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沖縄の声3 【宜野湾市長選】普天間問題:有権者が判断できる議論と根拠を

2016-01-17 10:26:35 | 政治
「 宜野湾市長選挙は米海兵隊普天間飛行場の移設問題をめぐる政府と沖縄の代理戦争のようだ。

 自民・公明が現職の佐喜真淳市長をバックアップし中央から政治家を投入する。受けて立つ「島ぐるみ」の象徴、翁長雄志知事も懸命に地域を回り、辺野古埋め立て反対を訴える志村恵一郎候補を支える。双方ともこの闘いが普天間問題の剣ヶ峰と位置付ける。

 ところが最大の争点であるはずの普天間問題は議論が低調なままだ。

 告示前、琉球新報社などが主催した候補者討論会で二候補が激論を戦わせた。中心テーマだった普天間問題で、佐喜真市長は最後まで辺野古埋め立てへの賛否を明らかにしなかった。志村氏は「有権者に選択肢を提供すべきだ」と迫ったものの、最後まで議論はかみ合わない。

 それでも討論会の司会者は締めの言葉で「この選挙は全国の注目を集めています」と意義付けを強調した。

 市長選の結果が普天間問題の行方を大きく左右するから、政府が重要選挙と位置付けていることは周知のことだ。「普天間問題の分水嶺」との表現があったり、沖縄の運命をも左右する政治決戦と言われたりもする。

 それだけに現職市長が自身の意見を表明しないのは残念だ。討論会では「固定化は許さない」とテーブルを叩いてみせたが、さてどう解決するかは言わない。

 こうした選挙戦術には既視感がある。一昨年の沖縄市長選もそうだった。当選した桑江朝千代市長(元自民県議)は、選挙戦で「市長選で移設問題に触れるのは望ましくない」と争点化を回避した。桑江市長の当選を全国紙は「桑江氏、辺野古反対派を破る」(毎日新聞)との見出しで報じた。勝利談話では「私も仲井真弘多前知事と同じスタンスで、辺野古は(移設先の)選択肢の一つ」(読売新聞)との発言が記事に載った。

 まぎれもなく最大争点でありながら選挙戦で主張せず、当選後に辺野古容認に言及する。「争点外し」とか「争点ぼかし」と呼ばれる。

 もうひとつのキーワードに「国政選挙並み」がある。中央から自民党や他党の著名な国会議員が続々と沖縄に入る光景はすっかり見慣れた。しかも政府自民は特別予算、特別措置などのニンジンをちらつかせる。名護市、沖縄市、そして宜野湾市の市長選挙でもこうした「国政並み」が展開される。

 辺野古の埋め立てが「選択肢の一つ」「唯一の解決策」であれば、そのことを候補者が合理的に説明し、有権者に判断を委ねるのは難しいのだろうか。反対派にしても「県外・国外移転」「移転なしの即時撤去」をスローガンとせず、その根拠と可能性をしっかり提示できないものだろうか。

 こうした実質論の積み上げがなければ有権者はいつまでも空中戦を見ているようで、政治と民意が乖離したままになる。

 そもそも沖縄の米軍基地問題はわかりにくい。誤解やデマにまみれている。

 例えば辺野古のゲートで抗議行動する反対派は日当、弁当をもらっているというデマ。宮古島市議の一人もネット情報を鵜呑みにし、そう発言した。

 普天間はそもそも誰も住まない野っ原に滑走路が建設され、その周辺に危険を承知で市民が住み始めたという虚言もある。米軍高官ですらこの根拠のないデマを信じ、公言したりする。

 沖縄経済は基地がなくては立ち行かないし、政府の補助金で生きている、という誤解が根強くある。

 戦略的に沖縄に基地を集中させるのは当然だ、と多くの専門家が論じるが根拠はあいまいだ。米政府はこれまでに何度か米兵力の本土移転を日本政府に打診しているが、拒んでいるのは日本側だ。2012年の米軍再編見直しで米政府は海兵隊1500人を山口県岩国基地に移転しよう、と提案したが、当時の民主党政権が拒んだ。昨年も普天間のオスプレイの飛行訓練を佐賀空港でも実施し、辺野古移転の前提とする早期危険性除去を政府は模索したが、これも地元の反対ですんなり取り下げられた。

 沖縄基地問題の議論は、埋め立て反対運動をデマで〝口撃〟し、基地依存の沖縄像を作り上げ、辺野古埋め立てを拒否する選挙の民意に対しては沖縄人が異質だからと変な言説まで飛び出す。いちいち反論するのも難儀なことだ。

 だからこそ、辺野古埋め立てが「選択肢のひとつ」と容認する側の議論をちゃんと聞いておきたい。こう書くと、「安全保障を知らないのか」と非難されるかもしれないが、安全保障は辞典や学問書でも「あいまいな概念である」と書かれており、定説はない。それでも辺野古埋め立てだけが「唯一」なのはなぜだろう。

 選挙で何度も示された沖縄の民意は簡単に踏みにじられ、本土の反対はすんなり通るのはなぜだろうか。しかも反対した山口県や佐賀県に対してはどこからも〝口撃〟はない。

 こうした構造的差別の中に沖縄問題がある。市行政トップを選ぶ市長選ではあるが、沖縄が置かれた政治的境遇や目の前の課題を抜きにして政治を考えるのはよほど難しい。

 今年は宜野湾市長選に次いで6月の県議会選挙、7月の参院選挙は衆参同日選もささやかれる選挙イヤーだ。議論をあいまいにはしてほしくない。」

http://www.okinawatimes.co.jp/cross/?id=362&p=1

沖縄の声2 【宜野湾市長選】今、宜野湾市で起きていること、知ってほしいこと

2016-01-17 10:22:02 | 政治
「■息子の個人情報がなぜ、断りもなく自衛隊に

 「自衛隊に適齢者の名簿提供 沖縄市と宜野湾市」(『沖縄タイムス』2015年11月3日)。

 この記事を見た時、わが家の次男も自衛隊の台帳に載せられたのかと、がく然としました。長男が宜野湾市内の高校を卒業した時には、どこから個人情報を収集したものか、自衛隊から勧誘DM(ダイレクトメール)が家に送りつけられました。次男の時にはこのようなDMはありませんでした。ところが、なんと宜野湾市が17歳から26歳までの男女9,900名分の名簿をごっそり提供していたとは!

 自衛隊の勧誘については、40年以上も前の苦い思い出があります。1972年の沖縄の本土復帰の頃のことです。冬休み帰省かなにかで東京から仙台の大学に戻るために、乗り継ぎの上野駅近くの公園でひとり夜行列車の出発時刻を待っていました。貧乏学生だった私は、普通運賃の他に特急や急行券を求めることができず、コーヒー一杯が立ち食いソバより高い喫茶店に入る意気地もなく、外灯の下の冷たいベンチで時間を持て余していました。

 その姿が、仕事にあぶれ生活に行き詰まった人のように見えたのでしょうか、声をかけてくる紳士がいました。それが自衛隊の勧誘でした。上野は東北からの終着駅で、特に冬場は北国の極寒と経済苦から、出稼ぎの仕事を求める人であふれていた時代でした。過疎化を逆手にとって原子力発電所が次々と建設され始め、追い立てられるように人々が降り立ったのが上野駅。そしてそこは、自衛隊リクルーターの「シマ(縄張り)」でもあったことを身をもって体験したわけです。

 今、アメリカでは格差社会の貧困層をターゲットにした「経済的徴兵制」が問題になっていますが、日本でもずっと昔からやられてきたことです。今年から運用が始まったマイナンバー制度で個人の経済状況が逐一監視されることになると、住民票と突き合わせて困窮者を「徴兵」できる台帳が瞬く間にできあがってしまいます。

■市民広場と駐車場のこと

 普天間基地がど真ん中に居座るせいで宜野湾市は人口密度が高く、商店街や市役所は慢性的な駐車場不足です。そこで、市役所や普天間商店街に隣接する遊休化した米軍への提供地を宜野湾市が管理し、市民広場、駐車場としていました。

 ところが、2012年9月のオスプレイ反対の県民大会で示された民意が顧みられることなく10月に配備が強行されたことから、普天間ゲートには連日、抗議の市民が駆けつけました。11月初め、普天間基地司令官が突如、この市民広場と駐車場を閉鎖しましたが、年の瀬の普天間市場や普天間宮の初詣の人出に備えて駐車場の再開を要望する声が市民の間に膨らみました。そこで市は司令官と交渉した結果、市民広場の利用者は許可証を申請すること、駐車場は抗議行動の車両排除を条件に再開することに合意しました。

