白夜の炎

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尼僧院を破壊 100人以上追放/中原一博

2016-02-21 15:05:52 | アジア
「2015年11月13日
尼僧院を破壊 100人以上追放このエントリーをはてなブックマークに追加 はてなブックマーク - 尼僧院を破壊 100人以上追放
image当局に破壊されたチャダ尼僧院。

中国当局はチベットの宗教弾圧の一環として最近自治区内の尼僧院を破壊し、100人以上の尼僧を追放した。

RFA(自由アジア放送)などによれば、9月30日、チベット自治区ナクチュ地区ディル県の役人たちが突然ペカル郷にあるチャダ尼僧院(ནག་ཤོད་འབྲི་རུ་རྫོང་བན་དཀར་༼པད་དཀར་༽ཡུལ་ཚོའི་བྱ་མདའ་དགོན་དཔལ་ལྡན་མཁའ་སྤྱོད་གླིང་།)に押しかけ、106人の尼僧を追放した。当局は追放の理由として「正規の尼僧証明書を持っていない。この尼僧院に割り当てられた尼僧の数を超えている。ダライ・ラマを非難しなかった」ことを挙げているという。追放された尼僧たちの内、遠くから来ていた多くの尼僧は周辺県の責任者に引き渡されそれぞれの家族の下に送られたという。

当局は尼僧を追い出した後、尼僧たちが住んでいた僧坊を壊し始めた。理由として「ここに新しく政府が金をだして、僧坊を建て、尼僧たちのための養老院と学校を建てるためだ」と言っているという。もっとも、チベット人は誰もその話を信じていないという。この尼僧院は500年以上の歴史があるが、壊す前に当局は価値のありそうな仏像やお経をすべて持ち去ったという。ある尼僧は「まるで文革時代のようだ」と表現した。

僧坊が破壊され、居所がなくなった尼僧が付近の民家に宿を借りようとするが、当局は許可なく尼僧を自宅に泊めることも禁止しているという。

一方尼僧院内では連日、ダライ・ラマ法王を非難することを強要する「愛国再教育キャンペーン」が続いているという。

この尼僧院では、去年終わりにも26人の尼僧が追放された。チベット自治区内でもこのディル県を始めとするナクチュ地区は当局の監視と弾圧が一番厳しい地域であり、特に、僧院や尼僧院は常に当局からの嫌がらせを受けている。」

http://blog.livedoor.jp/rftibet/

【寄稿】希望的観測に基づく対北戦略は全て見直しを/朝鮮日報

2016-02-21 11:01:51 | アジア
「 北朝鮮は国際社会の反対にもかかわらず、4回目の核実験と大陸間弾道ミサイルの発射実験を強行した。韓国の安全保障をめぐる危機感が高まり、同時に韓国ができることは何なのかという挫折感や無力感も表れている。その一方で、いまだに北朝鮮について検証に失敗した見解を信じようとする傾向もなくなっていない。一体何が、検証されていない希望的な見方だというのだろうか。

 一つ目は、北朝鮮は非正常的で悪く愚かな国だという主張だ。北朝鮮が「先軍政治」によって軍事分野だけ巨大化している「仮分数国家」だという指摘は正しい。だが「神政体制」に基盤を置く独裁国家の北朝鮮では、金正恩(キム・ジョンウン)政権の安全保障を図るというのが第一の国是だ。北朝鮮の政権は、最も安く安全保障を図る近道が核武装だと信じている。長距離ミサイルで米国や日本を脅してこそ、韓国に対する友邦の支援を断ち切ることができると考えている。これはゆがんだ安全保障観であって、非正常的ではあるが、決して愚かなわけではない。

 二つ目は、失敗国家の北朝鮮はいつか必ず崩壊するという主張だ。北朝鮮は政策の失敗を重ね、結局は滅びる運命にあり、それは時間の問題だと信じられている。そのため韓国は、予告なしに訪れる統一に備えなければならないと叫んでいる。北朝鮮が失敗した国家であり、「苦難の行軍」を続け、数多くの住民が苦しんでいることは事実だ。だが、崩壊が迫っていると断定するのは単なる希望にすぎない。

 三つ目は、北朝鮮の核は「交渉用」だという主張だ。2006年の1回目の核実験以前、交渉を通じた非核化の余地が全くなかったわけではない。だが、すでに4回も核実験を行った現在も、北朝鮮の核が交渉用だというのは道理に合わない。北朝鮮はさまざまな言い訳で時間を稼ぎながら、核兵器の能力を高めることに集中してきた。(朝鮮戦争の休戦協定に代わる)平和協定や、米国の北朝鮮に対する敵視政策を放棄するよう求めるのは、究極的には韓米同盟の解体や、在韓米軍の撤退という目的を実現するための道具である可能性が高い。北朝鮮の非核化を、戦争ではなく対話によって達成すべきだというのは正しいが、北朝鮮の核が、対価を支払って買うことのできる交渉用のものだと信じてはならない。

 四つ目は、北朝鮮を制裁と孤立によって崩壊させることができるという主張だ。北朝鮮の誤った行動に対し、厳しい制裁を科すべきだというのは正しい。だが、制裁だけが優れた方法だというのは、感情的な安心感を与えるだけで、その効果は未知数だ。制裁によって北朝鮮を困難な状況に追い込むことはできても、滅亡させることは困難だ。外部の制裁によって滅亡した国はない。大部分の独裁国家は内部分裂や、国民が反旗を翻したことによって滅びた。中国が厳しい制裁を行わない限り、滅亡はより難しい。

 五つ目は、北朝鮮を動かすことのできる実質的な「てこ」を持つ中国に、期待するしかないという主張だ。北朝鮮を動かすため、中国を最大限に活用すべきだという主張は正しい。だが、中国が北朝鮮を見捨て、韓国の肩を持つだろうと信じるのは甘い考えだ。中国の協力は限定的なものにならざるを得ない。中国は北朝鮮の崩壊を望んではおらず、米国の影響力が大きくなる韓半島(朝鮮半島)の統一も望んではいない。外交的な修辞に満足するのではなく、利益の交換という構造を作っていくべきだ。

 六つ目は、戦略的にひたすら耐えようという主張だ。悪い国家と対話しても無駄なだけだから、北朝鮮が誠意をもって対話に臨むまで待つのが得策だというわけだ。だがこれは、戦略的な忍耐というよりは、戦略的な放置、あるいは非戦略的な無視に近い。結局、国際社会が耐えている間に、北朝鮮は時間を稼ぎ、核兵器の能力を高めるのに成功している。消極的な関与論よりも、積極的な方策が今も必要となっている。

 七つ目は、北朝鮮の核には、韓米日3カ国の安全保障分野の協力だけが正答になるという主張だ。中国が傍観している中、自国を守るという観点から、韓米日3カ国の安全保障分野の協力を強化するというのは正しい。だがその場合も、韓米日3カ国の安全保障分野の協力あが、中朝間の協力関係の回復をもたらし、北朝鮮の核やミサイル能力の強化に口実を与えかねないという逆効果を軽減させるべきだ。

 韓国の外交・安全保障の半分以上は北朝鮮に関連するものだ。北朝鮮に関する戦略が、検証されていない平和的な見方に基礎を置くものだとすれば、全ての前提を原点に戻し、北朝鮮の外交・安全保障戦略を検討し直すべきだ。

パク・チョルヒ教授(ソウル大学日本研究所長兼国際大学院)」

http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2016/02/20/2016022000562.html

爆買い雑感

2016-02-21 10:46:08 | アジア
中国人観光客の爆買いがメディアに取り上げられるようになって久しい。

確かに銀座に行くと至る所に中国人観光客の姿があり、それだけでなく地方都市も中国人観光客の呼び込みに懸命である。

このような事態を日本ではややななめに見る傾向がある。

特に「民度」- ちなみにこのような社会科学的概念・基準はなく、全く客観性はない - の「低い」中国人が日本に来て日本の「民度の高さ」に感激する、といったストーリーが日本メディアによく見られる。

本当だろうか。

そもそも日本人自身海外旅行が一般的になった70年代の後半以降、さんざんその行いが問題になったのではないか。

欧米に行けばそれこそブランド漁り - それこそ爆買いだ - 、東南アジアや韓国では買春ツアー。そして農協観光の集団行動や、まわりを考慮しない傍若無人な振る舞いが、あちこちで問題になったはずだ。

 日本人のその後は、結局不景気で観光する力も留学する力も低下し、世界的に中国パワーに取って代わられた、ということだろう。

 日本人は爆買いによって大きな経済的メリットを享受している。それに感謝しつつ、自分たちのかつての経験から中国の人たちにアドバイスをしたらどうだろうか。偉そうな態度を取らずに。

北朝鮮は王朝体制の再現か?

