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「安倍総理から日本を守ろう」羽田孜氏が訴える 元首相5人が安保法案反対の提言

2015-08-12 15:35:30 | 政治
「参院特別委で審議中の安全保障関連法案に反対する元首相5人の提言が、8月11日に発表された。

朝日新聞デジタルによると、「歴代首相に安倍首相への提言を要請するマスコミOBの会」が7月、中曽根康弘氏以降の存命の元首相12人に要請文を送付。11日までに回答した細川護熙、羽田孜、村山富市、鳩山由紀夫、菅直人の5氏の提言を発表した。安倍首相側にも郵送されたという。

5人は全員、自民党以外の政党から首相になった。いずれも安保法案に反対する内容で、羽田氏の文章は関係者が口述筆記した。各氏の全文を掲載する。

■羽田孜氏「安倍総理から日本を守ろう」

tsutomu hata
羽田孜氏

「戦争をしない」これこそ、憲法の最高理念。平和憲法の精神が、今日の平和と繁栄の基礎を築いた。特に、9条は唯一の被爆国である日本の「世界へ向けての平和宣言」であり、二度と過ちを繰り返さないという国際社会への約束でもある。海外派兵を認める集団的自衛権は、絶対に認められない。

安倍総理から日本を守ろう。

■鳩山由紀夫氏「お説教をする立場ではないが…」

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鳩山由紀夫氏

安倍総理大臣、私も総理として大変に稚拙だったと反省する身ですので、あなたに大きな顔をしてお説教をする立場ではないことを良く心得ています。ですが、せっかく機会をいただきましたので、国のあるべき姿について私見を述べさせていただきます。

安倍総理、あなたは昨年の総選挙で大勝利を収めました。勝ったのだから、自分の思い通りの法律を創るのだと力んでおられるようです。私は2009年民主党が大勝利し政権交代直後に、最もやりたかったのは、国家権力を強めるのではなく、一人ひとりの命を大切にする政治でした。安倍総理、あなたはなぜ今、時代に逆行して国家権力を強めようとされるのでしょうか。「国会運営は『国会は野党のためにある』の気持ちで」と竹下登元総理がいつも話されていたように、数を頼みに力で押し切るのではなく、野党や国民の声に耳を傾けることを心掛けることが大切ではないでしょうか。今、国民の多くが「戦争が出来る国」になることを心配しています。そして、安保法制の法案が今国会で成立することに反対しています。総理自身も「国民の理解が進んでいない」ことを認めておられますが、「国民の理解が進んでいない」というより、「国民の理解が進むほど反対が増える」と理解するべきでしょう。

なぜなら、総理の説明を伺うほどに、時代認識の誤りや矛盾に、国民は気が付き始めているからです。総理はことある毎に、「安保環境が大きく変わる中で」と枕詞のように話されます。世界情勢が緊張感を増してきているかのように聞こえますし、メディアもそのように報道します。総理は4、50年前の状況と比べておられるようですが、その時代には米ソ冷戦が激化し、キューバ危機やベトナム戦争がありました。今よりはるかに物騒な時代でした。現在の米ロが戦端を開くことはあり得ませんし、米中も戦争はしません。あまり報道されませんでしたが、昨年オバマ大統領が来日した際の記者会見で、「小さな岩のことで中国と争うのは愚の骨頂」と諌めた通りです。安保環境が悪化しているならまだしも、その時よりはるかに良くなっているにも拘らず、「戦争に参加するための法案」を、なぜ今更議論するのでしょうか。

総理は集団的自衛権を分かりやすく説明するつもりで、アメリカ本国や離れが火事の時に日本が火消しをすることだと例示されましたが、火事と戦争はまるで違います。火事は消せば済みますが、戦争は協力すれば、敵が攻撃する可能性が生まれるからです。後方支援は直接的な武力行使ではないと言い張っても、敵は兵砧を断つ戦略に出るのが鉄則ですから、真っ先に狙われます。逃げれば全滅でしょう。

また、総理はホルムズ海峡が封鎖されたら、日本に原油が来なくなる。だからホルムズ海峡に敷設された機雷の除去の手伝いをする必要性があると、しばしば例として挙げますが、これこそ時代認識の大きな誤りでしょう。総理は特定の国を想定していないと逃げていますが、イランを念頭においておられることは明らかです。かつて私がイランを訪問した際、国内から大きな非難を浴びましたが、そのときに私がアフマディネジャド大統領に申し上げたのは、原子力の平和利用に徹するとしても理解されるには時間がかかるので、日本を見習って辛抱強く対話路線で交渉してほしいということでした。その後、イランは辛抱強く対話を続けてくれたと思います。そして漸く6か国との協議が最終合意にまで到達しました。イランとアメリカやイスラエルとの間の不信感が完全に拭えたとは思いませんが、少なくともホルムズ海峡に機雷が敷設されるような環境では全くないことだけは明白です。総理は適切な具体的な例が見つからないので、このような例を挙げられたのだと推察いたしますが、具体的な例がないということは、法案に今日的な必要性がない証左でしょう。

総理、そもそも集団的自衛権を限定的であれ行使できるようにするには、憲法改正が必要です。どうしても行使すると言うのなら、憲法改正を堂々と行ってからです。国の安全保障の根本に関わる議論を変更するのですから、表玄関から正直に入らなければ、生涯禍根を残すでしょう。ただ、私はアメリカに媚を売るような形で集団的自衛権の行使をすることには反対です。それはアメリカの決めた戦争に唯々諾々と参加せざるを得なくなることが明らかだからです。また、日米安保一体化の一環として、普天間飛行場の辺野古移設を強引に推し進めておられますが、これ以上強行されると、沖縄の人びととの間に流血の惨事が起きかねません。この件では、私が大きな責任を有していますし、辺野古に決めてしまったことを沖縄県民にお詫びいたします。ただ、翁長知事を筆頭に沖縄のみなさんは覚悟を決めておられます。辺野古は無理です。総理には民主主義を守っていただき、あらゆる可能性を、沖縄を含めアメリカ政府と検討していただきたいと願います。少なくとも私が総理のときにはアメリカには柔軟なところがありました。柔軟でなかったのは、むしろ日本の外務省と防衛省でした。北海道のある駐屯地では司令がすべての自衛隊員に遺書を書くことを命じました。こんな形で自衛隊員に苦しみを与えて良いと思われますか。

私は日本を「戦争のできる普通の国」にするのではなく、隣人と平和で仲良く暮らすにはどうすれば良いかを真剣に模索する「戦争のできない珍しい国」にするべきと思います。私が総理のときに訴えました「東アジア共同体」構想を、中国の習近平主席が唱え始めています。中国と韓国は自由貿易で結ばれていきます。アセアンも今年中に経済共同体が作られます。日本こそ、そして沖縄こそ、その結節点として立ち上がる時を迎えているのではないでしょうか。「戦争への国造り」から、「平和への国造り」へ総理の英断を求めます。

■菅直人氏「直ちに総理辞任を」

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菅直人氏

安倍総理は小さいころから祖父であった岸信介元総理を尊敬し、岸総理がやったことはすべて正しいと母親から教えられてきている。祖父を尊敬することは一般的には決して悪いことではない。ほほえましいことである。しかし、政治家として祖父である岸信介元総理がやったことすべてが正しいと思い込むのは問題だ。

私は第一次安倍内閣の2006年10月5日の予算委員会で、安倍総理に対して「岸元首相が東条内閣の商工大臣として太平洋戦争の開戦の証書に署名したことは正しかったと考えるか、間違っていたと考えるか」という質問をした。それに対し安倍総理はいろいろ逃げの答弁を試みたのち、最後に「間違っていた」と認められた。

しかしその後の安倍総理の言動を見ていると、「間違っていた」との答弁に基づく太平洋戦争に関する「反省」の態度は後退を続けている。そして、岸元総理がやりたくてできなかった憲法改正をすることが自分の使命と思い込み、解釈改憲を強行し、現在憲法に明らかに違反する「安保法制」を強行しようとしている。

私は政治家の使命は国民のため、自国のため、世界のためを考えて行動することだと考える。いくら肉親であったからと言って、国民や日本の将来よりも亡くなった祖父の思いを優先する安倍総理の政治姿勢は立憲主義に反し、民主主義国の総理としての資格はない。

安倍総理は2011年5月20日のメールマガジンで、当時総理であった私に対し、3月12日に福島原発1号機への海水注入を止めた責任を取って即座に総理大臣を辞するように主張した。この主張自体、虚偽に情報を真に受けて安倍総理の大間違いであったことはすでに明らかになっている。それに対し、安倍総理は立憲主義を踏み外していることは明らかであり、今回は私の方から、安倍総理はその貴任を取って直ちに総理を辞任されるよう求めるものである。

■村山富市氏「国民軽視の姿勢は許せない」

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村山富市氏

1, 圧倒的多数の憲法学者が今回の安保関連法案は憲法に反すると証言している。また政府が提出する法律案の是非に携わってきた歴代法制局長官が、この法案は違憲であると証言している。

これまでの歴代自民党政府も集団的自衛権は憲法が認めないとして、現行憲法は守られてきた。

にもかかわらず安倍首相は勝手に憲法解釈を変え、閣議決定により合憲として国会に提出した。こうした立憲主義を無視した手法は問題だ。

2, 国会提出以降、国民はいまだかってない国会の審議を注目しているが、首相は野党の質問にまともに回答するのではなく、一方的に長々としゃべりたいことをしゃべっているだけで、問題点が解明されない。

審議した時間が問題ではなく、質疑を通して問題点が解明され、国民にも是非についてある程度理解ができたかどうかが問題である。首相自らが、「まだ理解されていない」と認めながら、審議時間だけを取り上げて、質疑を打ち切り強行採決を行い、多くの野党が欠席のまま衆院本会議で採決した。議会制民主主義を無視した横暴なやり方は認められない。

3, 炎天下の中、連日、「憲法を守れ」、「戦争反対」を叫んで国会周辺のデモを行っている学生や若い人たち、子ども連れの方々、障がいをお持ちの方や車椅子のご老人等がおられる。「日本はこれからどうなるのか」、「再び戦争することになるのか」、空襲を経験された国民の皆さんは「原子力発電所を数多く持っている日本の国が空爆されたらどうなるのか?」、「戦後70年間戦争に加担することなく平和国家としての大道を歩き続けてきた日本がなぜ?」と居ても立ってもいられない気持ちで立ち上がり叫んでいる。

最近の世論調査では、安倍内閣の支持率が下がり不支持率が上回っている。こうした現状も国民の声も無視して力で押し通し、法案さえ通れば最後は世論もおさまると甘く見ているが、こうした国民軽視の姿勢は許せない。

4, 現状の国会の状況からするとあるいは数の力で押し切られるやもしれない。参議院で議決できなければ「60日条項」を発動して衆議院で再議決すればよいと考えているようだ。

国民の声や意思を甘く見てはいけない。来年の参議院選挙から衆議院の解散総選挙まで展望して勝負を決することが必要だ。主権者である国民が日本のあり方を決めるのだ。あきらめてはいけない。

■細川護熙氏「国益を損なうことになる」

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細川護熙氏

1.安保法制関連法案は廃案にすべき

廃案にすべきだと考える理由は、ひとつは法案の内容の点からであり、ひとつは手続きの点からである。

2.内容上の問題点

(1)今の日本の発展と国際的地位は平和憲法のたまもの

戦後日本の発展と国際的地位の獲得は、平和国家としての立場によってもたらされたものであり、かつ平和国家日本は、何よりも憲法9条をもつ平和憲法によって実現された。我々は、平和憲法をもったことの意義を十分わきまえなければならない。

憲法9条をもつ平和憲法を変えることは(解釈改憲によるとしても)、世界に確立した平和国家日本のイメージを損なう危険があるばかりでなく、日本人自身にとっても、その目指すべき将来の国家像を混乱させる。

(2)集団的自衛権の必要性への疑問

安倍総理は、テレビ番組で、集団的自衛権について、隣りの「米国家」が火事になって「日本家」に延焼しそうになったときに、日本の消防士が消火に行くようなものだと模型を使って説明した。しかし火災の消火と集団的自衛権の行使は、全く異なる。消火は人助けで美談の部類だが、集団的自衛権の行使は第三国に武力を行使することであり、その国の人員を殺傷し、場合によってはわが国の人員にも犠牲者が出ることになる。国民に対して集団的自衛権の行使を火災の消火の美談に譬えて説明することは、武力の行使や戦争の悲惨さから目をそらさせることになる。

また安倍総理は、集団的自衛権の行使が必要な事例として、朝鮮半島有事の際に韓国から避難する日本人を乗せた米艦を自衛隊が守る場合や、原油輸出の要衝であるホルムズ海峡がイランによって機雷封鎖された場合を挙げている。しかし韓国から避難する日本人を米艦で輸送するというのは、かつて米国から断られた案であるし、そもそも日本人を護るのなら個別的自衛権の範囲で済む。イランについては、核開発疑惑に関わる欧米との合意が成立して緊張緩和に向かうことになったし、イランのナザルアハリ駐日大使も「ホルムズ海峡の封鎖がなぜ必要なのか」と疑問を呈している。

結局、これだけの無理を押し通して、集団的自衛権の行使を認めなければならない理由は不明であり、もし個別的自衛権によって対処できない具体的事態があるというのであれば、冷静な環境のもとで幅広く国民の意見を取り入れつつ、手続きを尽くして検討すべきである。いずれにしても、日本は、海外での武力行使はダメという一線だけは、これからも護っていくべきだ。

(3)概念の曖昧さと政府の恣意的運用の可能性

総理以下政府の説明も納得のいかないものだが、肝心の法案の規定も曖昧さを含んでいる。

例えば集団的自衛権行使のいわゆる3要件のひとつに「存立危機事態」があるが、しかし、ここには「武力攻撃事態」のような外部から客観的に判定可能な指標がない。この「存立危機事態」に該当することを判断し、自衛隊を動かすのは時の政府だから、従ってホルムズ海峡の機雷封鎖が存立危機事態に当たるとする安倍総理のように、時の総理や政府によって集団的自衛権はいかようにも行使されることになり、恣意的運用の歯止めがない。