 その時から広場には、市の負担で警備員が置かれています。駐車場はというと、小さなワッペンを張った車はもちろん、県民大会シンボルカラーの赤いタオルやゼッケン、帽子などが車内にあるだけで、「巡視の米兵から抗議行動の車両と見なされるから」と、係の人から退去を命じられます。米軍監視の無言の圧力が元で、顔見知りの駐車場管理の人たちと目が合っても、以前のように心の通った笑顔を交わすことがなくなってしまいました。
■アメリカではありえない普天間の被害

 違法な爆音が繰り返されているにもかかわらず、司法がこれを除去できなかった普天間第一次訴訟判決の不条理。これを打開するために、2012年3月に3400名余の原告が第二次訴訟を提起しました。

 私たちが依拠するのは憲法です。憲法は人間の尊厳を基盤として、基本的人権を至上の価値とし目的としています。住民の命を削る爆音は、基本的人権を侵害しています。しかし、被害者である住民は加害者である米軍を被告として、違法な爆音の差し止め裁判を起こすことができません。これは明らかに憲法に違反する状態です。その根本の原因は日米地位協定の中に、米軍の違法な活動を規制する仕組みがないからです。このように加害者を相手に裁判を起こせない状態のもとで、普天間飛行場を提供することは、憲法に違反し許されないものです。

 私たちの裁判は提訴から5年が経過し、3月24日に結審、年内には一審判決の予定です。那覇地裁沖縄支部(藤倉徹也裁判長)が憲法判断に踏み込むことを期待します。

 なお、普天間飛行場は滑走路の両端に設定すべきクリアゾーン(事故危険区域)がない、米軍が定める安全基準を逸脱する欠陥飛行場です。それゆえ「米軍の安全基準(AICUZプログラム)」に基づいて、日本政府がアメリカ政府と交渉できれば、即刻、普天間は運用できなくなる理屈ですが、アメリカのダブル・スタンダードに対して、安倍政権が「NO!」と言えるでしょうか?

 普天間飛行場は1945年、沖縄に上陸した米軍が宜野湾村民の家屋、土地、財産を強奪して「本土爆撃用」の野戦滑走路を造ったことに始まります。ハーグ陸戦条約・国際法違反の占領が70年以上も続いています。普天間は国連軍基地でもあるので、沖縄の自己決定権に基づき国際法違反の普天間の実態を国連に訴え、国際世論の共感と賛同を呼び、取り戻すことができないものでしょうか? 知恵をよせてください。

 オスプレイについても、ハワイやアメリカ本国では、歴史遺産や観光地、コウモリ等の生息地を保全するために、訓練計画が撤回されました。ところが普天間から飛び立ち高江で低空飛行を繰り返すオスプレイは、天然記念物のノグチゲラやヤンバルクイナ等の生息環境、山原の生態系をメチャメチャにしています。市街地でエンジントラブルが起きた時には、学校の校庭を緊急着陸場所に選ぶ飛行訓練まで行われているのです。米軍は、県域のすべてを「実験場」とみなしているのでしょうか。

■元米兵VFPが教えてくれたこと

 昨年12月に来沖した米退役軍人ら約千人を擁する全米規模の市民団体「Veterans For Peace(VFP、平和のための退役軍人の会)」一行が、普天間基地のゲート前で毎朝抗議活動をしている私たちのもとを訪ねてくれました。その時に残していってくれた言葉があります。

 「戦争が一体どういうものか、僕の経験から言わせてください。なぜなら、どの政府も戦争の真実を決して語らないからです。軍隊に入るということは人間性をことごとく奪われることです。戦争が僕たちを変えてしまったんです。人間にとって戦争ほど最悪の経験はありません。今、僕たちの国アメリカは、その戦争の必然の結果を目の当たりにしています。一緒に戦場にいた兵士が棺桶の黒いビニールに包まれて帰ってくるのです。無事に帰還しても自殺する帰還兵が後を絶ちません。一日に22人もが自ら命を絶っているのです。沖縄で、いえ、日本で、こういう数字を見たいんですか? 僕の目は、二度と真実からそらされることはありません。普天間に駐留する海兵隊には『あなたたちの軍隊が、私たち沖縄の民主主義を殺している。権威を疑え!目を覚ませ!』とメッセージを伝え続けてほしい」と。

 ところで、提供名簿に載せられたわが家の次男は、小学校に上がる前ほぼ1年間を病院で過ごしました。当時は治療法も手探りの難病だと診断されましたが、医療関係者の尽力や、研究・専門技術、臨床・治験の積み重ねなどによって、今では元気に学校に通えるまでになりました。しかし同じ病室で過ごした子どもたちの何人かが、治療のかいなく亡くなっていきました。

 生きたくても生きられなかった命を、私も次男も間近にたくさん見てきました。ようやく助けてもらった命を、そんなに簡単に「徴兵」でもって行かれるのは、まっぴらゴメンです。子どもたち、孫たちの時代に、誇れる宜野湾を残したいものです。」

http://www.okinawatimes.co.jp/cross/?id=363

沖縄の声 1 宜野湾市長選挙

2016-01-17 09:01:02 | 政治
「 米軍普天間飛行場の閉鎖と名護市辺野古への新基地建設の是非が最大の争点となる宜野湾市長選挙が、17日告示される。

 2期目を目指す現職の佐喜真淳氏(51)=無所属・自民、公明推薦=と、新人で翁長県政与党の支援を受ける志村恵一郎氏(63)=無所属=による一騎打ちとなる見通しだ。
 米軍普天間飛行場は71年前、米軍が住民を収容所に隔離する中で強制的に建設された。1996年の返還合意からことしで20年を迎える。
 佐喜真氏は2012年の市長選で、県外移設を公約して当選した。しかし13年には県内移設を事実上容認する姿勢に転じた。今回は移設先への言及を避けつつ「早期返還」を強調、辺野古移設を推進
する政権与党からの支援を受ける。
 志村氏は「辺野古新基地建設阻止」を掲げる翁長県政と歩調を合わせ「辺野古移設は危険性の放置でしかない。名護市に痛みを押し付けてはいけない」と強調する。辺野古移設によらない「無条件の閉鎖撤去」を主張している。
 選挙戦を通じて佐喜真氏には辺野古の賛否と早期返還への道筋の提示を求めたい。志村氏も無条件閉鎖・撤去に向けた取り組みを具体的に説明してほしい。
 一方、選挙結果は安倍政権が強行する辺野古への新基地建設に影響を与えるはずだ。しかし、安倍晋三首相は最近になって「安全保障に関わることは国全体で決めることだ。一地域の選挙で決定するものではない」と述べた。選挙前から選挙の意義を失わせるだけでなく、地方自治を否定し、自己決定権を無視する発言だ。
 本来なら、より豊かな市民生活の在り方が主要争点になるはずだが、宜野湾市民は常に米軍基地を問わざるを得ない環境に置かれてきた。一地域に外国の基地を過重負担させてきた国家に責任がある。「沖縄の方々の気持ちに寄り添う」(安倍氏)という衆院での発言がしらじらしく響く。
 普天間問題以外にも、県内で2番目に多い待機児童解消など子育て支援、産業振興、医療・福祉、まちづくりの方向性など明確な主張と政策を有権者に提示してほしい。
 言うまでもなく民主主義の基本は選挙だ。主権者は選挙を通じて意思表示する。有権者の1票が、宜野湾市、ひいては沖縄の未来を築くことにつながることを肝に銘じたい。」

http://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-205432.html

政治に必要なのは団結

2016-01-12 17:07:17 | 政治
 今政治に必要なものは団結である。

 安倍政権を倒し、改憲を阻止する。その一点で団結することだけが、今政治家に求められていることである。

 安倍政権はどんな手だてをつくしてでも改憲を実現しようとしている。

 彼らこそその一点に懸けている。

 アベノミクスもそのため。

 アメリカの言いなりのTPPもそのため。

 そして改憲の向こうには、自由と権利を奪われて「臣民」に成り下がった奴隷たちがうごめく社会が見えている。

 果てしない労働の非正規化。

 企業の際限のないブラック化。

 自由のない研究と教育。

 時間つぶしのためだけのテレビ。

 そして言いなりのままに酷使され使い捨てされる私たちの子供や孫たち。

 それは地獄だ。


 それを止めるための団結だ。

 それができなければその日とは政治家ではない。

改めて考えてみると- 日本人は馬鹿なのかもしれない。

2016-01-12 16:47:28 | 政治
 改めて考えてみると、自国民をだますのはその国の政府である。

 朝鮮の人々は日本人に、ということは大抵日本政府にだまされた、と感じていることが多いようだし、中国の人も日本という国は信用できない、と思っている節がある。

 しかし他国の政府にだまされた、というのは少なくとも日本に関しては余りないのではなかろうか。

 だましたのは大抵日本国、日本政府である。

 戦前あちこちで戦争をしたのは全て「東洋平和」のため。これは旧制の高等女学校に通っていたうちの母親が残した歴史のノートの記述である。

 新聞やラジオもそうだっただろう。

 みんな嘘でした。

 戦後もそうだ。原発が安全だと言っていたのは日本政府だ。大嘘であった。

 にもかかわらずなんで政府の言うことを信用するのか。

 文科省の教育方針に従う。

 NHKを、なんだかんだと言いつつ信用する。

 読売や産経を信用する。

 そして官房長官や首相を信用する。

 なぜ?

