく、「日本」と関係ないイベントで知り合うことってほとんどない。

彼らは「北京」で日々ナニが行われているのか、本当に知ってるのかな?」

http://wanzee.seesaa.net/article/298088957.html#more