憲法前文に、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」と述べられているように、かつての大戦は歯止めのない政府の行為によってもたらされ、その反省の上に今日の日本があることを忘れてはならない。今回の安保法制は、日本と日本人の運命を再び「政府の行為」に委ねる危険な法制である。

3.手続き上の問題点

(1)立憲主義に対する畏敬を

今回の安保法制の最大の問題点は、あまりにも立憲主義が軽んじられていることである。安倍総理は、よく欧米型の統治システムを有する国を「価値観を共有する国」と呼ぶ。その内容は自由、民主主義、法の支配などだが、それらを統一する近代国家の最大の柱が立憲主義である。

安倍総理が、当初憲法改正を容易にするための「改憲条項」の改正を試み、それが行き詰ると閣議決定による「解釈改憲」に切り替えた経過は、立憲主義に対する畏敬の念の欠如を物語っている。内閣法制局を自分の意見に従わせるための異例の長官人事、大多数の憲法学者の違憲論の無視、集団的自衛権行使の容認の論拠として砂川判決をもってくる牽強付会などは、いずれも同根の手法である。

もし安倍総理が、安全保障環境の変化等からして本当に集団的自衛権の行使が必要だと感じ、国民を説得できるだけの自信があるなら、堂々と憲法改正から手を付けるべきだ。このまま違憲の疑いの強い安保法制を成立させるなら、すべての法律、すべての統治は憲法によって律せられるという立憲主義は、わが国では崩壊してしまうだろう。

(2)重大な問題ほど丁寧な手続きを

今回の法案が成立すれば、わが国の安全保障政策にとっての大きな曲がり角になる。かつ報道機関の調査による国民の反対も強く、法案審議が進むにつれその傾向は強まっている。そういう問題であればある程、仮にどうしても成立させなければならないとすれば、丁寧な手続きが必要である。例えば消費税の導入には10年を要し、PKO法案には2年を要した。私が関わった政治改革も区割りの仕上がりまで含めると6年の歳月と実に18回の国会を要している。

反対意見の者や野党との対話も必要である。上述の法案はいずれも野党との綿密な対話の上に成立した。私も、政治改革で河野総裁とトップ会談を重ね、参議院での否決後は無論、多数で可決する前の衆議院においても、河野総裁と会談し、合意には至らなかったものの、その意見もくんだ修正を行って参議院に送った。

これに対して国会審議で総理が野次をとばし、野党幹部の質問に「○○さん、あなたは間違っているのです」と答弁するのは、余りにも唯我独尊であり、合意形成を図るべき政治に禍根を残すことになろう。そのような手法で、違憲の疑いの強い安保法制を成立させることは、わが国の国益を損なうことになると言わざるを得ない。」

http://www.huffingtonpost.jp/2015/08/11/former-prime-minister_n_7974414.html?utm_hp_ref=japan

安保法制はMade in USA疑惑が浮上。

2015-08-10 17:54:42 | 政治
「 生活の党の小沢一郎代表の記者会見に、記者団からとんでもない、しかし、的確な質問が飛び出した。

 安保法制に関し「その本質はアメリカに頼まれて作ったのではないかという噂が広まっている」というもの。「背景にある南沙諸島の問題が衆院安保特別委員会であまり取り上げられていないが・・」と問いかけがあった。

 小沢代表は「玉城君〈幹事長〉のほうが良く中身を知っていると思います」と答えるようにふった。

 すると、玉城デニー幹事長は「この間の様々な文書を参考に調査している」と答えた。そのうえで「最初に2010年8月に出された第3次アーミテージ・ナイ・レポート、その中に安保法制の骨格にある要求や原発推進、TPPに参加させろ、そういうものが明確に日本への提言という形で入っている」と語った。

 玉城幹事長は「4月末に改定された新ガイドラインの中にも当然、その時点で安保法制の中に書き込まれている新3要件に該当する言葉がそのまま入っている」とし「つまりガイドラインそのものも実は憲法違反のそういう流れから作られていて、ガイドラインとして認められるべきではないのではないかと今考えている」と提起した。

 そのうえで「今の安保法制の本質はアーミテージ・ナイ・レポートやガイドラインにも書いてあるとおり、南シナ海のほうの監視を日本も積極的に行うべきであるというふうなことが書かれているあたり、アメリカは財政的にこれ以上もたないので金を出してくれる、自衛隊も出してくれる日本に任せてしまおうという魂胆ではないのかと。そのための集団的自衛権を行使する法案がどうしても必要で、憲法改正まで待てないというのがアメリカの本音ではないかと思いつつ、今、研究している」と答え「第3次アーミテージ・ナイ・レポートとガイドラインをもう一度皆さんも読んでみれば、この安保法制との結節点が見えてくるのではないかと思います」と答えた。

 第3次アーミテージ・ナイ・レポートは米国政策の起草者ともいわれ、クリントン政権で国防次官補を務めたジョセフ・ナイ氏(ハーバード大学特別功労教授、国際政治学者)が米国上下両院の国会議員を集め作成した「対日戦略会議の報告書」。

 提言では「新しい役割と任務に鑑み、日本は自国の防衛と米国と共同で行う地域の防衛を含め、自身に課せられた責任に対する範囲を拡大すべきである。同盟には、より強固で均等に配分された相互運用性のある情報・監視・偵察能力と活動が、日本の領域を超えて必要となる。平時、緊張、危機、戦時といった安全保障上の段階を通じて、米軍と自衛隊の全面的な協力を認めることは、日本の責任ある権限の一部である」。

 「イランがホルムズ海峡を封鎖する意図もしくは兆候を最初に言葉で示した際には、日本は単独で掃海艇を同海峡に派遣すべきである。また、日本は航行の自由を確立するため、米国との共同による南シナ海における監視活動にあたるべきである」。

 「国連平和維持活動(PKO)へのさらなる参加のため、日本は自国PKO要員が、文民の他、他国のPKO要員、さらに要すれば部隊を防護することができるよう、法的権限の範囲を拡大すべきである」。

 「米国と日本は民間空港の活用、トモダチ作戦の教訓検証、そして水陸両用作戦能力の向上により、共同訓練の質的向上を図るべきである。また、米国と日本は、二国間あるいは他の同盟国とともに、グアム、北マリアナ諸島及びオーストラリア等での全面的な訓練機会の作為を追及すべきである」。

 陸上自衛隊がオーストラリア本土での米軍とオーストラリア軍共同訓練(クリスマン・セイバー)を活用し、7月にアメリカ海兵隊との偵察ボートによる上陸訓練や戦闘射撃訓練を行ったのは弊社でも報道した通り。米豪共同訓練に陸自が初めて参加した。
 
 「米国は、日本の武器輸出三原則の緩和を好機ととらえ、日本の防衛産業に対し、米国のみならずオーストラリアなど他の同盟国に対しても、技術の輸出を行うように働きかけるべきである」

 オーストラリアの新型潜水艦開発については日豪米3か国共同開発・生産になるとの報道もある。このようにレポートと安保政策を突合させると、一致部分が多く驚かされる。この点に関して、参院安保特別委員会でも政府の受け止めを質して頂きたい。

 レポートと安倍政権の安保法案の目指すものが類似していることに驚いている方がすでにおられた。ジャーナリストの田原総一朗氏だ。田原氏は「安保関連法案は『第3次アーミテージ・ナイ・レポート』の要望通り?」と日経Bizアカデミーで指摘されていた。「安保関連法案の主要な項目がレポートで指摘された内容であることを知り、改めて驚いた」と記述されている。第3次レポートをマスコミ大手は是非、全文を和訳で紹介してみる価値があるのではないか。週明けから始まる参院での質疑を注視しよう。(編集担当:森高龍二)」

http://economic.jp/?p=51607

パックンの言う通り

2015-08-10 17:06:55 | 政治
 パックンマックンのパックんがニューズウィークにコラムを持っている。

 その中で安保法制に言及し以下のように書いている。

 「「敵国の少ない日本が集団的自衛権を実行し、敵国の多いアメリカとつながれば、日本がより危険な状態になると思う」」(http://www.newsweekjapan.jp/pakkun/2015/07/post-3.php)

 彼が書いているメインのテーマは別にあるのだが、この指摘は正確だと思う。

 日本人は勘違いしがちだが、世界にはアメリカを憎んでいる国、敵対する国は多く、日本は少ない。アメリカがそうなっているのは、世界のあらゆる問題に「関与し」、その結果戦争や混乱を引き起こしてきたからだ。

 今日の中東の混乱がアメリカの積極的な「関与」の結果であることは誰でも知っている。孫崎氏によれば、冷戦終結後軍事力を利用して、世界を「望ましいものに変えていく」ための戦略がとられ、その標的としてイラク・北朝鮮・イランが選ばれたのだという。

 この三ヶ国はいずれもそのままではアメリカに戦争を吹っかけたりしないため、アメリカが「関与」を深めたのだという。

 アメリカ政府が言うところの「関与」とはこのようなものなのだ。

 今アメリカはアジア地域へ軸足を移し、関与を深める政策をとるといっている。中東を荒し回り、ウクライナで関与政策が失敗した今、アジアが新鮮な獲物に移っていることだろう。

 繊維各地に関与して回り、自分の思うように世界を変化させようとして破綻を次々引き起こして北アメリカ。その敵を多く抱えるアメリカの「関与」政策の手先に自衛隊と日本を使用というのが今回の安保法制である。

 安倍首相は右翼だと言われるが、他国へ自国を人身御供として差し出す政治家は、もはや右翼とも言えまい。

 このような言い方はよくないと知りつつ、しかしもはや客観的事実だという確信のもとで次のように言いたい。

 安倍晋三は売国奴か、もしくは白痴である。

日本の平和の維持について今すべきことは何か-山口一男

2015-08-06 12:28:37 | 政治
「「個人的なことは政治的なことである」という言葉がある。身近な問題は政治に関係するという意味だが、平和の問題ほどこの言葉が当てはまるものはない。私は多様な個人が自由に生き生きと生きられる社会をつくることに、自分が専門家としてどうかかわれるか模索してきた。だがそういう社会の実現にはまず平和が前提である。一旦戦争になり兵士となれば、平和時には多様な職を持つ人々が、みな一様な役割を担わせられる。つまり効率的に敵を打ち破る(殺戮する)役割である。そこには個性も多様性も、生命の安全すらない。だから、専門外であっても平和を維持できる政治の問題は私自身の関心事である。「政治的なことは個人的なこと」でもあるのだ。だから専門外のことではあるが発言することにした。いや平和に関する政治の問題はすべての国民が等しく発言できる権利を持つと言うべきだろう。
  
日本を内と外から常に眺めていると、内からは見えにくいことに気が付くことがある。憲法9条の問題もそうだ。日本のリべラルな人々の多くは戦後憲法9条を守れと言い続けてきた。それが平和の維持につながると信じたからだ。9条の第2項(後述)が「空洞化されている(事実上無効になっている)」のは専門家はみな知っている。問題は第1項(国際紛争の解決の手段としての戦争の放棄)が、それだけで有効に平和を守れるのかどうかということだ。これは安倍政権のいう集団的自衛の必要性の点を言っているのではない。平和憲法を持つといっても、日本国憲法には自衛隊の運用についての原則が事実上なく、9条第一項をどう解釈するかだけに依存している。しかし自衛隊について憲法で何の規定もないまま運用されるという事実は、近隣諸国には不安材料である。戦争などはるか昔と感じている日本国民とことなり、中国、韓国はもとより、東南アジア国家でも、かって軍事的侵略を行った日本の軍備に対する強い警戒感が未だ残っているからだ。

憲法9条第2項は「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」となっている。昔は「自衛隊が軍隊ではない」などとい世界中どの国も信じない議論もされたが、さすがに今はそれはない。現在は前項の目的を達するため」というのを「前項(国際紛争の解決手段としての戦争の放棄)の目的を達するための」軍隊は持たないが、そうでない専守防衛の軍隊は合憲という解釈が定着している。しかしこの憲法の条文はGHQ(戦争の米軍指令本部)の憲法原案のほぼ文字通りの翻訳で、「前項の目的を達するため」という文章は後で付け加えられたのが、それでも英文の分法上は「前項の目的を達するため」は「陸海空軍」ではなく「保持しない」を修飾する言葉であり、上記の解釈は完全なこじつけである。英文の憲法案は当時のGHQ内部で、日本の民主化に主たる関心のあったホイットニー中将下のケーディス大佐が起草したものだが、9条第2項については、憲法草案には直接かかわっていないが、ホイットニー中将と対立し、当初日本の軍事的無力化を強く主張した情報将校トップのウィロビー少将の意向を反映したと考えられる(これは「定説」とは異なり筆者自身の知見である)。元々の9条2項の意図は日本の軍事的無力化であり、論理的帰結はあらゆる軍事力の破棄であったことは間違いがない。だから自衛隊は元来違憲のものであったと思う。だが独立国であるわが国は、もちろん自衛権を有する。だから現行の「自衛隊は合憲」の解釈はそれじたい矛盾し、またそのことが今回の集団的自衛権は合憲か否かの論議に関しさらなる解釈の曖昧さを生んでいる。何しろ憲法は自衛隊の役割について何も言っていないし、また現行のままでは何も言いようがないのだから。

従って自衛隊を明示的に合憲化すべきだが、問題はそのやり方だ。ここで前述の、憲法に自衛隊運用の原則が現在ないことが、近隣諸国の不安材料だという点に結びつくのだが、日本が平和主義を奉じる国で自衛隊が専守防衛の軍隊であるのなら、憲法9条第2項を改正して、自衛隊の目的を明確化し、近隣国に安心感を与えることの方がはるかに9条を守れと主張するより平和を守ることになるように私には思える。

では具体的にどうした良いのか。私は安全保障問題の専門家ではないが、9条の第1項は保持するが、第2項を以下のように改正すれば、海外に自衛隊の平和と専守防衛目的が明確化されると考える。もちろん専門家ではない者の一案にすぎず、今後の「たたき台」と考えてもらいたい。