 アベノミクスで日本経済は復活する。

 消費増税は不可避だ。

 TPPで日本は豊かになる。

 そして安保法制と特定秘密保護法は日本の防衛のために不可欠だ。

 ほんとか?

 もうそろそろ結論を出してもいい頃出し、責任を問いただしていい頃では。

 にもかかわらずなんで次の選挙で与党が大勝しそうなのか。

 日本の市民・国民・住民は、どうしてこうも簡単に信用するのか。

 日本人は馬鹿なのかもしれない。

日韓政府による慰安婦問題合意に対する、挺対協の立場・見解

2015-12-30 17:20:15 | 政治
「日本軍「慰安婦」問題解決のための韓日外相会談の合意の日本軍「慰安婦」関連団体の立場


今日、日本軍「慰安婦」問題解決のための韓日外相会談が開かれ、最終的にその合意案が発表された。日本軍「慰安婦」被害者と国民は光復70年を数日離れることなく開かれた今回の会談が正しく早急な日本軍「慰安婦」問題の解決に至ることを切に願いしてきた。

今回の会談の発表によるとまず、「慰安婦」問題について日本政府が責任を痛感することと第二に、安倍首相の内閣総理としての謝罪表明、第三に、韓国政府が設立した被害者支援のための財団に日本政府が資金を一括拠出して以来、両国が協力して事業を進めていくというものである。

たとえ日本政府が責任を痛感すると発表したが、日本軍「慰安婦」犯罪が日本政府および軍によって組織的に強行された犯罪という点は、今回の合意で見当たらない。関与のレベルではなく、日本政府が犯罪の主体であるという事実と「婦」犯罪の不法性を明確にしていなかった。また、安倍首相が日本政府を代表して内閣総理として直接謝罪しなければであるにもかかわらず「代読リンゴ」にとどまり、リンゴの対象もあまりにも曖昧て」真正性が込められた謝罪」とは到底受け入れ難い。

また、今回の発表では、日本政府が日本軍「慰安婦」犯罪の加害者として日本軍「慰安婦」犯罪に対する責任認定と賠償など後続措置事業を積極的に履行しなければなのに、財団を設立することにより、その義務をこっそり被害政府に押し付け手を群れという意図が見える。そして、今回の合意は、日本国内でなければならない日本軍「慰安婦」犯罪の真相究明と歴史教育などの再発防止措置については全く言及していなかった。

何よりも、この曖昧で不完全な合意を得るために韓国政府が掲げた約束は衝撃的である。韓国政府は、日本政府が表明した措置を着実に実施することを前提に、今回の発表を通じて、日本政府と一緒にこの問題が最終的および不可逆的に解決されることを確認して、在韓日本大使館前の平和非について公館の安寧/威厳の維持のために解決策を見つけることであり、相互の国際社会で非難/批判を自制するというものである。されを受けるために言葉を与えるしまった韓国政府の外交行動はまさに屈辱的である。

日本軍「慰安婦」問題の解決のための協議に臨みながら、平和、非撤去というあっけない条件を掲げ、その真正性を疑うようにした日本政府の要求を、最終的に受け入れたのも足りなくて、今後、日本軍「慰安婦」問題を口に担持もないという韓国政府の姿は全く恥ずかしく失望。

平和雨は、そのいくつかの合意の条件や手段になることがないことを明らかにします。平和雨は被害者と市民社会が千回を超える水曜日を守り、日本軍「慰安婦」問題の解決と平和を叫んできた水曜デモの精神を称える生きた歴史の象徴であり、私たちの公共の財産である。これらの平和雨について韓国政府が撤去および移転を云々したり、介入することはあり得ないことである。また、被害者とこの問題を解決するために、長い間努力してき関連団体と相談も同意を求めたバーなしこのように受け入れることができない屈辱的合意を出し、政府が最終的に解決確認をすることは、明白な越権行為であり、光復70年の最後の数日を控えたが厳重な時期に被害者を再び大きな苦痛に追いやることである。

これまで日本軍「慰安婦」被害者と支援団体、そして国民の熱望は、日本政府が日本軍「慰安婦」犯罪について国で法的責任を明確に認めて、それに伴う責任を履行することにより、被害者の名誉と人権を回復して再びこれらの悲劇が再発しないようにするようにだった。しかし、今日の日韓両国政府が持って来たが合意には、日本軍「慰安婦」問題に対する被害者の、そして国民のこれらの風を徹底的に裏切った外交的固定にほかならない。

日本軍「慰安婦」問題は、日韓の真の友好と平和のために解決されるべきで被害者が一人でも多く生きているときに解決されるべき優先課題であるが、決して原則と常識を捨て、時間に追われるように結び目を出してはいけないという点を重ねて強調している。

過去2012年の第12回日本軍「慰安婦」問題解決のためのアジア連帯会議で各国の被害者たちの意を込めて採用された日本政府への提言、すなわち日本政府の国家的、法的責任の履行が必ず実現されることができるよう、私たちは今後も、日本軍「慰安婦」被害者たちと一緒に、国内外の市民社会との適切な問題を解決するための努力をさらに傾注していくことを明言する。



2015年12月28日
나눔의집/남해여성회/정신대할머니와함께하는시민모임/일본군'위안부'할머니와함께하는마창진시민모임/일본군'위안부'할머니와함께하는통영거제시민모임/한국정신대문제대책협의회」

https://www.womenandwar.net/contents/board/normal/normalView.nx?page_str_menu=0301&action_flag=&search_field=&search_word=&page_no=1&bbs_seq=14435&passwd=&board_type=&board_title=&grade=&title=&secret=&user_nm=&attach_nm=®_dt=&thumbnail=&content=

慰安婦に関する和解についてのハンギョレの批判

2015-12-30 17:11:14 | 政治
「 1970年12月7日午前7時、ポーランドのワルシャワにあるジャメンホッファ街のユダヤ人慰霊塔。初冬の雨が涙のように慰霊塔をぬらしていた。西ドイツのヴィリー・ブラント首相が、その慰霊等の前に立った。 1943年のワルシャワのゲットーでナチスに対抗し、28日間蜂起したものの、惨殺された約5万6000人のユダヤ人たちを追悼するための塔だ。しばらく頭を下げていたブラント首相が後ずりした。儀礼的な参拝が終わったと思った一部の記者たちも、その場を去ろうとした。その時、ブラント首相が慰霊塔の前で突然跪いた。カメラのフラッシュが凄まじい勢いで光を放った。ブラント首相は何も言わなかった。西ドイツがポーランドとの関係正常化のためにワルシャワ条約を結ぶことになっていた同日の朝、ブラント首相はナチスドイツの過ちについて全身で謝罪したのだ。ナチの強制収容所の生存者だった当時のポーランドのユゼフ・ツィランキェヴィチ首相は、次の目的地に移動する車の中でブラント首相と抱き合って泣いた。彼は言った。「許す。しかし、忘れない(Forgivable、but Unforgettable)」。その後ポーランド人はワルシャワにブラント広場を作って、跪いたブラント首相の姿を収めた記念碑を立てた。謝罪と許すこと、そして和解とは、このようにするものだ。
ドイツが永遠の反省を誓ったように 
歴史は終止符のない省察の対象 
1回のリップサービスで終わるものではない 
少女像の移転の受容も「早まった判断」


ヴィリー・ブラント西ドイツ首相が1970年12月、ポーランド・ワルシャワのユダヤ人ゲットー追悼碑の前で跪いたまま、ナチスの残酷な犠牲にされた人々を追悼している=資料写真//ハンギョレ新聞社
 2015年5月3日、ドイツのメルケル首相が最初のナチス強制収容所であるドイツ・バイエルン州のダッハウ収容所を訪れた。この日も、小雨が降っていた。メルケル首相は追悼の辞でこう誓った。「私たちは被害者と自分自身と、将来の世代のために、これを忘れない」。メルケル首相は前日の第二次世界大戦終戦70年に合わせて公開したビデオメッセージで「歴史に終止符はない」と宣言した。ポーランドのアウシュビッツ収容所の解放70年記念日を翌日に控えた1月26日にベルリンで行った演説では、「ナチスの蛮行を憶えていなければならないのは、ドイツ人の永遠の責務」だと宣言した。
 半世紀前にブラント首相がすでに謝罪して“許し”を得たが、ドイツは謝罪と反省を止めない。ユダヤ人たちもホロコーストを記憶することを止めない。歴史の省察と反省とは、このようにするものだ。歴史とはたゆまぬ省察の対象であって、核兵器のように不可逆的な廃棄の対象にはなり得ないからだ。

