<主な登場人物>
朋子、朋子の母、その母の姉、その娘で従妹のミーナのこと美奈子、ポチ子(偶蹄目カバ科コビトカバ属)、伯父で清涼飲料水「フレッシー」の製造・販売会社の二代目社長、エーリッヒ・健、伯父の母でドイツ人のローザおばあさん、従兄の龍一、ミーナ家のお手伝いさん・米田さん、通いの庭師・小林さん、朋子が憧れる図書館の司書・トックリサン、ミーナが憧れる「フレッシー」の配達人・水曜日のお兄さん
<あらすじ>
~岡山の普通の家、どちらかといえば慎ましい家で暮らしている朋子は、父親を亡くし、母親が洋裁学校に通うことになり、別居を余儀なくされる。そこでやってきたのが芦屋にある伯母の家だった。フレッシーという清涼飲料水で大成功した会社の社長宅であったその伯母の家はものすごい大邸宅で、昔小さな動物園をやっていたというその庭では、今でもカバのポチ子を飼っている。朋子はそこで1年暮らすことになった。一歳年下のミーナとともに。1970年初め、中学1年生の朋子とミーナの一年を描いた小説。~
<「ミーナの行進」小川洋子>
http://zare.boo.jp/book/mina.html
本書は、1972年の岡山と芦屋を舞台にした物語。著者の小川さんが1962年生まれなので、ほぼご自分の幼少時代を背景にされているようですが、主人公の朋子は、1958年生まれの私に近い世代だと思います。
ミュンヘンオリンピック(1972年8月26日~9月11日)があって、全日本男子バレーボールを描いたアニメドキュメント「ミュンヘンへの道」(1972年4月23日~8月20日)、ジャコビニ・ツィナー彗星の流星群、1972年4月16日に自殺で亡くなった小説家・川端康成などの話題は、当時14歳であった私のリアルタイムなもので、懐かしさを喚起させてくれます。
伯父が経営する会社で製造・販売している清涼飲料水「フレッシー」は、今でも発売されている「プラッシー」 (PLUSSY)がモデル。私の当時、随分飲んだ記憶があります。お米屋さんで売っていたので、すっかり農協がらみのジュースだと思っていましたが、ハウスウェルネスフーズ(旧・武田食品工業)が製造してたんですね。
小川さんの小説は「博士の愛した数式」(2004年)を読み、2006年の映画も観ました。また、藤原正彦さんのとの共著「世にも美しい数学入門」(2005年)も読んでいます。まぁ、「博士の愛した数式」がらみのものしか知らないということですが・・・。
<「博士の愛した数式」(小川洋子著/新潮文庫)>
http://blog.goo.ne.jp/asongotoh/e/8aa37b79a1fd75d18e0409c528482bc8
本作を読んで、小川さんという小説家の、しかける才能に惚れ惚れしました。ストーリーは、別段ドラマティックな展開は見せるわけでもなく、淡々とした日常の出来事の積み重ねが描かれてているようで、実は、すべてが計算されつくしている、そんな感じ。そしてすべての登場人物とコビトカバのポチ子を生き生きと描いてみせる筆力は、芥川賞作家としての面目躍如です。
小川洋子;1962(昭和37)年、岡山県生れ。早稲田大学第一文学部卒。1988年「揚羽蝶が壊れる時」で海燕新人文学賞を受賞。1991(平成3)年「妊娠カレンダー」で芥川賞受賞。主な著書に『やさしい訴え』『ホテル・アイリス』『沈黙博物館』『アンネ・フランクの記憶』『薬指の標本』『夜明けの縁をさ迷う人々』『猫を抱いて象と泳ぐ』等。2004年『博士の愛した数式』で読売文学賞、本屋大賞を受賞。『ブラフマンの埋葬』で泉鏡花文学賞、2006年『ミーナの行進』で谷崎潤一郎賞受賞。翻訳された作品も多く、海外での評価も高い。
