読書と映画をめぐるプロムナード

読書、映画に関する感想、啓示を受けたこと、派生して考えたことなどを、勉強しながら綴っています。

フランス女優陣によるミュジーカル仕立てのミステリー、「8人の女たち」(フランス/2002年)

2007-08-01 09:25:33 | 映画;洋画
原題:8 FEMMES/8 WOMEN
監督:フランソワ・オゾン
製作:オリヴィエ・デルボスク、マルク・ミソニエ
脚本:フランソワ・オゾン、マリナ・ドゥ・ヴァン
撮影:ジャンヌ・ラポワリー
音楽:クリシュナ・レヴィ

「フランスを代表する新旧8人の大女優たちが歌って踊る、絢爛豪華にしてとびきり楽しいミュージカル仕立てのミステリー。監督は早くも風格さえ感じさせ始めたフランスでもっとも期待を集める若手監督、『焼け石に水』『まぼろし』の鬼才フランソワ・オゾン。主が殺され、互いに疑心暗鬼になる8人の女性たちの姿をユーモアと毒気をちりばめた才気溢れる演出で描く。2002年ベルリン国際映画祭では、本作で夢のような競演を果たした女優陣全員に銀熊賞(最優秀芸術貢献賞)が授与され話題を振りまいた」。

「1950年代のフランス。クリスマスを祝うため、雪に閉ざされた大邸宅に家族が集うこととなった。その日の朝、メイドのルイーズが、一家の主マルセルの部屋へ遅い朝食を持っていくと、彼はナイフで背中を刺され死んでいた。外から何者かが侵入した形跡はない。電話線は切られ、雪で外部との連絡を完全に絶たれた8人の女たち。祝祭気分は一転、彼女たちは疑心暗鬼を募らせていく。やがて、互いの詮索が始まる。そして、次々と彼女たち一人ひとりの思惑や秘密が暴露されていく…」。(allcinema)


世界市場を持つハリウッドの絢爛豪華なエンターティメントは、ときに大金をかけて力ずくでストーリーを展開させるだけのウドの大木的な作品を作り上げることがあります。それは最近ではヨーロッパの作品でも見受けられますが、あくまで日本で観られる映画という限定がつきます。

音楽でもそうですが、やはりアメリカ・エンターティメント主流の配給、リリースには食傷気味になることがあります。そんな中にあって本作のような丁寧なつくりの映画を見せてくれるのは、やはりフランスです。フランス映画の代表するベテランから新人まで勢ぞろいの女優による布陣で、コミカルに、華やかに、物悲しく作られた映画です。


フランソワ・オゾン(François Ozon,1967年11月15日 - )は「パリ出身の映画監督・脚本家である。パリ第一大学映画コース修了。国立の映画学校フェミスで学ぶ。『アクション、ヴェリテ』『小さな死』『サマードレス』などの数々の短編を発表、高評価を得て「短編王」の異名をとる。フランス現代映画のホープ。同性愛をカミングアウトしている」。

本来であれば一人ひとりに焦点を当てたいところですが、なにせ8人の女優陣はそれぞれ大変なキャリアの持ち主です。あまりフランス映画を観る機会がないので、一挙にキャストを確認していきたいところですが、ちゃんとチェックしていくと膨大な量に及ぶので、ここは総花的にダイジェストのみをウィキペディアから引用することにします。


ダニエル・ダリュー(Danielle Darrieux, 1917年5月1日 - )は、「ボルドー生まれ。1931年、『ル・バル』の主役で映画デビュー。1935年、シャルル・ボワイエと共演した『うたかたの恋』で悲恋の令嬢マリーを演じ、その美貌で一躍世界的なスターとなる。『フランス映画史上最高の美女』と謳われたが、反面、単に美しいだけの『白痴美』の誹りも受けた。しかし、1930年代から21世紀の現在に至るまでの、その70年以上に及ぶ長いキャリアは、まさにフランス映画史を象徴する大女優としての風格を物語る」。

「1999年、本国フランスではなく、アメリカ映画協会(AFI)(American Film Institute)の「伝説の映画スター100人(男優50人・女優50人)」選考の時に、惜しくも100人の中には選ばれなかったが、ほとんどがハリウッド俳優達の中で数少ないフランス人女優としてアナベラ、シモーヌ・シモンと共にノミネートされた(ノミネートされたのは男優250人・女優250人)。ノミネートだけでも『伝説』『スター』という条件でデビュー年・活躍についてなど厳しい選考基準があり、ノミネートされた全員の中で数少ない存命且つ現役俳優の1人だった」。