2016-02-21 10:20:35 | アジア
 北朝鮮の政治・社会体制について考えていてふと思いついたことがある。

 まず特徴的なことを列挙してみると。

 1 指導者が世襲。まるで金氏王朝である。

 2 社会階層が、金氏という権力の中核を中心にそれこそ階層的に作られている。軍と労働党の幹部が取り巻き、その中で忠誠心を競い合いつつ権力闘争が展開するというのは、まるで朝鮮王朝の宮廷劇のようだ。

 3 2の権力構造を中核に、党や軍・警察、そして様々な社会組織と地域編制を通じて、国民が階層的に編制されている。最底辺には反国家分子とされた人々や日本からの帰国司書がおり、その上に地方の一般住民がいる・・・。等である。これはまるで王朝の身分制社会の再現のようだ。

 このような体制はチュチェ思想と金正恩への忠誠を核として成立するが、それは朱子学を思想的中核としつつ、その解釈と王朝の正統性、そして権力への関与をめぐって争った王朝体制のありようとそっくりである。

 だからこの国は自動的に破綻するとか、どうしようもないという訳ではない。国家のありようは様々なのである。ただ朝鮮王朝が国民の生活の向上やビジネスの発展に消極的だったように、北の体制は本質的にそういったことに鈍感なのかもしれない。

 それに対して王朝体制の全面否定に立脚した韓国の方が、経済的優位に立ったということだろうか。いずれにせよ米軍軍政から軍事独裁政権をへて、それを自らの変革のための戦いによって転換した韓国の方に、政治・社会体制としては未来があるように思うのだが。

中国に漂う「嫌朝」ムードも、北朝鮮制裁には向かわない/陳言

2016-02-20 17:00:34 | アジア
「 北朝鮮による水爆実験と人工衛星と称するミサイル発射の後、日本の世論はそろって、中国が北朝鮮に対して厳格な制裁を控えていることを批判している。しかし日本にはあまり伝わっていないことだが、今中国では人民日報系のタブロイド紙『環球時報』において、「嫌朝」が声高に主張されている。「嫌日」ならば社会の底辺にいる労働者、農民の支持を得るが、「嫌朝」を言い出すとは、これは中国すべての人のマインドを反映していると思われる。

 とはいえ、「嫌朝」を主張しても、中国政府は北朝鮮に対して厳格な制裁を行ってはいない。果たして北朝鮮国民2500万人が難民化して東アジアに混乱をもたらすことを懸念しているだけであろうか。

 北朝鮮の市民と接触した中国人は、彼らが心の底から中国を憎んでいることを知らないわけではない。また日本、アメリカ、そして韓国に憧れていることも知っている。「漁船を北朝鮮に貸して、1000万人ぐらい日本に渡ってもらい、日本の少子高齢化問題を一挙に解決してもらえばよい」と不見識な冗談を言う中国人もいるが、それに対する反論はさておき、冗談自体からすけて見えるのは難民の発生を恐れて制裁に反対する気持ちではなく、やはり他の何かがあると思われる。

 北朝鮮は中国メディアにとってタブーのひとつで、たとえ朝鮮半島が有事に陥ったとしても中国メディアがそれを論評することはほとんどないだろう。人民日報、新華社など二大政府系メディアは、海外からはその評論が中国政府の態度表明と見なされるので、北朝鮮問題を報道する際にはことのほか用心深くなってしまうのである。

 そのなかで、『環球時報』は2月15日に、「益々多くの中国国民が北朝鮮に対する見方を変えている」と題する社説を発表した。

 人民日報や新華社の代替メディアとして、今回発表された『環球時報』の社説は中国政府の北朝鮮に対する態度を理解する上での指針として見ることができよう。

 驚くべきことに、今回の社説は中国の北朝鮮に対する国民感情を紹介するなかでこれまで一度も使われたことのない「嫌朝」という言葉を用い、「民意はまた今日の中国の外交戦略を策定する礎石のひとつである」とまで表現している。これは注目すべきひとつのシグナルと思われる。

「たしかに国民の『嫌朝』意識は、『嫌日』とは異なり決して根深くはなく、それは相対的に見れば容易に解消できる性質のものである。しかし今日、大部分の国民は『北朝鮮に対して寛大になる』ための忍耐と興味を喪失しつつあり、平壌がその核政策を改めなければ中国国民の北朝鮮に対する鬱憤はますます深刻になっていくだろう」

 西側が行う北朝鮮の人権問題、独裁政治に対する批判などとは別として、中国のすぐ近くでの度重なる核実験は、普通の中国人の気持ちも害するものである。一定以上の年齢の中国人なら、文革などのときに難を逃れるために北朝鮮に渡り、食べ物などを出して遇してもらった歴史を知っているが、今の若者はそういった事実をほとんど知らない。

 北朝鮮との貿易ビジネスにおいても、渡した商品に対して「偉大なる領袖にご進呈いたしました」との一言で一文の代金も支払われることなく、泣き寝入りするという話をよく聞く。それでは北朝鮮との商売などできなくなる。

 日本の世論にみられる、格調高い人権論、体制論、ミサイル脅威論などの、実感できないものではなく、中国人には体感で蓄積してきた北朝鮮に対する不信がある。第二次世界大戦前までさかのぼるほどの歴史はなくても、公式マスコミでは自国批判以上に北朝鮮に対する批判は避けられてきたが、実は「嫌朝」は中国の市民のなかでは深まっており、北朝鮮だからなんでも寛大に遇することは、もはや今の中国にはなくなっている。

北朝鮮の内部は安定しており西側が予想する体制崩壊はない

 北朝鮮についてある程度知っている中国人と難民問題について議論したところ、先方はまったく興味がなかった。脱北者はたしかに中国に来ている。だが、もし他の手段があったら彼らは間違いなく「親愛なる」中国に来るのではなく、「仇敵」の日本か韓国、さらにアメリカに行きたがっているはずだ。「半島人ほど中国人を蔑視する国民はない」と言われる。

 これほどの困窮に喘ぎ、エネルギーも不足しているなか、もうすぐ北朝鮮は崩壊するだろうと北朝鮮関連の専門家に聞くと、「文革のときほど中国が混乱し貧困した時期があるか。だが、そのときの中国はかなり安定していた」と言う。このような分析は、中国人なら非常に納得しやすく、おそらく日本の専門家やマスコミには理解しにくい。

 北朝鮮がきわめて困難な状況にあるのは事実であるが、それでいきなり暴動が起こり、社会が大混乱に陥ることはないと中国の専門家は見ている。外から見ると恐怖と思われる政治体制も、内部では日常であり、上層部が粛清されていっても、顔がみえない国の中層部が安定しているかぎり、日本のマスコミが予測しているような動乱はそう簡単に起こらないだろう。

