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白夜の炎

原発の問題・世界の出来事・本・映画

慰安婦問題に関する発表/韓国・連合通信

2015-12-28 17:59:24 | アジア
「【ソウル聯合ニュース】韓国の尹炳世(ユン・ビョンセ)外交部長官と日本の岸田文雄外相は28日午後、ソウルの外交部で会談を行い、旧日本軍の慰安婦問題で最終妥結した。両国の最大の難題だった慰安婦問題に決着をつけたことになる。

 日本政府は慰安婦問題の責任を認め、安倍晋三首相が総理大臣として慰安婦被害者に「心からのおわびと反省の気持ちを表明する」とした。ただ、重要争点だった日本政府の法的責任の認定については、「責任を痛感する」とし、法的責任なのか、道義的責任なのかは明確にしなかった。被害者や関連団体の反発が予想される。

 また、慰安婦被害者を支援するための財団を韓国政府が設立し、日本側が10億円を拠出することにした。

 岸田外相は会談後の共同記者会見で、「慰安婦問題は当時の軍の関与の下に多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題で、かかる観点から日本政府は責任を痛感している」と述べた。また、「安倍内閣総理大臣は日本国の内閣総理大臣として、数多の苦痛を経験し、心身にわたり癒しがたい傷を負ったすべての方々に対し、心からのおわびと反省の気持ちを表明する」とした。日本政府はもちろん、安倍首相が総理大臣として慰安婦問題について責任を痛感し、謝罪したのは初めて。

 韓国政府が設立する財団に日本政府が予算を拠出することについて、韓国政府は日本側が措置を着実に実施することを前提とし、「この問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する」と明らかにした。日本政府の予算拠出を前提に「解決された」ではなく「解決される」としたが、事実上、慰安婦問題の最終解決を確認したものといえる。

 韓国政府は日本側が撤去を求めているソウルの日本大使館前に設置された慰安婦被害者を象徴する少女像に関しては、「可能な対応方向について関連団体との協議を行うことなどを通じ、適切に解決されるよう努力する」との姿勢を示した。

 一方、両国は慰安婦問題について、今後、国際社会で互いに非難・批判することを控えることにした。ただ、韓国政府は日本側が表明した措置が着実に実施されることを前提とした。

 尹長官と岸田外相は会見でそれぞれ3項目の発表文を出した。合意は公式合意文ではなく、両氏が口頭で発表する形を取り、会見後に発表文を配布した。」

http://japanese.yonhapnews.co.kr/relation/2015/12/28/0400000000AJP20151228003400882.HTML

従軍慰安婦問題をめぐる両政府の協議が28日、合意/時事通信より

2015-12-28 17:56:15 | アジア
 新たな問題の始まりのような気がする決着だ、と思う。

「 【ソウル時事】日韓両国間の大きな懸案となってきた、いわゆる従軍慰安婦問題をめぐる両政府の協議が28日、合意した。合意文書によると、日本政府は同問題への旧日本軍の関与を認め「責任を痛感」するとともに、安倍晋三首相が「心からおわびと反省の気持ち」を表明。元慰安婦支援のため、韓国政府が財団を設立し、日本政府の予算で10億円程度の資金を一括拠出する。

 首相と韓国の朴槿恵大統領はこの後、電話で会談し、合意を確認する。日韓両政府は今年、国交正常化50年を迎えたことを踏まえ、慰安婦問題の妥結を急いだ。懸案決着への道筋が付いたことを受け、双方は関係改善に全力を挙げる。

 岸田文雄外相と尹炳世韓国外相がソウルの韓国外務省で会談、合意に達した。会談後の共同記者発表で、岸田氏は慰安婦問題について「最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する。今後、国連など国際社会で、本問題について互いに非難、批判することを控える」と表明。尹氏も合意事項の履行を前提に、「この問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する」と述べた。

 また、ソウルの日本大使館前に設置された慰安婦問題を象徴する少女像について、尹氏は元慰安婦支援団体「韓国挺身(ていしん)隊問題対策協議会(挺対協)」を念頭に、「可能な対応方法に対し、関連団体との協議などを通じて適切に解決されるよう努力する」と述べた。日本政府は少女像の撤去を求めている。

 合意を受け、岸田氏は「これをもって日韓関係が新時代に入ることを確信している」と強調。尹氏も「韓日両国が新しい心でもって新しい韓日関係を切り開いていけることを期待する」と語った。

 元慰安婦の請求権を含む法的問題について、日本政府は1965年の日韓請求権協定で「完全かつ最終的に解決済み」との立場。岸田氏はこうした日本政府の立場について「従来と変わらない」と記者団に語った。 (2015/12/28-17:37)」

韓国民主派は国家主義と無縁か?

2015-07-14 14:02:46 | アジア
 日中韓三国でいずれも国家主義が横行していることは明らかである。

 韓国でも朴政権の元で国家主義的性格が強まっている。

 では民主化を推進したグループが再度政権を握ればその国家は国家主義と距離をおくだろうか。

 確かに韓国の内部に向かっては、権威主義的・強権的性格が薄まるだろう。

 しかし外に向かって、特に対日関係ではどうだろうか。

 韓国内部には朴正煕の政権を是とするような国家主義的傾向が一貫して存在する。

 それに対して民主派はそれと戦い、実際に韓国の民主化を実現してきた。そして民主化のプロセスを通じて国家主義的権力の行為を再検証し、民主主義的理念の元で国家の再編成をはかってきた。

 それはしかし同時に民主派主導の国家の理念理念の確立の過程でもであった。

 つまり韓国の内部では二つの国家理念が対立しながら存在してきたということであり、どちらも対外的には自己主張の根拠となるものである。

 民主派が検討を加えた独裁政権時代のさまざまな案件には、対日関係等の外交関係も含まれる。それが日韓請求権問題への懐疑や慰安婦問題の見直しにつながっている。

 そしてそこにはそのような問題を全面的に見直すことによって、韓国の新たな国家理念の基礎に据えようと言う政治姿勢があるように思われる。その意味では、民主派であれ、権威主義派であれ、対日関係では国家主義的性格が、様々なバリエーションを持ちつつ展開すると考えた方がよいであろう。

軍艦島などの世界遺産登録に寄せて

2015-07-06 12:38:18 | アジア
 すったもんだの末、九州の近代産業遺跡が世界遺産に登録された。韓国の強い反対は国際的には静かな支持を集めたと思われ、ドイツの斡旋をへて行われた承認後のスピーチでは、日本のユネスコ大使は過去に朝鮮人労働者の「意に反した」労働があったことを認め、それを周知させる施設をもうけることを表明した。

 今回の問題では日韓の深刻な対立と葛藤が国際的に知られるにいたり、おそらく日本の信用をより多く傷つけたと思われる。そう述べるのは日本側が今までの安倍政権、あるいは歴代自民党政権としては異例の「強制性」を事実上承認し、さらにそれを周知させる施設までもうけると表明したのは、そうせざるを得なかったほど、関係諸国の支持が韓国に集まっていたためだと思われるからだ。そうでなければ日本政府はこのような決断はしなかったであろう。

 多くの労働者が戦時の朝鮮人強制連行によって日本の炭坑などにつれてこられ、そこで数多くの犠牲者を出したことは研究者には周知のことであり、それを表記に含めるのは当然だと思われる。日本側の「学術的」「時期が異なる」云々の説明は、それをきかされた国々には全く受け入れられなかったであろう。

 そこでもう一つ問題を提起したい。それはそもそも日本の近代産業はバラ色のブロセスだったのか、という問題である。炭坑における過酷な労働。暴力的な飯場支配。低賃金と不安定な仕事。その他の産業も含めて、近代の日本の産業は低賃金にと長時間の労働に苦しめられた日本の労働者の地と涙の上にあることは明白であろう。

 しかしなぜそのような論点が全く取り上げられないのだろうか。それは働く労働者や彼らの家族の視点が全く欠如しているからではないだろうか。炭坑では事故はつきものであり、その犠牲者は実に多かった。だからこそ労働争議も激しく、エネルギー政策転換のプロセスで生じた三井・三池炭坑の争議は60年安保の政治状況とも重なって、空前の大争議となったのではないか。

 今回の世界遺産の申請に際してもっとも欠落していたのは、近代の遺産は、そこで働いた日本の庶民が作り上げたものであり、顕彰されるものがあるとすれば、まず彼らの労苦であり、非難されるべきものはその彼らがあまりにも過酷な労働と厳しい生活をになわなければならなかったその事実である。そしてこのような人々こそが大切だという視点がかけているのではなかろうか。そのような視点の欠落が名もなき朝鮮人・中国人の犠牲を悼み・謝罪し・記憶していこうという視点の欠落につながったのではなかろうか。

 そしてこのような産業の基礎・中核はそこで働く「人」であることを無視する視点こそ、現在のブラック企業や、派遣法の改正に見られる人権無視の姿勢をもたらしているのではなかろうか。その意味ではこの世界遺産は過去の問題ではなく-もちろん観光施設などでなく、働く私たちこそ社会の主人公なのだということを再確認するための貴重な施設なのだと位置づけられるべきだろう。

「中国嫌い」になるワケを身をもって知る システムと個人の相互不信【前】

2014-11-06 10:29:26 | アジア


「 北京、上海の病院関係者と友人になった縁で、病院内を見学させてもらうことになったのだが、北京市内の大病院の入り口に到着したところ、のっけから驚いてしまった。

 「問診部」と書かれた外来の玄関の両脇に、たくさんのふとんや段ボール、小型の椅子、ボストンバックなどが置かれ、そこに(つまりコンクリートの地面に)大勢の人が座ったり横たわったりしていたのだ。

「こ、これは一体何なの? あっ、農村から出てきたのに診療してもらえないで待っている人たちの列?」

 友人に聞いてみると、「そういう人たちと、入院患者の家族たちの両方だ」という。中国も日本同様、完全看護であり、家族が病室で寝泊まりできない決まりになっているが、地方の農村などから患者に付き添ってきた家族は長期間ホテルに泊まるお金がない。しかし、帰ることもできず、こうして病院の玄関にふとんや段ボールを敷いて、面会以外の時間を過ごしているのだという。

 一方、毎朝発行される整理券をもらいそこねた患者は、医者に直談判すると数枚だけ追加の整理券を発行してもらえる仕組み(というか、ごり押しが可能)になっているため、誰かに先を越されまいと玄関先でずっと待っているのだ。そして夜は雨風を避けるため病院内のホールに入り、ふとんを敷いて過ごしているとか…。

他人の診察中に、医師を取り囲む?

