読書と映画をめぐるプロムナード

読書、映画に関する感想、啓示を受けたこと、派生して考えたことなどを、勉強しながら綴っています。

村上春樹を「グリップ」した物語力、「熊を放つ(下)」(ジョン・アーヴィング著/1968年)

2010-01-17 10:32:24 | Weblog
本書下巻は、第二章「ノートブック」が承前となり、第三章「動物たちを放つ」が描かれます。アーヴィング氏は本書のあとがき「エスカルゴのはなし」で、本書が1969年にコロンビア映画で映画化される話があり、契約まで結び、自身が脚本家に起用されたことを綴っています。

しかし、それは実現されなかったのですが、この第三章を読むと、当時この作品を映像化するには、資金的な問題に加え、映像技術的な問題があったことが予想されます。今では、「ジュラシック・パーク」や「ジュマンジ」、「ナイトミュージアム」などの作品に見るように本書の世界はCGで思い存分描くことができるはずで、いつの日か映画化されるのではないでしょうか。


写真は、本書の舞台となるヒーツィング動物園のモデルと思われる世界最古のシェーンブルン動物園。

<わが夢の街・ウィーン>
http://www.toshima.ne.jp/~esashi/wien.htm


ところで、本書を読み始めたとき、村上作品のテイストを感じながらも、その他に、私はどこかで読んだような物語性だなと思いました。それが誰の小説であったか思い出せないでいましたが、読後にウィキペディアによる解説で、アーヴィング氏について次のように書かれていることで、合点がいきました。

~「ポスト・モダン文学」「メタ・フィクション」隆盛のさなかに「チャールズ・ディケンズを尊敬する」と語り、その言葉通りの「物語性の復権」を目指した、人間喜劇的ですらある波乱万丈の展開の小説を発表。~

そうなんです。私がその物語性に類似点を見たのはディケンズの「二都物語」(1859年)だったんです。この物語性について訳者の村上さんは「あとがき」で次にように述べています。

~彼がやったのは、十九世紀文学を思わせるような「圧倒的な物語」をアメリカ文学の中に持ち込むことだった。彼の作品の中には現代文学の約束事とか、上品なサロン性みたいなものは露ほども見受けられなかった、そこにあるのは骨太でエキサイティングで予測不能な「物語」だった。彼の紡ぎ出す物語は、言うなればオフビートなディッケンズみたいなものだった。~

「オフビート」とはジャズ音楽では通常とははずれたところに強拍があることを意味し、ここでは「型破りの、突拍子もない」という意味合いで使っているんだと思いますが、村上さんもはやりディケンズとの関連性を指摘していますね。その村上さんは、この小説、あるいはアーヴィング氏に次のようなことを学んだといいます。

~アーヴィングは僕の小説の構築にかなり影響を与えたということになるかもしれない。要するに僕がアーヴィンウ氏の作品群から学んだのは(あるいは学ぼうとしたのは)文体や細部や状況設定やテーマやセミコロンの使い方ではなくて、その小説が総体として持つべき力のようなものであった、読者を把握(グリップ)する能力と言っていいかもしれない。~

<フランス革命に翻弄される人間模様を描く「二都物語(上巻)」(チャールズ・ディケンズ著/新潮社刊)>
http://blog.goo.ne.jp/asongotoh/e/2fb6d9fdf70fe5d7d86956ddb6980bbb

<因果応報と博愛のタペストリー、「二都物語(下巻)」(チャールズ・ディケンズ著/新潮社刊)>
http://blog.goo.ne.jp/asongotoh/e/aa05b2388efa23bfd0f3b3f197f48d1f


村上春樹さんは、1982年に発表した「羊をめぐる冒険」に先立つ北海道取材旅行と『羊をめぐる冒険』第一稿の執筆に並行して、「海」に1981年7月から1982年7月まで「同時代としてのアメリカ」を連載していますが、その第4回で 「反現代であることの現代性 - ジョン・アーヴィングの小説をめぐって」という評論を書いていますね。


<「羊をめぐる冒険(上)」(村上春樹著/講談社文庫)>
http://blog.goo.ne.jp/asongotoh/e/729c04b2c05a70aa0ee5392dc1dcb0f4

<「羊をめぐる冒険(下)」(村上春樹著/講談社文庫)>
http://blog.goo.ne.jp/asongotoh/e/abdcd882e4d68ba65efcdbcd9ffe2ca9

また、村上さんは本書の「あとがき」で、次のようにも述べています。

~僕はこつこつと翻訳することによって小説の書き方をひとつひとつ学び、身につけていった。その当時にアーヴィング、(レイモンド)カーヴァー、(ティム)オブライエンという三人の優れた同時代のアメリカ作家たちに巡り会えたことは、そして彼らの作品をオン・タイムで翻訳する機会を得られたことは、僕にとっても素晴しい幸運だったと言えるし、作家として得るところも大きかったと考えている。今にして思えば刺激的な時代だった。~

私はまだカーヴァーもオブライエンも読んでいませんが、本書を通じて、村上春樹という小説家が何を目指しているのかが少し分かった気がします。ある意味では、村上さんによって翻訳されたこの小説は、村上ワールドのひとつであるということができのではないでしょうか。

<テラ・インコグニタに挑む理由、「走ることについて語るときに僕の語ること」(村上春樹著)>
http://blog.goo.ne.jp/asongotoh/e/3e915873fe75b0cfd6eaa849df2d9058


閑話休題。アーヴィング氏の小説を原作に次のような映画化作品があります。

「ガープの世界」(1982/ジョージ・ロイ・ヒル監督)
「ホテル・ニューハンプシャー」(1984/トニー・リチャードソン監督)
「サイモン・バーチ」(1998/原作:『オウエンのために祈りを』/マーク・スティーヴン・ジョンソン監督)
「サイダーハウス・ルール」 (1999/脚本も担当、ラッセ・ハルストレム監督)
「ドア・イン・ザ・フロア」(2004/原作:『未亡人の一年』/監督:トッド・ウィリアムズ監督)

<J・アーヴィングの名作の映画化も名作、「ガープの世界」(アメリカ/1982年)>
http://blog.goo.ne.jp/asongotoh/e/1de0df0da716fd4df6819297dea4a3ae

私はこれらの作品のうち、「ガープの世界」、「サイダーハウス・ルール」を観ていますが、いずれも秀作でしたね。これを機に、残りの作品も観てみたいと思います。


<ジョン・アーヴィング - Wikipedia>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0

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