 旧ソ連と軍事的緊張を保ち、最終的に相手の崩壊をもたらしたアメリカ的な戦略もあるが、東西冷戦の時代において米ソはゾウとゾウの関係であり、今日の北朝鮮はネズミである。ゾウとネズミを同じものと見て分析すると結論を大きく見誤るだろう。

 北朝鮮問題についてこれまで、いろいろな解決策、提案が出された。基本的には制裁か融和に分かれている。今回はしっかり北朝鮮に対価を支払わせると中国も言っているが、果たしていままでの制裁はほんとうに成果があっただろうか。制裁によって最終的に北朝鮮に核兵器を持たせてしまったと、融和派はかえって不満をこぼしている。

 今回の制裁に関して中国を困惑させているのが、韓国でのTHAADミサイル配備である。中国から見れば、北朝鮮への制裁という口実で中国を軍事的に挑発していると捉える。ヨーロッパでアメリカがロシアに対して行った行動を、今度はアジアで中国に対して行っていると感じるだろう。対抗手段として、中国はより多くの軍備を東北に集中させ、THAADの配備が米中の軍備競争を加速させるという、意外な結果をもたらす。

“ならず者”北朝鮮の攪乱で日米と中国間の不信は増す

 ならず者国家が何を行うかの予測はできない。しかし、正常な国がどんな行動をとるか、それははっきりとしている。

 3月から日本は集団的自衛権を実施することになり、島争いの現場で摩擦が高まっていくことは予測できる。南シナ海問題はますます複雑化していくなか、海上自衛隊もプレゼンスを示さないわけにはいかない。中国の日本に対する疑心暗鬼はそう簡単に払拭できるものではないと思われる。

 中米関係については、ここ数年、数百の委員会が毎日両国のどこかで開催され、コミュニケーションは絶えることなく、互いの意思を常に確認している。しかし、アメリカを専門とする学者の話を聞くと、互いに気持ちはますます遠のいているという。

 アメリカが選挙の年だからそうなってしまったのではない。中国の台頭が及ぼす国際社会への影響について、今後中国の発言はどこまで許されるのか、そもそも中国の理屈を世界のルール形成に入れるのかどうか。経済に限っていえば、アメリカはTPPを通じて明確に「No」と言っている。経済以外のところではますます難しいだろう。

 中国の、日本やアメリカに対する不信は、今後も北朝鮮の撹乱によって顕在化し、さらに深まっていく。“ならず者”北朝鮮の行動にいかに対価を支払わせるかを議論する前に、中国と日米は互いに不信を取り除くべきであろうが、それはなかなかできていない。

 それを一番に見抜いたのは北朝鮮の若き金正恩だろう。いま、そのでかい体から愉快な笑い声が、世界じゅうに聞こえているのではないか。」

http://diamond.jp/articles/-/86604

金嬉老事件とヘイトスピーチ/中央日報

2016-02-20 12:22:56 | アジア
「 1968年2月20日、ぴったり48年前だ。日本・静岡県清水市のあるクラブで銃声が鳴り響いた。ヤクザの親分と組織員ら2人が殺された。猟銃を発射した犯人は在日韓国人2世の金嬉老〔キム・ヒロ、実名・権禧老(クォン・ヒロ)、当時41歳〕。借りた金を返せと脅迫していたヤクザが「朝鮮人、汚い豚野郎」と言って悪口を浴びせたことから怒りが爆発した。金嬉老の人生を押さえ付けていた差別と暴力、日本の警察の不当な待遇など苦い記憶が一気に胸を駆け上がったのだろう。

銃とダイナマイトで武装した金嬉老は警察の追撃を避けて45キロ離れた寸又峡「ふじみや旅館」に逃れた。旅館主人の家族と宿泊客をとらえて88時間の人質劇を繰り広げた。記者を呼び入れて会見をしたり生放送電話インタビューもしたりした。放送局のヘリコプターは山奥の人質劇をリアルタイムで中継した。日本人の目と耳がすべてテレビに集中した。当時の事件が日本初の「劇場型犯罪」と記憶されている理由だ。92年、韓国では『金の戦争』という映画が製作されて劇場で上映された。

金嬉老は「朝鮮人の差別を告発するために事件を起こした」とし「朝鮮民族を侮辱した警察は謝罪しろ」と声を高めた。結局、静岡県警察本部長が公開謝罪した。人質劇は報道関係者の間に混ざって進入した警察の逮捕作戦で幕を下ろした。無期懲役を宣告されて金嬉老は31年間の獄中生活を経て99年に仮釈放された。釜山(プサン)に居を移し、2010年81歳で亡くなった。

人質としてとらわれた旅館おかみの望月英子さん(77)は38年ぶりである2006年にソウルで金嬉老に会った。「今はすべて許せる」と話した。「殺人犯ではあったが私たち家族に被害を及ぼさなかった」とし「子供3人には申し訳ないと言って2000円ずつお小遣もくれた」とした。望月さんは2010年旅館の一角に「金嬉老事件資料館」を開いた。だが、宿泊客が次第に減り、結局2012年に廃業した。最近は建物も売却された。

日本社会に警鐘を鳴らした「金の戦争」以降、半世紀が流れた。事件現場は消え、目につく差別は大幅に減った。問題は在日韓国人を依然として威嚇するヘイトスピーチ(特定民族・人種に対する嫌悪発言)。東京新宿などでは「朝鮮人は朝鮮に戻れ」とする極右団体デモが常時開かれている。先月、日本を訪問した国連の少数者問題特別報告官のリタ・イザック氏は「ヘイトスピーチが危険な理由はジェノサイド(集団虐殺)に変わりうるため」としながら「差別禁止法の制定が急務」と指摘した。

3年以上ヘイトスピーチ反対運動を主導してきた「差別反対東京アクション」の日本人広報担当者の植田祐介氏は「差別を趣味活動ぐらいに考えている右翼がいるが、これに相対して戦う日本人も少なくない」と話した。あわせて「差別を絶対に許さない社会をつくらなければならない」と強調した。金嬉老の不幸な人生はこれ以上繰り返されてはいけない。差別は怒りを生む。和合の新しい時代を期待する。

イ・ジョンホン東京特派員」

http://japanese.joins.com/article/289/212289.html?servcode=100§code=140&cloc=jp|main|top_news

中国はTHAAD配備を問う前に金正恩の「剣の舞」に制裁すべきだ/東亜日報

2016-02-16 17:39:09 | アジア
「中国の王毅外相が高高度防衛ミサイル(THAAD)の韓半島配備をめぐって「項荘舞剣、意在沛公」という故事成語で批判した。楚の項羽のいとこの項荘が宴会で剣の舞いを踊る理由は、沛公(劉邦)を殺すためだという意味だ。中国は、THAAD配備を「劉邦(中国)を狙う項羽(米国)側の剣の舞」と見ており、韓国を米国の意によって動く項荘ぐらいに考えているという内心を表現したのだ。

王外相は12日、ロイター通信とのインタビューで、北朝鮮核問題の3原則「韓半島の非核化、軍事的解決の反対、中国の安全保障毀損の不容認」を紹介した。王外相は北朝鮮の核実験直後の8日にも、「中国は韓半島の非核化、韓半島の平和と安定、対話による問題解決という3原則を堅持しており、3つのうちどの1つも欠くことはできない」という内容の3つ目を変えたのだ。王外相は、非核化と関連して「北朝鮮側も韓国側も自ら作っても持ってきて配備してもいけない」と述べ、韓国の核開発や戦術核兵器の導入にも反対する考えを明確にした。北朝鮮の核とミサイル挑発で触発された安保危機の本質を曖昧にする発言だ。

