読書と映画をめぐるプロムナード

読書、映画に関する感想、啓示を受けたこと、派生して考えたことなどを、勉強しながら綴っています。

「ファム=ファタル(宿命の女)」の追求者、「クリムト/KLIMT」(2006年)

2007-07-31 05:44:58 | 映画;洋画
製作国:オーストリア、フランス、ドイツ、イギリス
監督、脚本:ラウル・ルイス
音楽:ホルヘ・アリアガータ
出演:ジョン・マルコヴィッチ 、ヴェロニカ・フェレ 、サフロン・バロウズ 、スティーヴン・ディレイン 、ニコライ・キンスキー 、サンドラ・チェッカレッリ

「19世紀末のオーストリアに実在した天才画家クリムトの、時代を先取りした作品と彼の人生を描いたファンタジー。死の床にある男が自分の人生のハイライトを回想する。クリムトを迫真の演技でみせるのは、『リバティーン』のジョン・マルコヴィッチ。その愛弟子役には『イーオン・フラックス』のニコライ・キンスキーがふんしている。実際クリムトがデザインした衣装を再現したドレスや、世紀末の香り漂う豪華な内装に魅せられる」。

「1918年、グスタフ・クリムト(ジョン・マルコヴィッチ)は脳卒中で倒れ、病院に運ばれる。稀代の画家を見舞うのは弟子のエゴン・シーレ(ニコライ・キンスキー)だけ。混濁(こんだく)した意識の中、彼は自らの人生を回想していた。1900年、保守的なウィーンでクリムトの描く裸婦はスキャンダルとなったが、パリでは絶賛され……」。(シネマトゥデイ)

グスタフ・クリムト(Gustav Klimt 1862~1918)はオーストリアの画家。ゼツェッシオン(分離派)を結成し、オーストリアのアール・ヌーボーであるユーゲントシュティールの中心人物になった人です。映画の冒頭に映し出されるのは1907年に描かれた「Hygeia」という作品ですが、ウィーン大学講堂の3点の天井画「哲学」(1900~07)、「医学」(1901~07)、「法学」(1903~07)の中の「医学」のディテール画です。天井画は残念ながら1945年、3点とも焼失したそうです。

クリムトといえば、1908年の「接吻」が有名ですが、前年に描かれた「アデーレ・ブロッホバウアーの肖像I」は2006年、絵画史上最高額(1億3500万ドル)で取引されたそうです。この絵はウィーンの実業家、フェルディナント・ブロッホ=バウアーの注文で、彼の妻・アデーレを描いたものです。発表当時、「Mehr Blech wie Bloch」つまり「ブロッホよりブリキの肖像」と冷やかされた肖像画です。クリムトの黄金の時代の作品。5年後に新しい様式による肖像Ⅱが描かれます。
「アデーレ・ブロッホバウアーの肖像I」
本作は、画家クリムトが作品のテーマに多用した「ファム=ファタル(宿命の女)」を追い求めるファンタジックな伝記的作品。情熱的で艶やかな絵画が劇中の随所に散りばめられた豪華絢爛の回想録になっています。性の裸体、妊婦、セックスなど、赤裸々で官能的なテーマを描くクリムトの作品は、甘美で妖艶なエロスと同時に、常に死の香りが感じられるとされています。

『接吻』に代表される、いわゆる「黄金の時代」の作品には金箔が多用され、絢爛な雰囲気を醸し出しています。これには琳派の影響も指摘されています。この辺は、招かれたレアの部屋に尾形光琳の「紅白梅図屏風」(だと思いますが)が置かれている様子でうかがえます。また、ミディ、レアなどは部屋着として和服を着ていますが、当時のジャポニズムの影響を知ることができます。

そして、本作では道先案内人的な役割を担うのがニコライ・キンスキーが演じるエゴン・シーレ(Egon Schiele, 1890年6月12日 - 1918年10月30日)。オーストリアの画家。ここではクリムトとの関係に絞ってウィキペディアから引用します。

