読書と映画をめぐるプロムナード

読書、映画に関する感想、啓示を受けたこと、派生して考えたことなどを、勉強しながら綴っています。

007シリーズの初代ボンドガールとその華麗なる男性遍歴、ウルスラ・アンドレス

2008-03-19 08:39:15 | 映画;洋画
ジョン・デレク、ハリー・ハムリン、ジャン=ポール・ベルモンド、マーロン・ブランド、ジェームス・ディーン、ショーン・コネリー、ジョン・デローン、デニス・ホッパー、マルチェロ・マストロヤンニ、ライアン・オニール、ウォーレン・ベイティ、ピーター・オトゥール、ヘルムート・バーガーと銀幕世界のトップスターたちとの恋愛遍歴を持つ女優、それがウルスラ・アンドレスという女優さんです。

私が十代の頃、洋画で最もセクシーだった女優さんです。今日で御歳72歳の彼女は当時の妖艶さは見る影もなく、まことに残念ですが、時の流れのはかなさに耐え忍ぶばかりです。しかしながら女優さんの特権は、その一番華やかなりし時を名うての映画監督が余すところなく映像化し作品として残している点です。そんな彼女の妖艶な姿を見ることができるのは、次ぎの作品です。


「007 ドクター・ノオ」(1962)、「アカプルコの海」(1963)、「テキサスの四人」(1963)、「炎の女」(1965)、「何かいいことないか子猫チャン」(1965)、「カトマンズの男」(1965)、「華麗なる殺人」(1965)、「ブルーマックス」(1965)、「007 カジノ・ロワイヤル」(1966)、「サファリ大追跡」(1969)、「レッド・サン」(1971)、「アフリカ特急」(1975)、「サファリ特急」(1976)、「ホウリー・マウンテンの秘宝/密林美女の謝肉祭」(1978)、「ピンクのルージュ」(1979)、「タイタンの戦い」(1981)

ウルスラ・アンドレス(Ursula Andress,1936年3月19日-)は「映画女優。スイスのベルン出身。007シリーズの初代ボンドガール。外交官の父ロルフ・アンドレス、母アンナはともにドイツ人。5人の姉弟がある。16歳の時、美術留学生としてパリへ渡る。翌年、ローマへの旅行中に映画界にスカウトされ、1954年の『Le Avventure Di Giacomo Casanova 』でデビュー」。

「イタリアで何本かの低予算映画に出演した後、ハリウッドへ招かれたが、当初は英語が不自由でしばらくは役がつかないまま、1957年に俳優のジョン・デレクと結婚。筋肉質な大型グラマーぶりと独特の美貌を買われ、彼女の声のみ吹き替えで1962年に『007 ドクター・ノオ』の初代ボンドガールのハニー・ライダー役に抜擢されてから人気が出る」。


「1964年度の『Most Promising Newcomer - Female Golden Globe』に選ばれ、PLAYBOY誌でヌードになるなど、セックス・シンボルの地位を確立した。1965年に『カトマンズの男』で共演したジャン=ポール・ベルモンドと熱い仲になり、1966年にはジョン・デレクと離婚。その後もドイツ語、イタリア語、フランス語、英語の4カ国後を操る語学力を活かして、ハリウッドのみならずヨーロッパ映画にも多数出演している。1980年の『タイタンの戦い』で共演したハリー・ハムリンとの間に1982年に未婚のまま男児ディミトリを生む。現在、イタリアに在住」。(以上、ウィキペディア)


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