韓国政府がTHAAD導入を検討するのは、北朝鮮の挑発から国民の生命と財産を守るための自衛的措置だ。にもかかわらず、中国は米国との覇権争いだけに神経を使い、韓国が直面する安保脅威に目を背けることは理解できない。米国は、THAADがなくても人工衛星を通じて中国の軍事的動きを探知することができる。国際社会が北朝鮮の挑発を糾弾するにもかかわらず、中国が北朝鮮の核問題解決に誠意を見せず、自国の安保利益を前面に掲げることは、国連安全保障理事会常任理事国として取るべき態度ではない。

16日にソウルで韓中両国の次官級戦略会議が開かれる。11日にミュンヘンで開かれた韓中外相会談で、王外相が「両国は重大な利益に関する問題では戦略的疎通を持たなければならない」と言ったが、北朝鮮の4度目の核実験後、韓中首脳間の電話会談を1ヵ月も拒否した中国がそのようなことを言う資格があるだろうか。北朝鮮が核を放棄するよう中国が影響力を行使しなくては、THAAD導入を阻止する大義名分はない。項羽と劉邦は天下統一の大業をめぐって力を競ったが、今、米国と中国が世界平和のために協力することこそ、時代が求める役割だ。北朝鮮が核とミサイルで剣の舞いを踊ることに中国が背を向けるなら、項羽は米国でなく中国だ。」

http://japanese.donga.com/Home/3/all/27/525518/1

韓国の失望と絶望

2016-02-15 15:35:29 | アジア
韓国政府がアメリカ政府との間でTHAAD(高度防空システム)の配備を検討していることが明らかになった。

これに対しては中国政府が、中国に対する脅威だとして猛反発している。

王畿外相は故事を引き、中国を刺すものだと言いたいようである。

しかし中国政府はこの間の自らの行いを振り返ってみてもいいだろう。

十数年をこえる六カ国協議は全く無益だった。

北は結局核を開発し、配備し、ミサイルの開発と展開を進めている。

北を抑制するための最低限の条件としての国連の決議も全く無視して、北は先日核実験とロケットの打ち上げを実施した。

これまで韓国は中国の北朝鮮に対する影響力に期待して、THAAD配備を求めるアメリカの要求を拒み、中国の要請の応えてAIIBにも、天安門のパレード行進にも参加した。

しかし期待は裏切られた。中国は結果として北の核開発とミサイル開発をそのままにしている。

そしてその後の対応でも、北擁護の姿勢を明確にした。

韓国が中国の対応に失望し、アメリカの軍事力に回帰するのは当然ではないか。

中国は近年自らが大国であることを自称し誇るようになってきた。

その通リ中国は大国である。領土は宏大、人口は多く、ミサイルも核もある。

北の核等大した問題ではないかもしれない。

しかし韓国には中国が持っているすべてが欠けている。

ソウルにキノコ雲が立ち上ったらそれで終わりである。

韓国の中国への失望は、自らがおかれた状況への絶望に裏打ちされたものである。

中国は今まで、南北の間に身を置いて、戦略的・経済的利益を享受してきた。

それは限界に達しつつある。

南北は軍事的に対峙している。

中国はどちらかを選ばなければならない。

韓国はそういっているのである。

韓国人の反日感情が韓国を傷つけるブーメラン になっている

2016-02-12 19:06:15 | アジア
「【ニューヨーク=ニューシス】ノ・チャンヒョン特派員=韓国人の反日感情が韓国を傷つけるブーメラン になっている、という寄稿文がニューヨーク・タイムズに載って関心を引いている。

ニューヨーク・タイムズは9日インターネット版(10日付新聞)に'ソウルの植民地ブーメラン(Seoul’s Colonial Boomerang)'というタイトルのコラムを掲載した。英語オンラインメディア'コリア・エキスポー ズ'のク・セウン編集長が寄稿したこの文は韓国人の辛い過去の歴史から作られた反日感情が招く 問題について「行き過ぎた興奮をとても長く維持することによって他の重要な問題を見すごさせる ブーメランになっている」と主張した。

寄稿文は「保守と進歩のどちらの政治家も、このような反日感情に迎合し、誰がより反日的になれる かの競争で政治がまともに動作しない原因になっている」と分析した。これと共に「日本はたびたび 歴史的事実を否認して韓国人を刺激することにより、もっと重要な問題を無視する便利な弁解の種 にしている」と指摘した。

寄稿文を書いたク・セウン編集長はスタンフォード大学で博士学位を受けてスタンフォードとエール 大学で韓国学を教えた。ニューヨーク・タイムズをはじめとしてフォーリンポリシー、インサイドハイヤー エド(Inside Higher Ed)等多くのメディアに寄稿している。コリア・エキスポーズ(Korea Expose)は 「コリアをありのまま見せる」という意味の探査メディアだ。

以下は寄稿文の主内容。

昨年12.28慰安婦合意で韓日両国外相は'最終的で不可逆的(final, irreversible)'という表現で日 本軍性奴隷被害者問題を再び提起しないことにした。これについて政界の強い非難があふれ、あ る慰安婦被害者は「大統領を変えなければならない。親日派の娘」と激昂した声をあげた。政府寄 りの保守新聞さえ「安倍晋三の謝罪は真正性がない」と不満を表わした。

韓国で日本について話すと相変らず占領軍を相手に戦っているようだ。小学校で子供たちは日本を 嫌うことを習う。韓国人は日本人に言及する時、軽蔑の単語を使う。1993年'日本はない'というタイ トルの本がベストセラーになった。反日感情は特に左派が右派を不信に思う側面でもある。 多くの親日協力者が解放後、親米と親企業、反共主義者に変身し保守政治人として活動したためだ。

創氏改名が強制された植民時代、日本帝国主義軍隊将校出身の朴正煕(パク・チョンヒ)は日本人 のように見せるため二回も名前を変え、与党の金武星(キム・ムソン)代表の父親は太平洋戦争当 時、韓国人に日本の戦争設備資金を出すように促したことが分かった。

保守主義者も反日感情を楽しんで利用する。李明博(イ・ミョンバク)前大統領は低い支持率で苦 戦した2011年、日本に行って突然に慰安婦問題を提起し、2012年には韓国と日本が争っている 独島(ドクト、日本名:竹島)を訪問した。現政権の司法府は慰安婦問題に対する主流見解に反す る本で起訴された学者(訳注:朴裕河のことか)に有罪を宣告した。この本は欠陥があると見られる が、政府のメッセージは明白だ。誰も愛国主義者の理由を汚すことができず、朴大統領は親日協 力者ではないということだ。

誰がより反日的になれるかのゲームは韓国政治の誤作動に寄与する。特定の日本政治家たちが 確立された歴史的事実に疑問を呈し、韓国人を刺激する間、日本はもう少し重要な問題を無視す る便利な弁解の種を提供している。去る2014年、朴大統領が指名した国務総理候補者が韓半島 植民支配を神様の意思と言及して落馬したが、辞退後も候補者の祖父が独立運動をしたことを立 証する調査が15カ月間進行された。去る2012年総選挙に続き親日問題に関する不幸な論議は4 月総選挙でより一層悪化するものと見られる。

反日感情は安保問題も喚起させる。北核脅威の増加にもかかわらず韓国と日本は2012年情報交 流条約合意に失敗した。他の国内問題も空回りしている。政府と野党は日本大使館前の少女像に 関し日本が提起した問題をめぐり争っている。韓国メディアは1月18日、安倍が議会でした慰安婦 動員に強制性がなかったという発言を攻撃し、2人の慰安婦被害者が1月25日、東京に飛んで行
って交渉無効を主張した。

植民時代犠牲者は日本がさらに進展した謝罪をしなければならないと要求する。人権に反する(日 本の)組織的な犯罪には十分な証拠がある。しかし、日本に関する無数に多くの問題の中で反日 感情は過去数十年間、独自の生命力を持っている。韓国は興奮した感情を持続的に維持している。 韓国指導者らは他の全てを失ってもこのような感情に迎合する。憎しみのブーメランが韓国を傷つ
けている。」

Seoul’s Colonial Boomerang By SE-WOONG KOOFEB. 9, 2016

2016-02-12 18:30:51 | アジア
"SEOUL, South Korea ― On Dec. 28, the foreign ministers of South Korea and Japan announced the “final, irreversible” resolution of the controversy over the sexual enslavement of Korean women by the Japanese military from the early 1930s until the end of World War II. They said neither government will raise the issue ever again.