「シーレは20世紀初頭のオーストリアで活動した画家だが、当時盛んであったグスタフ・クリムトらのウィーン分離派、象徴派、オスカー・ココシュカに代表される表現主義のいずれにも属さず、独自の芸術を追求した画家であった」。

「シーレは28歳年長の画家クリムトとは師弟というよりは生涯を通じた友人という関係にあった(両者はたまたま同じ年に没している)。エロスが作品の重要な要素になっている点はシーレとクリムトに共通しているが、作風の面では両者はむしろ対照的である。世紀末の妖しい美をたたえた女性像を描き、金色を多用した装飾的な画面を創造したクリムトは「表現対象としての自分自身には興味がない」として自画像をほとんど残さなかった。これに対して、シーレの関心はどこまでも自分の内部へと向かい、多くの自画像を残した」。

さて、俳優陣は言わずもがなのマルコビッチと二名を女優をチェックしておきましょう。

ジョン・マルコヴィッチ(John Malkovich,1953年12月9日 -)は「アメリカ合衆国イリノイ州出身の俳優である。クロアチア系。友人のゲイリー・シニーズと設立したステッペンウルフ・シアター・カンパニーで数々の舞台に立ち、高い評価を得た。その後ブロードウェイでも『True West』や『セールスマンの死』などで数々の賞を受賞。1984年に映画デビュー。スクリーンでは悪役を演じることが多い。個性的な演技派として、世界的に活躍している」。

「女優のグレン・ヘドリーと1982年に結婚したが1988年に離婚。一時ミシェル・ファイファーとの交際が伝えられたが、1989年に映画制作スタッフのニコレッタ・ペイランと再婚して子供が二人いる。政治的にはリベラルが優勢のアメリカ映画界の中にあって、マルコヴィッチは右寄り発言で注目を集めることがある。2002年にイギリスで公演中、イスラエルとブッシュ政権の中東政策を痛烈に批判したイギリスの政治家ジョージ・ギャロウェイを『射殺したい』と発言し、物議をかもした」。(ウィキペディア)

ラウル・ルイス監督(1941年7月25日、チリ生れ)の関係でいえば、「見出された時-「失われた時を求めて」より」(1999)という映画に出演しています。(本ブログ2006-11-18付けに関連記事)

<ジョン・マルコヴィッチ - Wikipedia>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%81



レア・デ・カストロを演じたサフロン・バロウズ(Saffron Burrows,1973年1月1日 - )は「イギリス・ロンドン出身の女優。15歳のときにコヴェント・ガーデンでスカウトされモデルとなり、ヴィヴィアン・ウエストウッドやイヴ・サンローランなどのショーに出演。しかし女優を志し、2年後にはモデルを辞めている」。
「プライベートでは、映画監督のマイク・フィギスと交際し、彼の作品によく出ていた。また、アラン・カミングと婚約していたこともある。自身がバイ・セクシュアルであることをインタビューで語ったことがある。現在はアイルランド人女優フィオナ・ショウと暮らしているという」。

主な出演作は「エニグマ」(2001)、「フリーダ」(2002)、「トロイ」(2004)、「エニグマ」でもクレアという魔性の女性を演じています。(本ブログ2006-05-14付けに関連記事)



生涯プラトニックな関係を守り続けた前衛的女性通称ミディ、エミーリエ・フレーゲ(1874-1952)を演じたヴェロニカ・フェレは「ドイツ・ゾーリンゲン生まれ。85年よりバエルン・ステート・オペラなどを中心に数々の舞台を踏んだ後、映画出演2作目にしてヘルムート・ディートル監督の『Schtonk!』(’92)でドイツのバンビ賞受賞を果たす」。

「その後も持ち前の語学力をいかし舞台、TV、映画と活躍の場を広げ、2002年には最も有名なオーストリア人女優の証であるロミー賞を受賞する。主な出演作に『悦楽晩餐会/または誰と寝るかといい重要な問題』(’99ヘルムート・ディートル監督/独)、『レ・ミゼラブル』(’00ジョゼ・ダヤン監督/仏)」(本作公式サイト)


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