飯能の史跡と
天覧山~多峰主山(とうのすやま)ハイキング
1、日時:2005年9月29日(木)
2、集合:飯能駅 9時05分
3、行程:飯能9:10⇒9:15観音寺9:30⇒9:35諏訪八幡神社9:45⇒9:50郷土館10:15⇒10:30
能仁寺11:00⇒11:30天覧山(昼食)12:10⇒13:10多峰主山13:30⇒13:50
本郷バス停14:02⇒(バス)14:25飯能駅14:35⇒(快速急行)池袋
4、解散 東飯能駅14:30頃(予定)
5、費用 交通費 浦安7:13~7:47高田馬場230円、高田馬場7:51~8:55飯能480円 バス200円
所要時間 1時間42分
6、持ち物 昼食・雨具。保険証など
万歩会九月例会は久しぶりのハイキング日和に恵まれ、最高気温24.5度C、朝、家を出るときは一枚長袖シャツを羽織るほどの涼しさであった。飯能市街のメインストリートを抜ける。鰻やさんが目に付く、むかしから飯能の名物なのだろうか?
間もなく観音寺(810年創建)さんへ到着。六地蔵さんが多いお寺だ。一首巡礼御詠歌をメモった。
法の音 幾世絶えせず 仰ぐらん 百の願いの人の心よ
天狗地蔵は幼児の健やかな成長を祈る人たちの信仰が厚いという。
近道を諏訪八幡社(創立1516年)へ出る。荘厳な雰囲気で曲線を描く長い石畳が美しい。境内には、丹生樹(樫の大木)がそびえて「たんしょうさま」とよばれます。土と水の神で、生命の根源を司り結びの神様です。別名「抱擁樹」ともいわれ、良縁・夫婦和合・子孫繁栄のご神木です。檜の若木を労わるかのように抱え育てています。
能仁寺(のうにんじ){曹洞宗}
1501~3年、飯能の武人中山家勝が開いた禅道場が始まり、その後、数代を経て中山直邦が黒田氏を継ぎ、五代将軍徳川綱吉公に仕えて信任を得て以来、当寺は徳川幕府より厚遇されました。慶応4年飯能戦争の折、振武軍の本陣となったために焼失、現本堂は昭和11年に再建されたものです。どっしりした大きな石灯篭が並ぶ参道を入ると境内は広く、よく手入れされた緑の中に数多くの堂屋がならび往時の権勢を偲ぶことができます。私たちが訪れた時は本堂で多くの僧侶が読経しながら円をえがくように歩く法要中でした。能仁寺には日本名園百選に入る東日本の代表的な名園が観賞できる。(拝観料300円)今度は紅葉の時期に再度訪ねたいお寺である。
天覧山(海抜195㍍)
私は天覧山には50年ぶりに登ることになる。10歳上の姉が婚約した人の実家が飯能で、弟と三人が招かれたのだった。そのとき入間川の吾妻峡も近くで、天覧山にも登った。ご馳走になったライスカレーと冷えたトマトが大盛りで出たのを今でもよーく覚えています。しかし、今日また登っているのだが、山の面影は全く覚えていなかった。覚えているのは天覧山に登った事実だけであった。
山頂ではバードウォチングのグループの人たちが鷹の渡りの観察に余念がなかった。サシバなどが本州や沿海州からベトナム・タイ・ビルマ、インドシナ半島方面へ天高く渡る数をフィールドスコープでカウントしては、ノートに記録している。今年だけでなく昨年もされている。学問であれ、仕事であれ、趣味であれ、物事に執着できる好きなことをもてるのは幸せであり、その熱意には頭が下がるおもいだ。9月中ごろから10月中ごろまで渡りが多いのだそうだ。
多峰主山(海抜271㍍)へは一旦下って登り返すのだが、下ったところが谷戸でススキやカヤの生い茂る湿地に出る。
路傍には
ヒガンバナ{lLycoris radiata Herb}・ミズギク・ユウガギク・ママコノシリヌグイ・ノハラアザミなどが生え、登り返す「見返り坂」への鞍部では、運良く葦切り作業の人たちからこの辺りの狭い範囲(150㎡)にのみ生育している天然記念物の「飯能笹」を教えてもらった。これはアズマザサの仲間で、葉の裏面を触るとビロードのような肌をしているのが特徴である。解説板が立っていても、教えてもらって初めて判る植物である。ラッキーなことに、この近くにはナンバンギセルがまとまって生えているのも見つけることが出来た。「飯能笹」は南高の校章にデザインされてもいる。そしてこの辺では「飯能ツツジ」というヤマツツジとサツキの交雑種である珍しいツツジが発見されたところでもあるのだ。こんな限られた場所が植物学上の貴重な保護地であることも解った。
多峰主山々頂では東南には今登ってきた天覧山が市街地に突き出てこんもりした森となって続き、北西方面には奥武蔵の盟主武甲山が一際高く望めました。また「ヒガンバナが咲く巾着田へは、ほら、こっから見えるでしょ!まあー40分程の近さですよ」と地元の親父さんたちに下山方向を聞かれ、そのお奨めとお誘いは大変なものであった。
