読書と映画をめぐるプロムナード

読書、映画に関する感想、啓示を受けたこと、派生して考えたことなどを、勉強しながら綴っています。

激戦を戦い抜いた敵兵に贈った、「あっぱれ日本兵」(ケネス・ハリソン著/2002年)

2010-02-24 05:58:58 | Weblog
-オーストラリア兵の太平洋戦争-

<目次>
マラヤでの交戦
1 待機
2 豪日対決-ゲマス
3 撤退、補充
4 ムアの戦い、日本軍の夜襲
5 死の罠
6 「撃て、ジム、殺してくれ」
7 華人の犠牲
8 夜の逃避行、被弾

<プドゥ収容所、クアラルンプール>
9 投降、収容所へ
10 壁新聞、派遣労働隊
11 余興、逃亡と死罪
12 さらば、クアラルンプール

<シンガポール、チャンギ、タイランド>
13 再会、チャンギ大学
14 ケッペル港のヘビ狩り
15 五日四夜貨車旅の煉獄
16 業火峠の掘削
17 コレラ、赤痢、栄養失調
18 カンテラともして盲腸手術
19 ジョンストンの奇跡

<ビョウキマルの船旅>
20 シンガポール発、モジ港着

<ジャパン>
21 ナガサキ、島の造船所
22 日本の冬、カトリックハンチョウ
23 地底の石炭掘り、空襲
24 解放、刀狩り、ヒロシマ見物
25 涙の凱旋、喜びと悲しみ


図書館の書籍コーナーを散策していて、「あっぱれ日本兵」というタイトルが目に入りました。著者はケニス・ハリソンというオーストラリア人。オーストラリアといえば、昨年、和歌山県太地町と姉妹都市提携をしている豪ウエスタンオーストラリア州ブルーム市の市議会が、太地町近海でのイルカ漁に抗議し、全会一致で同町との姉妹都市提携の停止を決定したというニュースが記憶に蘇えります。

第二次世界大戦において、日本がアメリカと戦火を交えたことを知らない世代が成人する現代ではありますが、イギリスやオーストラリアとも熾烈な戦いを繰り広げたていたことは私の世代でも情報としては少ないものです。そんなオーストラリア兵であった著者が「あっぱれ日本兵」と題した本を書いていることに興味を持ちました。

著者はまえがきに次のように記していました。

~これは英雄のいない物語である。この文芸上の欠陥を埋めるもの、それはかたき役が最高にすばらしいことだ。彼らの大きさ、姿は一様ではなく、たいていは野蛮でサディストだ。肌は黄色く、目はつり上がっている。しかし中には心暖かいやつもいる。人情と優しさが希少価値あるまっただ中にあって。

たとえ我々の敵が時には恐ろしい勝者であろうとサディストであろうと彼らにはひとつ至高の徳があった。つまり彼らが太陽神から授かった、彼らひとりひとりの勇気ときたら、当時かなう者とてなかったと私は信ずる。彼らの他の素質がどんなであろうと、私にとって彼らは――うらやましくも――あっぱれ日本兵である。~


日本兵がどんな戦いをし、どのように「あっぱれ」であったのかと期待して読み始めてみると、そこに描かれるのは日本兵の、特に、捕虜に対する残虐な振る舞いばかりが紙面に踊るばかり。もしやこの「あっぱれ」とは、極東の黄色人種にしてはよく戦ったという、オーストラリア人の皮肉として使われたタイトルなのかと、もう一度表紙を見返すと、やはり「THE BRAVE JAPANESE」という原題。

直訳しても「勇敢な日本人」となる本書で、終盤に至っても著者が戦禍の中でそれらしき日本兵を見出し、讃えるべき行為を行った日本軍人は誰一人、何ひとつ描かれていないのです。日本軍が虐殺などしないと秘かに信じていた私は、意気消沈するばかり。

思えば、生死を賭けた戦渦にあって乏しい食料事情を背景にして、敵兵や捕虜に対する憎悪は尋常ならざるを得ない修羅場。そして、国家、家族の命運をかけて戦地に赴く若者たちに、今、持てはやされる武士道精神を引き合いに出すことの私の誤謬がありました。


さて、本書の舞台は、1942年初頭から日本軍とイギリス軍、英印軍、オーストラリア軍の間で激戦が繰り広げられたマレー半島。この半島にはミャンマー、タイ、マレーシア、シンガポールという国々から構成されています。指揮官は35,000名を擁する山下奉文、対するは88,600名の頂点に立つアーサー・パーシヴァル中将。

1941年12月8日にマレー半島北端に奇襲上陸した日本軍が55日間でこの地を攻略した作戦は「マレー作戦(「E作戦」と呼ばれ、太平洋戦争(大東亜戦争)序盤における日本軍のイギリス領マレーおよびシンガポールへの進攻作戦であり、日本の対英米開戦後の最初の作戦。(1941年12月8日 - 1942年1月31日)

<マレー作戦-ウィキペディア>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AC%E3%83%BC%E4%BD%9C%E6%88%A6

この戦火の中で二ヶ月近く日本軍から逃れたものの、ついには自ら投降した著者は、終戦を迎える3年半の間、捕虜生活を送ることになりました。本書では、その著書が経験した実録であり、見聞録であります。雀の涙ほどの食事、過重な労働、些細な理由で殺戮される同士。

連合国の勝利に終わった戦果で著者の蹂躙生活は幕を閉じますが、戦地から日本本土に上陸した著者は広島、長崎の惨状を目の当たりにして、自分が3年半味わった地獄よりもはるかに壮絶な原爆の痕跡に狼狽するのです。そして著者は、自ら戦ったこの戦争を、日本人を次のように振り返るのです。

~年がたつにつれ、ちょっと意外なことが起こった。日本兵を著しく称賛するようになった自分に気がついて、いくら力んでみても、私は彼らに対する憎しみを何ひとつ見いだせなかった。それどころか私はますます日本兵の基本的長所――忠誠、清潔、勇気、を思い出し、本を読めば読むほどに、彼らは並外れて勇敢な兵士だったと確信するに至った。~

~日本軍兵士も肉と血よりなる人間だった――恐怖と不安という人間固有の情緒を持った人間だった。私は、多くの機会に日本兵が恐れるのを見たし、野生動物に対する彼らのやや子供じみた、わけのわからない恐怖を見て我々はよくばかにして笑った。しかし私が信じて疑わなかったことは――国のため、皇帝のために戦う立場にある日本兵は死ぬまで戦うことである。~

~いや、私にとって、我々こそ勇敢であって、敵はただ狂信にすぎないと言うのはあまりにも虫がよすぎると思われる。ことによると私は史上最勇の兵士と戦う名誉にあずかったような気がする。確かに言えることは――もし仮にまたの戦争があって、私がまた戦わなければならないとしたら、私は仲間のオ-ストラリア軍を身近に置き、日本軍一大隊ずつを左右に置きたい。それならおそらく、私でさえしっかりと地面を踏みしめ、大胆に構えられよう。~

バンクーバー冬季オリンピックが開催中の今、平和裏に行われるこのスポーツの祭典に感慨深いものがあります。各国で選抜されたアスリートたちは十分な練習を積み、栄養価の高い食事が提供され、競技としての戦いに挑んでいます。勝利者たちはヒーロー、ヒロインとして讃えられます。

65年前に戦った戦士たちの想いはいかばかりか。きっと、祖国の後輩たちの勇姿にエールを贈ってくれていると願いたいと思います。

古書店でうずたかく積み上げられた洋書の中から、原書を見出し、世に送り出した本書の訳者である塚田敏夫さんに敬意を表します。

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