While foreign media organizations praised the deal and a minority of South Koreans accepted it, there was a strong backlash here across the political spectrum. The main opposition Minjoo Party condemned “President Park Geun-hye’s complacent historical consciousness” for calling on the public to accept the agreement. One survivor, speaking to the left-leaning outlet OhmyNews, was blunt, “We need to replace the president ― that pro-Japanese collaborator’s daughter, Park Geun-hye.” Even some conservative papers normally supportive of Ms. Park grumbled that Prime Minister Shinzo Abe’s apology felt insincere. Protests continue at the Japanese Embassy.

The reaction to the agreement from both the right and left shows how much the history of the colonial period continues to shape South Korea’s domestic politics. Politicians and ideologues of all stripes have long fanned anti-Japanese sentiment simply to further their own agendas. They don’t appear to care that this obsession with the past is holding their country back.

South Korea has become an economic powerhouse, but much of the postwar era has been dominated by poverty and dictatorial rule. External entities like North Korea, the United States and Japan are routinely blamed for the nation’s ills. But feelings toward Pyongyang and Washington are more complicated; the anti-Japanese sentiment, however, is shared by almost everyone and informs the national narrative: Korea’s glory was thwarted by Japan, a morally and culturally inferior country.

Talking to South Koreans about Japan today, you might think they are still fighting an occupying force. Starting in elementary school, children learn to dislike Japan. Many South Koreans of a certain age use pejorative language when they refer to the Japanese. Books like the best seller “Japan’s Got Nothing,” published in 1993, and “The Lie That Japan Is an Advanced Nation,” translated from Japanese in 2008, have pandered to the crowd. A 2015 survey showed that more than 72 percent of South Koreans had unfavorable impressions of Japan.

The anti-Japanese sentiment serves the left particularly well in discrediting the right. Many wartime collaborators morphed into pro-American, pro-business, anti-Communist figures in the post-independence era and became active in conservative politics. It’s easy to make the charge ― perhaps fairly ― that today’s conservatives and business elites are the biological and ideological offspring of collaborators.

In an era when the occupiers forced Koreans to adopt Japanese names, Ms. Park’s father, Gen. Park Chung-hee, who served in the Japanese Imperial Army, allegedly changed his name a second time to make it sound even more authentically Japanese. During the war, the father of Kim Moo-sung, the current leader of the governing Saenuri Party, was a collaborator who reportedly urged Koreans to make donations to finance Japan’s war machine.

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Conservatives are equally guilty of exploiting the anti-Japanese sentiment. In the throes of dismal approval ratings, Ms. Park’s predecessor, Lee Myung-bak, unexpectedly brought up the issue of comfort women during a trip to Japan in 2011, and visited the islets of Dokdo, contested by South Korea and Japan, in 2012.

Despite the approval of the Dec. 28 accord, Ms. Park is hardly innocent of capitulating to anti-Japanese sentiment: Her government’s Justice Ministry is prosecuting a scholar on a criminal defamation charge for writing a book that challenges the mainstream view of the comfort women issue in South Korea. The book may be flawed, but the government’s signals are clear: No one should besmirch the nationalist cause, and Ms. Park is no pro-Japanese collaborator.

This game of who-better-confronts-Japan contributes to the breakdown of our politics. While certain Japanese politicians provoke South Koreans by questioning established historical truths, Japan provides a convenient excuse for politicians to ignore more important matters.

The opposition sunk Ms. Park’s nominee for prime minister in 2014 for once remarking that the colonization of Korea was “God’s will,” and that Japan wasn’t obliged to compensate comfort women, based on a 1965 bilateral treaty. Even though the nominee later withdrew under pressure, the government had to counter the accusation that he was pro-Japanese, which it did by spending 15 months investigating the man’s grandfather simply to prove that he had fought for independence.

The last general election in 2012 was also muddled by a focus on certain candidates’ links to Japan. A ruling party candidate was grilled over the fact that, years ago, he had written that colonial-era Koreans “might have thought of the Japanese Empire as their fatherland.” An opposition candidate, in turn, had his fitness to run for office questioned because he was the grandson of a collaborator. This unfortunate trend is expected to worsen in the run up to the general election in April.

Anti-Japanese emotions also trump security. Despite the growing nuclear threat from North Korea, South Korea and Japan failed to sign an intelligence-sharing pact in 2012; the Lee administration backed out at the 11th hour over the usual tensions. The two countries pledged in December 2014 to share information about North Korea’s weapons, but only through the United States. Last July, South Korea ruled out any possibility of a formal military intelligence pact with Japan.

Other domestic issues are getting sidelined. The administration and opposition bicker over what the government really meant by offering to “solve” Tokyo’s concerns over the memorial statue to comfort women in front of the Japanese embassy. South Korean media assailed Mr. Abe’s insistence in Parliament on Jan. 18 that there had been no forcible recruitment of comfort women during the colonial era. Two survivors flew to Tokyo on Jan. 25 to argue for nullifying the deal. Again, more recriminations ensued.

The victims of the colonial regime should continue to press their claims, and Japan ought to try making better apologies. There is ample evidence that the system was a crime against humanity. But after decades under a political class that has pointed its fingers at Japan for myriad problems, anti-Japanese sentiment has taken on a life of its own. South Korea stands in a perpetual state of heightened emotions. Its leaders constantly cater to these feelings, seemingly at the expense of all else. All that hate boomerangs to hurt South Koreans.

Se-Woong Koo is the editor in chief of Korea Exposé, an online magazine specializing in the Korean Peninsula. He is writing a book on contemporary South Korean society and politics."

http://www.nytimes.com/2016/02/10/opinion/seouls-colonial-boomerang.html?partner=IFTTT&_r=0

なぜ対北朝鮮政策は失敗するのか/中央日報

2016-02-12 17:58:28 | アジア
「 社会主義経済と体制移行を専攻した筆者は、短くない外国生活を終えて2003年に帰国した。北朝鮮を本格的に研究したかったのが主な理由だった。しかし現実は期待と違った。研究に必須のデータが少ないだけでなく公開されることもなかった。さらに北朝鮮問題は理念に透徹した戦士たちがうようよいる戦場になっていた。学問の空間は極めて狭かったが、票計算に明るい政治家が活動するにはこの上なくよい舞台だった。学者たちも権力者の極めて常識的な一言が真理であるように、これを忠実に反映して対北朝鮮政策を作れば高位職に簡単に登用されるようだった。