『第9条第2項案―自衛隊の保有と専守防衛
なおわが国は自衛権を有し、その目的のため自衛隊を保有する。なお、自衛隊は専守防衛のための軍隊であり、その目的のため以下の5原則を保持する。

自衛隊の運用は日本国民および日本国土の防衛と、国際機関の平和維持活動への協力を目的とし、わが国の領土の拡張や、経済的権益の拡張および擁護、を目的とする軍事行動は一切行わない。
わが国と他国がともに領有権を主張している地域及び海域に関する紛争解決には外交的手段を用い、わが国国民の生命に対する直接的危機がある場合を除き、軍事的手段には訴えない。
国際機関の平和維持活動の一環として派遣する場合を除き、他国内での国内紛争への介入や平和維持目的のために自衛隊は海外派遣しない。
民主的に選ばれた政府を持つ国に対しては、先制攻撃を一切行わない。
核兵器など、一般市民の大量殺戮を可能とする無差別大量破壊兵器は、抑止力の手段としてもこれを保持しない。

なお、第1項の平和主義の原則と、第2項の専守防衛5原則と矛盾しない限りにおいて、他国との集団安全保障条約により生じる集団的自衛権はこれを保持する。』

趣旨を説明したい。①は自明であろう。国際紛争の解決手段という第一項の内容について、一番肝心なことを明言したのがこれである。これを憲法で宣言しなければ、近隣諸国の警戒心はなくならない。経済的権益の擁護のためを入れたのは、今後も海外の国内紛争の中で我が国の経済的利害が損なわれることが生じることは十分ありうるが、他国と異なり我が国はその擁護に軍事力は用いないという点を明言したのである。勿論国民の人命救助のための自衛隊の海外派遣は慎重を要するが違憲とはしない。

②については領土問題が戦争の火種となる可能性は大きく、したがって平和的手段による解決を憲法で述べることで可能性を少なくするのが目的である。わが国は竹島と尖閣諸島については「領土問題は存在しない」と言い続けている。領土問題というのは、世界の基準では、ある地域についてA国とB国とがともに自国の領土だと主張することから生じる問題、との理解である。だから我が国の「領土問題は存在しない」という言い方は、昔の武士の表現なら「問答無用」という意味だろうが、これは国際的には全く通用しない表現である。なお「わが国国民の生命に対する直接的危機がある場合を除き」としたのは、例えば尖閣沖でわが国の漁船や海上保安庁の船が軍事的攻撃を受けた場合などを想定している。

③は9条の1項が戦争を国際紛争の解決の手段としか想定しなかったため、国内紛争への介入を考慮していない点を補うものである。21世紀における戦争の大部分は国内におけるの民族間の戦争となると考えられる。我が国はすでに国連の行動とは独立の米国による他国の国内紛争への軍事介入に対し、自衛隊を派遣し後方支援をしてきた。また今回の集団的自衛権の行使のもとで後方支援が拡大されようとしている。しかし私はそれは誤りであると思う。米国の他国内の紛争への独自の軍事介入は集団的自衛に含めるべきではない。それを明示したのがこの原則である。

➃はロールズの原則と言われるもので、米国の哲学者ロールズは民主主義国家間の戦争は少ないことから、この原則をすべての民主国家が共有すれば、民主国家間の戦争はなくなると考えた。現在正当性にやや疑いのあるロシアの大統領選挙も民主的と認めるなら、大国で民主的に政府が選ばれていないのは中国のみである。未だこのロールズの原則を明示的に憲法に採用した国はないが、我が国が率先することの価値は大きい。また多くの民主国家がこれにならえば中国の民主化も促進することになるであろう。そうなれば、大国間の戦争の危機は大きく減少する。

➄はいずれ出てくる抑止論による核武装化論を先取りして否定したものである。原発事故もあり当面日本の核武装化は論議にならないであろうが、潜在的にそれを推進すべきと考える政治家は少なからずいると考えられる。しかし世界唯一の被爆国である我が国が反核武装の原則を守れないなら、将来的に平和の維持は難しいといえよう。

私見であるが戦後の反戦運動の一番の欠点は、戦争を被害者の立場から見てきたことである。確かに我が国は唯一の被爆国であり、戦争の悲惨をまず空襲や被爆の恐ろしさと結びつけても無理はない。しかし戦争で本当に怖れなけれがならないのは、国民の意志と離れた国の意思決定の結果、国民が戦争の加害者にさせられることである。人を殺す立場に立たせられることである。(宮部みゆきの『小暮写真館』にこれに関連して胸を打つ挿話があるので是非それを読んでほしい。) 実際我が国は、第2次世界大戦ではまず加害者の立場に立った。中国や東南アジアへの軍事的支配を進め、真珠湾も先制攻撃したのである。加害者になったから報復も受け結果として被害者になった。上述の9条第2項案の5原則は、憲法の条文で我が国は今後自ら戦争の加害者とはならないということを世界に宣言することである。それが平和を守るうえで最も重要なことだと私は思う。日本のいわゆるリベラルはなぜ9条を守ることしか考えないのだろうか。憲法で原則が示されなければ、無原則的に自衛隊の使用が拡大される可能性が常に残り、その方が遥かに危惧すべきことである。また国際的緊張がある中で9条の理想を唱えるだけでは、「現実論者」による9条改正が平和主義と矛盾するものに改悪される可能性も阻止しがたい。どのようにして平和主義と専守防衛の原則を憲法において自衛隊の行動に関して規定すれば、近隣諸国にもわが国の平和主義に対し不安を抱かせず、同時に我が国の安全保障が達成できるのかを、今真摯に議論すべきではないのか。人生もそうだが、変化を怖れているだけでは、流されるだけである。」

http://www.huffingtonpost.jp/kazuo-yamaguchi/japan-peace-demo_b_7937260.html?utm_hp_ref=japan-politics

安保法制はアメリカの軍事要求を満たすためのもの

2015-08-03 15:51:07 | 政治
 2005年に日米両国政府が発表した「日米同盟 未来のための変革と再編」(http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/usa/hosho/henkaku_saihen.html)という文書がある。これは1997年の日米防衛協力の指針を受けてまとめられたもので、さらにさかのぼれば三ツ矢計画以来の日米軍事協力の積み重ねに連なるものである。

 ここでは日米間の「切れ目のない」防衛協力の重要性が強調され、機雷掃海はもとより、弾道ミサイル防御を始めとしながら、実に広範な軍事協力が検討され、それが今後日米両政府の実施すべき政治的方向だとされている。

 しかし言うまでもなく、実施すべきことは日本側に多く、憲法上の制約を超えた活動が求められたのである。

 そして「本日、安全保障協議委員会の構成員たる閣僚は、新たに発生している脅威が、日本及び米国を含む世界中の国々の安全に影響を及ぼし得る共通の課題として浮かび上がってきた、安全保障環境に関する共通の見解を再確認した。また、閣僚は、アジア太平洋地域において不透明性や不確実性を生み出す課題が引き続き存在していることを改めて強調し、地域における軍事力の近代化に注意を払う必要があることを強調した。この文脈で、双方は、2005年2月19日の共同発表において確認された地域及び世界における共通の戦略目標を追求するために緊密に協力するとのコミットメントを改めて強調した。」と述べているが、このような情勢認識の変化は今安倍政権が推進している安保法制の方向性そのものである。

 さらに具体的に二国間で推進すべき活動としては、「防空  弾道ミサイル防衛  拡散に対する安全保障構想(PSI)といった拡散阻止活動
テロ対策  海上交通の安全を維持するための機雷掃海、海上阻止行動その他の活動
捜索・救難活動  無人機(UAV)や哨戒機により活動の能力と実効性を増大することを含めた、情報、監視、偵察(ISR)活動
人道救援活動  復興支援活動  平和維持活動及び平和維持のための他国の取組の能力構築
在日米軍施設・区域を含む重要インフラの警護  大量破壊兵器(WMD)の廃棄及び除染を含む、大量破壊兵器による攻撃への対応
補給、整備、輸送といった相互の後方支援活動。補給協力には空中及び海上における給油を相互に行うことが含まれる。
輸送協力には航空輸送及び高速輸送艦(HSV)の能力によるものを含めた海上輸送を拡大し、共に実施することが含まれる。
非戦闘員退避活動(NEO)のための輸送、
施設の使用、
医療支援その他関連する活動
港湾・空港、道路、水域・空域及び周波数帯の使用」があげられている。今回の安倍保穧がここから出発していることは明らかだろう。

 実際この方針が出た翌年安倍第一次内閣が成立し、その内閣のもとで安保法制懇が作られ、この指針に沿った報告書が出されたのである。しかし報告書が出された時は、安倍内閣が倒れた後であり、報告書を受け取った福田首相はこの報告書を事実上無視した。その後の麻生政権、民主党政権も同様である。

 しかし安倍第二次内閣が成立するや、安保法制懇が改めて妻妾種され、まとめられた報告書に沿って昨年7月1日の閣議決定の内容がまとめられていったのである。

 その内容は2005年の「変革と再編」の要求を満たすものである。つまり日本の歴代政権は日米軍事協力が日本の対米属国化を-軍事協力を通じて-決定的にすることを、憲法第9条を口実に回避してきたのであるが、今回安倍政権はそれさえ放棄して、本の属国化に邁進しているということである。

ウィキリークスが明かすNSAの対日諜報活動

2015-07-31 16:32:18 | 政治
"Press Release
Today, Friday 31 July 2015, 9am CEST, WikiLeaks publishes "Target Tokyo", 35 Top Secret NSA targets in Japan including the Japanese cabinet and Japanese companies such as Mitsubishi, together with intercepts relating to US-Japan relations, trade negotiations and sensitive climate change strategy.

The list indicates that NSA spying on Japanese conglomerates, government officials, ministries and senior advisers extends back at least as far as the first administration of Prime Minister Shinzo Abe, which lasted from September 2006 until September 2007. The telephone interception target list includes the switchboard for the Japanese Cabinet Office; the executive secretary to the Chief Cabinet Secretary Yoshihide Suga; a line described as "Government VIP Line"; numerous officials within the Japanese Central Bank, including Governor Haruhiko Kuroda; the home phone number of at least one Central Bank official; numerous numbers within the Japanese Finance Ministry; the Japanese Minister for Economy, Trade and Industry Yoichi Miyazawa; the Natural Gas Division of Mitsubishi; and the Petroleum Division of Mitsui.

Today's publication also contains NSA reports from intercepts of senior Japanese government officials. Four of the reports are classified TOP SECRET. One of the reports is marked "REL TO USA, AUS, CAN, GBR, NZL", meaning it has been formally authorised to be released to the United States' "Five Eyes" intelligence partners: Australia, Canada, Great Britain and New Zealand.

The reports demonstrate the depth of US surveillance of the Japanese government, indicating that intelligence was gathered and processed from numerous Japanese government ministries and offices. The documents demonstrate intimate knowledge of internal Japanese deliberations on such issues as: agricultural imports and trade disputes; negotiating positions in the Doha Round of the World Trade Organization; Japanese technical development plans, climate change policy, nuclear and energy policy and carbon emissions schemes; correspondence with international bodies such as the International Energy Agency (IEA); strategy planning and draft talking points memoranda concerning the management of diplomatic relations with the United States and the European Union; and the content of a confidential Prime Ministerial briefing that took place at Shinzo Abe's official residence.

Julian Assange, WikiLeaks Editor-in-Chief, said: "In these documents we see the Japanese government worrying in private about how much or how little to tell the United States, in order to prevent undermining of its climate change proposal or its diplomatic relationship. And yet we now know that the United States heard everything and read everything, and was passing around the deliberations of Japanese leadership to Australia, Canada, New Zealand and the UK. The lesson for Japan is this: do not expect a global surveillance superpower to act with honour or respect. There is only one rule: there are no rules."

WikiLeaks Investigations Editor Sarah Harrison said: "Today's publication shows us that the US government targeted sensitive Japanese industry and climate change policy. Would the effectiveness of Japan's industry and climate change proposals be different today if its communications had been protected?"

Japan has been a close historical ally of the United States since the end of World War II. During a recent Presidential visit to Japan, US President Barack Obama described the East Asian country as "one of America’s closest allies in the world". Today's publication adds to previous WikiLeaks publications showing systematic mass spying conducted by US intelligence against the US-allied governments of Brazil "Bugging Brazil", France "Espionnage Élysée" and Germany "The Euro Intercepts"; "All the Chancellor's Men".

Read the full list of NSA high priority targets for Japan published today here.