 診察室や入院病棟もくまなく見せてもらったが、日本とのあまりの違いに驚いた。

 ある意味、恐ろしいほどに「オープン」なのである。

 6人部屋の病室のカーテンは常に空けっぱなしだ。患者同士がしっかり“情報交換”するためで、患者は「自分だけ騙されていないか」「自分は同じ病状の他の患者と同じ治療をちゃんとしてもらっているか」、他の患者やその家族らとつねにコミュニケーションを取っているのだという。ひとたび入院すれば、患者同士は全員が知り合い。何かあれば一致結束して医者を問い詰めるというのだ。

 日本では1人の診察が終わると次の患者が呼ばれ、常にひとりの患者だけが中に入っていくのが普通だ。何を当たり前のことを、と言わないでほしい。が中国では(少なくとも北京で私が確認した複数の病院では)診察室のドアは常に空いている。中には患者と医者だけでなく、順番を抜かされないようにと待っている次の患者やその家族たちが大勢いて、みんなで医者を取り囲み、その言動を見守っている。

 名前は明かせないが、ここは北京でも有名な大病院だ。患者の評判もいいという。北京郊外から大勢の患者もやってくる。そんな「いい病院」でも、こうした風景は日常茶飯事だと聞いて、私はめまいがしそうになった。

 これはまさに、よく日本のメディアで面白おかしく取り上げられ批判されている「とんでもない中国」そのものじゃないか! 具合が悪くて病院に行くというのに、そんなに病院を信用できないなんて……。私はすっかり毒気に当てられてしまった。

 そうかと思えば、別の日にはまったく違う驚きがあった。

 夕方4時半、北京市内の有名高校(中学と同じ敷地内にある)の先生と待ち合わせがあり、校門前に出向いた。小雨が降っていたが、たいしたことはなかった。ふと周囲を見ると、なぜか大勢の人がいる。祖父母やお手伝いさんらしき人が手に手に傘を持って立っていて、しかも校門前の道路にはたくさんの高級車の縦列駐車がはるか向こうまで連なっている。もしかして中学生(か高校生)の下校を待つ家族の車なのか。

 この日は9月2日。新学期(中国は9月が新年度)が始まって2日目であり、子どもたちはまだ学校に慣れていないだろう。だが、別に大雪が降っているわけでもない。日本では夕方に中学生のお迎えをする家族がこんなに大勢いるだろうか? 雨だったからだろうか?

 現れた友人に聞いてみると、友人は笑いながら「びっくりしたでしょ? でも北京では普通のこと。有名な小学校に行ったら、朝夕のラッシュはもっとすごいですよ。遠方から地下鉄やバスに乗って通ってくる子も多いし。送迎は少しでも子どもの負担やプレッシャーを軽くしてあげたいという、せめてもの親心なんです」と話してくれた。

ここでも戸籍制度の問題が

 校門で見ていると、家族やお手伝いさんは子どもの顔を見つけるやいなや、リュックサックやカバンを持ってあげて、一緒に傘をさして車のほうへと歩いていった。確かに中国の子どもは幼稚園から高校まで、とにかく勉強漬けであるが、中学生になってまで家族が送り迎えをし、校門前の道路がこんなに渋滞してしまうとは。これまで下校時間に進学校に行くことがなかったので、気がつかなかった。

 しかし、中国の事情をよく知れば、親がこんなにも子どもに過大な期待をかけ、過保護になってしまうことも少しは理解できる。中国では子どもを少しでもいい学校に通わせたいと、進学校の近くにわざわざ引っ越す家族が多い。通常は居住地域にある学区内の小学校に通うべきなのだが、かつてあった重点学校制度(政府が資金を投入して優秀な教師を配置したエリート校)の名残で、同じ公立小学校なのに、行く学校によってレベルに大きな開きがある。レベルの低い小学校に通えば、いい中学やいい高校に通える確率はかなり低くなり、学歴社会の中国で落ちこぼれてしまう。

 だから、みんなこぞって子どもをいい学校に入れたいのだが、中国ではその学区に戸籍がないと通えない決まりがある。

 そのため、裕福な親たちはその学区の高額な不動産(北京大学などがある人気地区にあるマンションならば中古でも1億円近くもする)を購入し、戸籍を移しているのだ。また、戸籍地以外から通ってくる場合は数百万円ともいわれる多額の学校選択費を支払わなければならない。この問題に関してはあまりにも内容が複雑でわかりにくいので、後日機会があれば当コラムで取り上げてみたい。

日本の10倍、上も下もある社会

 とにかく、私が行った中学・高校も有名な進学校なので、親たちは勉強すること以外、ほとんどすべてのことを子どもに代わって必死でやってあげるのだ。むろん、それもこれもすべて我が子(と一族)の生き残りのため、輝かしい未来のためである。

 中国出張中、私は病院の床で寝ている貧困層から、高級車で子どもの送り迎えをする富裕層まで、ありとあらゆる生活レベル・知的レベルの中国人と接する。その段階は、たとえば日本がマイナス10~プラス10までだとしたら、中国はマイナス100からプラス100までといえるくらい幅広い。イメージするならば、マイナス100は農村の中でもとくに貧乏で1年に1度くらいしかお肉を食べられない人、プラス100は汚職して数億円蓄財するお役人や大成功を収めた企業経営者などだ。

 この“あまりにも違い過ぎる人々”が同じ都市、同じ街に混在しているのが中国の特徴であり、突拍子もないほどのレンジの広さこそ、中間層が圧倒的に多い日本人から見て、どうしても理解しにくいところだと私は常日頃から感じていた。

 しかし――。

 頭ではわかっていても、人間は視界から飛び込んでくる出来事、とくにマイナス方面のインパクトに強く引っ張られ、影響を受けてしまう生き物である。私が地下鉄に乗って街を歩いていると、どうしてもマイナスのほうに分類されるマナーの悪い人たちに目が行く。だから、私もつい瞬間的にイラっときてしまうし、中国にはマナーの悪い人たちしかいないのか! とうっかり勘違いしてしまう。具体的に言えば、地下鉄内に大きなズタ袋をどっかと降ろし、その上に腰かけている農民工や、道端の植え込みに座り込んでいる人々だ。

 実は見かけるだけではすまない。私も「日本の貧乏人」の一人なので、大きなターミナル駅で高速鉄道の切符を買おうとすれば、並んでいないようで並んでいる、つまり整然とまっすぐ並んでいない長蛇の列に何十分間も立って並ばなければならない。「貧乏人」と断ったのは、普通の旅行者の場合はホテルのコンシェルジェに頼めば買っておいてくれるのだが、私はそういうホテルに泊れないので、自分で買いに行くしかないのである。

 ターミナル駅は普段の日でも、どこから湧いてきたのかと思うほどすごい人の波で、巨大な建物の中を歩いているだけで頭がクラクラする。これが大型連休前の殺気立っている時期だったら一体どうなるのだろう? と想像しただけで人酔いしてしまう。

地下鉄の荷物検査、それって意味あるの?

 都心から外れたターミナル駅から帰るときくらい、せめて楽してタクシーに乗ろうかと思うのだが、動線が悪すぎて、乗り場の先頭に辿りつくまでに途方もなく長い道程を歩かなければならない。地下鉄の切符の自販機の多くは壊れていたり、反応が鈍くてお札を入れても戻ってきてしまう確率は約5割……。地下鉄では何のためにやっているのか意味不明の手荷物検査機(空港で見かけるようなもの)に荷物を通すことを強いられ、黒い検査機のベルトコンベアーに毎度カバンを入れなければならない。ときどき係員は居眠りしているにも関わらずだ!

 厄介で不愉快なことこの上ない。たまに意地悪な係員にカバンを開けられ、変なイチャモンをつけられたりもする。夕方のラッシュ時は、この黒いベルトコンベアーに荷物を乗せたり出したりしなければならないせいで、駅が大混雑するのだ。毎日がその繰り返しであり、ホテルに帰ってくると疲労のあまりバタンキュー。生きた屍のようになってしまい、ベッドから這い上がれない…。

 そしてついに口をついて出てしまうのは「あ~、もう!これだから中国は!」という禁断のセリフである。

みるみる曇っていったY氏の顔

 今回、帰国直後のそんな記憶が新鮮なうちに担当編集者Y氏にお会いしたせいか、私は中国で体験したこれらの出来事を、こうしたネガティブな印象のまま、ストレートに語ってしまった。

 と……、ここまで散々述べて何なのだが、そうはいっても自分では中国の悪口を言っているつもりはなかった。

 ただ自分が街角でいつも見かける人たちの様子を、率直に担当編集者に聞いて欲しくてしゃべっているだけなのだが、Y氏の表情がどうも暗い。話している途中でそれに気がついた私は、だが、取材メモを見ながらしゃべり続けた。「きっとY氏は私の話を片方の耳で聞きながら、そのすばらしい編集能力で記事の構成をいっしょに考えてくれているに違いない」などとポジティブなことを考えながら……。

 Y氏の表情はどんどんと曇っていき、不機嫌になった。ついに彼はペンを机に投げ出した。そして、あきれたような表情で私にこう言った。

「中島さん、なんだか最近、中国に取材に行くたびに、どんどん中国が嫌いになっていっていません? 私、今日はあまりの毒舌ぶりに正直いって呆れましたよ!」

「へっ??」

 固まっている私に、Y氏は「あ~、中国と関わった人って、みんなこうなっちゃうのかなあ!?」と頭を抱えた。

 さすがの私も今がポジティブな状況ではないことに気がついた。この私が中国の悪口を? まさか?

相互不信が機能も改善も止める

 そんな自覚は全然なかった。でも、中国取材の疲労がまだ残っていたからか、中国での日常生活がどんなに辛く大変で、大げさにいえば日々の暮らしが“命がけ”であるかを切々と訴えてしまった。日本ではほとんど感じないのに、(自分が外国人であるというハンディキャップがあるだけではなく)中国にいると「生活すること」自体がものすごくストレスフルで、しんどいからだ(注:毎日社用車かタクシーで通勤し、夜は日本料理屋で一杯飲むか、自宅で奥さん手作りの日本料理を食べ、インターネットで日本のテレビ番組を日本にいるときと同じように見ているような“治外法権”で生活している日本人駐在員の方は除きます)。

 中国が日本と大きく違うのは、GDP世界第2位の国でありながら、システムがほとんど整備されていないということだ。交通・公共インフラだけでなく、教育制度も戸籍制度もほとんどすべてのものがそうだ。人々が病院をなかなか信用できないでいるのも、子どもにハードな勉強を強制せざるを得ないのも、彼らが悪いわけではない。そこで生きている中国人に責任があるのではなく、現行のシステムに不備があるから、やむを得ず生じてしまっている問題なのだ。

 私は常々、中国人とその社会システムとが「相互不信関係」にあると感じてきた。システムが先か、人が先かという「にわとりと卵の関係」ともいえるかもしれない。

 タクシー乗り場の動線が悪いのも、使う人がきちんと並ぶことを信じていない(想定していない)から、最初からこういう設計にしてしまう。人が道路を渡るとき、いつも自動車に引かれそうになるくらい運転が乱暴なのも、歩行者優先ではなく、自動車優先社会になってしまっているからだ。赤信号で車が止まってくれるかどうかわからないから、信号が何色であれ、機械よりも自分の目を信じて道路を渡るしかない。システムが機能しない国においては、何ごとも自己責任だ。

日本に慣れると、道路が渡れなくなる

 来日したばかりの中国人が日本では青信号になると一斉に人が渡るのを見てびっくりするのも、システムがこんなにも“きちんと”機能している国があるのか、ということに対する(潜在的な)驚嘆があるからだ。逆に中国にいる日本人が信号を“ちゃんと”無視して上手に渡れないのも、システムが機能しない、という環境にこれまで身を置いたことがないから、自分自身では判断できないのではないだろうか?