朋子、朋子の母、その母の姉、その娘で従妹のミーナのこと美奈子、ポチ子(偶蹄目カバ科コビトカバ属)、伯父で清涼飲料水「フレッシー」の製造・販売会社の二代目社長、エーリッヒ・健、伯父の母でドイツ人のローザおばあさん、従兄の龍一、ミーナ家のお手伝いさん・米田さん、通いの庭師・小林さん、朋子が憧れる図書館の司書・トックリサン、ミーナが憧れる「フレッシー」の配達人・水曜日のお兄さん
<あらすじ>
~岡山の普通の家、どちらかといえば慎ましい家で暮らしている朋子は、父親を亡くし、母親が洋裁学校に通うことになり、別居を余儀なくされる。そこでやってきたのが芦屋にある伯母の家だった。フレッシーという清涼飲料水で大成功した会社の社長宅であったその伯母の家はものすごい大邸宅で、昔小さな動物園をやっていたというその庭では、今でもカバのポチ子を飼っている。朋子はそこで1年暮らすことになった。一歳年下のミーナとともに。1970年初め、中学1年生の朋子とミーナの一年を描いた小説。~
<「ミーナの行進」小川洋子>
http://zare.boo.jp/book/mina.html
本書は、1972年の岡山と芦屋を舞台にした物語。著者の小川さんが1962年生まれなので、ほぼご自分の幼少時代を背景にされているようですが、主人公の朋子は、1958年生まれの私に近い世代だと思います。
ミュンヘンオリンピック(1972年8月26日~9月11日)があって、全日本男子バレーボールを描いたアニメドキュメント「ミュンヘンへの道」(1972年4月23日~8月20日)、ジャコビニ・ツィナー彗星の流星群、1972年4月16日に自殺で亡くなった小説家・川端康成などの話題は、当時14歳であった私のリアルタイムなもので、懐かしさを喚起させてくれます。
伯父が経営する会社で製造・販売している清涼飲料水「フレッシー」は、今でも発売されている「プラッシー」 (PLUSSY)がモデル。私の当時、随分飲んだ記憶があります。お米屋さんで売っていたので、すっかり農協がらみのジュースだと思っていましたが、ハウスウェルネスフーズ(旧・武田食品工業)が製造してたんですね。
小川さんの小説は「博士の愛した数式」(2004年)を読み、2006年の映画も観ました。また、藤原正彦さんのとの共著「世にも美しい数学入門」(2005年)も読んでいます。まぁ、「博士の愛した数式」がらみのものしか知らないということですが・・・。
<「博士の愛した数式」(小川洋子著/新潮文庫)>
http://blog.goo.ne.jp/asongotoh/e/8aa37b79a1fd75d18e0409c528482bc8
本作を読んで、小川さんという小説家の、しかける才能に惚れ惚れしました。ストーリーは、別段ドラマティックな展開は見せるわけでもなく、淡々とした日常の出来事の積み重ねが描かれてているようで、実は、すべてが計算されつくしている、そんな感じ。そしてすべての登場人物とコビトカバのポチ子を生き生きと描いてみせる筆力は、芥川賞作家としての面目躍如です。
小川洋子;1962(昭和37)年、岡山県生れ。早稲田大学第一文学部卒。1988年「揚羽蝶が壊れる時」で海燕新人文学賞を受賞。1991(平成3)年「妊娠カレンダー」で芥川賞受賞。主な著書に『やさしい訴え』『ホテル・アイリス』『沈黙博物館』『アンネ・フランクの記憶』『薬指の標本』『夜明けの縁をさ迷う人々』『猫を抱いて象と泳ぐ』等。2004年『博士の愛した数式』で読売文学賞、本屋大賞を受賞。『ブラフマンの埋葬』で泉鏡花文学賞、2006年『ミーナの行進』で谷崎潤一郎賞受賞。翻訳された作品も多く、海外での評価も高い。
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