カトリーヌ・ドヌーヴ(Catherine Deneuve,1943年10月22日-)は「パリ出身。両親も俳優、姉は女優のフランソワーズ・ドルレアック。10代のころから映画に出始める。ミュージカル映画『シェルブールの雨傘』のヒットでスターの座をつかむ。以後、数々の名作映画に出演し、『演技派』そして『フランス映画界の女王』としての揺るぎない地位を築いた。また、その美貌から『世界最高の美女』とも呼ばれた。現在でもコンスタントに映画に出演している。1998年の『ヴァンドーム広場』でヴェネチア国際映画祭女優賞を受賞」。

「プライベートではイギリスの写真家デビッド・ベイリーと1965年に結婚後、1972年に離婚。子が二人あり、映画監督のロジェ・ヴァディムとの間に息子クリスチャンが、俳優のマルチェロ・マストロヤンニとの間に娘キアラ・マストロヤンニがいるが、ヴァディム、マストロヤンニと正式な婚姻関係になることは諸事情あり、いずれもかなわなかった。しかし、マストロヤンニとは晩年までキアラ共々交流があり、1996年のマストロヤンニの臨終の時にもキアラと共に立会った。フランスの世界的ブランドであるイヴ・サンローラン(Yves Saint-Laurent)の顧客としても有名」。


ファニー・アルダン(Fanny Ardant,1949年3月22日-)は「ソミュール出身の女優である。モナコで育ち、大学に通うためにフランスに戻った。20代前半より演劇に興味を持つようになり、ロンドン在仏大使館勤務を経て1973年に演劇学校に入学。翌1974年に初舞台、1976年に映画デビュー」。

「1980年ころ、フランソワ・トリュフォーに出会い、『隣の女』と『日曜日が待ち遠しい』に出演した。トリュフォーとはプライベートでもパートナーとなり、1983年に娘が生まれた。イタリア語、スペイン語、英語にも流暢なため、スペイン映画やハリウッド映画にも登場している。1997年『ペダル・ドゥース』でセザール主演女優賞受賞」。


イザベル・ユペール(Isabelle Huppert,1955年3月16日-)は「パリ出身の女優である。ヴェルサイユの学校で演技を学び、舞台やテレビを経て1972年に映画デビューした。1978年の"Violette Nozière"と2001年の『ピアニスト』でカンヌ国際映画祭女優賞を、1983年の『ピエラ・愛の遍歴』と1988年の『主婦マリーがしたこと』ではヴェネチア国際映画祭女優賞を受賞している」。


エマニュエル・ベアール(Emmanuelle Béart, 1965年8月14日 - )は「サントロペ出身。フランスを代表する演技派女優である。父親は歌手であり詩人のギイ・ベアール(「河は呼んでる」という歌の作者として知られる)、母親はモデルだった。1983年に映画デビュー。ハリウッド映画『天使とデート』では文字通りの天使を演じ、その美しさで世界中を魅了した。『美しき諍い女』ではほぼ全編をヌードで演じて話題になった」。

「人権保護活動に熱心であり、1997年には移民の権利擁護のデモに参加して逮捕されたこともある。ユニセフのフランス代表親善大使でもある。俳優のダニエル・オートゥイユと結婚し、長女ネリーを生んだが、のち離婚している」。


ヴィルジニー・ルドワイヤン(Virginie Ledoyen, 1976年11月15日 - )は「祖母は舞台女優だった。子供のころからモデルとして広告やCMに登場。また、演劇学校にも通い、1991年にデビューした。フランス映画だけでなく、ハリウッド映画やアジア映画にも出演している。また、2002年から2005年まで、ロレアルのモデルであった。パートナーとの間に女の子が一人いる」。


リュディヴィーヌ・サニエ(Ludivine Sagnier,1979年7月3日 - )は「子供のころから演劇学校に通い、10歳で映画デビュー。2000年、フランソワ・オゾンの「焼け石に水」に出演、奔放な少女を演じて人気を博し、フランス映画界きっての若手女優となる。2003年には3度目のオゾン作品となる『スイミング・プール』に出演。シャーロット・ランプリングとの共演を見事にこなし、さらに評価を高める。 同年にはファンタジー大作『ピーターパン』のティンカーベル役でハリウッドデビューも果たした。2005年3月に女児を出産」。


フィルミーヌ・リシャール(Firmine Richard)
主な作品は、89年『ロミュアルドとジュリエット』(コリーヌ・セロー)、95年『エリザ』(ジャン・ベッケル)。残念ながら上記以外のプロフィールについて知ることはできませんでした。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