読書と映画をめぐるプロムナード

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フランスギャング映画の名優ジャン・ギャバン

2007-05-17 07:34:58 | Weblog
フランスでは16日に任期満了を迎えるシラク大統領(74)に替わってサルコジ次期大統領(52)へ引き継がれました。閣僚数を半減し、新閣僚の半分を女性に就任させると言われていますね。とにもかくにも新しいフランスはどんな国になるのか興味があります。

さて、そのフランスで一癖も二癖もあるならず者やお尋ね者を得意とし、深みのある演技と渋い容貌で絶大な人気を誇り、特に日本人に人気があった俳優、それがジャン・ギャバンですね。推理小説家ジョルジュ・シムノン(1903年2月13日 - 1989年9月4日)のジュール・メグレ警部シリーズは彼のはまり役でした。同時代のアメリカにはハンフリー・ボガート(1899年1月23日 - 1957年1月14日)がいます。

「ジャン・ギャバン(Jean Gabin、1904年5月17日 - 1976年11月15日)。パリに生れる。父はミュージック・ホールの役者、母は歌手であり、ジャンも自然に芝居の道へ入った。場末のミュージック・ホールで主に活動し、この時期に演技はもちろん、歌についても相当の修練を経ている」。

「1930年、『メフィスト』ではじめて映画に出演。しばらく鳴かず飛ばずの状態だったが、1935年にジュリアン・デュヴィヴィエが監督となった『地の果てを行く』に出演し、これで当りをとった。以降デュヴィヴィエとのコンビで『ゴルゴダの丘』『我等の仲間』『望郷(ペペ・ル・モコ)』に出演。ことにデュヴィヴィエ=ギャバンのコンビの最高傑作とされる『望郷』の名演によってギャバンはその名声を不動のものとする(ちなみにこの映画のなかでギャバンはシャンソンを実際に歌っていて、ミュージック・ホール時代の面影を彷彿とさせる)」。

「1937年にジャン・ルノワールの『大いなる幻影』に出演して後は活動の幅を広げ、同監督の『獣人』、マルセル・カルネの『霧の波止場』でも名演を見せるが、第二次世界大戦の激化にともないアメリカへ移住。この時期にはギャバンにめずらしく『夜霧の港』のようなアメリカ映画にも出演している」。

「戦後、フランスへ帰国。1954年にはジャック・ベッケルの『現金に手を出すな』に主演し、後にギャバンの代表作とも言われるほどの名演を見せる。同作品によってヴェネチア国際映画祭男優賞受賞。1950年代はギャバンの円熟期とも称すべき時期で、1954年のうちにマルセル・カルネの『われら巴里ッ子』やジャン・ルノワールの『フレンチ・カンカン』などにも出演し、いずれも好評を得ている」。

「1960年代以降は渋い老役を中心に脇役にまわるようになり、『地下室のメロディー』や『暗黒街のふたり』などの重厚な演技が知られる。またこの時期にはシムノンのメグレ警視役を持役にしてシリーズ作品が作られた。原作者も感心するほどのはまり役で、今でもメグレといえばギャバンの印象がつよい映画ファンは多い」。

「三度の結婚と三度の離婚を経験し、マレーネ・ディートリッヒと浮名を流したことでも有名。気さくなパリの下町っ子らしい性格で、共演者からも愛された俳優だった。1976年11月15日、心臓発作により逝去。享年72。宇宙刑事ギャバンの名前は、彼から取られている(ちなみに、宇宙刑事シャイダーはロイ・シャイダーから)」。(ウィキペディア)


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