WikiLeaks' journalism is entirely supported by the general public. If you would like to support more work like this, please visit https://wikileaks.org/donate."

https://wikileaks.org/nsa-japan/

日中交渉の実相/周斌の回顧

2015-07-29 18:30:40 | 政治
「周斌氏講演の(下)は、いよいよ1972年に行われた日中国交正常化交渉のエピソードが語られる。49年に中華人民共和国が成立したにもかかわらず、日本と中国の間には正式の国交がなく、日本にとっても中国にとっても外交上の最大の懸案の一つだった。71年の10月には中華人民共和国の国連加盟が認められ、台湾(中華民国)は国連脱退を表明した。

そのような情勢の中、日本では72年7月「コンピュータ付きブルドーザー」と言われた田中角栄内閣が発足。9月25日に田中首相は大平正芳外務大臣、二階堂進官房長官とともに、国交正常化交渉のため北京空港に降り立った。当日は秋晴れだったという。その夜、周恩来首相主催の歓迎晩さん会で述べた田中角栄首相のスピーチが大問題となった。(構成:週刊ダイヤモンド論説委員 原 英次郎)

※(上)から読む

大平・姫両外相の車中会談

 私は中日国交正常化交渉の全過程に参加しました。当時は4人の通訳がそれぞれ任務を分担し、私は外相会談と共同声明作りの通訳を担当しました。

 最初の問題はいわゆる「ご迷惑」スピーチです。歓迎晩さん会で田中さんが「わが国が中国国民に多大のご迷惑をおかけしたことについて、私は改めて深い反省の念を表明するものであります」とおっしゃったことです。

「ご迷惑」というのは中国では軽すぎる表現なんですね。当時、スピーチを聞いていた中国人はびっくりした。特に外交部(外務省)の人たちは怒っていました。「満州事変」から敗戦までの14年間に、当時、日本軍は中国で二千数百万人の中国人民を殺し、約2000億ドルもの経済的損失を与えたと言われていましたから。

 その時は周総理も黙って何も言わなかった。翌日の第2回の首脳会談で周総理が1時間半くらいにわたって「田中さん、これでは中国は納得しない。中国人民を説得するのは非常に難しい」と、抗議して田中さんを困らせた。これを聞いて大平さんは問題の緊急性、重要さを感じたようです。

 3日目は万里の長城を見学に行く予定でした。1号車には田中首相と、中国側は姫鵬飛外交部長(外相)、2号車には大平正芳外相と呉徳北京市長、3号車には二階堂官房長官とアジア担当の韓念龍外務次官が乗る予定でした。大平さんがこれを見て「万里の長城はいつでも行ける。私は姫外相との意見交換を必要としている」とおっしゃった。

 当時、万里の長城までの高速道路はまだできていないので、往復1時間半はどうしてもかかる。大平さんがその1時間半を利用して、車の中で姫外相と意見交換したいと言うので、それを受けて周総理は急きょ組み合わせを変えました。1号車が田中さんと呉徳北京市長。2号車には大平さんと姫鵬飛外相、3号車はそのままです。


周斌(しゅう・ひん)
1934年江蘇省生まれ。58年北京大学東方言語文学学部日本語専攻コース卒業後、中国外交部(外務省)に入り、日本語通訳として勤務。84年人民日報社国際部で記者業務。87年中国光大集団香港総部、92年香港*(日冠に辰)興集団高級顧問を務め2004年に退職。
 2号車の前の座席には運転手さんと警備の人が乗る。後部座席の大平さんと姫外相の真ん中に、私が座りました。通訳は私だけで、日本側の通訳は乗っていません。当時、私は車に酔うたちだったのですが、その時は全く酔いませんでした。とにかくうまく訳さないと大問題だと緊張していたからでしょう。

 車が出発するとまず大平さんが発言しました。「姫鵬飛さん、私はあなたと同い年です。私は日本の外務大臣であり、あなたも中国政府の外務大臣です。私たちはそれぞれの国、それぞれの人民のために議論をしてきたつもりです。いろいろ考えたのですが、今の私の感じではやはり歴史問題、つまり例の戦争にかかわる表現の仕方が問題だと思う。どうですか?」。すると姫外相は「続けて下さい。私は謙虚に聞きますから」と。

 大平さんはこうおっしゃいました。「姫鵬飛さん、私個人・大平は中国が指摘した考え方、中国の批判にほぼ賛成します。私の経歴を申し上げますと、一橋大学を出て大蔵省に就職しました。私は大蔵官僚として政府派遣で、約1年10ヵ月にわたって張家口を中心に中国の華北地域を3回視察しました。私が調査に行った時期は戦争の一番激しい時期でしたが、私本人は経済調査なので、鉄砲も持っていない。それでも私の目で見、体で感じたあの戦争は間違いなく中国に対する日本の侵略戦争で、これは弁解する余地がございません」。

 姫鵬飛さんは「そうです。ありがとうございます」と。すると大平さんはこう続けました。

「田中さんも敗戦直前に徴兵されて中国東北部の牡丹江に行ったが、鉄砲を持って戦争をやる直前に病気で倒れ、陸軍病院に入院した。結局、退院したらもう終戦だというので、鉄砲を撃ったこともありません。私がここで申し上げた認識は、田中さんも同じです。

 ただ、私は大平正芳個人ではなくて日本の外務大臣です。中国との交渉では日本国全体のことを考えなければなりません。日本が置かれている国際環境、特にアメリカとの同盟から、さらに自民党内においても反対者が多いし、日本社会でも反中勢力はかなり強い。そういうことを考えると、中国の考え方の全部を共同声明に書き込むことは難しい。しかしここに来た以上、私たちは最大の努力はする。命を懸けてやるつもりです。でなければ私たちは中国には来ません。北京に戻りましたら、ぜひ周恩来総理にそうお伝え下さい」。

 姫さんの返事は「確かに承りました」ということだけでした。そして、北京に戻ると姫さんは周総理のところに飛んで行きました。私はその時はついて行かず、会談内容を整理しました。

 その日のうちに大平さんがその会談を「車中会談」と名付けました。私は車中会談の内容を忠実に書きました。いまみなさんに説明したことに間違いはありません。一言も私は付け加えていない。もしも私が適当に証言を付け加えても、誰も反対者は出てこないでしょう。もう生き残っている証人は私だけだから。しかし、事実を両国民に伝えるのは、人間として、通訳としての最低の義務です。それは宣言できます。

参謀役を果たして叱られる

――万里の長城から戻って、その夜には第3回の大平・姫鵬飛会談が行われた。日中共同声明の最後のつめが行われたのだ。会談は午後10時に始まったが、時計の針は12時を回り翌28日に突入していた。

 翌日(29日)の10時には、共同声明の調印式です。ほかの文案は全部まとまっているのに、ここだけが問題として残りました。印刷工場の人も心配する。印刷工場の工員が隣で待っていて、結論が出たらすぐ工場に持ち帰り印刷をして、次の日の10時の調印式に間に合わせないといけないからです。

 すでに午前2時を回っていましたが、はっきり覚えています。大平さんがこのくらいの紙を取り出して「姫鵬飛さん、これは我が方の最終案です。これ以上日本は譲歩出来ない。どうですか」と。「日本国政府はかつて日本が戦争を通じて中国人民にもたらした大きな災いに対して、責任を痛感し、深く反省する―――検討してください」。

 姫さんは慎重な方で「その紙を下さい」と。日本側の通訳が正しかったかどうかが問題ですが、一言も間違ってない。私は姫さんに「その通りです」と言いました。大平さんにここまで言われた以上、姫さんも応えなきゃいけない。しかし、なかなか応えない。その間だいたい3分くらい、これは難しい3分間でした。

 私はそのとき周総理による、通訳に対する一つの指示を思い出しました。通訳は、必要な時には参謀の役も務めよ、と。私も参謀の役を果たそうと思って小さい声で「姫部長、私が見たところ、これは認めてもいいでのはないでしょうか」と言いました。

 本人は参謀の役割を果たすべく自分に誇りを持って言ったつもりだったのですが、姫さんは「黙れ」と言って、力を入れて私の腿をつねりました。それから姫さんはこう発言をしました。「一つ提案がございます。10分間休憩に入りましょう。その後回答しますから」。大平さんは「賛成です」と応えました。

 私たちは迎賓館の18号館1階の会議室で交渉をやっていました。田中さんは同じ建物の2階にいらっしゃった。後で分かったことですが、田中さんは共同声明の書き方はすべて大平さんに任せていたそうです。大平さんには決定する権利がある。それでも大平さんはこの案はまだ田中さんに見せていないのでと2階に行く。これを見て大平さんは誠実だなと感心しました。

 一方の姫さんはパッと部屋を出ていって、どこに行ったか分からない。実は隣の建物に周総理が待っていました。周総理に報告に行ったんですね。姫さんは10分から15分して戻って来ました。そして「いろいろ検討した結果、あなたの案をすべて受け入れます」と言いました。この表現でいいというので、大平さん一行がものすごく興奮する。これがまとまらなければ、共同声明の調印が無理だったからです。

 私は翌朝のご飯の時に姫さんのところに行き、頭下げて「部長、夕べは大変失礼なことしました。おっしゃった通りです」と謝りました。

「君、外交部に入って何年目?」「確か12年です」「一通訳の君がこれでよいとは何事だ。これは歴史に残る文章ですよ。外交部長の私でさえ決める権限がない。12年間の外交官経験ではまだ不十分です。これを一生の教訓にしなさい」と。また批判されるんじゃないかと心配したのですが、「君の意見そのものは正しかったです。ただ、君の過ちは、言うべきではないということです。これを忘れないように」と。これで私は安心しました。

大平外相を信頼し切った周総理

――正常化交渉では台湾を巡る問題も大きな焦点の一つだった。日本政府は1952年に台湾にあった国民党政府の中華民国と日華平和条約(日台条約)を結び国交を開いていたからだ。

 台湾問題も議論が激しいテーマの一つでした。

 台湾問題については外務省の高島益郎条約局長が、第2回の首脳会談で発言したのがきっかけでした。

 中国側は田中総理の訪中の前に、訪中した公明党の竹入義勝委員長に、国交正常化の条件として、「復交三原則」を提示していました。一、中華人民共和国は中国を代表する唯一の合法政府である。二、台湾は中国領土の不可分の一部である。三、日台条約は不法であり、無効である――です。一と二については日本側も認めたのですが、三について日本側は非常に躊躇した。

 竹入さんたちの説明では「不法」であるというのは受け入れられない。というのも、この条約は日本の最高機関である国会が承認した。二十何年後に日本政府がこれは不法であると認めるということは、法律を無視、国会を無視で、田中内閣が倒れるというんですね。それなら「無効」はどうかと提案したが、無効も少し危ない、と。

 それで表現は中国に来てから議論しましょうということになっていました。それを、高島局長が首脳会談で、日台条約は「不法」なものだとは認められないと説明したわけです。周総理は最初我慢をして聞いていたのですが、「あなたたちはケンカをしにきたんですか?それとも問題を解決しに来たんですか」と怒りました。

 大平さんが「周総理、私に任せてください。高島の発言は個人の意見であり、不法に関する我が外務省の意見を説明したい」と。周総理は大平さんをもう信頼しきったのでしょう。具体的な表現の方法は大平さんに任せる、と。周総理はそのぐらい大平さんを信頼していた。

 日中共同声明の第2項で「中華人民共和国政府が中国の唯一の合法政府であることを承認する。第3項で中華人民共和国政府は、台湾が中国人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。日本国政府は、この中華人民共和国の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言の第8項に基づく立場を堅持する」となりました。中国の立場を理解し尊重するという表現で、原則の二についても同意するとは表現されていない。

 というのは、台湾については周総理もそれでよかったのです。理解し、尊重するならいいと。問題は「日台条約が無効であり不法である」をどうするかということでした。大平さんは日中共同声明の調印が終わった直後に、車で各国の記者が集まる北京民族文化宮のプレスセンターに向かいました。車で10分足らずです。

 大平さんは「アー」「ウー」と考え込んで、言葉がなかなか出てこないと日本でも有名だったわけですが、そこでは日本側の結論を明確に伝えました。「共同声明にはふれられていないが、日中関係が正常化した結果、日華平和条約はすでに存在の意義を失い、終了したものと認識する。これが日本政府の見解であります」と。不法であると言わず、終了したと認識する、と。私は急いで会見場からに戻って、すぐに周総理に報告しました。大平さんの発言がとても印象深かったからです。周総理は「わかった。大平さん信頼できる人物だ」と、ものすごく好感を抱いたようでした。

周総理の前で寝入った田中総理

 国交正常化交渉の全ての予定が終わって、次は上海に行くことになっていました。ところが、田中さんがもう上海行く必要はないでしょうと言い出したのです。大平さんはこれを聞いてびっくりして、事前に双方が決めた日程を変えるのは、大変な失礼にあたると田中さんを説得しました。同行するかどうか決まっていなかった周総理も、二人のところに来て「田中さん、私が上海までご案内する」と言いました。

 田中さんは大変喜んで、「一つ希望があります。それはあなたの専用機で行きたい。私の専用機は先に飛ばしてそこで待ってくれればいい。私と大平くんと二階堂くんと3人であなたの専用機を使って一緒に」と。周総理は「いや、私の専用機はソ連製のイリューシン18で古いし小さい」と断りました。田中さんは「いや、専用機の問題ではございません。2日前、姫鵬飛部長と大平くんとの車中会談が大変成功しました。私も機中会談をやりたい」と言われました。このやり取りも私が唯一の証人になりました。

 それで田中総理一行と周総理、姫外相、私たち通訳が周総理の専用機に乗り込んで、上海に向かうことになったのです。

 飛行機が空港を飛び立つと、小さなテーブルを囲んで座りました。すると5分も経たないうちに、提案者の田中さんがいびきをかいて眠ってしまった。大平さんが起こそうとすると、周総理はその手を抑えて「田中さんは北京で疲れているのだから、そっとしておいてください。私とあなたで機中会談やりましょう」と。これには大平さんが大変感動しました。通常、外交では総理と総理、外相と外相ですから。

 大平さんが語った主な内容は次の通りです。「田中と私は何年か前に同盟関係を結んだ。彼は大平あっての田中である。私も田中あっての大平である。それは非常に固い同盟関係です。今回、私たちが北京で約束したことは、私たち2人が政権を担当する間、必ず全部実行するから信頼して欲しい」と。

 周総理は「分かりました。信頼します」と言い、その後、大平さんが中国古典にものすごく詳しいことを打ち明け、「こんなものをつくったんですが」と漢詩をポケットから取り出しました。その漢詩はいまも外交部に保存されているはずです。とても気持ちのよい機中会談でした。

一通訳との約束を果たした大平外相

 大平さんの思い出をもう一つお話ししましょう。

 国交が開かれたので、73年3月に中国は東京に大使館を開設しました。その大使館開設記念パーティーに私も出席しました。日本側からは大平さんも来られたわけですが、初代の陳楚駐日大使と大平さんは初対面でした。私はすでに大平さんとは顔見知りですが、通訳だから後ろに下がっていました。

 すると、大平さんが私の前に来て握手をするんです。「周斌さん、北京ではお世話になりました。機中会談でも車中会談でも。あの会談は、日中関係の転換点でした」と言われました。私は「それは私の仕事で、大平先生こそお疲れさまでした」と応えました。