 2015年12月28日、朴槿恵(パク・クネ)政権と安倍晋三政権は日本軍「慰安婦」被害者の問題の「最終的かつ不可逆的な解決」を宣言した。その直後、安倍首相は首相官邸で行われた記者会見で「おわび」と「反省」には触れず、「先の世代の子供たちに謝罪し続ける宿命を背負わせるわけにはいかない」と強調した。安倍首相は「合意に『最終的かつ不可逆的な』という文言が盛り込まれない場合は、交渉をやめて帰ってくるように」と岸田文雄外相に指示したという(読売新聞29日付)。岸田外相は、日本の記者団に 「(日本政府の予算拠出は)賠償ではない。道義的責任ということに変わりはない。(今回の交渉で日本側が)失ったものがあるとすれば、10億円だろう。予算から拠出するものだから」と述べた。

 日本側の関心事は、法的責任を認めることや謝罪、反省ではない。ただ“10億円とリップサービスの代わりに、二度と韓国がこの問題を口にしないようにする”ということだけだ。


イ・ジェフン記者//ハンギョレ新聞社
 にもかかわらず、ユン・ビョンセ外交部長官は「交渉の妥結を嬉しく思う」と述べており、外交部の高官は「今の状況で最善の案」だと自賛した。今回の合意を最終決定した朴槿恵大統領は「韓 日関係の改善と大乗的見地」を掲げて「被害者の方々と国民の理解」を求めた。「被害者と国民が納得できるレベルの合意」を口が酸っぱくなるほど強調してき朴槿恵政権が「(発表内容を)全部無視する」(イ・ヨンスさん)、「あんなに苦労して待ち続けたのに...私たちは、お金よりも名誉を回復してもらいたい」(イ・オクソンさん)という、被害者ハルモニ(お婆さん)たちの悲痛の叫びになんと答えるかが気になる。国際人権法や規範によると、加害国と被害国の政府が「被害者の同意なく」その被害について合意することはできない。
 朴槿恵政権のホコリのような軽薄な歴史認識は、日本大使館前の「平和の少女像」を撤去と移転を求める安倍政府の要求を、事実上受け入れたことにも表れている。政府関係者と一部の専門家たちは、この問題を「枝葉末節、付随的事案」と見なしている。しかし、「平和の少女像」は「(1210回にわたる)水曜集会の精神を称える生きた歴史の象徴」(挺対協声明)であると共に、歴史を省察する世界市民の切実な心が込められた歴史の証言者でもある。決して枝葉末節ではない。

イ・ジェフン記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力: 2015-12-29 19:40

http://www.hani.co.kr/arti/politics/diplomacy/723975.html訳H.J」

http://japan.hani.co.kr/arti/opinion/22918.html

安田さん誘拐事件-政府は放置で見殺し

2015-12-26 00:43:16 | 政治
 ISに捕まった後藤さんの時は、安保法制を通すため危機感の演出が必要だった。

 今回はもう法案が通った後だからほったらかしで見殺しだ。

 安保法制が国民を守る等大嘘だと見事に証明されている。


「 安倍政権にとっては「国民の生命」よりも政権維持の方が大事なのだろう。フリージャーナリストの安田純平さんがシリアで拘束されているとみられる事件。国際ジャーナリスト組織「国境なき記者団」はシリアの武装勢力が身代金を要求し、安田さんの殺害もほのめかしている――と公表、混乱が広がっている。

 菅官房長官は24日、「全力で対応に努めている」なんて言っていたが、拘束情報は今夏にとっくに流れていた。この半年間、政府は一体、何をやっていたのか。

 安田さんは6月下旬、シリア内戦を取材するためトルコからシリアに向かったところを拘束されたという。一帯は国際テロ組織アルカイダ系の過激派「ヌスラ戦線」が支配する地域で、入国直後を襲撃されたという情報もある。ジャーナリストの常岡浩介氏はこう言う。

「安田さんは無事という情報は入っていて、各地を転々としていると聞いています。身代金の話は必ずしも信用していませんが、慎重に対応することが求められるのは言うまでもありません。しかし、日本の外務省はイスラム地域へのチャンネルが少なく、交渉もうまくいっていないようです。安田さんの親族からも不満の声が漏れています」

今年1月には過激派組織「イスラム国」にジャーナリストの後藤健二さんと湯川遥菜さんが斬首される事件があったが、政府はナ~ンの教訓も学んでいなかった。ジャーナリストの田中稔氏もこう憤る。

「外務省や警察は、この事件を隠すことに躍起でした。政府の高官は今夏に安田さんの拘束情報が流れた際、『人命にかかわるから報じるな』とマスコミ幹部に圧力をかけていたと聞きます。それからは、対応しているフリをしていただけ。内閣情報調査室のトップは28日から冬休みを取ると話しているといい、国家安全保障会議(NSC)の谷内正太郎局長も来年の交代が有力で、やる気がみられません」

 後藤さんの時と同じ轍を踏まないか心配だ。」

http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/172370

TPP医薬、ISD等山本議員事務所が翻訳

2015-12-24 15:40:47 | 政治
「TPP協定の「医薬品」と「ISD条項」の箇所を山本太郎事務所で翻訳致しました。
ご自由にダウンロードしてお使い下さい。

医薬品
8章6条 適合性評価
附属書 医薬品、化粧品、または医療機器に関する付属書
ダウンロードはコチラ⇒Chapter 8 (適合性評価、附属書(医薬品、医療機器)

18章F  医薬品の知的財産権
ダウンロードはコチラ⇒Chapter 18 (特許関連)
ダウンロードはコチラ⇒Chapter 18(付属書)

26章附属書 医薬品、医療機器のための透明性及び手続公正成に関する付属書
ダウンロードはコチラ⇒Chapter 26 (附属書(医薬品、医療機器)

ISD条項
9章B ISD条項
ダウンロードはコチラ⇒Chapter 9 (投資紛争の仲裁に関して)
:引用終了

↓公開された翻訳資料
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安保法制違憲訴訟の原告に加わりませんか

2015-12-23 15:16:29 | 政治
「安保法制の強行成立に心を痛めておられる市民の皆様に
安保法制違憲訴訟の原告に加わりませんか

 2015年9月19日は、多くの市民にとって決して忘れることのできない日となりました。安保法制のこの上ない強引な国会採決を目の当たりにして驚きと怒りを覚えました。今でも怒りがふつふつとわいてきます。

わたしたちは、立憲主義をしっかりと守り、憲法をまもりぬくという強い思いから、安保法制による自衛隊の出動などに対する「差止訴訟」と平和的生存権と人格権侵害などに対して「国家賠償請求訴訟」を提起しようと、「安保法制違憲訴訟の会」を立ち上げました。わたしたちは、これまでいろいろ異なった生き方や活動をしてきました。弁護士会の内外で、立憲主義と憲法をまもる活動を理論的に追求し、実際の運動をしてきた者、行政訴訟を専門に扱ってきた者、戦争被害者を支援する弁護団活動をしてきた者や、この違憲訴訟構想に賛同した複数の元裁判官などが集まっています。

わたしたちは採決の強行(そもそも「採決」自体が存在したのかという問題点もあります)が行われる前後から、内閣や国会の行動が憲法上許されるべきではない、もしこれを司法が黙って見過ごすようなことがあっては、司法はその役割を放棄することになってしまうと心配していました。三権分立の原則の下で、司法は立法・行政に対する監視、抑制機能をなっているからです。

今こそ、立憲主義をまもり、平和主義、国民主権、人権尊重という憲法がうたう価値を擁護するという一点で共同して違憲訴訟を提起することが求められているとの思いを強くしています。多くの市民の皆さんからの訴訟を超すことへの強い期待と希望が日々寄せられていることを実感しております。私たちは、法律家としてこの期待と希望にしっかりと答える義務を負っていると考えております。さらに、この訴訟は、戦争体験者、戦争被害者、国際NGO活動に取り組んでいる人々、基地被害に苦しんでいる人々、これからの社会を憂える市井の人々、二度と戦争加害者にならないことを願っている人々、これからも声を上げ続けようとの決意を行動で表している若者たちに勇気を与えるとわたしたちは考えています。