事実を知らなければ票と理念が支配する。その当時、与党(現在の野党)の数人の国会議員とスタディーグループをした専門家から聞いた話は衝撃的だった。彼らは北朝鮮経済が危機に陥った理由が米国の制裁のためだと信じているということだ。制裁によってペンティアム級コンピューターも輸入できないため、どうやって北朝鮮経済が成長するのかということだった。しかし北朝鮮の危機は制裁でなく悪い体制と制度によるものだ。今まですべての社会主義経済は危機に陥り、資本主義に移行しなければ危機を抜け出せなかったという事実は、例外のない法則だ。さらに丹東に一度でも行ってみれば、北朝鮮はペンティアム級コンピューターをはじめとするほとんどすべての制裁品目を自由に買っていくのを簡単に確認できたはずだ。理念と票に目がくらんで作った政策が実効性を得られないのは当然だ。

学習しなければ言葉だけの対策を立てる。10年ほど前に世界的な学者を招聘し、社会主義経済体制の移行に関する国際学会を組織し、関連部処の官僚の出席を要請したことがあった。返ってきたのは拒否だった。北朝鮮を刺激する可能性があるからだという。優れた専門性を持つ学者の研究成果を学習し、これを政策に反映するのは官僚の義務だ。学校で開かれた学会への出席まで北朝鮮が監視すると信じるほど公務員のセキュリティー意識は透徹しているだろうか。北朝鮮問題のように創意的な解決策が必要なテーマについて学習意欲さえ持たない政府と政治家に、何を期待できるだろうか。

急造の政策は失敗する。前政権の初期の話だ。非核・開放・3000政策を標ぼうした政府部処の高位関係者に数人の専門家と一緒に会った。専門家はこの政策の実現可能性が低いとみて、これを現実化させる案があるのか心配していた。その公職者はすべての準備は完了し、あとは実行さえすればよいと述べた。しかし翌日、部処の実務者から電話で連絡があった。非核・開放・3000を実現させる案について研究してほしいということだった。少なくとも韓国政府の実力を信じたかったが、希望は完全に崩れた。おそらく選挙キャンプで主に保守性向の有権者の票を意識して短期間に作った政策だったはずであり、その実現の可能性をどれほど考慮したのだろうか。政府の対北朝鮮政策の成果があったとすれば、準備できていない政府の原則論は貧弱な成果に帰結することを確認させた程度だった。

朴槿恵(パク・クネ)政権の対北朝鮮政策は上の経験から学ぶべきだった。事実を基礎に、学習を通じて具体的で緻密な政策と戦略を出さなければならなかった。にもかかわらず、韓半島(朝鮮半島)信頼プロセスという、創造経済ほど概念があいまいで作動の可能性が疑わしい政策を出した。このため機会の時期である政権の序盤に対北朝鮮政策を積極的に展開できず、戸惑った。その後、ドレスデン宣言を通じて内容を一部具体化し、統一テバク論(テバク=bonanza、大もうけ/大当たり)で統一に対する国民の共感を広める成果もあった。しかしこの提案がむしろ北朝鮮に現政権の統一論を吸収統一と信じさせる結果をもたらした。信頼というものはお互いやり取りする過程を通じて形成されるが、大統領は「我々は急進吸収統一を追求しない」という発言さえも惜しんだ。友邦である米国の専門家さえも韓国政府が推進する統一案と戦略が分からないと首をかしげる。これも戦略的あいまい性なのか。それとも学習せず疎通しない政策決定者の失敗なのか。

失った歳月のために韓半島が迎えるかもしれない残忍な歳月を考えれば気が重い。北朝鮮が追加の核実験をしないと信じていたとすれば、それは無知であり、外交という貧弱な腕にだけ頼って非核化が可能だと信じていたとすれば蒙昧だ。4回も北朝鮮が核実験をし、光明星ミサイルを発射するまで、我々の政治と政府は同じ失敗を繰り返した。政治は対北朝鮮政策を票と理念で汚染させ、学習しない政府は瞬発力でのみ政治に奉仕してきた。こうしたレベルの対北朝鮮政策で我々と我々の子どもたちをセウォル号より大きくなるかもしれない災難から救えるだろうか。私の心にはもう一つのセウォル号が沈んでいる。

キム・ビョンヨン・ソウル大経済学部教授 」

http://japanese.joins.com/article/j_article.php?aid=211915&servcode=100§code=120

袁庚/百度より

2016-02-04 14:08:08 | アジア
「袁庚,原名欧阳汝山,1917年4月23日出生于广东省宝安县。小学毕业证书上改用欧阳珊,入党后改为袁更,解放初期出国护照上误写为袁庚,一直沿用。少年时期,接受进步思想,追求革命真理,积极参加抗日救亡活动。1939年3月加入中国共产党。袁庚历任东江纵队联络处处长、东江纵队港九大队上校、三野二纵队四师参谋处副处长、两广纵队炮兵团团长、中共驻香港办事处主任、胡志明顾问、香港招商局常务副董、蛇口工业区党委书记。袁庚曾参加黄谭战斗、南麻临朐战役、昌潍战役、济南战役。

袁庚是招商局集团原常务副董事长、招商局蛇口工业区和招商银行、平安保险等企业创始人、百年招商局第二次辉煌的主要缔造者、中国改革开放事业的重要探索者。为表彰袁庚致力促进中港关系及香港与中国内地之间的经济发展,特别是对香港的航运事业贡献良多,2003年被香港特别行政区授予金紫荊星章。

2016年1月31日凌晨,袁庚因病医治无效,在深圳蛇口逝世,享年99岁。[1] 」

http://baike.baidu.com/view/321106.htm

袁庚先生とその理想主義改革/何清漣

2016-02-04 14:02:19 | アジア
「袁庚先生(*深圳蛇口工業地区の開発を成功させた指導者。中共改革派、1917年4月-2016年1月31日)がなくなられたという知らせに私は中国を去る直前の3年間を思い出しました。
私が袁庚先生と知り合ったのは先生が「改革の先鋒」として大活躍していた時期ではなく、もう引退されてのちのことです。ですからある意味「無名人としての交友」だといえましょう。私の「现代化的陷阱」(1998/邦訳;「中国現代化の落とし穴―噴火口上の中国 」2002/11)が縁となって先生とその深圳・蛇口地区の改革の数々の伝説に関して長い話をうかがったのですが、さらには改革の別の一面、紅色貴族権力資本主義の始まりから、形成、その将来について、つまりその暗黒面についても話し合いました。

1998年の夏、知り合いが袁庚先生が私に会いたいといっている、と伝えてきました。私はすぐにでもお尋ねします、と電話番号を伝えてくれるように言いました。その次の日、電話で約束して午後2時ごろ運転手が迎えにきてご自宅に参上しました。以前から取材で知り合っていたこともあってかとてもきさくに迎えてくださり話題はほんとうに多岐にわたりました。最初は広い客間でお茶をいただきお話していたのですが、私が外が広々と見えるベランダ側の大窓にチラチラ目をやるのに気がついたのでしょう、広々とした海やはるかな山並みがみえるベランダに小さな椅子とテーブルを持ち出してくださり、そちらでお話をつづました。穏やかな海風に吹かれていつのまにか三時間も話し込んでしまいました。それからというもの、袁先生は1、2か月ごとにもし暇ならおいでなさいとお誘いがありました。ほとんど私がお訪ねしたのですが一度だけ「いつも来てもらってばかりでは失礼だから」と拙宅にもおみえになりました。

1980年代の深圳・蛇口地区の改革の話は何冊も本が出版され、長編のレポートも、専門記事もあります。袁先生と知り合いになる前に、私は蛇口に、中国青年報から蛇口通信報に移ってきた郭建新や魏海田といった友人がいましたが、彼らが袁先生の昔の改革にまつわる話をするときは畏敬の念をもって言及していました。でも若かった私は「普段着のおつきあい」でしたから袁先生はまるでお隣に住む親切なおじいさん、という感じで可愛がってもらったのです。