 次にこんなやり取りがあったのです。

大平「東京生活で何か不自由なことがあれば、私が何とかしますから」
私 「いや、あなたは外務大臣で私は中国の一通訳に過ぎません」
大平「いや、外交にはランク、階級はあるけれども、友人同士にはそれはないでしょう。必要な時には来てください」。

 最初、中国大使館はホテルニューオータニの15階を借りて事務所にしていたのですが、やはりホテルでもあり、15階なので非常に不便です。それで陳楚大使が私に、大平外務大臣の所に相談に行け、ただ大使館の名前は出さないで、あなた自身がホテルでは無理だ、と伝えなさい、と命じました。

 私は外務大臣室で、大平さんに事情を説明しました。さすがに大平さんも、「周さん、中国と違って外国大使館をどこに設立するかについては、日本政府は一切関知しない。とても無理です」と言うんです。というのは中国と違い、日本の場合、土地は全部私有制です。中国は全部国有制だから政府が何とかできる。

 私が「分かりました。帰ります」と言うと、大平さんが「いや、周さんからの相談だ。私が何とかします。一週間後に私の解決案が出るはずです。案が出たら、中国大使館に連絡します」、と。

 その一週間後に回答が来ました。陳楚大使が大使館員を連れて大平さんが提案する場所を見に行きました。それは旧郵政省のビルで、郵政省が撤退してまだ使う用途が決まってない。大平さんが自らの権限で半年か1年間は貸してくれるというのです。結局、あまりに広すぎて使いきれないということで、大平さんの努力は実りませんでしたが、心の中では一国の外務大臣が中国の一通訳ために、約束を果たしてくれたことに、また心を打たれました。


『私は中国の指導者の通訳だった――中国外交 最後の証言』岩波書店 周斌・著/ 加藤千洋・翻訳/鹿雪瑩・翻訳
 田中さんについての思い出も一つお話ししましょう。田中さん、大平さん、二階堂さんが万里の長城に行かれた時のことです。田中訪中と同じ年の2月にアメリカのニクソン大統領が訪中して万里の長城を訪れました。私が事前に田中さんに、「ニクソン大統領は第2ののろし台まで登られました」と、説明しました。

 すると田中さんは「私はさらに上に、もっと早いスピードで行く」と言って、第4ののろし台まで登られたのです。これは政治的な暗示ですよ。ニクソン大統領よりももっと早いスピードで中国との問題を解決するという。中国の記者の取材に「秦の始皇帝がこういう立派な万里の長城作り上げることが出来たんだから、私、田中も日本列島改造を成功して見せる」と答えています。田中さんは自信満々の人でした。

 一方、大平さんは「演説はあまりうまくありませんが、誠実で清潔な人という印象でした。中国側で最も評価の高い日本の政治家であることは間違いありません。

(終わり)」

http://diamond.jp/articles/-/75058

日本の厄介な歴史修正主義者たち(Japan Times, 14 April)

2015-07-27 17:33:35 | 政治
「海外メディアは連日安倍政権の歴史修正主義と国際的孤立について報道している。
ドイツの新聞に対してフランクフルト総領事が「親中国プロパガンダン」と抗議したことが、世界のジャーナリストたちに与えた衝撃を日本の外務省も日本のメディアも過小評価しているのではないか。
日本では「政治的主人たち」(political masters)に外交官もジャーナリストも学者も無批判に屈従しているのが、外から見るとどれほど異様な風景なのか、気づいていないのは日本人だけである。

日本の厄介な歴史修正主義者たち(Japan Times, 14 April)
by Hugh Cortazzi(1980-84 英国駐日大使館勤務)

日本の右翼政治家たちは海外メディアの報道を意に介さないでいる。彼らが外国人の感情に対する配慮に乏しいのは、外国人を蔑んでいるからである。

右翼政治家たちは日本をすべての面で称讃しない外国人、日本の歴史の中に暗黒面が存在することを指摘する外国人を「反日」(Japan basher)、日本の敵とみなしている。このような態度は日本の国益と評価を損なうものである。
Frankfuter Allgemaine Zeitungの特派員が東京を離れる際に寄稿した記事を海外特派員協会のジャーナルの最近刊で読んで、私はつよいショックを受けた。この新聞は職業上私も知っているが、センセーショナルな物語を掲載したことはないし、つねに事実の裏付けを取っていることでドイツでは高い評価を受けているまっとうな新聞である。

この新聞の特派員が以前安倍政権の歴史修正主義に対して批判的な記事を書いたときに、フランクフルトの日本総領事が、おそらくは東京からの指示に従って、同紙の外信部のシニア・エディターを訪れ、記事に対する抗議を行った。

日本総領事は特派員の書いた記事が事実に反する証拠を示すことなく、この記事には金が「絡んでおり」、レポーターは中国行きのビザを手に入れるためにプロ中国的なプロパガンダを書いたとして記者と新聞を侮辱した。このような発言は単に不当であるのみならず、許すことのできないものである。

残念ながら、このケースは単独ではない。1月にはニューヨークの日本総領事がアメリカの評価の高い教育出版社であるMcGraw-Hillに対して、ふたりのアメリカ人学者が書いた「慰安婦」についての記述を削除するように要請した。出版社はこの要請を拒絶して、日本政府当局者に対して執筆者たちは事実を適切に確認していると答えた。
具体的に何人の「慰安婦」が日本帝国軍兵士のために奉仕することを強制されたのか数字を確定することは不可能だろう。だが、この忌まわしい営みが広く行われていたことについては無数の証言が存在する。売春を強要されたのは韓国人女性だけに限られない。

日本の歴史修正主義者たちは南京虐殺についても事実を受け入れることを拒絶している。この場合も、現段階では被害者の数を確定することはできない。しかし、日本人自身を含むさまざまなソースからの証言は日本軍兵士によって南京のみならず中国各地において無数の残虐な行為が行われたことを確証している。この事実を指摘する者はただ事実をそのまま述べているだけで、中国のプロパガンダに与しているわけではない。

私自身数ヶ月前に尖閣列島については論争が存在するという記事を書いた。北京の反民主主義的態度に対する私の反感は周知のはずだが、にもかかわらず、私もまた中国のプロパガンダを繰り返し、中国を利しているとしてはげしい罵倒を浴びた。

日本の学校の歴史教科書について、英国メディアはそれが南京虐殺と「慰安婦」問題を控えめに記述しているという事実を伝えるに止めた。イギリス人戦時捕虜と強制労働者が泰緬鉄道建設において何千人死んだか、シンガポールと香港で、日本人がジュネーブ協定にも日本人自身の道徳律にも違背して、どんなふるまいをしたのかについて日本の歴史教科書に何が書いてあるか(あるいは何が書かれていないか)について、われわれイギリス人はこれまでコメントしたことがない。怨恨の思いを甦らせることで戦後の日英関係を損なうこと望まなかったからである。だが、もし日本人が歴史的事実を希釈したり記録から削除したりしようとするなら、それは両国の関係を傷つけることにしかならない。

日本の歴史修正主義者によって標的とされた学者やジャーナリストたちは、当然ながら歴史修正主義者たちが歴史資料から消し去ろうとしている事実をさらに掘り下げ、そこに耳目を集めるように努めるだろう。日本の歴史修正主義者たちのふるまいは私にはナチやソ連のコミュニストが駆使したオーウェル的な「ダブルスピーク」や「二重思考」を思い起こさせる。

英国の知日派の人々は「アベノミクス」と国防問題に見通しについては意見がそれぞれ違うが、日本の歴史修正主義者を擁護する人はひとりもいない。

最近の曽野綾子によるアパルトヘイト擁護の論の愚劣さは英国の日本観察者に衝撃を与えた。日本ではこのような見解が真剣に受け止められ、活字になるということがわれわれにはほとんど信じがたいのである。安倍晋三首相がどうしてこのような意見の持ち主を教育政策のアドバイザーに任命することができたのか私たちには理解できない。
また、日本人の知的で教育もある人たちが『日本人論』家たちによって提出されている日本の独自性についての思想を流布しているのも、われわれ非日本人には理解しがたいことのひとつである。日本はたしかに独自な国だが、それを言えば世界中どこの国だってそれぞれに独自である。日本人は1億2千万人以上いる。全員が別の人間である。日本と日本人の性格についての一般化はせいぜい近似的なものにしかならない。

日本人論家たちは、歴史修正主義者と同じく、現実世界の外側にある泡の中で暮らしているように私には見える。明治時代の彼らの父祖たちと違って、彼らは日本の外にある世界をほんとうは知らない。彼らには現実の海外の友人がいない。彼らこそ経済的にも政治的にも急激にグローバル化している世界において日本がおのれの正当な地位を獲得するための努力を妨害しているのである。

バブル期において、ロンドンにはたくさんの日本人が行き来していた。だが、今では日本人の影は薄い。英国当局の学生に対する規制の厳しさも一因かもしれないが、やはり主な理由は日本人が海外に出かける気力を失っていることだろう。ロンドンに来る日本人たちはもう妻子を連れてこなくなった。子どもの教育や老いた親の介護が彼らに「単身赴任」を余儀なくさせているのだ。日本人ビジネスマンや外交官の中にはロンドン滞在を一種の一時的な苦役と見なしている人たちさえいる。
日本の外交官たちは彼らの政治的主人の要望を実行しなければならない。それゆえフランクフルトやニューヨークの総領事が本国からの指令に従って行動したということを私は理解している。しかし、それでも日本の外務省は外交官に指示を出す前に、まず彼らの政治的主人に対して、歴史的事実は恣意的に変更することはできないこと、ジャーナリストや学者に対する検閲は反対の効果をもたらしがちであることを理解させるべく努めることを私は希望するのである。」

http://blogos.com/article/110145/

【寺田ともかさんのスピーチ全文書き起こし】

2015-07-27 16:45:37 | 政治
「【寺田ともかさんのスピーチ全文書き起こし】

日時 2015年7月15日(水) 場所 梅田ヨドバシカメラ前  主催 SEALDs KANSAI

こんばんは、今日はわたし、本当に腹がたってここにきました。
国民の過半数が反対しているなかで、これを無理やり通したという事実は、紛れもなく独裁です。
だけど、わたし、今この景色に本当に希望を感じてます。
大阪駅がこんなに人で埋め尽くされているのを見るのは、わたし、初めてです。この国が独裁を許すのか、民主主義を守りぬくのかは、今わたしたちの声にかかっています。

先日、安倍首相は、インターネット番組の中で、こういう例を上げていました。『喧嘩が強くて、いつも自分を守ってくれている友達の麻生くんが、いきなり不良に殴りかかられた時には、一緒に反撃するのは当たり前ですよね』って。ぞーっとしました。
この例えを用いるのであれば、この話の続きはどうなるのでしょう。友達が殴りかかられたからと、一緒に不良に反撃をすれば、不良はもっと多くの仲間を連れて攻撃をしてくるでしょう。そして暴力の連鎖が生まれ、不必要に周りを巻き込み、関係のない人まで命を落とすことになります。
この例えを用いるのであれば、正解はこうではないでしょうか。
なぜ彼らが不良にならなければならなかったのか。そして、なぜ友達の麻生くんに殴りかかるような真似をしたのか。その背景を知りたいと検証し、暴力の連鎖を防ぐために、国が壊れる社会の構造を変えること。これが国の果たすべき役割です。

この法案を支持する人たち、あなたたちの言うとおり、テロの恐怖が高まっているのは本当です。テロリストたちは、子供は教育を受ける権利も、女性が気高く生きる自由も、そして命さえも奪い続けています。
しかし彼らは生まれつきテロリストだった訳ではありません。なぜ彼らがテロリストになってしまったのか。その原因と責任は、国際社会にもあります。9.11で、3000人の命が奪われたからといって、アメリカはその後、正義の名のもとに、130万人もの人の命を奪いました。残酷なのはテロリストだけではありません。
わけの分からない例えで国民を騙し、本質をごまかそうとしても、わたしたちは騙されないし、自分の頭でちゃんと考えて行動します。

日本も守ってもらってばっかりではいけないんだと、戦う勇気を持たなければならないのだと、安倍さんは言っていました。だけどわたしは、海外で人を殺すことを肯定する勇気なんてありません。かけがえのない自衛隊員の命を、国防にすらならないことのために消費できるほど、わたしは心臓が強くありません。
わたしは、戦争で奪った命を元に戻すことができない。空爆で破壊された街を建て直す力もない。日本の企業が作った武器で子供たちが傷ついても、その子たちの未来にわたしは責任を負えない。大切な家族を奪われた悲しみを、わたしはこれっぽっちも癒せない。自分の責任の取れないことを、あの首相のように『わたしが責任を持って』とか、『絶対に』とか、『必ずや』とか、威勢のいい言葉にごまかすことなんてできません。

安倍首相、二度と戦争をしないと誓ったこの国の憲法は、あなたの独裁を認めはしない。国民主権も、基本的人権の尊重も、平和主義も守れないようであれば、あなたはもはやこの国の総理大臣ではありません。
民主主義がここに、こうやって生きている限り、わたしたちはあなたを権力の座から引きずり下ろす権利があります。力があります。あなたはこの夏で辞めることになるし、わたしたちは、来年また戦後71年目を無事に迎えることになるでしょう。

安倍首相、今日あなたは、偉大なことを成し遂げたという誇らしい気持ちでいっぱいかもしれません。けれど、そんな束の間の喜びは、この夜、国民の声によって吹き飛ばされることになります。
今日テレビのニュースで、東京の日比谷音楽堂が戦争法案に反対する人でいっぱいになったと見ました。足腰が弱くなったおじいさんやおばあさんが、暑い中わざわざ外に出て、震える声で拳を突き上げて、戦争反対を叫んでいる姿を見ました。
この70年間日本が戦争せずに済んだのは、こういう大人たちがいたからです。ずっとこうやって戦ってきてくれた人達がいたからです。
そして、戦争の悲惨さを知っているあの人達が、ずっとこのようにやり続けてきたのは、紛れもなくわたしたちのためでした。ここで終わらせるわけにはいかないんです。わたしたちは抵抗を続けていくんです。