「差止訴訟」と「国家賠償請求訴訟」には裁判上のさまざまな課題があるところですが、全国各地の有志の方々と共に訴訟提起に向けて全力を尽くしていきたいと考えております。

☆原告になるご負担は日本国憲法を守る以外にはありません。
☆申し立て費用、弁護士費用は無償弁護活動や賛同者のカンパ等によりまかないますので不要です。若干の手続のための費用と手数だけです。お送りくださった方にはこちらから詳細をご連絡します。
☆原告になるご回答をいただいた方にはこちらから詳細をご連絡します。

2015年12月21日

[安保法制違憲訴訟の会・共同代表(50音順)]
伊藤真 内田雅敏 黒岩哲彦 杉浦ひとみ 田村洋三 角田由紀子 寺井一弘 福田 護 堀野紀
【事務局】 安保法制違憲訴訟の会
東京都渋谷区桜丘町17-6 渋谷協栄ビル2階 電話 03-3780-1260 FAX 03-3780-1287」

http://sogakari.com/?p=1331

消えた子供たち/ハフポト、シノドスより

2015-12-23 12:17:23 | 政治
 とんでもない実態。

 子供の権利をきちんと保障できる社会にする必要がある。

「消えた子ども」――虐待や貧困などにより、自らの意思に反して社会から姿を消してしまった子ども。「不登校」として認知されていたり、保護者と連絡がとれていることで「無事」と判断されてきたこともあり、その実態はほとんど把握されてこなかった。NHKスペシャル「消えた子どもたち」取材班は児童福祉関係などの諸機関1377ヶ所を対象に、独自の大規模アンケート調査を行った。そこに浮かび上がってきたアウトラインとは? 『ルポ 消えた子どもたち』からアンケート結果をまとめた部分を転載する。

驚愕の実態

集計の結果、「消えた子どもたち」は、この10年の間に施設に保護されていただけでも、少なくとも1039人いたことが明らかになった。記録が残っていない施設や、未回答の施設があること、そもそも保護されていない子どもがいることを考えると、この結果は氷山の一角であり、相当数の子どもが社会との接点を失って姿を消し、危機に直面していることがうかがえる数字だった。

そこには、これまで様々な事件を取材してきた私たちでさえ、言葉を失う実態が記されていた。送られてきた一つひとつの記述に、それぞれの子どもたちの過酷な人生の一部が浮き彫りになっている。集計と分析結果の前に、保護されたときの子どもたちの様子をいくつか紹介したい。

「ごみ屋敷で生活。笑顔はなく顔の表情筋が衰えている。服を着たことも、外へ出たこともない。泣くこともない」……最も表情豊かに過ごすはずの幼児期、4年間社会と断絶された。要因は「親の虐待・ネグレクト」。
「親の知人宅に放置され、衣服も汚れて臭かった。便座を机代わりに勉強していた」……母親は夜の仕事で、保育所や学校に通わせてもらえずネグレクト状態だった。
「中学生で保護されたが自転車にも乗れなかった。幼児期よりほとんど教育を受けていない。大人への言葉使い、学校での授業の受け方がわからず大声を出していた」……母親の意向で小中学校に通わせてもらえず。布団で寝たこともない様子だったという。
「幼い兄弟だけで暮らしていた。保護時、体は垢まみれで相当不衛生な環境だった」……その後もコミュニケーションに問題を抱えている。
「無戸籍。発達の遅れ、学習の遅れ」……保護されるまで一度も学校に通っていなかった中学生。母子家庭で水道も止められるような状態。小学生の弟はオムツをしていた。
「家から一歩も出たことがない。髪は伸び放題。言葉が話せない。食事は犬のように押し込んで食べる。飢餓状態の子どものように腹が膨れている」……その後も体の発達と学力に課題を抱えている。
多数の回答によって、事件になって社会に表面化するケースはひと握りだということがあらためてわかった。そして、国の調査ではわからなかった、その背景や実態も見えてきた。集計の結果は次のようなものだった。

1 消えた要因

なぜ子どもたちの姿が、社会から消えていってしまうのか。アンケートでは、その要因を複数回答で尋ねた。詳しい状況について回答のあった813人分の結果を見ると、「ネグレクトを含む虐待」が最も多く512人。全体の6割強にあたる。次いで「貧困」や「借金からの逃避」といった経済的理由が249人、「通学への無理解」が224人、「保護者の障害や精神疾患」が220人と続いた。さらに、無戸籍によるという回答も25人いた。

2 消えていた時期

また、いつ消えていたのかについても聞いた。最も多かったのは、小中学校で義務教育を受けられなかった時期のある子どもで、623人と、時期を把握できたうちの77%を占めた。追加取材をすると、幼稚園や保育所など就学前は、行政の関わりに差があったり、幼いゆえに子ども本人の記憶があいまいであったりして、実態がつかみにくいという声を多く聞いた。

また、高校に通う年齢の子どもについては、退学や不登校が本人の意思か否か把握されておらず、義務教育に比べ学校の関与も薄れることで実態が見えにくいと感じた。(中略)それだけに、法律上教育を受けさせることが義務づけられている小中学校において、そのチャンスを生かして、子どもをしっかりと把握することが重要だと強く感じた。

3 消えていた期間の長さ

社会との接点が絶たれた期間の長さについて詳細がつかめたケースは482人。そのうち、学校に行かせてもらえなかったり、親に連れられて住む場所を転々としていたりして社会との接点が絶たれた期間が1年以上に及んでいた子どもは262人。全体の4人に1人、期間が判明したうちの半数以上に上った。最も長いケースでは、生まれてから11年間、ずっと家に閉じ込められていた子どももいた。また短期間であっても、その間に極めてひどい虐待を受け、命の危機にあった子どももいた。

子どもが消えるとき

さらに集計結果の分析や追加取材を進めると、いくつかの傾向が見えてきた。

1 貧困のはてに―ホームレス状態で消える

一つ目は、行政のネットワークだけでは居場所をつかみにくい事例、路上生活や車上生活などホームレス状態に陥っている子どもたちのケースだ。居所不明問題でよく言われる、DVなどで保護者ともども住民票を移さず他の自治体に逃げた結果消えるケースであれば、引越し先の行政とつながった段階で情報をやりとりする仕組みの構築など、改善の余地はある。しかし、そもそも保護者が借金といった経済的な理由などを抱え、逃げた先で行政とつながろうとしないケースは対応のしようがない。

今回のアンケートで、ホームレス状態を経験していた子どもは詳しい状況がつかめただけでも85人に上った。こうした子どもたちは、数字上は国の調査で出てくる「居所不明」の子どもたちと重なるはずだが、あの数字の裏で、実際は路上生活や車上生活をしている子どもがいるとは想像もしていなかった。

「コンビニで廃棄されたものを拾って食べていた。公園やマンションの片隅で寝泊りしていた。体格がとても小さく背骨が曲がっていた」という中学生もいた。

また、幼い兄弟が「自動販売機の裏で寝ていた」という回答もあり、どういうことかと取材をすると、自動販売機の裏はずっと電気が点いていて暖かいため、冬場の夜間はそこで暖をとって寒さをしのいでいたというものだった。

他にも、河川敷で暮らしていて、繰り返し虫にさされた痕が、保護されたあともなかなか消えない女の子、ホームレス状態になった父と野宿していた男の子もいた。親の借金による車上生活で、日中はパチンコ店で落ちた玉を拾って親に渡す生活だったという兄弟。同じく車上生活をしていた小学生は、公園で洗顔をしていた。

2 虐待・ネグレクトによって消える

二つ目は、自宅にいるにもかかわらず、親が囲い込むことで社会との接点を絶たれるケースだ。既に述べたように、これまでの国の調査では、家族と連絡がとれている場合は「居所不明」とは見なされず、また、不登校との見極めの難しさから見逃されてきた。

アンケートでは、学校の教員などの訪問時に親が、「子どもが会いたがっていない」「親戚の家に預けている」「子どもの体調が悪い」などと嘘をつき、その裏で親が子どもを自宅に閉じ込めていたり虐待をしていたりしたケースが多くあった。(中略)

「母に家に置き去りにされ、万引きをして飢えをしのいでいた」という小学生は、学校の先生が来ても居留守を使ったり、「親は夜になれば帰ってきます」と嘘をついたりしていたため、不登校だと思われていた。教育への意識の低さからくるケースもあれば、外に出たら「絶対にひどいいじめにあう」「感染症になる」と親が妄信して閉じ込めるケースもあった。