 ちなみに、不思議なことだが、私は誰からも教わっていないのに、初めて中国に行った20歳のときから、信号無視が上手にできた(いや、本当はいけないのだが)。車のほうは一切見ず、中国人の背中にぴったりくっついて一緒に渡るので、8車線の道路であろうと、猛スピードの車と車の間を縫ってスイスイ渡ることができる。おもしろい現象だが、日本に長く住んでいて中国に帰国した中国人の友人たちと中国で再会すると、彼らは道路を渡るのがとても苦手で、いつも私の腕をつかんで怖がりながら渡る。システムが機能しない中国にもう一度慣れるのは大変なのだろう。

 中国ではルールを作る側も、ルールに従う側も、お互いに相手を信用していない。相互不信という前提で物事が動いているから、人々はこんなにも生きづらく、そんな社会をよい方向に変えていく“突破口”もなかなか見つからない。

 これでは、システムは変わらないし、日本人の「中国嫌い」もなかなか変わらないだろう。自分自身にとっても大問題だ。」

http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20141027/273062/?P=4&mds

中国で相続税導入をめぐる論議が活発化/WSJ

2014-11-04 12:21:21 | アジア
「 相続税を導入するか否かが中国で大問題となっている。

 中国政府は現在、相続税を課していないが、先日の報道をきっかけに政府は相続税を課し始めるのか、もしそうなら税率はどのくらいになるのか、といった疑問が渦巻いている。

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北京の高層ビル群 Reuters
 21世紀経済報道は9月27日に国務院(内閣)のLiu Huan研究顧問の話として、共産党の最高意思決定機関が中央委員会第3回総会で相続税の導入について検討すると報じた。

 それ以来、新浪のミニブログサービス「新浪微博」には相続税について100万件を超える投稿があった。仮想空間や地元メディアの間でこの話題があまりにかまびすしくなったため、Liu氏は1日、国務院参事室のサイト上の声明で、21世紀経済報道の記事は正しくないとし、会議の議題については何も知らないと伝えた。

 政府は2004年に相続税法(案)を策定したものの、これはまだ正式には施行されていない。財政省は08年、海外での経験を例に挙げて相続税の導入は社会制度の充実につながると発表した。その後も中央政府と協力しながら相続税の調査を続けている。

 内閣は2月に収入格差を縮小するための指針を説明する際、相続財産や不動産に課税することで富の蓄積という最も扱いにくい分野に切り込むつもりだ、と発言した。

 相続税の賛成派は、貧富の差が拡大していることを賛成の理由に挙げる。北京大学の調査では、12年には所得分布の底辺から25%の所得は全体の3.9%を占めるに過ぎず、上部から25%の所得は同59%に達した。

 新浪微博の利用者の1人は「政府は相続税を導入すべきだが、課税対象の下限をどこに設定して中間層に負担かけないようにするかが問題だ」と投稿した。

 全国人民代表大会(全人代)の代議員、Chen Su氏は議会に、相続税を導入すれば国民は巨額の納税を避けるために消費を増やし始めるので政府は投資に頼らなくてもくなると提案した。しかし、ネット上では大半の人が時期尚早として相続税に反対している。

 中国の土地法によると国民は既存の資産を70年間利用できるが、実際に土地の名義が登記されているわけではないため、これは政府が相続税を課す上で大きな障害となると別の新浪微博の利用者は指摘した。市街地の土地取引を統制する法律によると、住宅用地のリース期間は最長70年、産業用地のリース期間は最長50年。

 また、政府高官に資産公開を要求する枠組みを整えずに相続税を導入するのは不公平と述べる人もいる。中には相続税による収入だけでは既存の社会福祉制度の拡充には足りない、と懸念する人もいる。

 そのブロガーは「相続税を導入したいなら、わたしは反対しない。ただしその前にわたしはどのような便益を受けられるかを知りたい。医療費が無料になるのか。教育費が無料になるのか。あるいは年金がただで受けられるのか」と述べた。」

http://jp.wsj.com/articles/SB10001424052702304676604579112623587769510

生きづらい中国で、美しく生きる人々 システムと個人の相互不信【後】/日経ビジネスより

2014-11-04 10:23:57 | アジア
「 前編では、中国で出会った「システムの不備」に纏わる話をあけすけに編集担当Y氏にしていたら、彼から「中島さん、なんだか最近、中国に取材に行くたびに、どんどん中国が嫌いになっていっていません? 私、今日はあまりの毒舌ぶりに正直いって呆れましたよ!」と言われて、どきっとしたことをお話した。

 中国では、公共の施設はすべてが管理する側の視点で設計されており、使う人がどんなに不便だろうが、そんなことは知ったこっちゃない、というほど使いにくい。障害者用のサービス(点字ブロックなど)もあることはあるが、ブロックは途中で寸断されていたりする。公共の乗り物を利用しなければならない人々は、いつもそのインフラに我慢しなければならない。

 でも、私はずっと不思議に思っていたことが2つあった。1つ目は「中国人はこのシステムにあまり頭にきている様子がないのだけど、どうしてだろう?」ということ。2つ目は「中国人のお役人はあんなに頭がいいのに、どうしてこんな使い勝手の悪い設計をするのだろう?」ということだ。

 地下鉄の自販機にコインやお札が入らずモタモタして焦っていても、私はこれまで後ろの人からせっつかれたことは一度もない。以前、中国人の若者たちと地下鉄に乗ったとき、コインが詰まってしまって自販機が動かなくなったことがあった。みんなして昔のテレビみたいに機械をドンドンと叩いてみたけれどダメ。駅員を呼ぶことになったのだが、私だったらこの際、いつも思っている自販機に対する不満のひとつも言ってみたくなるのだが、若者たちは一言もいわず、素直にコインを返してもらっていた。

 ということは、「もしかして、みんなこの使い勝手の悪いインフラに満足しているってこと? そして、そもそも、どうしてお役人はこんな設計をするの?」と思った。

「修正は不可能、自分だけでも生き残ろう」

 今回の中国での取材では、私はそんな疑問も友人に問いかけてみた。すると友人はこう言った。

「そうじゃないですよ。ある程度知識を持った人たちは、この巨大な国で今のシステムを直すことはほとんど不可能に近いとわかっているから、あきらめているのです。それ以外の人たちは、大概こんなもんだろうと思って、何も考えていないかも。ほとんどの中国人は海外に出たこともないし、海外と比較してみたこともないから……」

「それに、日本人には信じられないでしょうけど、これでも昔よりは数段よくなっているんですよ。荷物検査機だって、みんな意味がないとわかっています。でも、文句を言ったって仕方がない。あそこにいつも3人くらい係員がいるでしょ。理屈から考えて彼らは必要ないんですけど、それを追求していったら、彼らだけでなく他にも不要になる仕事がたくさんある。意味がなくても既得権益があってそれを糾弾できない」

「つまり、どんなに優秀な人でも、自分がこの巨大な国を建て直そうという気持ちにはなかなかなれない。直していくのは膨大なエネルギーと予算と努力、大勢の人の理解が必要だからです。だから、壮大なシステムを元から直していく、なんていう正義感や使命感を持つのはあきらめ、“自分だけはここから抜け出そう”と思うんです」

「2つ目の質問ですけど、高級官僚や偉い人たちは地下鉄やバスに乗ることはないから、関係がないですよ。ただ大勢の中国人をいかに管理しやすくするか、頭にあることはそれだけなんです。人々の利便性を考えたシステムにすれば、それだけ管理も複雑で面倒になりますからね。大事なことは、自分も既得権益側の人間になり、優位に立つことです。公共交通機関など一度も乗らなくて済むような…。そう思って努力するほうがずっと現実的だし近道ですからね。だから、一心不乱に猛勉強するしかないんです」

 日本人でも、私のような貧乏人が中国で暮らせば、“中国化”せざるを得ない。

人間的にも「上には上が」いるのが中国

 街にゴミをポイ捨てすることはないにせよ、もともと汚く使っているもの(トイレなど)を、あとに使う人のために自分だけはきれいに使おうとか、みんなももっときれいにしようよ、などと呼びかけるというような殊勝な気持ちにはなかなかなれない。心がすさみ、諦めてしまうからだ。だからつい日本と比較し、余計に中国を軽蔑したり、嫌いになってしまいがちになるのが日本人の心情なのかもしれない。

 だが、このような厳しい状況の中国で暮らしていても、そこに染まらず、きりりと立派に生きている中国人は大勢いる。前述したように、中国人の幅は日本人が想像できないほど広く、下には下がいるが、上には上も大勢いるのだ。

 それは、金持ちを指しているのではない。簡単にいえば、世の中をよく知り、礼儀やマナーを重んじ、教養があり、他人を思いやれるような人格者、とでもいったらよいだろうか。日本より遙かにひとに過酷な環境でありながら、その辺を歩いている庶民の中にそういう清廉な人、ちゃんとした人がいるのである。

 私もこれまで数々の「すばらしい中国人」に出会ってきた。現在も交流している人が大勢いるが、もう二度と会えない人もいる。

 大学の卒業旅行をしたときも、そういう立派な中国人に助けられた。四川省の大足という田舎を旅していたのだが、言葉がまったく通じず困っていた。そのとき、同じ町を観光していた上海人の若夫婦が声をかけてくれた。衣服は新しくはないが清潔で、言葉遣いもきれいな標準語。物腰もやわらかだった。日本人ひとりで旅していると知り、一緒に観光してくれたのだが、大足の史跡に詳しく、教養のある優しい夫婦だった。

「諦めない人」がいるからこそ

 その後も旅先で、何度か名もない中国人に助けてもらった。当時、日本人と中国人の間にはかなりの経済格差があったはずだが、彼らから見返りを要求されたことは一度もない。名前も覚えていないし、インターネットもなかったから今では連絡を取る手段もないが、いつも中国の街を歩くとき「あのとき出会ったあの人はどうしているだろう。元気かな?」と心の中で思っている。それ以来、日本に暮らしている自分も外国人には親切にしようと思ってきた。

 先日北京で知り合った中にも、前述の病院関係者とは異なるが、医者の卵がいた。彼女は中国の荒廃した医療状況を何とか改善したいと思い、別の大学で経済学を勉強したあとに一念発起して医学部に進学した。彼女の父親は日本に十数年間住んでいたが、やはり「母国の発展に尽くしたい」と帰国し、ある研究職に就いている。

 大きな流れにはなかなかつながらないが、さまざまな業界で「このままではいけない。中国をもっとよくしたい」と思ってがんばっている中国人もきっと大勢いるはずだ。逆説的な言い方だが、そういう人々がいるからこそ、さまざまな不備はありつつも今の中国はここまで発展することができたのだ、ともいえる。

 私が書いてきた本の中に出てくる中国人たちも、みな立派な人々だった。若者が多かったが、尊敬できる人ばかりであり、今も交流を続けている。はっきりいって知的面でも、人格的にも「私にはもったいない」と思うようなハイレベルな友人ばかりであり、実はときどきついていけない。

 彼らは日本やアメリカに留学するなど恵まれた家庭で裕福に育った人もいるが、中国から一度も出たことがない人や、内陸部の出身者もいる。必ずしも裕福に育った人ばかりではない。

 私の本に何度も出てくる王剣翔さん(24歳)は、私が生涯大切にしたいと思っている友人のひとり。奨学金を得て米国の有名大学の大学院で学んでいる秀才だが、幼い頃は家が貧しくて服が数枚しかなく、恥ずかしい思いをしていたという。でも、先日上海で再会したとき「私は中国人に生まれてきてよかった」と語っていた。

「貧しかったから、幸せのありがたみが分かる」

 なぜなら「貧しかった経験があったからこそ、親にも感謝できる。今がどんなに幸せか、そのありがたみもわかるから。最初から裕福で何でも持っていたら、そういうことはわからなかったと思う」からだという。米国には富裕層の中国人も多いし、奨学金で学んでいる中国人もいる。そこで世間を見るうちに、いろいろと感じることがあったのだろう。彼に会ったとき、たまたま私の母親が今度手術をするという話をしたのだが、そのことを覚えていてくれて、手術前にはお見舞いのメールをくれた。

 私はこれまでも、雑談のとき、彼ら本人に「(あんな過酷な環境の中で)どうしたらそんなにちゃんとした人に育つの?」と聞いてみたことがある。そういう質問は中国の方に失礼だったかもしれないが、マイナス100からプラス100までいる中で、以前から私の素朴な疑問だった。

 生き馬の目を抜く変化の激しい中国では、価値観が変化しやすく、自分を見失いやすい。以前は違ったのに、世の中に流されて拝金主義に走り、人格が変わってしまう人も少なくない。あまりにもレンジが広く「何でもあり」の中国で揉まれているというのに、どうやったらこんなにしっかりしたいい子に育つのだろう?