一番深い思い出は何度かお会いしたとき、一緒に蛇口に行こうと言われたことでした。私はそのとき笑って蛇口地区には少なくとも5,6回はいったことがあるからよく知ってるし、先生はお元気でも車で長時間、あちこちいくのはお疲れでしょうと申し上げたのですが、袁先生は「自分と一緒に行けばちょっとちがうかもしれんよ」とおっしゃりました。そこで私はやっと袁先生は昔の思い出の地をまわっていろいろお話なさりたいことがあるのだと気がつき、この蛇口工業地区の創設者にガイドになってもらって同地区みてまわることになったのでした。

その日、袁先生は極めてお元気で、行く先々でその建造物群たとえば蛇口工業区の最初のホテル(たしか南海ホテルとか)、世界の豪華客船の立ち寄る場所になっている山に面して建てられた亀山別荘地区とかでその由来を話してくださいました。亀山別荘地区では建築当時はシンプルで居心地のいい別荘をつくって、各方面のお客さんを接待しようとした、とかかつって誰それがきたとか。私も深圳取材で「走向未来」叢書の包遵信氏(*改革派の著名出版人。のち弾圧される。1937年9月-2007年10月28日)らときたことや次の年は馮蘭瑞女史(*経済学者/学問の自由を主張した党員)についてこちらに三泊したことがあって、そのころの宿泊客名簿はまるで80年代中国の改革開放の風雲児たちのサイン帳のようだったとお話しました。この話は袁先生にそのころのことを思い起こさせ、話は権力とその善悪の話になりました。

袁先生は「あなたのあの『現代化の落とし穴』のメインテーマは権力の悪についての問題だが、実は権力は悪にもなるし善にもなる。あなたは権力をもったことがないから権力というものの良さをご存じない。でもごらんなさい、この蛇口はもとはただの荒地だったのを自由に解放してビジネスマン中心にしてからどんどん工場やビルがたって高層建築になって道路も整備されて各地から人材がやってきて多くのよいことが始まって、小平改革の良きモデルになったんだ。これが権力がよいことをした例だよ」といいました。さらに話は制限を受けない権力は必ず悪になってしまうという問題を話しあいました。

袁先生は博覧強記の方ですくなからぬ西側の名言を引用されました。そして最後に広州のあるメディアが自分に取材したインタビュー記事をみたかどうか、それをどう思ったかと聞かれたので、率直に自分の見方をお話しました。

こんな内容の話をいたしました。

;このころ既に深圳のメディアはとっくに蛇口工業地区の昔の改革の話を掲載することはできなくなっていました。ちょっと離れた(といっても地理的な意味ではなくて)広州で掲載できただけでも大したことでした。しかし、こうした状況のもとではそのインタビュー記事も本当のことを書けずいいわけに終始するのでした。蛇口の最初のころの成功はその真髄が自由な自治に任せたことにあったとは書けないで、その衰亡もまた本当の原因には触れられなかったのです。

その原因というのは浅い見方でいえば蛇口の行政的地位が大変気まずいもので、小平の改革理念の実践における一種の「飛び地」だったことで深圳市と広東省はどちらもこの土地に対して自分たちの行政管轄権がおよばないことに不満をもっていました。小平がいた間は問題はなかったのですが、トップからのそうした保護の力がよわまると厄介な問題がいろいろでてきました。深くいえばこの中共の体制というものは異質なものを許容できないということです。あなたのおっしゃる言論の自由は「法律が禁止していなければ自由」といいますが、しかし政治改革を口にするだけで体制側から見たらもうそれは行き過ぎ、なのです。小平は指導者のなかでは一番もっともそうした体制のなかから遠いところまで行った人ですが、あなたはその小平よりもっと先にいきました。これがまさに問題でした。中国の改革は本来は二つの面があって正しい道と邪な道があり、双子のようなものでした。正道はつまり胡耀邦であり趙紫陽であり、あなた党内改革派の堅持した道であって、みんな経済と政治を通じて先生制度を次第に権力を減らして開明的な専制制度に変えていき、さらに開明的な専制のなかで民権という理念を育て、最後に上から下への民主化を完成させたいとおおもっていました。邪道というのはつまり紅色貴族権力による資本主義であり、つまり私が「落とし穴」で分析し批判した道です。そして正道をずっと歩もうとしたならば必然的に”天安門”にいきつき、中共の政治的合法性とあのころすでに生まれつつあった紅色貴族資本主義に対して挑戦することになり、この二つの道は必然的に衝突するのです。天安門事件で小平は趙紫陽を片付けてしまいましたが、あれは事実上自らの手で改革が生んだ赤ん坊の健康な方を殺してしまったと同じことです。改革の未来の道はあのとき事実上決まったのです。

このように申し上げました。

その日はずっと夜の8時半ぐらいまでお話しました。お別れする前、袁先生は「清漣、キミがそういうのはたやすいんだ。だってこの体制と私たちのように血肉の関係にはないからね。でも私たち老人にはとても難しいことなんだよ。青年時代から私たちはこの革命に命をかけてきたし、ひどい打撃もこうむった。失望もした。でもどんなことがあっても私たちこの世代の党内の老人は一世一代この党のために、この国家のために頑張ってきた。だから思想的に決定的に決裂するのは身を切られる思いがある。この痛みは君たちの世代にはわかってもらえないだろう」とおっしゃいました。

私はこう申し上げました。

;「いえ、実は理解できるんです。私が「落とし穴」を出版した後、李鋭、任仲夷、李慎之、朱厚泽といった中共の古参党員の改革派の人々たちとよくお話したのです。みなさん深圳までくると私に会いたいとおっしゃいました。で、一緒に改革の過程であらわれた腐敗や権力の私物化といった現象を深刻に心配しておられ、それをどうすることもできないことに深い焦慮を抱いておられました。ですから私はこうした改革派のご老人たちの気持ちはわかりすぎるほどわかります。そして袁先生やこうした方々がおられたということに中共革命の20世紀における歴史に、かつては光明の一面もあったのだということを知ったのです」と。

2000年以後、私をめぐる環境は急速に悪化していったとき、袁先生はときおりお電話を下さったいつもどうしようもないという口調で「みんなそのうちよくなるだろうよ。気分が晴れなければうちにきなさい」といってくださいました。当時、私はいろいろな事情が多すぎたのと、ある公安局の親しかった友人が実は袁先生も監視対象になっているとそっと教えてくれて、きみと袁先生の交友は深圳市のとある部門はピリピリしているというのです。この話は本当だと思いました。だって私と袁先生の間柄はメディアにでたこともなくほとんど誰もしらない話だったのですから。この友人の話はきっと監視情報が公安局内部に流れていたのでしょう。袁先生に迷惑をおかけしないためにも私は袁先生のお宅には伺わなくなりました。袁先生からお電話を何度もいただきましたがいつも忙しくて、とか申し上げていましたが、袁先生もそのうち何かお感じになったのでしょう、もう我が家にいらっしゃいとはおっしゃらなくなりました。

2000年6月に米国の国際訪問の招きをうけて米国へいったあと私が働いていた新聞社の中共市委書記の張高麗がみずから私を解職し俸給を下げ、記事を発表禁止にしたあと、私は自分から深圳の友人たちとの一切の交流を断ちました。当然、そのなかには袁先生も含まれていました。そして7月中旬に北京の国務院2000年マクロ経済情勢検討会に出席したあと、北京大学で不可解な”交通事故”にあって、息子と一緒に怪我をして、私は足の骨が折れ自宅で休んでいる時、「万科週刊」の单小梅から電話があって「袁先生がきみのことをとても心配しているから会いに行くべきだよ、彼はこんどきみがアメリカに行くと国内の圧力でもう戻ってこれないからもしれないからきみにもう会えなくなるだろうって」というので袁先生にお電話してお伺いすることにしました。