3 精神疾患の保護者と消える

パターン2のように、家にいるのに消えるケースのなかには、保護者自身がSOSを出せないケースも目立った。保護者の精神疾患や障害によって子どもが徐々に社会から消えていくパターンである。

経済的に困窮して働き詰めとなったひとり親が、うつ病などの精神疾患となり、育児も家事もできない状況に陥り、洗濯も入浴もままならなくなる。子どもは不衛生になり、学校に行っても「臭い」などと言われていじめられ、家にこもるようになる。しかし親はそれを改善して送り出してやることもできない。そのうち家はごみ屋敷のような状態になり、親子ともに困っているのに誰にも助けを求められないまま孤立していく―。こうしたケースは少なくなかった。

学校に行かせてもらえず、母親のリストカットを見ていたという小学生のケース、ごみだらけの部屋で幼い女の子が食料の買出しを行い薬づけの母の世話をしていたというケースもあった。

施設から寄せられた回答では、不登校の児童や生徒が17万人を超えるなかで、「不登校なのかネグレクトなのか、家庭の事情に深入りできない」「本人に会えないだけでいきなり強制的な介入には踏み切れない」など、家にいることがわかっているにもかかわらず、子ども本人に会えない場合の対応の難しさを指摘する声が相次いだ。(中略)

自由記述欄には、教員に限らず、必ず行政機関の誰かが子どもの姿を現認する必要があるという意見があった。その訪問作業を通じて、子どもが困っているのは「学校には行きたくない」からなのか「行かせてもらえない」からなのか、そして保護者自身も経済状況や就労、疾患、育児で困っているのではないのか、その裏側を確認しなくてはならないと強く感じた。

保護後も残る深刻な影響

消えた子どもたちが無事保護されたとしても、その後様々な困難が待ち受けていることは容易に想像できる(中略)。義務教育さえ受けられないなど、一定期間、社会とのつながりを断たれていた子どもたちは、どのような影響を抱えることになるのか、調査では複数回答で尋ねた。

最も多かったのは、「学習の遅れ」で554人、「進学に影響」を含めると全体の7割余りに上る。次いで「体の発達に影響」が157人、「非行・犯罪」が130人、「PTSD(心的外傷後ストレス障害)等のトラウマ症状」は90人。

また、その他の欄の記述のなかには「コミュニケーション能力が低い」といった対人関係の記述も多くあった。詳細が把握できた813人のうち9割にあたる746人が何らかの影響に苦しんでいた。

具体的にはどんな「後遺症」に苦しめられているのか。記述回答の一部を記す。

17歳で保護されたが漢字が書けない。計算ができない。
長い監禁生活により、筋肉がなく、坂道を下り始めると止まることもできない。
幼児なのに自傷行為があった。
低身長、目に生気がなく、焦点の定まらない無表情。
閉じ込められていたため、色が真っ白で、土踏まずが形成されていなかった。
生首の絵を描き、死にたいと口にする。精神科の薬がないと生活できない。
箸が使えず手づかみで食べた。家で食べたことがない食材が多く名前もほとんど知らなかった。
小学校一年生で「僕は誰を信用すればいいの」と話した。
気持ちをコントロールできず、カーテンを切る、物を投げる、壊すといった行動に出る。
個別に取材すると、身体面の影響は小柄であったり痩せ型であったりと長期に影響が残るケースもあったが、筋力や虫歯はリハビリや治療で回復するケースも多かった。

長期に残るのはやはり対人関係への影響で、なかには、保護されたあと社会に適応できないことに苦しみ続け、自ら命を絶った女性もいた。」

http://www.huffingtonpost.jp/synodos/missing-children_b_8851688.html?utm_hp_ref=japan

蓮池透さんの記者会見から-支援金は13万、収入あれば0円も

2015-12-22 13:43:37 | 政治
「フリー記者:フリーのタケウチと申します。ちょっと私、昨日この本、微細にわたって読ませていただきました。2点についてお伺いします。まず1点目ですね。政治利用について。安倍さんとか、あと中山元参与、こういった右寄りの政治の方が拉致問題を政治利用してきたというふうにおっしゃいまして、結局この拉致被害者を支援することで、右翼が存在理由を見つけてきたんじゃないかなというふうにみえているんですけども、その右翼であったりとかネット右翼の人たちが在日韓国・朝鮮人の方のヘイトまで、こういう問題を利用してするようになってきていると思われるんですが、その状況をどう思われますか。これが1点目。

 もう1つが金銭問題についてのことです。国民からのカンパが1億円近く集まっているのではないかということが書いてあるんですけれども、これが被害者に直接渡っていないというお話は本当でしょうか。それから国の補償金が月額13万円で、収入があった場合はそれが減らされると。帰国した方々がそれで食べていけるのかという実態がまったく明らかになっていなかったと思うんですけれども、そこのところをはっきりとお知らせいただければと思います。

蓮池:ご質問ありがとうございます。第1点目についてですけれども、政治利用ということは、これはもう明らかでありまして、この問題を利用してそして反北感情をあおって、そして世の中を右傾化していくっていうのが1つの政治利用だと思うんですけれども、その中で在日韓国、あるいは在日朝鮮の方々に対して高校無償化、朝鮮学校の、朝鮮高校の無償化除外っていうのがありました。あと朝鮮学校に出ている補助金を停止せよというような話はありました。実際行われているところもあります。それは家族会や救う会も支持しておりますが、それは私は言語道断だというふうに考えております。単なる北憎しの八つ当たりにすぎないのではないかというふうに思っています。1点目はそういう。

 拉致問題と高校無償化とか、あるいは在日の方々の存在とか、まったく関係がないというふうに私は考えています。もう1つ、いわゆるヘイトスピーチの材料に使われているっていうのも非常に残念なところですね。

 それから2点目の金銭問題ですけれども、これは本質的には直接この問題とは関係ないのかもしれませんが、すでに日本のマスコミの方は全員承知、周知の事実であるにも関わらず活字や映像にできなかったのを、私がそれを活字にしたまでのことです。おっしゃるようにカンパは1億円以上集まっているのは、これは間違いないことです。で、その使い道ですけれども家族会の活動費ということに、誰が決めたのかそういうふうになってしまいまして、被害者には1円も渡ってないとは言えませんが、具体的に言うと被害者の子供たちが帰国、来日したときに家族会からお祝い金という名目で数十万円はいただいたことはあります。それ以外は一切もらっていません。

 それから支援金なんですけども月額13万円程度、これでは絶対暮らしていけないと思います。その金額っていうのは日本で行われている生活保護というような、似たようなことで。夫婦で26万円ですから家があり、そういうインフラがそろっていればなんとかやっていけるかもしれませんが、働き出すと、収入が増えると金額が減っていくっていうのは弟も翻訳、韓国文学の翻訳をやりまして、印税収入があったら国から今月は支援金ありませんというようなことを通告されたっていうことがありましたので。

 私はこの支援金というのは何かといいますと、お金を出すんで早く日本で自立してくださいっていうことなんですね。補助するから。それは私はおかしいと思う。24年間も放っておいたんだったら、これからまとめて日本政府は生活面倒見ますよっていうぐらいのことをやらないと帰ってこないと思いますよ。それから月額13万円っていう金額はあまりにも知られていないんですよね。ですから多くの国民の皆さんは、もう手厚い待遇で被害者はのうのうと暮らしているんだろうなっていう感覚をお持ちだっていうふうに思うんですが、それは絶対あり得なくて。

 ですから、弟にしても外食に行けば、税金で食事ですか、いいですねと。旅行に行けば、税金で旅行ですか、いいですねと。もうそういう精神的な苦悩は、苦渋はもう絶えられないっていうことで、弟はもう一切の支援金は返上しています。驚くべきことに今もその方針、変わってないんですね。弟はかろうじて40代で帰ってきましたので、自立してくれって言われてもしょうがない年代だったのかなと思います。でも、もう時間がたっています。それでもう60前後の人が帰ってきて、また月額十何万を渡すので自立してくださいって言うんですかっていうことですよね。繰り返しますけども帰ってきたらその後の衣食住、生活は全て日本政府が面倒見ますということでなければ、なかなか帰ってくる環境にはできないんじゃないかというふうに考えております。

 それの、よく新聞報道で、予算措置として3億円を計上したというようなことが出ると3億円という数字だけが独り歩きして、被害者に3億円行くんだというような誤解が生まれてしまうようなところがあるんで。これはもう大きな間違いですね。」

http://blogos.com/article/151234/

辺野古問題/ルモンドディプロマティークより

2015-12-05 17:50:40 | 政治

                 「辺野古新基地は安倍首相の躓きの石か
  ガヴァン・マコーマック(Gavan McCormack)
  オーストラリア国立大学名誉教授、オンライン英文誌『アジア太平洋ジャーナル:ジャパン・フォーカス』編集コーディネーター。
  著書は『沖縄の〈怒〉 日米の抵抗』(法律文化社、乗松聡子氏と共著)。
                                                 訳:土田 修、川端聡子