やはり「親」だろうか

 彼らは「そんなことないですよ~」といって照れるばかりで、その理由はいまだにはっきりわからないのだが、私が感じたところでは、やはり親御さんの教育だろうと思う。私は何人かの留学生の親に会ったこともあり、また、間接的に両親や、さらに祖父母の生い立ちまで聞いたことがあるのだが、「この親にしてこの子あり」と感じるところがあった。

 共通するのは、勉強だけを重視してきたのではないという点だ。彼らは人間として立派に育つように、深い愛情をかけられ、かつある程度厳しくしつけられている。

 そんなこと当たり前だろう? と思う人もいるかもしれないが、これまで述べてきたように、中国の現状を知れば、礼儀や分別をわきまえた人間に育てることはそんなに簡単なことではない。昨今の親は、子どものカバンを持ってあげることや、送迎が愛情だと思っている人もいて、子どもたちの一部も「こんなに勉強させられているのだから当たり前」と思っている。

 それは日本でも同じだが、日本の場合、親の教育以外に、学校や友だち、クラブ活動、塾、習い事、自治会の活動、アルバイトなど社会のあらゆる方面から学ぶものもけっこう多く、社会全体として子どもを育てていっている面もかなりあると思う。50代になっても、人生で最も感銘を受けたのは、中学のときのクラブ活動の先生、と振り返る日本人は少なくないだろう。だが、中国でそれを期待することは難しい。

 以前、日本に2年間だけ住んでいて、子どもを日本の幼稚園に通わせた経験のある中国人女性から聞いたことがあるが、中国の幼稚園の先生と日本の幼稚園の先生は全然違うそうだ。中国では「子どもが好きだから保母さんになった」という人は少なく、資格や条件で保母さんになるという人が多いそうだ。その女性は、日本の幼稚園に行ったとき、保母さんが子どもに対し「まるで本当の母親のように優しく接している」のを見てびっくりしたという。

このコラムの読者の方はご存知のように、中国ではクラブ活動もないし、勉強以外に人を評価する基準がない。そういう中では、子どもの得意分野を伸ばしてあげるなど、伸び伸びとした教育を受けさせ、他人を思いやる子に育てるのは難しい。人の気持ちばかり思いやっていたら、いつまでも自分の順番は回ってこないからだ。

 学校の先生は勉強以外教えてくれない。だから、道徳も含め、それ以外のことはほとんどすべて親が教えてあげることが重要で、子育てにかかる親の責任や役割は、もしかしたら日本よりも重くなるのではないか。

 天国のようなシステムの日本に住んでいて、日本人のマナーや礼儀がいいのは当たり前だ。高度にシステムが機能し、何ごともお上まかせになっていて、この日本のシステムがどういうふうに働いているのかさえ考えたこともないのが今の日本人だ。

 その我々からしてみると、システムの不備や、一部の中国人のマナーの悪さは、どうにも我慢がならないときがある。それは自らの恥ずかしい体験を含めて認めるしかない。できすぎた日本と比べてしまうからだ。

上海で窮地を救ってくれた青年

 これまで中国の不備を「楽しんできた変わった性格の自分」であったが、年齢とともに体力が落ちてきてからは、なかなかその不便さを楽しむ余裕がなくなってきた。普通は年齢とともに楽をする(お金で便利を買う)ようになりカバーできるのだが、それができない自分は、身体がしんどいがために、このところ中国の悪い面にばかり目を向けてしまっていた。

 でも、ここまで述べてきたように、システムの欠陥=中国人の質の低さだと決めつけてしまうのは大きな間違いだ。現に、来日した中国人は日本の高度なシステムの中に入ったら、私たちと同じようにルールを守り、きちんと生活しているし、中国では不備な中でも、助け合って暮らしている人々がいる。

 そういえば、2~3年前、上海で地下鉄を降りるとき、切符をカバンの奥底にしまいこんでしまったらしくて見つからず、カバンをゴソゴソやりながら改札の手前で突っ立っていたことがあった。

 周囲をキョロキョロ見渡してみたが、誰も私に気づいてくれない。日本のようにすぐ脇に駅員がいる窓口がないから、「切符を失くしました」と言いに行くこともできず、とても困っていた。そのとき、改札の外側にいた見ず知らずの青年が改札ギリギリのところまで近づいて来て、私に手招きした。

 「えっ、なに?」と思って寄っていくと、自分の交通カードを改札口にタッチしてくれ、私を外に出してくれたのだ。一瞬、何をしてくれたのかわからなかった。「あっ、ありがとう!」という前に、その青年はニコニコして立ち去ってしまったのだが、心がとてもほっこりしたことを覚えている。不便なシステムだからこそ知り得た、ささやかな人の温かさであった。

年を取るほど勘違いが増えそうだけど

 システム=人ではない。考えてみれば当たり前のことなのだが、幸福な国、日本に住む私たちは、知らず知らずにうちにこの国のシステムまで日本人という民族の質の高さとイコールであるという傲慢な勘違いをしていないだろうか?

 システムを個人と同一視する勘違いに気づかないまま時間が経てば、Y氏が「中国と関わった人って、みんなこうなっちゃうのかなあ!?」と前回で嘆いたように、“中国嫌い”がどんどん増えてしまう。体力気力が年を取って衰えていけばなおさらだ。私も相当危ないところだった。

 今後、このシステムの差が少しでも埋まっていくことが理想だ。そうなることが、両国に住む人々の気持ちをも少しずつ近づけていってくれるのではないかと願っている。

 大事なことを見失いかけていたが、担当編集者Y氏の仏頂面のおかげで、忘れかけていた経験も思い出すことができた。

 謝謝! Y氏。そして、中国の尊敬する友人たち。」

http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20141027/273065/?P=1

「朝鮮半島情勢と日韓関係の行方」(メモ)/公益財団法人日本国際フォーラム

2014-10-31 18:29:12 | アジア
「 康仁徳・元大韓民国統一部長官の講話の概要は次の通り。


北朝鮮の政治情勢

 北朝鮮の幹部3人(黄炳瑞(Hwang Pyong-So)国防委員会副委員長、崔竜海(Choe Ryong-Hae)朝鮮労働党書記、金養建(Kim Yang-Gon)朝鮮労働党統一戦線部長)の訪韓の目的は、南北関係改善のためかどうか疑問である。過去40年間、北朝鮮の平和工作には戦術的意味があった。現在、国連安保理決議や、日本、韓国等の制裁で、北朝鮮の立場は苦しいことを想起すべきである。

 北朝鮮には金一族とパルチザン派の「権力共同体」があり、一方の派閥の不満は政権を危険にさらす。張成澤前国防委員会副委員長の粛清もその結果である。金正日総書記の死後、先軍政治から党中心の政治に変わり、張成澤前副委員長のもと、党の行政部に警察権力が集まった。軍が中心であった外貨稼ぎの機能も、党の「54局」に移された。張成澤前副委員長は政治権力と財政を握ったのである。軍が黙っているはずがなく、金正恩第一書記は張成澤前副委員長を粛清せざるを得なかったのである。1967年に金日成国家主席がパルチザン派を粛清した翌年、地方の党組織の2/3が空席になったが、張成澤前副委員長が政治、経済、社会、文化、スポーツまで手の内にしていたことから、安定には時間がかかると思われる。
北朝鮮の経済政策と実状

 現在、北朝鮮は経済建設を核開発と並行して進めようとしているが、到底その両立は成り立つものではない。経済面では、生産管理の改革・開放が進められている。農業では、1980年頃の中国と同じやり方で、120~150名規模の作業班を7~8名に分割し、配分も今までの農民3・国家7から国家3・農民7にするという。また企業は、実利を中心とした自主性に基づいて生産物を計画し、市場で売るという。さらに企業は外貨を使い、中国の満州や瀋陽で原料を購入し、品物を生産している。問題は、三つの不足(食糧、エネルギー、外貨の不足)である。特にエネルギー不足で工場が回っておらず、労働者が余っている。企業は、彼らが外で自由に働くのを許し、代わりに金を納めさせていた。これを受け、政府は「余った労働者は解雇せよ」という指令を出したため、失業者が駅前などで商売をしているという状況がある。
 他方、情報と権力を持つ者は、例えば韓国が支援した1トンあたり200ドルの米を400~800ドルで売るなどしている。経済が苦しい反面、賄賂が流行っている。5~6年前の脱北者たちは、「金があれば何でも買える」と言っていたが、最近は「金があれば何でもできる」と言う。社会主義的な道徳や秩序は崩れてしまったのではないか。金正恩第一書記は、これを金正日総書記のやり方で統制するため、宗教的な思想教育を行っている。しかし、若者には海外の情報が流れ、韓国の流行歌なども良く知っている。韓国のハナ院(収容所)の脱北者も、満州経由で北朝鮮に電話をかけられる。


南北対話

 南北対話の交渉は、北朝鮮の核とミサイルの開発が原因で進まない。韓国与党は(韓国哨戒艦「天安」沈没事件の)5.24制裁を解除せよと言うが、北朝鮮が信頼できない限りは解除できない。開城(ケソン)工業団地は開発が続いているが、3つの通(通関、通信、通行)が自由化されていない。また、開城にさらに企業が入れば、バスで移動できる距離より遠くから労働者を連れてこなければならず、韓国には寄宿舎や労働者の食事用の農場を作る計画があるが、それも進んでいない。10月末~11月に南北対話が決定したが、政治的妥協が無ければ対話は進まない。韓国には、北朝鮮への人道的支援、SOC改善支援、異質化したものを同質化するという3つの政策があるが、北朝鮮では外国の影響を避けるために韓国のNGOからの支援を受け取るなという金正恩第一書記の指令が出ている。国外で噂にあがっているような韓国の支援は簡単には実現せず、南北間の緊張は続くと思われる。しかし、安全保障を基礎に関係を改善するという韓国の基本方式は当分変わらないであろう。


日韓関係

 自分(康元長官)は、1945年以降の韓国の歴史を全て体験してきた。朴正煕政権の官僚として、植民地時代を忘れないことと、共産主義反対という国づくりの理念のもと、日本との国交正常化(1965年)によって受け取った請求権資金を種子金として韓国の現代化を進めた。80年代の民主主義と経済成長の達成は、韓国の誇りであった。

 しかし冷戦後、韓国では386世代(90年代に30代、80年代に大学生、60年代に生まれた世代)が、NL(National Liberation)やPD(People’s Democracy)を中心とした主体(チュチェ)思想に基づく反体制運動を起こした。反日思想も加わり、朴正煕元大統領や朝鮮戦争の功労者・白善(Paik Sun-Yup)氏といった方々を親日派とののしり、90年代にはそれが一般化した。386世代は、自分たちの世代の経済成長への努力を完全になくしてしまったのである。その後、15年にわたる文民政権が続き、韓国では理念的葛藤が起こっている。そこで李明博前大統領が竹島/独島を訪問した。歴代大統領には竹島/独島問題は解決しないことで解決するという暗黙の了解があったが、かつて日韓国交正常化反対学生集会のリーダーであった李明博前大統領は、大学時代の自分の考えを実行するため、日韓関係を悪化させる結果をもたらすことを承知しながら意図的に竹島/独島を訪問したことや、高木正雄(朴正煕元大統領)の娘であるという批判などが、慰安婦問題とともに負担となり、朴槿恵大統領は身動きが取れなくなっている。