武力では平和を保つことができなかったという歴史の反省の上に立ち、憲法9条という新しくて、最も賢明な安全保障のあり方を続けていくんです。わたしは、この国が武力を持たずに平和を保つ新しい国家としてのモデルを、国際社会に示し続けることを信じます。偽りの政治は長くは続きません。
そろそろここで終わりにしましょう。新しい時代を始めましょう。
2015年7月15日、わたしは戦争法案の強行採決に反対します。ありがとうございました。」


【木村草太の憲法の新手】(12)存立危機事態 不明確な法律 政府が判断 恣意的運用の危険

2015-07-25 16:16:38 | 政治
「 7月16日、衆議院本会議で、安保関連11法案が可決された。これを、どう評価すべきか。
 一連の法案は多分に問題をはらんでおり、集団的自衛権の行使が憲法違反なのは明らかだ。さらに問題なのは、「存立危機事態」がいったい何を意味するのかについて、政府・与党内でも一致をみないほど不明確になっている点だ。なぜ不明確になってしまったのだろうか。

■72年の政府見解

 実は、存立危機事態という概念は、今回初めて登場したものではない。1972年の政府見解では、わが国の存立を全うするために必要な自衛の措置は禁じられないから、存立危機事態での必要最小限度の武力行使は合憲としている。昨年7月1日の閣議決定は、外国への武力攻撃によって存立危機事態が生じた場合には、日本が武力行使したとしても72年政府見解と矛盾しないとした。形式的に見れば、確かにそうだ。
 ただ、72年見解は、存立危機事態を認定し「わが憲法の下で武力行使を行うことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られる」、つまり、存立危機事態だと認定できるのは、武力攻撃事態に限られる、と明言している。そうすると、72年見解と矛盾せずに、存立危機事態を認定できるのは、日本自身が武力攻撃を受けた場合に限られなければおかしい。
 しかし、政府は今回の審議で、石油の値段が上がったり、日米同盟が揺らいだりする場合には、日本が武力攻撃を受けていなくても存立危機事態を認定できると答弁した。さらに、そうした事情すらなくても、政府が「総合的」に判断して存立危機事態を認定できるかのような答弁もなされている。
 これでは、いかなる場合に存立危機事態が認定されるのかを確定することは、極めて困難だ。つまり、「存立危機事態」の内容が明らかにならないのは、政府が概念を定義することを避け、「存立危機事態とは武力攻撃事態だ」という従来の解釈基準を放棄したからだ。

■国民無視自覚を

 これは、「法律の明確性」という憲法の要請に反する。なぜ法律は明確でなければならないのか確認しよう。
 まず、不明確な法律は、政府の恣意(しい)的な運用の危険を生じさせる一方で、予測不能な形で違法の宣言が出される可能性も出てくる。不安定な法律を前提に派遣される自衛官には、相当なストレスがかかるだろう。本当に集団的自衛権が必要なら、確固たる法的基盤を整えるのが政治家の責任ではないか。
 さらに、不明確な法案は、法案内容の過不足を判定する基準がないこと、つまり、「政策的に妥当だ」との判断もなし得ないことを意味する。不明確な法案に賛成できるのは、「政府のやることには何でも賛成」という主体性のない人だけだろう。内容の不明確な法律は、政府にすべての判断を白紙で一任するようなものだ。これは、「法の支配」そのものの危機なのだ。
 各種世論調査でも、国民はこの法案に反対する人が多いようだが、武力行使の範囲は、憲法を通じて主権者国民が決定すべき事柄だ。憲法を無視した安保法制は、国民を無視した安保法制であることを自覚すべきだろう。(首都大学東京准教授、憲法学者)(記事と写真の転載、複写を固く禁じます)」

http://www.okinawatimes.co.jp/cross/?id=279

最高裁元判事が安倍の戦争法案が憲法違反と指摘

2015-07-22 12:56:03 | 政治


「安保法案で参考人招致された学者や長官たちの違憲表明は大きな波紋を呼んだが、しかし政府は一貫して「参考人の一人の意見」とまるで取るに足らないものだと一蹴した。その際、菅義偉官房長官や高村正彦副総裁が持ち出したのが最高裁だった。「憲法の番人は最高裁判所であって憲法学者ではない」と。

 ところが、その最高裁の元判事たちでさえ次々と違憲を表明、政府への批判を口にしたのだ。

 2012年まで最高裁判事をつとめた那須弘平氏は、7月9日に開かれた日弁連の集会で集団的自衛権容認を「違憲」と断定し、安倍政権をこう批判している。

「憲法解釈の変更が行われるというのは、法律的にも政治的にも認めがたいことである」
 また安倍政権が主張する、周辺国からの脅威、安全保障環境の変化についても、「日本の安全が本当に脅かされるようなほどの緊急かつ深刻な事態が現に発生しているかということです。しかし現実にそういうことが起きているのでしょうか。そうは思えない」とその大前提となる根拠にも大きな疑問を呈したほどだ。

 さらに7月10日に放映された『報道ステーション』(テレビ朝日系)では01年から06年までの5年間、最高裁判事をつとめた濱田邦夫氏がカメラ取材に応じ、「もちろん違憲です」と断定、安倍政権の動きを憲政無視とこう批判している。

「憲法改正を問うて選挙をしてそれでやるなら、憲政の王道に従うわけですが、昨年夏の安倍内閣の閣議決定なるものは、昨年12月の選挙の主題になっていない。立憲主義を無視し、国民の各層の反対意見を無視し、無視するどころか圧殺しようという動きというのは非常に危険だ」

 また、政府が集団的自衛権合法の根拠にしている砂川判決にしても「あくまでも米軍の駐留が問われたもので、今回の集団的自衛権の問題とは全く関わりがない」と一刀両断、返す刀で政権幹部たちをこう皮肉った。

「高村さんや谷垣さんは私の後輩であり弁護士仲間。優れた政治家で、弁護士資格を持つ人たちが、なんで自民党の中で安倍さんの意向に従っているのか」

 おそらくこうした批判に対し政府は「元最高裁判事といっても、生え抜きの元判事でなく2人とも弁護士から最高裁判事に転身した元民間人。政府に批判的な変わった人たち」などと一蹴するかもしれない。しかし、長年自民党政権と歩調をともにしたゴリゴリの保守派の元エリート官僚でさえ、安保法制の批判を口にしている。

 それが外務省事務次官から最高裁判事になった竹内行夫氏だ。竹内氏はイラク戦争の際、これに反対した天木直人氏(当時駐レバノン大使)を辞任させた対米従属官僚として知られるスーパーエリート官僚であり、08年から5年間最高裁判事をつとめている。

 竹内氏は昨年の解釈変更の閣議決定に対し「許される範囲の変更」だと安倍政権に理解を示していたが、しかし最近になって『報ステ』(7月10日放映)の取材にこんな苦言を呈したのだ。

「(集団的自衛権は)容認しているが、しかし現在の安保法案についての政府の説明を聞いていると、ホルムズ海峡の機雷掃海を集団的自衛権の代表例としているなど問題がある。じっくり時間をかけて審議して国民が理解に至るプロセスが必要だ」

 退官後も厳しい守秘義務を課せられている元判事たちが、次々と現政権を批判する。これは異例の事態といっていい。

 では、もし近い将来、「集団的自衛権」が最高裁で審議されるとしたらどんな結論が出されるのか。OBたちが主張するように「違憲判決」が出されるのか。しかし残念ながらその可能性は極めて低い。

 まずは現在の最高裁の姿勢だ。最高裁はこれまでも憲法判断を回避する傾向にあった。自衛隊の合憲性を争ういくつかの裁判でも現在まで最高裁判例は存在しない。また一票の格差にしても世論からの批判を受け、政治家たちの顔色を窺いながらしぶしぶ判断した、といったものだった。最高裁判事とはいえ、政治、そして組織や人事から決して自由ではないからだ。

 そうした判事たちの実態を指摘した『絶望の裁判所』(瀬木比呂志/講談社現代新書)によると、絶望の判事は最高裁も例外ではない。

「キャリアシステムの中で最高裁判事になる人々は、ごくわずかな例外を除き、多かれ少なかれ、他人を踏み付け、なりふり構わず上をめざすことでのし上がってきた人々であり、裁判官本来のあるべき姿からは遠い行いをしてきた例が多い」
「社会が変化しているほど最高裁は変化しておらず、ことに統治と支配の根幹に触れるような事柄においては微動だにしていないし、全体としても、せいぜい多少の微調整を行っているにすぎないというほうが正しい」

 本書ではさらに「日本に本当の意味での憲法判例があるかといえるかどうかさえ疑問」とさえ指摘しているのだ。

 しかも、現在の違憲審査制は具体的争点となる事件が起きたとき、今回でいえば実際に集団的自衛権が行使されたときにしか行われることはない。現在の閣議決定だけでは違憲審査を行うことはないのである。

 また最高裁が違憲と判断しても、唯一の立法機関である国会が動かない限り事態は変わらない。実際、一票の格差問題でも、裁判所の違憲判断にも関わらず、定数削減など改善のための動きが一向に進まないことでも明らかだ。

 だからこそ安倍政権を、安保法制を、今止めなければ、転がるように日本は戦争への道に向かっていくだろう。安保法制は衆院を通過したが、ここで諦めるわけにはいかないのだ。
(伊勢崎馨)」

http://lite-ra.com/i/2015/07/post-1308-entry.html

日本に生まれつつある新たな政治・本当の民主主義を作る

2015-07-21 10:30:41 | 政治
「 安保法制をめぐる議論を契機に、日本における政治文化の分極化が明らかになっている。1つの流れは、反知性主義である。もう1つは、民主化を進める市民文化である。
 反知性主義は、ナショナリズムを掲げる運動やメディアの一部だけでなく、政治の世界に浸潤している。そもそも安保法制自体が反知性主義の産物ということもできる。多くの憲法学者は内閣法制局長官経験者が安保法制を違憲と断じているが、政府はこれに対してまともに反論できていない。日本の自衛隊は自国を守るために武器を保持することを許されているのであり、他国を防衛する集団的自衛権の行使は憲法上ありえないのである。国会における法案審議では、安倍首相や中谷防衛大臣は質問に答えず、議論をはぐらかすことの連続であった。集団的自衛権を行使すれば、自衛隊員のリスクは高まるし、相手方からは日本国内でテロを仕掛けられるかもしれない。しかし、政府は自衛隊員に危険は及ばないとか、国民の安全は高まると、妄想とも思える主張をしている。このように、日本の政治指導者は、論理や客観的な事実認識を放棄するという点で、反知性主義に染まっている。

 文化の世界では、反知性主義をむき出しにした作家や政治家が差別や偏見を煽っている。先日自民党の文化芸術懇話会という会合で、講師として招かれた百田尚樹という小説家は、中央政府に批判的な沖縄の2つの地方紙をつぶせと言い、自民党の議員はスポンサーに圧力をかけてテレビの報道を統制しようと気勢を上げた。しかも、政治家や保守的なジャーナリストはそのような妄言を言論の自由と正当化した。デマを飛ばして他人を貶めたり、自由を否定したりする議論が、言論の自由の下でまかり通っているのが今の日本である。そうした風潮の中で、韓国に対する蔑視を煽る言説が続いていることについて、私は日本人の一人として申し訳なく思うし、そのことに憤っている。

 反知性主義は政党を劣化させている。自民党はかつての視野の広さやバランス感覚を失っている。安倍政権が安保法制を推進することについて、党内から批判の声がほとんど出てこない。安倍首相が失敗した時に、事態を収拾する次のリーダーが不在である。これは自民党にとっても、日本にとっても危機である。

 他方、安保法制に反対する運動を契機に、新しい市民文化が現れ、広がっていることも確かである。2011年の福島第一原発の大事故を契機に、脱原発を求める市民運動が広がった。自民党政権の復活によってこの運動は縮小したが、持続していた。そうした運動に加えて学生を中心とした新しい運動が世論を作り出している。学生はラインやメールで組織を広げ、数千さらには数万の市民を国会議事堂の周辺に集めることに成功している。こうした学生を見て、学者も沈黙を保つことを恥じ、安保法制反対や、戦後70年談話において侵略への反省と謝罪を明らかにすることを求めることなど、政治的発言をするようになった。安保法制の強行採決を契機に、安倍内閣の支持率は低下し、50%前後を保っていたものが40%を切る水準まで低下し、多くの調査では不支持が支持を上回るようになった。

 また、2020年の東京オリンピックのために新しい国立競技場を作る件では、総工費2500億円の計画が一旦決定され、事業の発注も行われたが、国民からの余りに強い批判の前に、安倍首相は計画の白紙撤回を余儀なくされた。この件は、税金の使い道に関わる問題であり、国民は具体的な怒りを抱いたのである。世論が無力でないことは、この一件で証明された。
 
 東アジアでは、韓国や台湾で学生の運動から始まって民主化を求める運動が行われた。日本はアジアにおける民主主義の先駆者という自己規定を持っており、隣国の運動を好意的に見ているつもりだった。しかし、日本の民主主義は政党や議会における形式的なものにとどまっていたのだ。1960年には、安倍晋三の祖父、岸信介首相が進める日米安全保障条約に反対する大規模な抗議運動が起こった。しかし、その後は運動の文化は消滅した。市民が重要な政策について自分の意見を表明するために日常的に街頭に出て声を上げるという習慣が身についたのは、2011年の脱原発運動以後の話である。むしろ、韓国などの民主化運動の後を日本が追いかけ、新しい政治文化を作ろうとしているというべきである。

 今、戦後70年の夏、日本の民主政治は大きな分岐点に差し掛かっている。自己中心主義と思考停止の中で戦後民主主義の築いた平和と安定を壊すのか、新しい市民文化が民主主義を成熟させるのか。8月に戦争と平和を考える中で、日本国民が正しい選択をすることを願う。

山口二郎・法政大学法学科教授(お問い合わせ japan@hani.co.kr )」

( http://japan.hani.co.kr/arti/opinion/21385.html )