 日本と中国、中国と近隣国との緊張について盛んに論じられているが、沖縄と日本政府および米国政府との対立についてメディアはあまり報道していない。18年も前から沖縄の住民は、日米両政府によって決められた、辺野古での米海兵隊の新基地建設計画に抗議を続けてきた。2012年12月、二期目に入った安倍晋三首相は辺野古での新基地建設計画を優先課題にしているが、その結果、かつてないほど強固な反対運動に向き合っている。

 2015年4月、安倍首相は米議会で熱烈な歓迎を受け、民主主義および法と人権の尊重という「共有された価値」に言及し、辺野古新基地建設を貫き通すと宣言した。米国訪問から1カ月後、沖縄県の翁長雄志知事は異議を唱えるためにワシントンを訪問し、辺野古新基地建設は問題外だと訴えた。

 台湾と九州南の諸島との間に、沖縄を含む列島が約千キロにわたって弧を描いている。この列島は中国にとって太平洋への出口に「海上の大きな壁」として立ちふさがっている。東アジアの軍事バランスにとって沖縄は重要な役割を果たしているといえる。

 日本に併合される以前、沖縄列島は琉球王朝が支配していた。日本と中国の前近代的な国家に従属していたが、500年間は中国の冊封体制(1)の中で平和な善隣外交を維持してきた。1850年代に琉球王朝は独立国家として米国やフランス、オランダと修好条約を結んでいる。

 だが、こうした相対的な独立関係は1870年代に崩れ去った。1868年に近代国家となった日本は、中国との関係を維持しようとする琉球王朝を廃止した[琉球処分]。日本はこの列島を併合し沖縄県とし、琉球王朝の首都だった首里城を那覇と改名し、最初の軍事基地を置いた。それ以降、島民は琉球語の使用を禁じられ、日本の名前の使用と日本帝国が奉ずる神道を強制させられた。

 日本にとって琉球併合が中国や米国に対する敵対関係を生み出し、1945年の沖縄戦(2)という大災害を招くことになった。太平洋戦争末期の沖縄戦では沖縄島民の4人に1人が米軍の鉄とナパームの嵐の犠牲になった。また島民の多くが日本軍によってスパイ容疑をかけられて処刑された。家族ぐるみで「集団自決」に追い込まれた島民も多かった。沖縄戦は沖縄の島民にとって消すことのできないトラウマとして刻み込まれている。

 日本の敗戦から70年、米軍はこの島の土地の20%を占有してきた。日本全体の米軍施設の4分の3が沖縄に集中し、米軍が絶大な支配権を行使してきた。米軍の支配権は1972年まで続いた米国の直接統治の時代と比べてもほとんど変わっていない。

 辺野古で計画されている新基地建設は、宜野湾の美しい環境に広がる普天間基地の代替施設だとされる。普天間基地では格納庫や滑走路が学校や病院、居住区域に隣接しており、住民にとって「世界で一番危険な基地」と言われている。米国のラムズフェルド前防衛大臣でさえそう言明している。島民は2004年に沖縄国際大学で起きた米軍ヘリ墜落事故を忘れることはない。幸い、この事故で犠牲者が出なかったのは8月の夏休み中だったからだ。

 普天間基地の代替施設といわれる辺野古新基地は、辺野古湾南部と大浦湾北部に面した海面を埋め立てた160ヘクタールの用地上に造られ、面積が広いだけでなく、多くの機能を兼ね備えている。水深の深い港を建設し、陸海空軍の数々の基盤施設の整備も含まれる。新基地には、水面下10メートルにまで及ぶ大量のコンクリートが用いられ、長さ1800メートルの滑走路2本と幅272メートルの桟橋が造られる。

 辺野古は日本でも最も美しい海岸地帯として保護されてきた。環境省はユネスコの世界文化遺産の登録を期待してきた。豊かな生物多様性を有し、珊瑚、甲殻類、なまこや藻類、数百種に及ぶ小エビ類、カタツムリ、魚、海亀、蛇、ほ乳類など様々な形態の生命が存在する。その多くは希少になるか絶滅の危機に瀕している。

 辺野古新基地が完成した場合、21世紀の東アジアで最大規模に軍事力が集中した基地となり、米国にとって軍事的《軸》の重要要素になる(3)。沖縄島民にとって厳しい状況であるのは、普天間基地の移転が1996年に約束されてしまっていることだ。安倍政権は米海兵隊が日本の防衛にとって不可欠な役割を果たしており、それゆえ辺野古に駐留する必要があると言明している。だが、中谷防衛大臣は2014年以来、九州など他の場所に移転しても軍事的、戦略的には問題ないと認めていた。そうしなかったのは日本政府の意思だ(4)。

 米海兵隊による普天間占領は当初から違法だった。普天間基地は「銃剣とブルドーザー」によって奪い取られた土地に設置された。島民はそのことを忘れてはいない。この行為は占領軍による個人財産の没収を禁止したハーグ条約46条に違反している。つまり基地の持つ危険性や騒音、公害などを持ち出すまでもなく、普天間基地は閉鎖されなくてはいけない存在なのだ。

 辺野古新基地建設に対する地方の反対運動は、国民の大多数や沖縄県知事、県議会と市町村議会、主要政党の県支部、琉球新報と沖縄タイムスの二大紙を巻き込んだ。最初の数年間、反対運動は計画を止めることに成功した。だが、2013年からは第二次安倍政権は反対運動を押し潰すことをやめようとしなかった。首相はまず、5人の沖縄選出の自民党国会議員を自分の政策に従うように押さえ込んだ。ついで自民党県支部、最後には仲井間知事をねじ伏せた。

 反対運動からの相次ぐ離反に憤った反対派は、2014年の一連の選挙で勝利することで反撃に転じた。1月の名護市長選と9月の同市議選、11月の県知事選で反対派候補が勝利を果たした。12月の衆議院選挙では反対派が4議席を獲得している。県知事選では保守派の翁長氏が、共産党から保守派まで全政党を「沖縄を守る」ことで団結させ「沖縄ぐるみ」運動を推し進めた。翁長氏は基地建設計画を止めるため「知事の権限でできることはすべてやる」と公約した。翁長氏は64パーセント以上の投票率で、対抗候補に36万800票対26万1000票と10万票以上の差をつけて大勝した。

 だが、菅義偉官房長官は選挙結果にも動じることなく、[辺野古基地建設は]すでに決定したことであり、政府は基地建設について(菅氏が好んで使う表現によれば)「真摯かつ適切」に対応していく、と言い放った。2014年7月、ボーリング調査が始まり、同年11月の衆議院選挙前の期間は中断されたが、2015年1月に再開された。そして安倍氏がデモ参加者に対してとったのは、警察機動隊や海上保安巡視船を動員するというショッキングかつ恐るべき方針だった。たとえば、3月4日の「さんしんの日」、基地建設に激しく反対する29組のミュージシャンが沖縄伝統音楽のコンサートのため普天間代替施設前に集まったが、機動隊によって強制的に中断され、仮設の雨よけも取り壊された。

 2015年1月、翁長沖縄県知事は、前知事が普天間基地の辺野古移設を承認するに至ったプロセスを検証するための有識者による「第三者委員会」を招集した。正しい手続きがなされていたのか、また、この決定を取り消す方法があるのかを探ろうとしたのである。また、政府の出資で行われていたボーリング調査についても、サンゴ礁に被害を与えるとして政府に中止を求めた。

 衆議院選挙後の4カ月間、政府は翁長知事との会談にすら応じなかった。中谷防衛大臣においては「会っても意味がない」と発言している(5)。この4月と5月にようやく菅官房長官、安倍首相、中谷防衛大臣との会談が実現したが、その際も双方の溝はますます深まるばかりだった。翁長知事は「上から目線の言葉を使えば使うほど沖縄県民の心は離れ、怒りは増幅していく」と語り、現地で大きな反響を呼んだ。「普天間基地建設のために自ら土地を奪っておきながら、県民に大変な苦しみを今日まで与え、普天間が今や世界一危険になったから、老朽化したから、沖縄が負担しろ、嫌なら代替案を出せ、というのは日本の政治の堕落ではないか」。翁長氏は安倍氏との会談冒頭、こう前置きした。すると、公開予定っだった翁長氏の発言はたった3分、5つの合意項目についてのみで打ち切られ、報道陣は退室を命じられたのである。