 ただし、1965年以降、日韓関係は少し良くなったら突然悪化するということが何度もあったが、民間では大きな変化はない。例えば、松山市と平澤(ピョンテク)市は、20年間姉妹都市である。韓国への日本人観光客が減ったというが、日本への韓国人観光客は増えており、原因は円安で、日韓関係の悪化ではない。日韓は、領土や歴史の問題は後に回し、拉致問題の情報共有などで協調しなければならない。今は、70年代のように問題をすぐ解決できる人脈がないため、特に知識人の二重・三重の頻繁な往来を進めなければならない。両国が互いに誤解しないために必要な情報交換も進めるべきである。韓国の安全保障は米国と日本との協力なしには成り立たず、価値観を同じくする日韓米の協力があってはじめて中国の圧力に対抗できるのである。また、隣国同士で留学生に奨学金を出すなど、日韓間で若者の交流も進めるべきである。自分も、そのために努力していく覚悟である。」

http://www.jfir.or.jp/j/activities/diplomatic_roundtable/106_141019.htm

戦う仏教を天竺で実践 不可触民とともに 在印47年の佐々井秀嶺/共同通信

2014-10-20 18:13:36 | アジア
「 サリーを身にまとった女たちが次々と足元にひざまずき、額を地面にこすり付けるようにして敬いの礼を尽くす。男たちは歓声を上げ、ブーゲンビリアの花びらをまいた。

 人口約250万人のインド中部の都市ナグプールで、新寺院の落慶法要に現れた78歳の僧侶・佐々井秀嶺を仏教徒たちが熱狂的に迎えた。華やかな活気に包まれた光景だった。

 仏教誕生の地でありながら、インドの仏教は13世紀までにイスラム教徒の侵攻とともに滅びたと考えられてきた。しかし、カースト制度の最下層に置かれ「不可触民」などと呼ばれてきた人々を中心に、ヒンズー教から仏教に改宗する動きが近年、広がっている。

 その仏教再興運動の中心にいる人物こそが佐々井だ。インド在住47年間に佐々井が得度させた僧は1万人以上。改宗は部族単位で行われることが多く、インド仏教徒の数は「数千万人に至っているはず」と佐々井は話す。

 インド国籍を持つ佐々井は2003~06年、政府少数者委員会の仏教徒代表委員(副大臣格)も務めた。岡山県新見市の農家に生まれた佐々井がなぜ、インドで最も影響力を持つ仏教僧になったのか。

 ▽世紀の苦悩児
 佐々井の前に、偉大な先駆者がいた。不可触民出身ながら苦学の末に博士号を取得し、インド憲法を起草した初代法相ビームラオ・アンベードカルだ。ヒンズー教徒である限り、身分差別は続くと考えた彼は1956年10月、ナグプールなどの不可触民ら約50万人とともに仏教に集団改宗した。しかし、その2カ月後にアンベードカルは急死。改宗したばかりの仏教徒は指導者を失った。

 佐々井がナグプールにやってきたのは68年。「私の運命であり、使命だったのだろうな」と佐々井は振り返る。

 若き日の佐々井は「世紀の苦悩児だった」。身を滅ぼすまでに恋に悩み、2度の自殺未遂の末、59年に山梨県勝沼町(現甲州市)の大善寺に拾われて寺男になる。翌年、24歳にして真言宗智山派大本山の高尾山薬王院(東京都八王子市)で出家。師・山本秀順(故人)は戦前「反戦僧」として400日以上獄中にいた経歴の持ち主だった。

 僧になっても浪曲師として舞台に上がったり、繁華街で占い師をしたりと身が定まらない佐々井に師はタイ留学を勧めた。65年から2年間、タイでパーリ語などを学ぶが、タイ女性と恋に落ちるなどの問題を起こし「もはや師に顔向けできないと思い、破門を願い出てインドに渡った」。

 そこで「運命」は待っていた。ビハール州ラージギルの山で夜に座禅を組んでいた佐々井の前に白髪が肩まで伸びた老人が現れて告げた。「我は竜樹なり。汝速やかに南天竜宮城に行け」。竜樹とは2~3世紀のインドで活動した大乗仏教の創始者とされる。

 「南天」は「南天竺」(現インド中部)、「竜宮城」はヒンディー語で「ナグプール」と見当を付けた佐々井は、すぐに列車に飛び乗った。「あれは決して夢ではなかった」と今も信じている。

ブッダの聖誕祭の式典で、佐々井秀嶺の読経に合わせて祈る女性たち=インド・チャンドラプール市(撮影・山本宗補、共同)

ブッダの聖誕祭の式典で、佐々井秀嶺の読経に合わせて祈る女性たち=インド・チャンドラプール市(撮影・山本宗補、共同)

 ▽井戸の水さえ
 ナグプールで「アンベードカルの名と業績を初めて知った」佐々井は、68年10月の集団改宗記念式のあいさつでインド仏教徒の心をいきなりつかむ。浪曲で鍛えた地響きのような大声で「ジャイ・ビーム」(アンベードカル万歳)と3度叫んだのだ。日本から来た僧の言葉に数万人の群衆は熱狂し、総立ちになった。

 「触れるだけどころか、見るだけでもけがれるとして不可触民に井戸の水さえ飲ませない」。そんなインドの現実を見てきた佐々井はアンベードカルが唱えた「不正義と非暴力で戦う仏教」を実践、次第にその後継者とみなされていく。

 全インドで存在を知られるようになったのは92年から10次にわたって続けたブッダガヤ奪還闘争だった。ブッダが悟りを開いた仏教聖地の管理権を「ヒンズー教徒は仏教徒に返すべきだ」と訴え、仏教徒を率いて首都ニューデリーなどでの座り込みを繰り返した。今も「奪還」には至っていないが、聖地の管理委員会に仏教徒も加わるようにはなった。佐々井はさらに、日本の関係者の支援を得て、ナグプール周辺の古代仏教遺跡マンセルの発掘も行ってきた。

 ▽絶大な支持
 「荒法師」佐々井はヒンズー原理主義者から疎まれ、たびたび命も狙われた。佐々井の仏教を「アンベードカルの解釈した仏教」と異端視する声は仏教界にもある。

 だが、インド仏教徒の支持は絶大だ。ナグプールの寺院管理者で40代のアミットは言う。「ササイジー(佐々井さま)なくして仏教再興はありえなかった。アンベードカル亡き後、差別と戦う仏教徒を結束させたのは間違いなく彼だ」

 落慶法要にムンバイから来た23歳の女性は佐々井を「とても尊敬している」と目を輝かせて言った。熱心な信奉者には女性が多い。そのわけを聞くと元「世紀の苦悩児」はさらりと言った。

 「女は罪に敏感で業が深いからだ。男はただ鈍感なんだ」(敬称略、共同通信編集委員 石山永一郎)=2014年07月08日」

http://www.47news.jp/47topics/inori/2014/10/post_20141020145020.html

中国の元駐日大使、「日中関係のこう着をどう打開すべきか」―中国メディア

2014-08-26 12:19:40 | アジア
「2014年8月25日、人民網によると、国際学術シンポジウム「日本の戦略動向と中日関係の位置づけ」(主催:中国社会科学院)が24日、北京で開催され、中国外交副部長(外務次官)、駐日大使を歴任した徐敦信(シュー・ドゥンシン)氏が基調講演を行った。

【その他の写真】

近年日本は防衛白書で中国を周辺に存在する安全保障上の脅威と位置づけ、他国との防衛協力や戦略関係を発展させる際に、少しも隠さずに「中国の脅威」をその理由、根拠とし、中国を持続的な挑戦者、破壊者、防備すべき対象と呼び続けている。日本は南シナ海問題にも公然と干渉し、中国と関係国との関係に水を差している。日本は平和的発展路線を変えるために、中国を説得材料として持ち出し、「中国の脅威」を喧伝する必要があるのだと考える学者が国内外に少なくない。日本の国家戦略は中国の台頭を抑えつけることなのであり、そのためには日中関係を犠牲にすることも辞さないと考える学者もいる。

こうした中、徐氏は「両国の政治家は日中関係の位置づけを明確にしなければならない。日中両国は一体パートナーなのか、それともライバルなのか?中国の発展は日本にとって一体チャンスなのか、それとも脅威なのか?日中両国は平和的発展の道を共に歩むべきなのか、それとも対立、対抗し続けていくのか?2008年に日中双方は第4の政治文書で、日中は『互いに協力パートナーであり、互いに脅威とならない』『互いの平和的発展を支持し合う』ことを明確に打ち出した」と指摘。「この重要な政治的共通認識を両国社会の広範な共通認識に真に転換し、双方の政策と行動を指導するものにできるか否かが、現在の状況ではとりわけ重要な意義を持つ」と語った。

「中国は経済規模で日本を追い抜いたものの依然として発展途上国であり、日本は依然として経済先進国だ。両国協力の補完性、重要性は変わっていない。双方が互恵・ウィンウィンを強化し、共通利益を拡大するための潜在力はどんどん大きくなり、余地はどんどん広がっている」。徐氏は「日中双方は従来からの経済・貿易協力を引き続き推進したうえで、世界経済の発展の潮流と各自の発展の必要性に順応して、エネルギー、環境、財政、金融、ハイテクなどの分野で両国間の協力を深化するとともに、東アジア統合、アジアのインフラ整備、世界金融危機対策、グローバル・ガバナンスの推進において協力を展開し、共通利益のパイを引き続き大きくして、両国民が協力の成果を常に享受し、日中関係の発展を支持する人が増えるようにすべきだ」と指摘した。

「日中が一戦を交えるのは必至」との見解については「こうした見解は近視眼的であり、時代の潮流にも反している。歴史の経験と教訓が繰り返し証明しているように、日中は協力すれば共に利し、闘えば共に傷つく。両国は共に対立、対抗の道を歩むわけにはいかないし、ましてや干戈を交えるという歴史の悲劇を繰り返すわけにはいかない」と指摘。「中国側は共通の安全保障、総合安全保障、協調的安全保障持続可能な安全保障というアジア安全保障観を提唱し、各国の安全を尊重・保障し、対話と協力を通じて地域各国の共通の安全保障を実現することを主張している。グローバルな経済統合と地域統合という現在の背景の下、日中双方は政治・安全保障上の相互信頼を立て直す必要がある」と述べた。

日中関係が国交正常化以来最も厳しい局面に陥る中、膠着状態を打開するにはどうすればいいのか?徐氏は「氷を砕く」ための主要法則として次の3つを上げた。

(1)日中関係の原点に立ち返り、日中間の4つの政治文書に厳格に従うことを確認し、日中共同声明と平和友好条約で確立した各原則と精神を遵守する。日中関係の発展の歩みは、日中間の4つの政治文書の原則と精神に従って事を処理しさえすれば、日中関係は順調に発展できること、さもなくば両国関係には波瀾が起きることをはっきりと示している。

(2)政治的難題の解決。両国関係に影響を与える特殊な問題を避けることはできない。歴史問題と尖閣諸島問題の適切な処理が喫緊の課題だ。中国側は、歴史を銘記する目的は恨み続けるためではなく、戦争の教訓を銘記し、悲劇の再演を防ぎ、より良く未来を切り開くためだと強調している。

(3)交流・協力の拡大。目下、両国民の相手国に対する好感度は国交正常化以来最悪であり、これは相互理解、相互認識に偏りが生じたことが大きい。だがこれは両国民が日中関係を重視していないという意味ではない。双方は妨害を排除し、メディア、文化、地方、青少年など各分野の交流を大々的に推進し、両国民の相互理解と友好的感情の強化に努めるべきだ。(提供/人民網日本語版・翻訳/NA・編集/武藤)」