小林よしのりインタビュー・安倍・自民への的確な批判

2015-07-16 10:53:49 | 政治
 小林よしのり氏のインタビュー。共感できる部分がかなりあります。右左ではなく、まともに民主主義とか、自由の価値を信じているかどうかが今問題等言うことがよくわかります。

「「自民党議員は『保守』ではなく『ネトウヨ』」安保法案・小林よしのり氏に聞く(上)


与党が7月15日にも、衆議院の特別委員会で採決する構えをみせている安全保障関連法案。この法案をめぐっては、多くの憲法学者が「憲法違反だ」と声をあげるなど、反対論が根強い。安保法案をめぐる政治の動向をどうみればいいのか。安保法案に異をとなえる漫画家の小林よしのり氏に聞いた。

●安保法案は「従米法案」

ーー安保法案について、どう考えているのか。

ワシはそもそも改憲派で、いまの「自称保守」の連中よりタカ派だと思ってる。けれども、今の安保法案には反対しないといけない。それは、あの法案がひとえに「アメリカ」を向いているから。

政府があの法案を通したい理由は、「夏までにこの法案を通す」ってアメリカに約束したからです。あの法案を一番正確に言い表す言葉は「従米法案」。

戦争法案っていう表現は、的確ではない。これは、アメリカについてくためだけの法案だから「従米法案」で、だからダメだってワシは言ってる。

こんな法案に賛成するやつのどこが保守ですか。屈辱ですよ。ワシは別に左翼になったから、法案に反対って言ってるわけじゃない。

●集団的自衛権を使いたいなら、憲法改正するしかない

そもそも、自衛隊は軍隊じゃないんですよ、やっぱり。自衛隊は軍隊じゃないっていうことを、みんなどうやら忘れて議論しているみたいで。軍隊じゃないもので集団的自衛権をやろうとすると、これはどうしても矛盾が出てくるんですよ。

軍隊は「やったらダメだ」と言われたこと以外はできる。でも、自衛隊は予め「やっていいよ」と決められた範囲内でしか活動できない。軍隊が軍隊じゃない組織と共に戦うとなると、これはもう矛盾だらけになっていくわけよ。

集団的自衛権っていう風になると、軍隊じゃないものを軍隊として動かすということになってしまうから、やっぱり違憲になっちゃう。

集団的自衛権をやりたいなら、憲法を改正して、自衛隊を軍隊にするしかない。絶対にそれしかない。ただ、憲法を変えるにしたって、アメリカに付いていくための憲法改正だったら、わしは反対しちゃうけどね。

●原発にミサイル落とされることのほうが危機

法案を通したい人たちは、もはや一国では守れない世界になりましたという。でも、これは全くのウソ。軍事同盟を結んでない国って、世界にいくらでもあるわけ。それで、国は守れないっていうのはウソなわけ。ペテンのプロパガンダだよ。

ーーどういうプロパガンダなのか。

やつらのプロパガンダは「国際安全保障環境が非常に厳しい状態になった」「激変しています」っていうわけ。これがまたペテンなんでね。国際安全保障環境がものすごいきびしいって・・・冷戦時代のほうがすごかったよ。米ソが核開発競争をやってたときは、明日にも核戦争が始まるってぐらいの感覚だった。

ワシが子どもの頃なんかは、いつ核戦争が始まるんだろう、って思ってたよ。子どもがだよ。テレビや新聞でも、核戦争による人類滅亡までの危うさを示す「世界終末時計」なんていうものが「人類滅亡まであと2分」って報じていた。

子どもながらに「えー、もうだめだおしまいだ」って、それくらいの緊迫感があった。実際キューバ危機とかもあった。みんなそういうリスクを抱えながら生きてた。よっぽどその時のほうが緊迫してた。そのときと比べたら、今はなんてことはないという状態なわけですよ。

もっというなら、日本海側に原発がぶわーっとあるでしょ。ここにミサイルが落とされたら終わりでしょ。これのほうが危機だよ。日本の一番の危機は、ここにミサイル落とされておしまいってことよ。ノドンだろうとなんだろうと。それでもう終わりなんですよ。

若狭湾の原発に何発か落とせば、日本列島は分断される。六ヶ所村にも核廃棄物が一杯あるでしょ。あれを撃たれたら大変なことになるよ。この危機は、存立危機ですよ。なんでこれ、ほっぽらかしてるの?

北朝鮮の軍事力は、韓国と戦うのにほとんど全力を傾注して、やっとというレベルだけど、もし北朝鮮が暴走したら、日本の原発と米軍基地にミサイルが飛んでくる可能性はなくはない。でも、日本の領土を守ることは「個別的自衛権」の話だからね。

●「存立危機」は存在しない

ーー政府が主張している「存立危機」をどう考えればいいのか。

政府は、さっき触れたような話を全く言わないで、尖閣諸島の無人島を取られることが存立危機だとか言ってる。

スクランブル発進が多すぎると言うけど、あそこは日中間で棚上げ合意がされていたところを、日本側が刺激した。そうなったら、にらみあうのは前提で、その緊張感に耐えないと仕方ない。

それにもし仮に、あの島に上陸したとして、維持はどうするんですか。海上を封鎖されたり、空爆をされたりしたら、どうしようもない。結局、どこに危険があるかというと、ないんですよ。

万が一、仮に中国がシーレーンを封鎖したら、存立危機がくるかもしれないよ。でも、シーレーン封鎖を中国がやりはじめたら、これはもう周辺諸国への宣戦布告になる。中国もそんなことは絶対にしない。

中国経済は崩壊しつつあるし、中国はこれから国内問題で大変だよ。ちょっと海を取ったところで、国内問題がどうかなる状態ではない。そんな中、東南アジア諸国の反発も全部無視して出てくるとか、相当難しい話だよ。

アメリカも、アジア経済圏の地歩を固めようとしている。アメリカは絶対、中国の市場を狙っているわけね。資本主義ってそういうものだから、周縁の途上国に拡大しないと発展はないから、アメリカがそれをやらないわけがない。でも、アメリカも中国も核を持っているし、米中間は絶対に戦争はしない。結局のところ、「存立危機はない」ってことでしょう。

●立憲主義の原則を崩してはならない

ーー今回の安保法案については、憲法学者から「違憲」との声が多く出ているが、憲法問題としてどうとらえればいいのか。

結局いま、立憲主義を守るのか、国際関係の逼迫感なのか、この2つが天秤にかかっている。ワシが問題視しているのは、「立憲主義の危機」なんですよ。憲法9条の危機ではない。左翼は憲法9条の話をするけど、ワシは違う。「立憲主義が壊れることがとってもまずい」って言っているんです。

日本が近代国家として、「法の支配」を守ろうという前提があるのなら、立憲主義を大事にしないと何にもならない。憲法を守らなくていいなら、憲法改正の意味はなくなる。やはり権力の暴走は法でしか止められない。法で国民は戦うしかない。

立憲主義を壊してでも、対処しなければならない危機があるというけど、それは「権力に暴走を許せ」ということ。それが自称「保守」の論理なんだ。

ワシは違う。

権力が暴走して国を滅ぼすことは、現実にあった。権力はやはり縛らないといけない。必ずしも軍人だけが暴走するのではなくて、シビリアン・コントロールをしても、シビリアンだって暴走する可能性があります。権力をしばる立憲主義の原則は絶対に崩してはならない。

昔は天皇に軍隊を統べる大権があって、それが利用されてしまった。天皇に統帥権があったから、シビリアン・コントロールがうまくいかなかった、という反省が今の憲法にはある。そのへんを自称保守の連中はわかってない。

「改憲」だって、憲法を無視しないことが前提です。立憲主義じゃないと意味が無い。それを保守の側から言わないと分からなくなってしまう。

自称「保守」の理念は、反サヨク。だから、何かを守るといった理念はない。左翼の反対をやろうとしてるだけだから。

●みんながネトウヨ化している

ーー自称「保守」とはどのようなものなのか。

自称「保守」の感覚と、ネット保守の感覚って同じなのよ。より罵倒語をネットのほうが使うだけで、原理は一緒。自民党の議員は、『WILL』みたいな雑誌を読んで影響を受けているし、ネットもよく見ているし、『チャンネル桜』みたいな番組を見ている。勇ましくても、論理が破たんしている情報ばかり話すんです。

勉強がめちゃくちゃ浅いわけですよ。だから、在特会とかと一緒に写真を撮ってたり、仲良くしているような連中がおるわけですよ。みんながネトウヨ化しているんだよ。

安倍首相のフェイスブックでも、ネトウヨが発信した情報をシェアしちゃう。それにネトウヨがいいね、いいねと押して、全部ネトウヨ化という状況なのよ。

沖縄のことなんかも、全然知らない。百田尚樹は、普天間基地がある所はもともと田んぼしか無かったというけど、その時点ですでにおかしい。田んぼだって沖縄県民のものですよ。もう無茶苦茶な、もう何のことを言っているのかわからんレベルの話が、ネトウヨの中では通用している。

アメリカ軍が沖縄の土地を徴用したときの「銃剣とブルドーザー」という、沖縄県民なら誰でも知っている言葉ですら知らないんですよ。沖縄の歴史を根本的に知らない。

そういうことは『沖縄論』を出した時に全部書いたけど、自称保守は「汚点になる」と思って読まない。気持ちよくなるところだけは見るけど、日本のまずいところは見ない。見たいものしか見ない、見たくないものは見ないということになってしまっている。

たとえば、安倍首相が、米議会で演説したとき、「日本にとって、アメリカとの出会いとは、すなわち民主主義との遭遇でした」と言っちゃったわけ。ホントだったら、保守だったら、激怒しないといけない発言ですよ。

違いますよ。日本とアメリカの出会いは、砲艦外交と不平等条約だから。幕末にだって、横井小楠のように議論で政治をすべきだと言っている人がいた。

以前改憲論議が盛り上がった際に、美智子皇后さまが「五日市憲法」に触れられた意味を考えないといけない。明治時代にも、日本国民が自ら憲法を作ろうという動きは、いっぱいあったんだ。だから、アメリカに民主主義を教えてもらったわけではない。

日本を誇りたいのなら、あんなバカなウソはゆるしちゃいかん。でも「保守」は「あの演説はよかった」というんだから、無知だよ。それほど保守論壇は劣化している。ネトウヨと何も変わらない。それに影響を受けた議員もネトウヨ化している。保守がいなくなってネトウヨしかいないんだ。
「言論の公的領域が狭まると『北朝鮮』になる」安保法案・小林よしのり氏に聞く(下)

集団的自衛権を行使するための安全保障関連法案の審議が大詰めを迎えている。この法案をめぐっては、6月25日の自民党若手議員の勉強会で、議員から「マスコミを懲らしめるには広告料収入をなくせばいい」との発言が出るなど、「言論の自由」が問題になっている。一方で、同じ日に別の自民党若手議員が開催を予定していた漫画家の小林よしのり氏を招いた勉強会は急遽中止になった。その理由として、党幹部からの圧力があったとも伝えられているが、「言論の自由」はどうあるべきなのか。小林氏に聞いた。

●安倍独裁体制ができあがった

ーーなぜ今回のようなことが起きたのか。

ひとつには小選挙区制がある。郵政民営化選挙の時、異論を唱えた議員を公認しないで、「刺客」を送り込んで落選させるということをやった。今の議員には、官邸からにらまれたら生き残っていけないという恐怖感がある。

若手議員も、とにかく、安倍総理にどうやったら気に入ってもらえるかということだけになってしまって、なんとか安倍総理の覚えめでたき人間になれるかっていうことばっかりになってしまう。

すっかり安倍独裁体制ができあがってしまっているんです。

自民党の中も、全体主義になってしまって、異論を受けつけない。本当に良い法案を作りたいなら、百田尚樹を呼ぶんじゃなくて、安保法制反対派のワシを勉強会に呼んで、議論すればいいわけでしょ。

ワシの出席する勉強会に安保法制に賛成の人間がたくさん参加して、ワシに次から次へと議論で襲い掛かってくればいいんじゃないの。そしたら、ワシはひとりでも応対してあげるから。

民主主義の根幹は、議論だから。もし議論を封じてしまったら、もう民主主義は成り立たない。

安倍首相は今回、テレビではなくて、自民党が運営しているニコニコのチャンネルで、安保法制の説明をやった。首相が出演して、視聴者数が1万とちょっとくらいしか行かなかったっていうんだから、みじめなもんですよね。

安倍首相は、テレビが呼んでくれないっていうんだけど、嘘だと思う。テレビだって、安倍首相が「きちんと説明したいから出してくれ」っていったら、出演させると思う。

でも、安倍首相は、テレビに出たら反論されるから、それが嫌なんだよ。誰にも妨害されず、議論なしに言いたい放題言える、そういうところでしかやりたくないんだろうね。

「朝まで生テレビ」にも、自分の子飼いの議員を出さないでしょ。出ていって堂々と議論すればいいのに出てこない。議論をまったくしたくない。それが今の自民党の体質。民主主義を放棄した状態なんですよ。

●国民に権利があり、権力者には義務がある

――問題になった「言論の自由」をどう考えればいいのか。

言論の自由というのは、国民の側からとってみたら権利です。我々には行使する権利があって、権力者の側はそれを守る義務があります。だから、言論の自由を阻害することはできない。それなのに自民党の議員は何も分かってない。

「国民の言論の自由をなくせ」と言っているわけだから。それはもう無茶苦茶だよ。権力者が言ったら絶対ダメな言葉だよね。

百田の「沖縄の2紙は潰してもいいんだ」発言もそうだよ。あれは権力の中で言って、焚き付けているんだから。「権力者よ、言論の自由を許すんじゃないぞ」と言って、バカな権力者が「そうだそうだ」と言っている。

だから、百田にだって言論の自由はあるけど、言論の自由は「批判されない権利」ではない。あんな発言は擁護できないよ。

●産経新聞は新聞の役割を分かっていない

――メディアの役割についてどうとらえているのか。

朝日新聞だって、沖縄の新聞だって、たしかに左翼的ですよ。そりゃあね。ワシだって何度も煮え湯を飲まされたというか、腹立たしい思いはしたよ。けれども、なくなったら困るわけ。沖縄の新聞だって同様よ。

