村上春樹が、はじめて自分自身について真正面から綴った9章+2。彼自身は「走ってきた」を通じてついて語る「メモワール」(回想録)だと述べています。テラ・インコグニタに挑む理由、「走ることについて語るときに僕の語ること」(文芸春秋刊)
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2004年9月7日、講談社より書き下ろし長編小説として初版が発行、2006年9月15日には文庫版が発行。キャッチコピーは「新世界へ向かう村上小説」。
「何かをやり過ごそうとするように真夜中の街に留まる少女・浅井マリと、静かに純粋に眠り続ける浅井エリ、物語は二つの視点から交互に展開される。真夜中のデニーズで、浅井マリはひとり熱心に本を読んでいた。そこに彼女を知るという青年・タカハシが声をかけてくる . . . 本文を読む
<ストーリー>
「(失踪した妻・クミコを救い出すために)戦うことを決意した『僕』だが戦う方法は1つしかなかった。『井戸』を手に入れること。その方法を考え行動を始めた矢先、ものごとが動き出したことを示すかのように、いなくなった猫が家に戻ってくる。また、赤坂ナツメグ、シナモンと出会い、『井戸』を手に入れる条件として『仮縫い』と言う不思議な仕事をすることになった。そして『僕』はついに『井戸』を手に入れる . . . 本文を読む
~1994年4月 新潮社より書き下ろし~
「謎を謎のままで終わらせる」という「読者への挑戦」。これが、当初の著者の目論見。今では三部作であることが明らかになっている本作ですが、第3部「鳥刺し男編」が発表される一年前まではこの第2部で「完」がつけられた作品でした。
「メイキング・オブ・『ねじまき鳥クロニクル』(『新潮』平成七年十一月号)によると、この第1、2部の終わり方について、『僕は、あの小説 . . . 本文を読む
本編は、第1部 泥棒かささぎ編(1992年『新潮』10月号~1993年8月号)、第2部 予言する鳥編(1994年4月 新潮社より書き下ろし)、第3部 鳥刺し男編(1995年8月 新潮社より書き下ろし)の、3部からなる第一部。
第1部 泥棒かささぎ編
「世田谷に住む夫婦(岡田亨、クミコ)の家で飼っていた猫が行方不明になる。会社を辞めたばかりである「僕」は家事のあいだに猫を探すが、その行程で不思議 . . . 本文を読む
これまで読んだ著者の小説なかで最も「グッ」とくる作品だ。バブル絶頂期(1988年 - 1989年頃)の東京が主な舞台。この時期に書かれながら、バブル経済の盛り上がりを主人公は冷静に眺めていて、「巻き込まれるのはごめんだ」と突き放しているところが凄い。この時期に本書を読んでいれば救われた経営者が少なくないのではないかと思ったりもする。
この時期に著者が日本にいなかったことも冷静さを保ちえた要因かも . . . 本文を読む
今日はサー・アイザック・ニュートンの生誕364年の記念日で、アルベール・カミュの46回忌であり、人工衛星スプートニク1号が地球に墜落した日である。この三つの出来事を知って、遅ればせながら昨年から読み始めた村上春樹の小説をふと連想した。
サー・アイザック・ニュートン(Sir Isaac Newton, 1643年1月4日 - 1727年3月31日)は、イングランドのウールスソープ生まれ。イギリスの . . . 本文を読む
村上春樹の最高傑作といわれることがわかるような気がする。それにしても、この小説における作家の創造力と構築力に感心する。文庫本にしてもおよそ750ページに及ぶ物語を論理の破綻なく展開する能力は著者の力量の剛健さを示している。ぽっと置かれたセンテンスが、後になってフォローされ意味づけされる。著者の得意な仕掛けだが、「あっ、やられた」と呟く自分がいる。
「村上春樹はくせになる」の著者・清水良典氏は本書 . . . 本文を読む
1988年(昭和63年)に新潮社から刊行された村上春樹の四本目の長編小説の文庫版。村上にとっては最初の書き下ろし長編。彼の中で最高傑作と評価する人が多いという。まだ半分しか読んでいないので私なりの評価はあとに譲るとして、「世界の終わり」と「ハードボイルド・ワンダーランド」という二つのストーリーがパラレルで展開していくスタイルは、確か福永武彦の作品で呼んだ記憶がある。
まず主人公の「世界の終わり」 . . . 本文を読む
村上春樹の小説で映画化されているのは、「風の歌を聴け」(大森一樹監督/1981)、「パン屋襲撃」(山川直人監督/1982)、「森の向う側(野村恵一監督/1988)、そして、イッセー尾形と宮沢りえ主演で映画化した「トニー滝谷」(市川準監督/2004年)。長編は映画化しにくいのか、すべて短編、あるいは中編小説だ。そんな中で、「スプートニクスの恋人」は映画化してほしい作品だと思った。
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