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140826-00000020-rcdc-cn

日清戦争から120年、中国の日本専門家に聞く 「不平等条約ではなかった」 /WSJ

2014-08-04 16:51:55 | アジア
「 いまから120年前、朝鮮半島の覇権をめぐる数カ月間の紛争を経て、日本と中国は正式に宣戦布告をした。中国のメディアでは先月、日清戦争(第1次中日戦争)を回顧するテーマが盛んに取り上げられた。この戦争で中国軍は完敗し、1895年には山口県下関市で行われた講和会議で、いわゆる「不平等」条約の締結を余儀なくされた。この下関条約が後に清王朝の崩壊を後押しするきっかけとなった。

 ウォール・ストリート・ジャーナルは中国社会科学院の日本専門家、馬勇氏に日清戦争と日中関係への影響、中国の改革努力について聞いた。馬氏は、将来の日中関係が歩むべき道のりについても語った。

 インタビュー要旨は以下の通り。

――日清戦争は中国にとって大きな後退だった。巨額の賠償金を請求され、領土の多くを失った。中国にとって、この戦争結果をどう特徴付けるか。

 日清戦争という混乱がなければ、中国は「洋務運動」の路線を継続していただろう(これは1861年に始まった改革運動で、当初は軍事工業化が目的だったが、後に別の目標が付け足された)。立憲君主制を打ち立てるために段階的に西洋の軍事技術や武器装備を吸収していった。この「西洋から学ぶ」という動きが破壊された。中国は体系的な改革への道を進んでいたが、日清戦争がこれを台無しにした。この戦争以降、中国ではナショナリズムが勢いを増していった。

――戦争は避けられなかったのか。

 強硬派がいなければ戦争に突入することはなかっただろう。この戦争が起こったのは、当時の(限定された)中国の国力を理解していない勢力がいたからだ。強硬派は日本に強い態度を取ることを主張。李鴻章(改革派の中心人物で講和会議の全権大使)は当時、戦争に反対していた。同氏は中国の限界を理解していたのだ。

――戦争を終結させた下関条約をどう評価するか。「不平等条約」だったか。


日本外務省に保管された下関条約の文書 World Imaging via Wikimedia Commons
 不平等条約ではなかった。日清両国とも代表を派遣して交渉のテーブルに着かせた。「不平等条約」と言われるようになったのはもっと後のことで、改革やナショナリズムを掲げる活動家の圧力がこうした考えを生み出した。

 条約では第1に、中国は朝鮮の独立を認めさせられた。中国が勝っていたら、間違いなく朝鮮の併合を要求していただろう。第2に、中国は巨額の賠償金を請求された。これについても、紛争の多くで敗戦国が戦費を負担させられるのは当然だった。

 第3に、中国は遼東半島や台湾の主権を喪失した。台湾の割譲は大きな痛手であり、現在まで続く重大問題だ。中国は現実的な(領土)損失を被っただけでなく、状況を非常に複雑にしてしまった。台湾は満州国政府にそれほど敬意を払っていなかったし、こうした(似たような)態度は民主進歩党の中国政府に対する見方に引き継がれている。中国は遼東半島の返還と引き換えに賠償金を積み増されたことについて適切な説明をしなかったし、台湾について同様の条約を結ばなかったことについても説明しなかった。日清戦争がなければ、台湾の独立機運は現在のような流れに発展していなかっただろう。

――日本との関係に対する影響は。

 中国は自分が先生で日本は生徒だと見なしていた。英国やフランスとの戦争に敗れることは認められても、日本に敗れることは認められなかった。

――現在の日中関係をどう見るか。両国は釣魚島(尖閣諸島の中国名)をめぐる新たな緊張の火種を抱えている。これがどう展開すると思うか。

 民間レベルの関係を見ると何の問題もない。日本人は中国に憎しみを抱いていないし、日本を訪れる中国人は(非常に多く)いる。(日本が中国に侵攻し、占領した)第2次世界大戦当時と状況は全く異なる。日中間に反目はあるが、これらは過激派から出ているもので主流ではない。

 日本と中国は歴史の新たなページを開くべきだ。日中関係の長い歴史の中で、釣魚島は非常に小さな問題にすぎない。とりあえずこの問題は脇に置き、次の世代から問題解決の知恵を借りるべきだ。

――安倍晋三首相による日本の軍事力強化の動きをどう思うか。

 安倍首相が行っていることは、日本の普通の国にしようとする努力だ。中国は(第2次大戦の)戦勝国として日本を支援する責任を負っている。日本は長年にわたって軍事力を抑制し、制度改革を重ねており、戦争を開始するはずがない。日本国民の間では反戦機運が非常に強く残っている。

――日清戦争から得られた主な教訓は何か。

 中国が発展に向けていくつかの重要な前進を見せたという事実を評価しなければならない。こうした成果を帳消しにする紛争は必要ないし、最初からやり直す必要もない。これが日清戦争の経験から得た最も重要な教訓だ。私たちは平和で友好的な環境を確保する必要がある。これが中国の進むべき道だ。」

http://jp.wsj.com/news/articles/SB10001424052702304180804580064963762215720?mod=WSJJP_hpp_MIDDLENexttoWhatsNewsThird

韓国首相候補、過去発言が問題に…その前後の脈絡は?/中央日報

2014-06-13 17:49:55 | アジア
「 文昌克(ムン・チャングク)首相候補者がかつて教会で講演した内容をめぐって議論が広がっている。文候補者が日帝植民支配や南北分断を「神の意」と結びつけて「朝鮮民族は怠けて自立心が足りない」と表現したことをめぐり、親日的観点で韓民族を卑下しているとの批判が出てきている。文候補者は12日「教会という特定の場所で信者を対象にした講演という特殊性があった。特定の部分だけが浮き彫りにされて講演の全体趣旨がしっかり伝わっていない」と釈明した。一方で「講演は宗教家として教会の中で行ったものなので、一般人の情緒とは多少の距離があるかもしれない」として「そうした点のために誤解の素地ができたことは遺憾」と明らかにした。文候補者側は「一部メディアの悪意的で歪曲された編集に法的対応をする」とした。

以下は、文候補者が2011年「チャンスの国を作ってください」という題名で1時間余り特講した内容を要約したものだ。

<両班(ヤンバン)が働かず…李朝500年の無駄な歳月>

◆試練と挑戦=私たちの国は、いったいどのようにしてできた国なのか。冷静に振り返れば、峠ごとに明らかに神の意があった。私たちの民族を鍛練させようと苦難をくださったのだ。苦難をくださった後に、再び神は私たちに道を開いて下さった。毎回、道を開いて下さった。神はこの民族にさせるべきことがあるために道を開いて下さったのだ。これまで紆余曲折の試練や挑戦を受けたが、それが新たなチャンスになった。

◆朝鮮のエリート=(宣教師らが朝鮮人の困窮した姿を記録したことを取り上げて)楊坪(ヤンピョン)の小さな郡に吏房(地方の役職の1つ)が800人もいた。吏房が(民を)無条件にムチ打っていたのだ。コメも1、2斗でもあればみな奪われた。朝鮮の人たちは働こうとしないのだ。なぜか。仕事をすればみな奪われるからだ。いくら努力してみても自分に残るものは何もないから怠けるようになったのだ。神はなぜこの国を日本の植民地にしたのですかと、私たちは抗議するかもしれない。冒頭に申し上げたように、神の意があるのだ。「お前たちは李朝500年、無駄な歳月を送った民族だ。君たちには試練が必要だ」と。

そのころの両班は、誰も仕事をしなかった。両班が仕事をするのは恥だと考えていたからだ。両班は長いキセルでたばこを吸い、ふんぞり返って監督のようなことをする。その当時に知識人が日本に留学した時に工学や医学・科学を学びながら、本当に悲嘆に暮れた。この国を救うには、こうしたものが必要ではないのかと。何もしないのだ。社会学・哲学・政治学、おしゃべりをして怠けて暮らそうと、それが私たちの朝鮮エリートの考えだった。朝鮮民族の象徴は、怠けることである。怠けて自立心が不足し他人の世話になること、これが私たちの民族のDNAとして残っていたのだ。

◆高宗(コジョン)=〔日帝時代に啓蒙運動をして親日派に変節した尹致昊(ユン・チホ)の英文日記を取り上げて〕、尹致昊は「朝鮮の人には共産主義がぴったり合う」「人は自ら熱心に働いて自分の努力と汗で仕事をするべきなのに、金を儲けた人々はみな私たちのものを搾取した。朝鮮の過去の先祖のその血には、むしろそういった共産主義という言葉が合う」。このように話した。

(尹致昊の日記を引用して)高宗は指導者として王として、自分が本当に何かをすべきなのに「(1904年の日露戦争の際に)済物浦(チェムルポ)で戦闘が広がって砲弾が飛び交っているのに皇帝は占いを聞いて宮廷の柱の下に大きな釜を埋めるのに忙しい」と日記に書いた。厳妃(高宗の継妃)は「日本に国を売っても良い。日本が私たちを合併しても良い。ただ、李氏王室だけは助けてほしい」。それが(1910年韓日併合の時の)条件だった。

◆南北分断=(神が)南北を分断させた。今になって見れば、それも神の意だと考える。朝鮮の知識人がほとんど共産主義思想に近かった。その当時、韓国にいかに多くの共産主義、朝鮮労働党がいたことか。その人々が後で麗水(ヨス)・順天(スンチョン)事件のようなものを起こした。その当時、上にはソ連、そばには中共と、私たちは耐え抜くことはできなかった。この期に及んでは、むしろ私たちが分断されたために韓国はここまで生き延びることになったといってよい。万一、その時に共産主義になっていたら私たちは今ごろどうなっていたか。韓国がその当時に統一されていれば今は北朝鮮になっていただろう。

<文候補「誤解の素地できたことは遺憾」>

◆経済開発=韓国の経済開発も事実、米国によるところがとても大きかった。(しかし)私たちが親米になろうというのではない。国を守るには力がなければならず、力を持とうとするならば経済も富強しなければならない。(韓国が)工業化した最も大きな力は何か。日本の技術力だ。日本が私たちよりも先に技術を(開発を)成し遂げ、日本が私たちよりも先に立った。朴正煕(パク・チョンヒ)、サムスン、現代(ヒョンデ)自動車、みな日本にしたがって韓国がここまで大きくなった。中国は文化革命をした。およそ20年を中国が文化革命によって経済も何もみな捨ててしまった。その間の20年間で私たちは上昇した。ある段階まで上り詰めた。だからこそ(中国が)驚いて1980年からトウ小平が改革・開放に乗り出して今、世界のG2の国になったのではないか。世界で2番目の強大国だ。私たちは一生、米国が一番大きな国だと、一番暮らしやすい国だと思っていたが、これから(中国が最強大国になる)2015年、残すところわずかだ。2015年以後に韓国はどうなるだろうか。これが非常に深刻な問題だ。私たちが今後、していかなければならないことだ。

◆「韓国はチャンスの国」=(神が)南北を分断させた理由がある。なぜかというと神は統一によって神が存在するということを私たちの民族に再び見せようとする、これなのだ。はっきりと見せてくれるのだ。私たちが南北会談をして開放政策を立てて、それほどにならない。韓国は普通の国ではない。神が私たちに瞬間ごとにチャンスを与えられた。今はどんなチャンスを与えられたのか。すべての国が韓国に来ようとしている。韓国の芸術・体育・文化・IT技術、みな学ぼうとして来たがっている。その人々の考えでは、韓国はチャンスの国だということだ。