袁先生は息子ともども自宅によんでみずからドリアンを切り分けてくださり、いろいろ慰め励ましてくださいました。このときもう私は中国を去る決心をしておりました。そのわけは息子をこれ以上、この極めて不安全な暮らしにおきたくなかったのです。で、その話を先生に打ち明けました。私たちが帰るとき見送りにでてくださった先生に、どうか安心してください、私は自分たちの面倒はみられますから。でも先生のところにはなかなかこられないとおもいます、と申し上げました。袁先生はただしっかり私の手を握って「身体だけは大切に」とだけおっしゃいました。夕暮れの車窓から先生の姿をみたときに多分これが先生にお会いする最後だろうとおもっておりました。

2001年6月下旬、私は米国に着きました。シカゴ大学を訪問中に袁先生からお電話をいただきました。どこから電話番号を聞いたかとかは聞きもしなかったです。いろいろこちらを気遣ってくださったあと、先生は私がまだ中国に戻れるのかどうかをお尋ねになりました。私は、もう中国に戻ることはできません。まず仕事がないでしょう、国家安全部の監視のもとで中国のどこの街へいっても仕事はえられませんから生きていけませんし、また終日監視の下で暮らすのはとても我慢がなりませんから、と申し上げました。袁先生はそれをきいてもう何もおっしゃらず、ただ「米国でやっていけるかい?」お尋ねになりました。私は「やるだけやってみますよ。でも米国というところは木の枝の葉っぱでも挿し木したら芽が出るといいますから、自分が努力したら大丈夫ですよ」といいました。袁先生はこれをお聞きになったあと「清漣、ほんとうにすまない。助けが必要なときに私は何もできなかった。もう一生会えないんだろうねえ…」とおっしゃいました。私はその夜、眠れませんでした。

このあと十数年、今や私は「中国に敵対する外国勢力」であり「国家の敵」ということになっていますから、自分からは中国にいる旧友に連絡をとったことはありません。いま袁先生が99歳でみまかられたという知らせに接し、悲しみに言葉もありません。いまの中国は袁先生が生涯をかけて奮闘してこられた目標とあまりにも違いすぎるからです。蛇口ビジネス招聘局がネットに袁先生への弔辞に「袁先生もうこの世におられないが改革は続く」という言葉がありましたが、袁先生はもとより現在の中国人、この言葉を書いた人もふくめてみな中国の理想主義的な改革はとっくに死亡し残っているのは”改革”というカラ文句だけだということをはっきり知っています。中共80年代の理想主義改革を象徴する人物として袁先生はそのころの中国人が改革の正道を歩む希望を担っておられました。90年代中後期には理想主義改革はもはや存在しませんでした。いま、袁先生がこの世を去られたことは、あの世代の理想主義的改革を体験した人々の改革に対する思いの最後の一糸もまたともに失われたと言えましょう。(終)

拙訳御免。
原文は;袁庚先生与他的理想主义改革  http://www.voachinese.com/content/he-qinglian-blog-yuan-geng-idealism-20160201/3172770.html

http://heqinglian.net/2016/02/02/yuan-geng/

チョコレート少女の自殺/遠藤誉のブログより抜粋

2016-02-03 18:33:09 | アジア
「◆チョコレート万引き少女の自殺に抗議して暴徒化した民衆――貧富の格差と政府への不満

昨年12月28日、甘粛省金昌市永昌県の13歳になる少女が華東超市(華東スーパーマーケット)東街店でチョコレートを万引きした。

少女はその日の昼、水しか飲んでいなかった。昼食のために学校から家に戻ってみると、テーブルの上にはわずかな小銭が置いてあるだけだった。華東スーパーがある広場でポップコーンを売っている父親に電話すると、その金で何か買って食べてくれという。少女は家で水だけ飲むと、その小銭で父親のためにうどんを買い、父親に届けた。お前が食べろという父親に「おなか空いてないから、いらない」と言い、その場を離れた。父親は無理やり別の小銭を少女に渡した。

目の前には何でも売っているスーパーマーケットがある。
少女は思わず店の中に陳列してあるチョコレートに手を伸ばしていた。
家は貧乏で、チョコレートを買うお金などない。
スーパーの監視カメラが少女の行動を撮っていた。

店員に捕まり、客の前で激しい詰問が始まる。
「名前は?」「さっさと名前を言いなさい!」「学校はどこなの?!」「親の名前は?!」「親の電話番号を言いなさい!」
店主も出てきて、容赦なく罵声を浴びせた。
周りの客が、「もう、その辺でいいだろ?品物も返したんだし…。学校に戻してあげたら?まだ子供なんだし…」とかばうが、店主は引かない。

少女は屈辱のあまり何も答えられず、ようやく母親の電話番号を言った。
母親が来ると、店側はチョコレートの10倍はする150元を出せという(1元は約18円)。払わなければ警察に通報し、学校に通知すると脅した。

しかし母親は10元しか持っていない。
母親は娘を店で待たせ、ポップコーンを売っている夫のところに飛んでいき事情を話した。二人合わせてかき集めた金額は95元。急いで店に戻り、店主に有り金ぜんぶを渡した。

「だめだ! 足りない! 150元出さなければ警察に通報するぞ!」
押し問答をしている内に娘の姿が消えていることに気がついた。
ハッとした時には遅かった。
少女は17階の屋上に行き、飛び降り自殺をしてしまったのである。

翌日、千人以上の民衆が華東スーパーを囲み抗議を始めた。
30日になると群衆の数は万を越え、暴徒化してしまう。
警察3000人以上が出動し、それでも騒ぎは収まらずに、ついに蘭州軍区から3000人の武装警察が出動。大きな事件に発展してしまう。その様子を伝えた画像はほぼ削除されてしまって、今ではあまり見つからないが、その一部は「Yahoo香港」や「文学城」などの写真から伺われる。10人ほどが拘束された。

貧乏なのだ。
特に甘粛省やチベット自治区あるいはウィグル自治区などの辺境の地に行けば行くほど、貧富の格差は激しい。」

http://bylines.news.yahoo.co.jp/endohomare/20160201-00054012/

習近平国家主席、受刑者およそ3万人特赦

2016-01-29 15:59:10 | アジア
「中国政府系メディアが報じたところによると、習近平国家主席は、昨年末までに受刑者3万1527人に対する大規模な特赦を行った。そのうち、事件当時に18歳未満だった服役者の割合は94%。

 国営の新華社通信ニュースサイト、新華網の26日の報道によると、今回の特赦の対象者は、中国共産党の下で抗日戦争などの戦争に参加したことがある者、75歳以上で体に重い障害があり、自立した生活を営むことが難しい者、事件当時に18歳未満で、懲役3年以下の者、または残りの刑期が1年以下の者だった。

 習主席は、昨年8月29日から国家主席特赦令への署名を開始している。

 今回の特赦は1975年毛沢東が行って以来40年ぶりで、非戦争参加者がはじめて対象になっている。米人権団体「米中対話財団(Dui Hua Foundation)」の幹部ジョン・カンム氏は米メディアに対し、「毛沢東以外の歴代トップ(小平、江沢民、胡錦濤)が踏み切れない特赦を習近平が行った。(最高指導者としての)自信をみせている」と見解を述べた。中国問題専門家からは「習近平氏が全面的に政権の主導権を握ったことを意味する」との見方もある。

(翻訳編集・桜井信一)」

http://www.epochtimes.jp/2016/01/25146.html