 安倍首相は議会にこれまでにない管理体制を敷いている。野党はまとまらず弱体化し、ほとんどの国内メディアは安倍政権に同調している。安倍氏は報道機関の重鎮らをゴルフ接待やレセプション・パーティに招くなどしているが、こうした気配りには理由があるということだ。だが、議会や報道現場の体たらくをよそに沖縄への共感は高まり、現地の抵抗運動も激しさを増している。

 2013年の訪米の際に安倍氏は大した歓待を受けず、オバマ大統領との会食も記者会見も準備されなかった。「日本を取り戻す」「戦後レジームからの脱却」あるいは「日本を誇れる歴史教育」。こうした安倍氏の一連の発言は、米国占領によりつくられた日本の戦後体制に対する反感の表れであると同時に、かつての軍国独裁主義的な価値観の復権への執着であったため、米国に不快感を与えるものでしかなかった。

 ところがその2年後、安倍首相は突如としてレッド・カーペットで迎えられ、米国連邦議会の上院下院合同会議で演説を行なった。米政府が態度を一転した理由は単純で、安倍氏が“日本のスペシャリスト”と呼ばれる複数の米議員からの要請について国会で承認することを予め約束していたからだ。60年以上にわたって護られてきた日本の平和路線を覆した安倍政権は、自衛隊の活動範囲を広げ、米国の要請に応じて世界中どこでも「有志連合」に合流できるよう、憲法解釈を変更した。彼は22万5000人の自衛隊員を米軍の指揮下におく準備を整え、駐日米軍の維持費を支払い続けると約束した。その費用は伏せられているが、年間86億ドル(78億ユーロ)に上ると推察される(6)。おまけに、すでに米政府に約束している辺野古新基地建設に加え、グアムと北マリアナ諸島における米軍基地建設費用の大部分を負担することも約束した。つまり米政府に28億ドル(25億ユーロ)を支払うということだ。さらに、米海兵隊員8000人とその家族(少なくとも9000人)の移転費用を加算すれば、日本の負担総額は60億9000万ドルになる。

 これが安倍氏のいう「積極的平和主義」であり、この「積極的平和主義」が憲法に明記され1947年以降なによりも尊重されてきた平和の理念に取って代わるとされるのだ。この理念は充分な明確さを欠いているが、少なくともジャパンタイムズ紙における米国上院軍事委員会委員長のジョン・マケイン氏の発言によれば、「日本の自衛隊を韓国へ、中東へ、南シナ海へ派遣」(7)するものと理解できる。

 日本は歴代でもっとも親米家の国家元首の統治下にあるのかもしれない。安倍氏の対米姿勢には、隷属的服従と強い敵愾心との奇妙な混ざりあいという特徴がある。彼は近代日本が根本的に抱える矛盾、つまり米国に対する隷属的おもてなし主義とナショナリスト的自己主張を両立せねばならないという矛盾に絡めとられてしまっている(8)。

 目下の緊急課題である基地問題について、沖縄に対し政府はまったくの無回答を貫いている。全体的に支持率が低下するなか、安倍政権は様子見の時間かせぎをしているのだ。辺野古基地建設について最初の契約(総工費4億60000万ドル)は成立していた。それでも政府が工事作業にゴーサインを出すのをためらうのは、この7月16日に有識者による「第三者委員会」の調査報告が提出され、前沖縄県知事の承認についていくつかの法的瑕疵が認められたからである。「第三者委員会」の検証結果報告と同時に、翁長知事はこの9月にジュネーヴで行われる国連人権理事会でこの問題を訴える意向を表明した。

 そして8月4日、予想外にも、安倍内閣は次の4項目について沖縄県知事と合意したと発表した。沖縄県との集中協議の再開、8月10日から9月9日まで1カ月間のあらゆる移設工事作業の中断、沖縄県側からの法的手段の保留、そして大浦湾の岩礁の破砕状況調査の許可だ。

 確かに、折悪しく台風シーズンになったことを差し引けば、政府の基地建設計画がそれほど遅れているとはいえない。だが沖縄との対立は、沖縄の意見をまったく無視して政策を進めることなどできないと安倍政権に突きつけたのである。

 1カ月の停戦後、安倍氏は沖縄に要求を押しつけることができるかもしれない。だが、沖縄の人々の要求はもはや新基地建設の中止にとどまらないだろう。彼らは全基地の撤廃をも要求するだろう。



(1) 東アジアの中心である中国は近隣諸国と朝貢貿易体制を敷いていた。
(2) 沖縄戦は1945年3月26日、慶良間島で始まった。戦闘は6月22日まで続いた。米軍は沖縄を制圧して空軍基地を造り、日本本土への爆撃と占領を進めた。
(3) Michael T. Klare, « Quand le Pentagone met le cap sur le Pacifique », Le Monde diplomatique, mars 2012. 参照。
(4) 沖縄タイムス、那覇、2014年12月25日。
(5) 沖縄タイムス、那覇、2015年3月15日。
(6) 2012年の統計より。
(7) « McCain : SDF Should expect to see action in Korea, deploy to Mideast, South China Sea », Japan Times, Tokyo, 2 mai 2015.
(8) Bruce Cumings, « Le couple nippo-américain a l’heure du soupçon », Le monde diplomatique, avril 1999.


(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2015年9月号)

All rights reserved, 2015, Le Monde diplomatique + Emmanuel Bonavita + Katsumata Makoto + Tsutchida Osamu + Kawabata Satoko」

下着泥棒の高木毅復興大臣

2015-10-20 17:15:29 | 政治
高木復興大臣の下着泥棒の過去が問題になっている。

三十年も前のことだからちょっと問題にし過ぎなのでは、と思ったが、Twitter情報を見るとこの男はかなり酷い。

下記のそれを転載します。

1「Mielmiel_sound39秒前
RT @hsggg: 自民党のパンツ泥棒の高木毅の犯行は悪質で、外に干してある下着を盗むのではなく、目をつけた女性の行動を事前に下調べをし留守を見はかり、指紋が残らぬよう白い手袋をはめて被害者宅に侵入していたらしい。もし鉢合わせでもしていたらとんでもない凶悪犯罪に発展していた可…」

2 「坂本 千秋taiikukannnoura8秒前
RT @hamemen: 避難者の方のFacebookから。 復興大臣高木毅さんをwikiで見たら、父親は元敦賀市長の高木孝一。 この高木孝一さんはあの「いま大金を貰えるなら100年後、50年後に生まれてくる子供が全部カタワモンでも仕方ない。」を発言した人。 凄いわ、自民党…」

3 「安倍内閣の新閣僚に「下着ドロボー」の過去! 警察で取り調べ受けるも敦賀市長の父親と原発利権の力でもみ消し (BIGLOVE) bit.ly/1LlmEKx 高木毅復興・原発事故再生担当大臣…"パンツ大臣"と揶揄されるほど常習犯だったという。」

 こんな輩が国会議員。

 性犯罪者ではないですか。

日米安保体制の代わるもの・・・

2015-08-21 18:01:07 | 政治
今審議されている安保関連等11法案は、日米安保体制を突き詰めた結果だ。

アメリカとしては同盟国なんだから、アメリカの要望を聞いてあちこちで支援してくれということだろう。

そもそも日米の軍当局者、具体的には在日米軍と自衛隊の制服組の間では60年代の前半から、実務レベルでの軍事協力の指針やマニュアルの整備が行われてきた。今回国会で自衛隊制服組の資料として暴露されているものも、その延長線で出てきたものだろう。

日米の軍人の間では、今出されている程度のものは当然のことと見なされているに違いない。

今回安保法制を仮に何らかのかたちで廃案に追い込んだとして、ではその後どうするのか、という問題を考えなければならない。

結局のところ、日本の戦後は日米安保体制とともにあった。アメリカの属国となり、軍事基地を提供し、沖縄を人身御供に差し出しながら、経済的豊かさを追求してきたのだ。

もし日米安保に依存しないというならば、ではそれに代わる安保体制をどうするのか。あるいは日米安保を見直しながら継続したいというなら、どのような内容でアメリカを説得できるのか。いずれも容易ではない。

現状は、中国を封じ込めたいアメリカが、日本を利用したがっているという状況である。

いつまでも使われているだけでは、いつか捨てられよう。安倍のように大日本帝国の復活にアメリカを利用している「つもり」は、余りに非現実的だ。同時に非武装永世中立も非現実的だと言わざるを得ない。それこそ社会党が結局政権を取れなかった最大の理由の一つだ。

日米安保に代わる日本がアジアと世界で生きる道をどのように作っていくのか。難題だ。