米国がますます衰退してG2国家になり、今後はG3になるかも知れない。するとその次に神が使う人は、大韓民国だと思う。私がわけもなく、私たちの民族が優秀だとしてあおっているのではない。米国がチャンスの国になったように、韓国もチャンスの国にならなければならない。」

http://japanese.joins.com/article/j_article.php?aid=186478&servcode=200§code=200

北朝鮮経済の構造的問題/木村光彦 1996年

2014-06-04 17:57:55 | アジア
「北朝鮮の経済危機の構造的要因

木村光彦


1.北朝鮮の経済について

ソ連崩壊ののち北朝鮮経済が停滞に陥り、近年とくに危機的状況を示していることは明白である。北朝鮮政府自身もそのことを認めるに至っている。それでは、それ以前はどうだったのであろうか。

1960―70年代の北朝鮮の経済は順調であったと考える人が多いのではないだろうか。この小論では、現在の危機の要因を北朝鮮社会の特質から考察する。

北朝鮮には、以前から、他の社会主義国と同様あるいはそれ以上の欠陥、すなわち非効率性、硬直性、労働意欲の欠如といった問題が存在し、経済発展の大きな障害となっていた。金日成の演説を参照するとこのことがよく分かる。金日成には膨大な著作(演説)集があり、そのなかで彼は自己賛美を繰り返す一方、経済運営上の数々の問題点を指摘しているからである。これらは北朝鮮経済の実情を知るうえで欠かせない資料となっている。こうした問題の指摘は、最高権力者である金日成のみがなしえるものであり、じっさい他の公式資料にはほとんどみられない。以下、そのいくつかを紹介しよう(訳文は、日本語版『金日成著作集』による)。

「工場や企業所へ行ってみると、資材倉庫一つまともなものがなく、多くの資材を浪費しています……石炭やセメントのようなものも倉庫に保管すれば、少しも浪費されないはずなのに、屋外になおざりに積んでおくので雨にぬれてつかえなくなったり、風に吹きちらされてなくなったりしています」(1968年5月)。

「われわれは毎年数十万トンの魚をとっていますが、実際に人民の手にゆきわたる量はいくらにもなりません。それは他でもなく、水産部門の幹部が魚類の加工の手配を綿密におこなわず、水揚げした魚を多く腐らせているためです」(1968年6月)。

「近年、穀物生産が伸び悩んでいます……いま協同農場管理職員はなまけぐせがついて勤労精神がたりず、野良にでる場合があっても仕事はしようとせず、指示ばかり与えて歩き回っています。一部の協同農場管理職員はいちばん忙しい田植えどきや草とりの時期には生産労働に参加しようとせず、秋に稲の束を幾度か運搬しては労働点数をかせいでいます」(1970年11月)。

協同農場においてこうした問題が起るのは、いうまでもなく、作業ごとに労働点数が決められており、この点数に応じて賃金が支払われるからである。1970年以降、北朝鮮政府当局が穀物生産のデータをほとんど発表しなくなったことは、協同農場の運営問題の深刻さを示唆している。さらに、「経済統計が不正確なのが現状です。労働力の浪費を掌握する統計もなく、設備統計も満足なものがありません」(1974年7月)。

「いま、人民の生活をよりはやく向上させることができないのは決して国の物質的土台が弱いからではありません。われわれには労働力もあり、資材もあります。問題は官僚主義者、保守主義者、要領主義者がいすわって、労働行政をなおざりにし、設備管理を怠り、資材供給も満足におこなわず、いいかげんに仕事をしているところにあります……最近わたしは、軽工業部門の実状を調べるため、平壌市内の工場に直接出向いてみました……メリヤス工場では機械を設置する場所がないといって、外国から輸入してきた機械を何か月間も放置したままでした。それだけでなく、この工場では倉庫がないという口実で原料をところかまわず積み上げておき……紡織工場からひきとった糸はころがりほうだいにして使い物にならなくしていました」(1973年2月)。

「水産省では、細部計画も作成せずにいて、盛漁期になると、あれがない、これがないといってさわぎたてています。それでやむをえず、鉱山に供給することになっていたワイヤロープや鋼材を水産省にまわす場合が少なくありません。そうすると鉱山は鉱山でまた、ワイヤロープや鋼材がなくて鉱石を採掘できないとさわぎだします」(1976年11月)。

「石炭の供給が円滑になされないため、電力生産と輸送に大きな支障をきたしています……昨年の冬咸鏡北道では石炭が円滑に供給されないため、機関車が1か月近く正常に運行できませんでした。セメント工場でも石炭や石灰石が不足して、生産が正常化されていません」(1977年9月)。

本来北朝鮮には自給可能なだけの石炭埋蔵量があったはずであるにもかかわらず、このような事態が生じた。

「水産部門の労働者に石炭と薪をそのつど供給すべきです。漁業労働者が家を離れて遠洋に出漁し、一夏中、漁獲して帰ってきては、たきものがなくて、斧を手にして山に薪をとりにいかせるようなことをしてはなりません。これは、行政委員長など当該部門の幹部が漁業労働者の生活に関心をはらわないからです」(1980年12月)。

「モビロン工場の建設に拍車をくわえるべきです。モビロン工場の建設を促進してはやく終えれば、人民によいふとんを提供することができます……ところが……このたび来て調べてみると、建設省ではモビロン工場に動員することになっていた建設事務所の人手をああだこうだといっては動員せず、モビロン工場の設備生産を担当した工場、企業所でも設備を満足に生産していません」(同上)。

モビロンが何かはっきりしないが、いずれにせよ不足する綿の代用品として考案された人工繊維であろう。

「[国家計画委員会に]計画作成に必要な基礎データがないのでどの計画をどのくらい高めるようにというと、具体的な見積もりもなしに計画数字だけ高めて下部に示達しています」(1982年12月)。
以上はごく一部の例であり、金日成はこの他にも枚挙に暇がないほど多くの問題を挙げ、これにたいしつよい不満を述べている。上記の内容は次のように整理できよう。

 a.幹部、労働者は熱心に働かず、怠けている。

 b.労働力、原材料、エネルギー、外貨、部品、設備が不足しており、生産が円滑におこなわれていない。

 c.消費財が大幅に不足し、かつその質が悪い。

 d.道具、機械、原材料、土地などの資源を大事にせず、無駄に使っている。

 e.統計がいい加減であり、とくに生産を過大に報告している。

 f.加工、貯蔵、運送の過程で多大な生産物が失われている。

 g.労働者の技能が低いうえに技術が遅れている。

 h.細部の生産計画がまったくできていない。
要約した各点の背景、理論的意義などについて議論を深めることは重要であるが、ここでは2点のみを指摘するにとどめる。

第1は、北朝鮮経済は通常考えられているような中央計画経済ではないという点である。中央政府(国家計画委員会)は、多数の財の投入・産出計画の実行能力はおろか、北朝鮮では計画策定に必要なデータも有していなかった。じっさい少数の基本的な財以外、各工場、企業所、機関がほぼ独自に各投入財の調達、生産、流通、消費割当をおこなっている。北朝鮮の文献に頻繁に登場する「自力更生」、「自体解決」、「地方源泉の利用」はこのように、中央に依存することなく各「単位」がみずから、生産にともなう諸問題を解決することを意味した。  第2に、北朝鮮の国民経済計算を考える場合、生産から消費にいたるあいだのロスの問題が重要である。例にあげられている魚のみならず、農産物もかなりの部分が、貯蔵、加工、流通過程で腐敗、減耗したことを考慮せねばならない。生産統計の水増しに加え、じっさいの消費の観点からさらに統計の修正が必要となろう。


2.社会構造の硬直性ー「封建的軍国主義」

そもそも北朝鮮の社会は、表向けの言葉とは裏腹に、階層社会であるといわれる。最近韓国に「亡命」した北朝鮮の元高官は、同国を「封建的軍国主義」国家と表現した。これまでの多くの亡命者の証言によれば、北朝鮮には大別して3つの社会階層が存在する。

第1に、「敵対階層」が定められているといわれる。これは主として、祖父や父が昔地主あるいは資本家であった者から成る。日本の統治時代に5町歩を超える土地を有していた地主は、1946年の土地改革によって所有地を没収され、地元から追放された。そのとき抵抗した者は「階級独裁」の実施対象となり、拘束・鎮圧された。さらに、同時期およびそれ以後、商工業の国有化がすすめられる過程で資本家も財産を失った。こうした人々の多くは、1946年から朝鮮戦争時にかけて南の韓国に逃れた。さまざまな理由で北にのこった旧地主、資本家およびその子孫は、社会の下層におかれ苦しい生活に甘んじざるをえないことになった。かれらは、出世を望めないばかりか、当局の特別監視下におかれている。

第2に「動揺階層」が存在する。これには1945年以前の中小企業者、商工業者、知識人およびその子孫が含まれる。日本から帰還した者も一般にこの階層に属する。かれらは、有事のさいに政府に反抗する恐れがあるとして、敵対階層にくらべれば緩やかであるが、やはり監視下におかれる。

第3に、こうした階層の上に「核心階層」が存在する。この階層を構成するのは労働者、貧農出身者、朝鮮戦争犠牲者の遺族等であり、政権を無条件に支持する人々とされる。

以上の3つの階層はさらに細分類されるといわれるが、実際にどの程度厳密なものかは十分に明らかではない。いずれにせよこうした社会においては、近代的な経済発展は阻害されざるをえない。そこでは、人々が自己の能力を生かし社会経済の発展に貢献する意欲を失ってしまう。上の者が特権に安住する反面、下の者は希望をもつことができない。また最近耳にするように、下の者が金品の力によって階層の壁を乗り越えようとして賄賂が横行することになる。結局、停滞や腐敗が社会を支配する。

さらに軍国主義を次のように定義するならば、北朝鮮はまさに軍国主義国家であるといわねばならない。すなわち、軍部が政権内で大きな影響力をもつ、つねに戦争に備える、個人単位に統制を行なう、諸活動組織を軍隊式に編成し国民を動員する、個人の安全・人権を無視する、日常的に軍隊用語(たとえば、突撃、爆弾精神、最終戦、決死隊など)を使って国民を鼓舞するー。ここでは、軍事のために国民生活が大きな犠牲を強いられる。そのひとつの表れとして、北朝鮮では、おそらく他の多数の社会主義国と比べてもなお一層、国民に供給する必需品の質・量が一貫してきわめて不十分であった。


3.食糧問題の人為的背景

最近食糧事情が悪化していることは北朝鮮政府も認めている。国際機関も、広範囲の飢餓の発生を警告している。しかし具体的なデータは乏しい。韓国の研究機関の推定によれば、近年の北における米、とうもろこし、麦などの穀物生産総量は400―500万トンにすぎないという。とくに1996年における同総量は400万トンを下回ったといわれる。この数値がどの程度の根拠をもつかは不明であるが、これを基準に考えると、食糧不足は非常に深刻であるといわざるをえない。

表1 は、第2次大戦前から最近にいたる穀物生産と消費可能量を示す(戦前は一定の仮定のもとに計算した現在の北の領域にかんする数値)。1960年以後、生産増加率は人口増加率と大して変わらなかった。1996年の1人当たり生産は戦前を下回った。同年の大量の穀物輸入を加えても、消費量は1人1日540gにすぎない。副食の不足、貯蔵・流通過程におけるロスを考えれば、明らかに食糧不足は深刻である。さらに階層間の分配の不平等がある。一般庶民とくに地域、職場、所得稼得能力の点で不利な状況にある人たちの窮状が察せられる。