結局、言論の公的な領域が広ければ広いほどいいんですよ。そういうデタラメな意見も含めて、ある意味、広ければ広いほどいい。狭くなっていくと、北朝鮮や中国になる。公的領域をどれくらい広げておくかということが大切で、いざという時はそれが力になることがあるんだよ。

東京新聞とか、ほんとに極左だなと思うんだけど、記事の中に、週刊文春も週刊新潮も安倍批判に舵を切ったとかいう分析が載っていたり、中川淳一郎のネット分析があったりするから、ワシも面白くて読んでしまう。原発の問題とか一番手厳しいから、ものすごく快感を覚えるし、やっぱり、合意できるところもあるんだよ。

むしろ腹立つのは産経新聞で、本当にこいつら新聞の役割を全然わかってない。権力に追従するふざけた奴らだ。「自民党の広報誌」とちゃんと書けよと言いたくなるようなひどい新聞。だから、今の状態だったら、「産経新聞、つぶしてしまえ」と言いたくなるよ。でも、それは言えない。産経新聞も必要だからしょうがないわけですよ。公的領域はなるべく広く持っておかないといけない。

●対立する主張を一生懸命に読む

――自身の意見と異なるメディアにも触れているのか。

むしろワシの主張と対立する主張を一生懸命に読むんですよ。説得されちゃうような何かがあるのだろうかと。なんで、それにみんなが共感しているのかと、一生懸命読むのよ。そうすると、「ここ違う。嘘言ってるじゃん」となるわけです。

中には、説得されちゃうものもあるんですよ。ぜんぜん違うと思っていても、読むと「うーん、やっぱり、こりゃあ、ワシの考え方、間違っていたのかな」と思うものもあるんですよ。

例えば、以前はほんとにゲイとかレズとかも全て嫌いだと思っていて、同性婚も許したらダメだと思ってたけど、最近はその考えが変わってきた。財産を相続できないとか、病院で面会させてくれないとか、確かにこれは不都合ありそうだなと。

慰安婦問題でも、昔は慰安婦を「奴隷」というのはおかしいと思っていたけど、明治時代の政治家の中にも、奴隷扱いされていた娼婦を解放しようとする動きがあったりとか、そういう過去を学ぶと、「問題ない」とは言えないという気持ちも芽生えた。

●共同体が崩壊して、誰からも教わらなくなった

――やはり異なる意見に触れることが大切だということか。

右も左もそうだよ。左も左で、自分がこのポジションだと決めたら、自分のポジションに利する言論しか耳に入ってこないんだよ 。相手はなぜそう主張しているのかを考えることができなくなる。ものを考える事よりも、自分のポジションでものを言う事に正義を感じてしまうわけ。

プライドがやっぱりあるんだろうね。意見を変えたら、自分のアイデンティティが崩壊すると思ってるんじゃないの。でも気がついたら意見を変えてもいいんだよ。

右の側も、歴史を知らなくて、バランス感覚がない。だから全然保守じゃない。勉強しなきゃいけないんだけれども、彼らは勉強してない。

これまでは、共同体が存続していたので、自分のおじいちゃんやおばあちゃんを通じて、ご先祖様の考え方がずっとつながっていたんです。けれども今はそういうものが断絶しちゃった。しかも近所、あるいは会社、地域すべての共同体が崩壊したから、まったく個人として取り残されている。誰からも教わってないのよ。

そうするとまったくの個として、砂粒の個が放り出されているだけの状態になってしまう。ある意味、振る舞いみたいなものを見せる先輩がいないわけ。そこにネットの情報だけが入ってきて、それが勉強ということになってしまっているんでしょう。

( http://www.bengo4.com/other/1146/1287/n_3382/ )」

ハチ公前でのシールズメンバーのスピーチ

2015-07-15 20:01:17 | 政治
 このような若者に政治家になってほしい。なんとかして応援して、支えて、彼らがすばらしい未来を作り出せる応援をしないといけない。

 シールズメンバーによる安保法制反対のスピーチ。

 本当によく考えられた内容です。→http://iwj.co.jp/wj/open/archives/251003

 スピーチの書き起こし内容は以下の通りです。

「こんにちは。ミキといいます。よろしくお願いします。

いきなり戦争だなんて、大袈裟だとか、またか、とか思う人がいると思います。でも私は怒り狂ってるわけでも、バカの一つ覚えみたいに反戦を叫んでいるわけでもありません。たしかに私は怒っているけれど、どうにかそれをぐっとこらえて、怒りをこういう形に変えて、話を聞いてほしくてここにきています。少しだけ足を止めて話を聞いてください。

日本は今年、戦後70年を迎えました。「戦争はいけない」そんな当たり前のことを訴えることが当たり前になりすぎて、いつしか日本人にとって戦争はどこか野蛮な国の人たちが行う、違う世界の出来事となっていったのかもしれません。そして、戦争は悲しい、泣ける、物語になっていきました。

最近はよく志半ばで亡くなった人の、悲劇のストーリーが映画化されるけれど、あれは美談なんかではありません。日本人がかつて行った侵略戦争で、人々は憎んで殺し、殺される論理のなかにいました。それは、悲劇以外の何物でもありません。

だけど、今の生活と、その物語とが、あまりにかけ離れすぎて、まさか日本人が戦争なんてしないだろうといつの間にか私たちは、思い込んでしまいます。だけど、戦争は70年前だから起こったんでしょうか。

今の私たちだって、目の前に武装した兵士が現れたら怖いし、突然家族が殺されたら憎しみを抱きます。ISILの人質殺害事件の時のように、自らの安全や利益のために、自己責任論といって他人を切り捨てろという世論も生まれます。

今、起こっている戦争は、決して「中東だから」「アフリカだから」という理由で起こっているわけではないんです。それぞれの信じる正しさが違っているだけで、大切な人や自らが攻撃されたとき、恐怖を覚え、憎しみを持つ気持ちにきっと変わりはないはずです。そうして人々は武器を持ち、自衛のために戦ってきたのでしょう。

今の日本があるのは、別に日本人という種族が優秀だったわけではない。私たちの持つ人を憎んだり、恨んだり、そういう負の感情を放っておくと簡単に争いが起こるから、何百年もかけて世界の人々は、暴力的な感情との付き合い方や折り合いのつけ方を、繰り返し反省し、話し合って、ようやくいくつかの約束事としてかたちにしてきたのではないでしょうか。

その積み重ねの最たるものの一つが、日本国憲法です。そうやって戦争の恐ろしさを受け継ぎ、平和な世の中を積み重ねていった人々がいたおかげで今、ちょうど戦争をしない日本に私たちは生まれてきました。だから、歴史上の今の日本だけを切り取って、武器を持ちながら戦争に絶対参加しないなんて、そんな理性的でいられるなんて、簡単に確信を持てません。一度戦地にいけば、いくらでも戦争のきっかけは生まれ、「やり返せ」と、私たちの感情に訴えてくるはずです。

私たちがすべきことは、その積み重ねを「時代が変わったから」と言って簡単に捨ててしまうことなんでしょうか。捨てることは簡単かもしれないけれど、私は、先人たちの思考した歴史を蔑ろにしたくはありません。むしろそれを生かして、犠牲のない世界を作れると信じたいのです。馬鹿な理想主義者かもしれないけれど、その理想を掲げていたいと思うのです。

戦争に参加するなら、武器を作って売るのなら、人を殺すという自覚と覚悟が必要です。私にはその責任はとても重く感じられます。だけど今、そのことについて本当によく考えられているでしょうか。

日本だけが、イラク戦争について検証も反省もしていません。それは物資の支援だけで多くの民間人が犠牲になったことについて自分達には関係ないという、自覚のない参加をしたからじゃないでしょうか。今、安倍政権は「後方支援」といって、また覚悟のないまま、戦争に参加しようとしています。自分は本当に悪いところには手をつけていないと思って、その責任の重さに目を背けています。

まずは、過去から振り返ってその責任に向き合うべきでしょう。

テロリストたちはどうしてテロリストになったのでしょうか。彼らの多くは報復を目的としています。それは戦争が原因だったり、社会への不満があったりします。日本はそんな社会作りに加担していなかったでしょうか。協力したアメリカの政策に、落ち度はなかったでしょうか。本当に向き合うべきなのは、テロリストを生み出した今の世の中ではないでしょうか。

テロリストは残酷で、武力に頼っていて、彼らもまた悲劇をもたらします。だから、私は彼らも許せません。自分たちの正しさを押し通すために武力を用いる彼らを私は許せません。だけど、だからこそ、何があってももう武器を持って戦争をしてはいけないはずなんです。

9.11以来、対テロ政策として武力行使が正当化されてきたけれど、なにがあっても、どの国の人も、アメリカ人兵士の犠牲さえも、許されるべきではないはずです。なぜなら、戦争はまた憎しみを生み出し、武力の応酬は何の解決にもなりません。これ以上の連鎖をとめるために、私たちは自らその負のサイクルから降りるべきだったのです。

聞き慣れた言葉かもしれないけれど聞いてください。

戦争は人を傷つけます。子供や未来も傷つけます。戦争は町や人を破壊します。

70年間言われ続けた、戦争の恐ろしさを伝える言葉たちに、新鮮さを感じなくなって蔑ろにするようになっていませんか。どうか想像してみてください。戦争の恐ろしさと過去の過ちから目をそらし、武力行使を正当化する私たちと、戦争の恐ろしさを反芻して学びながら過去を悔いて、武力行使を放棄する私たち。それぞれの道の先には何が待っているのかを。

私たちはかつて後者にいたはずで、そしてこれからも、同じ選択をしていきたいのです。私は長い長い紛争で何が傷ついたのか、その一端をこの目で見て知っています。

3年前、生きるために親元を離れて治療をするアフガニスタンの子供たちに出会い、数カ月を共に過ごしました。アフガニスタンでは、長い紛争によりインフラが破壊され、国内では簡単な治療も受けられない状況にあります。亡くなる子供も少なくなく、治療をしに来られる子はまだ幸運な方と言えます。怪我や病気があっても彼らはとても元気で、尊重されるべき命で、決してかわいそうな存在ではありません。

手足がなくても、顔に火傷を負って差別されても、子供たちは助け合い、大抵のことは自分たちで出来るようになります。けれど時間はそうはいきません。もっと色々な経験ができたはずの時間が治療やリハビリに費やされています。そして、大切な成長期に親元にいられないことや、恐怖や憎悪の記憶は彼らの心にしっかりと刻みつけられているのです。怪我や病は確実に彼らの可能性を奪っています。これが、これこそが、報復戦争の結果で、戦争の現実にほかなりません。

子供たちがあんな思いを今しているのは、「アフガニスタン人だから」ではなく、憎悪にかられた武力行使のせいでしょう。それさえなければ彼らがあんなに苦しむ必要はなかったでしょう。私が出会った子どもたちの人生は、物語でもないし美談でもありません。アフガニスタン人が傷つくことは普通じゃないし、そんなことはあってはならないんです。彼らがこれ以上傷つくことを私は許せないし、日本人がそれに加担し、私自身がその責任を背負いながら、彼らにまたどう向き合っていけばいいのか分かりません。

だから、こういう現実を見たからこそ、なお、私は理想を掲げ続けたいのです。戦争はなくせるという理想を掲げ続けたいのです。その一歩を日本が、日本こそが踏み出せる、そう信じています。

きっと、1人目の日本人犠牲者が出たらその憎悪が拡大していくのはあっという間でしょう。国の政策も国民の感情も歯止めがきかなくなります。今、もうすでに様々な犠牲の上に私自身生きているけれど、これ以上の犠牲の上に生きることを、ここでやめましょう。

この法案が通って初めの自衛隊員が亡くなる前に、または、自衛隊員に人を殺させてしまう前に、こんなバカげた話し合いを終わりにしましょう。私がこの法案に反対するのは、日本に普通の国になって欲しくないからです。

アフガニスタンには大切な小さな友人たちがいます。彼らやその家族を日本人が、日本人の作った武器が、傷つけることに私は耐えられません。この国の平和と国民の命を守るために、友人やそのまた友人が戦地で傷つくことに私は耐えられません。

やられたらやり返す、やられる前にやる、そんな報復合戦に参加し、これから先も誰かの犠牲の上に自らの平和が成り立っていくことに、私は耐えられません。

私たちの憲法は、今ある普通の国のその先へ行くことができる、先進的で素晴らしいものだと信じています。徹底して武力行使をしないことこそが、世界の平和と安全をかたち作るものだと信じています。

今、実は反対しているのに、声を上げていない人が私の周りにはたくさんいます。そういう人たちに聞いてもらいたい。犠牲者が出てからでは遅いんです。福島の原発事故で、そのことを痛い程私たちは突きつけられました。法案が通って、人が亡くなった時、「だからそうだと思っていたんだ」と、「僕の、私の思っていた通りになった」と、優越感に浸るんですか。反原発を長年訴えてきた先生は、原発事故以降、間に合わなかったと肩を落としていました。そんなことを、また繰り返すんですか。

声を上げるなら今です。

SNSでいいね!が増えても、安倍さんに危機感を持たせることはできないでしょう。彼は彼の人生における大きな使命を今全うしようとしているのですから。

私たちも、それに見合うだけのエネルギーを注がなくてはいけません。国会前に集まってください。デモで一緒に歩いてください。想像力の乏しい首相には、実態で反対の姿勢を見せなくては私たちの意志は伝わりません。忙しいのにわざわざ来るからこそ、意味があるのです。疲れてるけれど、行かなくては、と思うそのエネルギーに驚くのです。

彼も私たちと同じ人間ならば、何万、何十万の人が集結したその事実に、向き合わずにはいられないでしょう。私たちが反対の意思表示にかけたそのエネルギーを目の当たりにして、無視してはいられないでしょう。

憎悪の連鎖を私たち自身が止めましょう。過ちは繰り返さないと、70年前の犠牲者に私たちは誓ったはずです。

私たちなら止められる。私たちが止めるんです。2015年6月27日、私は戦争法案に反対します」