食糧事情の悪化の原因としては1995―96年の水害、病虫害が指摘されている。これは自然的要因より人為的要因によるところが大きい。すなわち、耕地拡張をめざして過度に樹木を伐採したこと、また外貨不足のため農薬の輸入ができなかったことがあげられる。他方、制度的要因としては集団農業の非効率性がある。

中国においては、人民公社の解体、個人農への生産請負といった制度改革をきっかけに農業生産が大きくふえた。しかし、北朝鮮ではこうした改革の兆候は微弱である。それがなぜなのかは重要な点である。北の現政権にとって開放政策は外部の情報の流入をともなうので容易に採用できない。しかし農業の改革はこれとは別個に、国内の経済改革として行うことが原理的には可能である。それが実現に至らない背景には、第1に権力構造の問題がある。すなわち、特権階層にとって集団農業の改革が自己の権益と対立するという事情があると考えられる。第2に、これと関連しイデオロギーの問題がある。中国とは異なり、金日成による個人支配が続いた北朝鮮では、彼の政策を否定することができない。それができるのは彼自身以外なかったが、その金日成は政策変更を行わないまま死亡した。金日成の権威によって支えられている後継体制が、そのイデオロギーから脱却することは容易でない。現に北朝鮮では金日成の「遺訓」が基本的な政策原理となっているのである。
北朝鮮経済は1990年以前、主としてソ連の援助(安価なエネルギー供給等)によって支えられていた。その額をいかに正確に評価するかは、重要な研究課題である。いずれにせよ、その後援助が途絶したことは、政権にとって大きな打撃となった。現政権の今後は予断を許さない。

研究者の観点からは、どのような形であれ開放がおこなわれ、より多くの情報に接近できることを望みたい。北朝鮮は近代の世界において希にみる特異な国でありきわめて興味深い研究対象である。直接の情報にもとづいてその実態を一層明らかにできればと願う。また情報公開は、諸外国に食糧援助を求めている北朝鮮政府の責務でもあると考える。

参考文献

金日成『金日成著作集』全44巻、外国文出版社、平壌、1979-96年。

李佑泓『どん底の共和国』亜紀書房、1989年。

李佑泓『暗愚の共和国』亜紀書房、1990年。

M.Kimura, ”A Planned Economy Without Planning:Su-ryong’s North Korea,”Discussion Paper,F-081,Faculty of Economics,Tezukayama University,1994.

*本小論は、拙稿「北朝鮮の経済」『季刊あうろーら』21世紀の関西を考える会、1996年春季号を改稿したものである」

http://www.ier.hit-u.ac.jp/COE/Japanese/Newsletter/No.6.japanese/KIMURA.HTML

周永康逮捕は近いか/東亜日報

2014-04-06 16:50:17 | アジア

中国有力政治家の周永康氏の息子が監禁、在米の姻戚が明かす
APRIL 03, 2014 05:27
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「娘と娘婿、夫がみな独房に監禁されている。家族は何の罪もない。ただ中国歴史の中で何度も見てきたように、新しい指導者が前任者を攻撃する際に現れる権力闘争の生け贄に過ぎない。実に思いやられる」
中国共産党の元政治局常務委員兼中央政法委員会書記の周永康氏の嫁(もしくは婿の)の母、敏利(米国名メリー・ジャンミンリ)氏は、先月31日付のウォールストリートジャーナル紙に、こう吐露した。米国市民権を得てカリフォルニア州に住んでいる氏は、周永康氏の息子、周濱氏の義母だ。周濱氏が拘禁されたまま取調べを受けているという情報が相次いだが、周濱氏が中国当局に逮捕されたことが家族によって確認されたのは初めてだ。中国当局は、周濱氏が父親の庇護のもとに不正蓄財に走った中心人物だと把握している。

今年71歳の氏は、「昨年10月末に中国訪問を終えて米国に帰って来てからの数日間は、以前のように(娘夫婦と)電話で話をした。ところが、ある日突然電話がつながらなくなった」と話した。また「夫(黄渝生)と娘、娘婿がみな北京当局によって独房に監禁されている」と言ったが、監禁されていることをどう知ったかについては明らかにしなかった。

氏は、周永康氏が掌握していた中国のエネルギー企業各社の核心的株主として自分の名前が載っていることについては、娘婿が勝ってに氏自身の身分証情報を会社の文書に使ったものだと釈明した。

これに先立ち、ロイター通信は先月31日、氏をはじめ10人あまりの周永康氏の家族が当局によって抑留されていると配信したが、氏は無事であることが確認された。米国にサーバーを置いている中華圏メディア「博迅」は、先月29日、周永康氏の次男、周涵氏が「命をつながうために」米国へ逃走したと伝えた。博迅によると、周永康氏の家族と側近らは、少なくとも900億人民元(約15兆5000億ウォン)の資産を当局に差し押さえられたという。

一方で、周永康氏の二人の弟のうち、元興氏は、昨年秋にがんが発病した上に、江蘇省無錫の自宅が家宅捜索を受け、資産の一部を没収されると、ショックを受けて今年2月に死亡したと、中国メディアが伝えた。もう一人の弟、元青氏も当局によって抑留されているという報道がある。周永康氏の刑事処罰が差し迫っているという説が流れている中、一族も破滅を迎えている格好だ。」

http://japanese.donga.com/srv/service.php3?biid=2014040324398

台湾の学生運動・続報/内田樹氏のブログ転載

2014-03-27 16:38:25 | アジア
「佐藤学先生の台湾情報第三報

台湾滞在中の佐藤学先生から速報の第三報が届きましたので、お伝えします。Twitterだと読みにくいので、ブログにあげておきました。できるだけ多くの方に読んで頂きたいと思います。

台湾情報第三報(佐藤学)

一昨日の「台湾情報第2報」は、ブログ発信のアクセス数で日本一になりました。また、その文章は直ちに翻訳されて台湾でもツィターで広がり、学生たちにも共有されています。アジアの民主化を希求する人々を繋ぐ役割をはたせたことを喜んでいます。

行政院の学生たちへの機動隊による暴力以後の情報を伝えます。26日の昨日は、朝から機動隊の学生に対する暴力への批判が強まりました。立法院を占拠している学生たちは「学生の暴動」ではなく「国家の暴力」であると訴えました。学生たちはフェイスブックの顔写真の部分を黒く塗って、機動隊の暴力の事実を伝えあい、その全貌を明らかにする作業を続けています。ところが、このフェイスブックの情報が何者かによって次々に消去される暴挙が起こっています。

立法院を占拠している学生たちの冷静で賢明な闘いは市民の支持を獲得しています。先の「台湾情報」で、学生運動が53人の学長の支持表明を獲得していること、世論調査で83%の人々が、立法院を占拠する学生たちの対話要求に馬英九が応じるべきだと回答していることをお知らせしました。昨日の世論調査では、70%の人々が学生運動を支持すると回答しています。さらに、中国との自由経済協定立法の前に中国政府と馬英九との「秘密交渉」を許さないために政府間の交渉を公開する管理法を学生たちは提案しているのですが、この提案について75%の人々が支持すると回答しています。
これら広範な支持を背景として、学生運動は一定の勝利を収めつつあります。一つは、行政院への突入を指導した責任者として逮捕された学生が無罪として釈放されました。学生たちの要求する馬英九との「対談」については、馬英九はこの要求を無視できなくなり、総統府での「会話」に応じると返答しました。また北京市警察は、機動隊の暴力行為の事実を認めて謝罪しました。さらに民進党は、立法院の委員会で成立した自由経済法案がわずか30秒の国民党議員内部の一方的決議であったことから、「違法」であると言明しました。これらは学生運動の成果です。

しかし、本格的闘いはこれからです。立法院(国会)は国民党が多数を占めているので、立法院を占拠している学生たちが排除されれば、自由経済協定は簡単に可決されてしまいます。そうなると中国の巨大な資本が台湾を買い上げてしまうでしょう。馬英九は総統府で「会話」に応じると学生に伝えましたが、学生たちが求めているのは公開の場における「対話」です。学生たちは馬英九の承認した「会話」には応じないと返答しています。賢明な判断です。

学生たちの冷静沈着で賢明な闘いは、大学生たちのほぼ全員の支持と大多数の参加、大多数の市民の支持を獲得しています。名物の夜市の屋台が立法院のまわりに集まって、闘う学生たちに無料で食事を提供しています。昨日は、タクシー協会が学生支持を表明し、タクシーのデモを行いました。ほとんどの国民が「学生たちを尊敬する」「学生たちの勇気に感謝する」と語っています。私は台北教育大学大学院で講演と集中講義を行っているのですが、ほぼすべての教授が学生運動を支援し、「素晴らしい学生たちだ」「学生たちを尊敬する」「学生たちに感謝する」と語っています。立ち上がったすべての学生たちは、私から見ても感動的なほど素晴らしい学生たちです。私も学生の正義と勇気と民主主義と祖国を愛する姿に心からの敬意を表明しています。

大学の動きですが、台湾全土の大学で学生たちが立ち上がりました。ほとんどの学長、教授たちは学生たちを支持しています。それに対して、国家教育部は緊急に全国の学長を集め、教授が学生を扇動しないよう忠告し、学生運動の抑圧策を講じています。しかし、ほとんどの学長と教授たちの学生運動の支持は崩れることはないと思われます。

テレビと新聞のニュース報道は毎日24時間、学生運動の情報を伝えていますが、情報は混乱していますし、真実を伝えていないので、学生たちはブログとフェイスブックのネット通信で事実と真実を見極めています。しかし、ニュースを通じて愉快な話題が台湾市民の間で話題になっています。一つは、「太陽餅」(台中市の名物)の話題です。行政院の副秘書官が占拠した学生の[暴力]の証拠として「私の部屋の餅が一つ食べられた」とテレビで語った(笑)のですが、翌日、匿名の市民が「太陽餅」150箱(1500個)を贈ったのです。1990年の学生運動が「野百合革命」と呼ばれたのに対して、今回の学生運動は「太陽花(ひまわり)革命」と呼ばれています。「太陽餅」は「太陽花革命」のシンボルになりました。副秘書官はテレビで「贈り物には感謝する」というピンボケの応答をして笑ってしまいましたが、受け取りは拒否し立法院に送ったものだから、学生運動の学生たちは「ありがとう!」と笑顔で叫んで食べました。(太陽餅は民主餅として大人気になり、売りきれ。)

そのほかに、いろいろな話題がニュースで報道されています。立法院の院長はもと台湾大学の政治学者ですが、これまでの政治学者としての格好いい発言に対して今回の政治対応はひどいものでした。それを憤った学生たちは院長のリコール署名を始めましたが、その書名に彼の娘が署名して話題になっています。

まだまだ闘いは続きます。今日のNJKテレビは「立法院は民主主義の象徴であるため、占拠している学生の排除は難しいと考えられ、まだ解決の見通しはたっていません」という趣旨の報道をしていましたが、まったくまちがっています。立法院の学生占拠が続いているのは、国民の大多数が学生たちを支持しているからです。そして、学生たちの勇気ある闘いが敗北すれば、台湾の民主主義と独立が破壊されてしまうからです。

台湾の学生たちは今月30日に、世界各国の留学生たちが連帯してデモを行い、報道の虚偽を批判して真実を伝える行動を行います。日本の留学生も立ち上がるでしょう。ぜひ彼らと対話し、台湾と日本の民主主義者の連帯を築き上げましょう。

最後に、何度も繰り返しますが、祖国と民主主義のために立ち上がった台湾の学生たちの思慮深い勇気ある闘いを尊敬し、支持します。」

http://blog.tatsuru.com/