里の庭にはコルチカムやタマスダレ、友禅菊、そしてムラサキシキブやウメモドキなど、秋はもう盛りでした。
そのほか郷土館、雨乞いの池、十六羅漢像、多峰主山の経塚、よし竹伝説、上州沼田城主黒田直邦の墓、御嶽八幡神社など、飯能の史跡と自然に触れた里山歩きで、有意義な秋の一日でした。
万歩計:16699歩
↑上の{ヒガンバナ}の文字をクリックするとヒガンバナ科のホームページにリンクします↑⇒同様に能仁寺をクリックで同寺の紅葉に、天覧山をクリックで飯能百景にリンクします。
天覧山~多峰主山(とうのすやま)ハイキング
1、日時:2005年9月29日(木)
2、集合:飯能駅 9時05分
3、行程:飯能9:10⇒9:15観音寺9:30⇒9:35諏訪八幡神社9:45⇒9:50郷土館10:15⇒10:30
能仁寺11:00⇒11:30天覧山(昼食)12:10⇒13:10多峰主山13:30⇒13:50
本郷バス停14:02⇒(バス)14:25飯能駅14:35⇒(快速急行)池袋
4、解散 東飯能駅14:30頃(予定)
5、費用 交通費 浦安7:13~7:47高田馬場230円、高田馬場7:51~8:55飯能480円 バス200円
所要時間 1時間42分
6、持ち物 昼食・雨具。保険証など
万歩会九月例会は久しぶりのハイキング日和に恵まれ、最高気温24.5度C、朝、家を出るときは一枚長袖シャツを羽織るほどの涼しさであった。飯能市街のメインストリートを抜ける。鰻やさんが目に付く、むかしから飯能の名物なのだろうか?
間もなく観音寺(810年創建)さんへ到着。六地蔵さんが多いお寺だ。一首巡礼御詠歌をメモった。
法の音 幾世絶えせず 仰ぐらん 百の願いの人の心よ
天狗地蔵は幼児の健やかな成長を祈る人たちの信仰が厚いという。
近道を諏訪八幡社(創立1516年)へ出る。荘厳な雰囲気で曲線を描く長い石畳が美しい。境内には、丹生樹(樫の大木)がそびえて「たんしょうさま」とよばれます。土と水の神で、生命の根源を司り結びの神様です。別名「抱擁樹」ともいわれ、良縁・夫婦和合・子孫繁栄のご神木です。檜の若木を労わるかのように抱え育てています。
能仁寺(のうにんじ){曹洞宗}
1501~3年、飯能の武人中山家勝が開いた禅道場が始まり、その後、数代を経て中山直邦が黒田氏を継ぎ、五代将軍徳川綱吉公に仕えて信任を得て以来、当寺は徳川幕府より厚遇されました。慶応4年飯能戦争の折、振武軍の本陣となったために焼失、現本堂は昭和11年に再建されたものです。どっしりした大きな石灯篭が並ぶ参道を入ると境内は広く、よく手入れされた緑の中に数多くの堂屋がならび往時の権勢を偲ぶことができます。私たちが訪れた時は本堂で多くの僧侶が読経しながら円をえがくように歩く法要中でした。能仁寺には日本名園百選に入る東日本の代表的な名園が観賞できる。(拝観料300円)今度は紅葉の時期に再度訪ねたいお寺である。
天覧山(海抜195㍍)
私は天覧山には50年ぶりに登ることになる。10歳上の姉が婚約した人の実家が飯能で、弟と三人が招かれたのだった。そのとき入間川の吾妻峡も近くで、天覧山にも登った。ご馳走になったライスカレーと冷えたトマトが大盛りで出たのを今でもよーく覚えています。しかし、今日また登っているのだが、山の面影は全く覚えていなかった。覚えているのは天覧山に登った事実だけであった。
山頂ではバードウォチングのグループの人たちが鷹の渡りの観察に余念がなかった。サシバなどが本州や沿海州からベトナム・タイ・ビルマ、インドシナ半島方面へ天高く渡る数をフィールドスコープでカウントしては、ノートに記録している。今年だけでなく昨年もされている。学問であれ、仕事であれ、趣味であれ、物事に執着できる好きなことをもてるのは幸せであり、その熱意には頭が下がるおもいだ。9月中ごろから10月中ごろまで渡りが多いのだそうだ。
多峰主山(海抜271㍍)へは一旦下って登り返すのだが、下ったところが谷戸でススキやカヤの生い茂る湿地に出る。
路傍には
ヒガンバナ{lLycoris radiata Herb}・ミズギク・ユウガギク・ママコノシリヌグイ・ノハラアザミなどが生え、登り返す「見返り坂」への鞍部では、運良く葦切り作業の人たちからこの辺りの狭い範囲(150㎡)にのみ生育している天然記念物の「飯能笹」を教えてもらった。これはアズマザサの仲間で、葉の裏面を触るとビロードのような肌をしているのが特徴である。解説板が立っていても、教えてもらって初めて判る植物である。ラッキーなことに、この近くにはナンバンギセルがまとまって生えているのも見つけることが出来た。「飯能笹」は南高の校章にデザインされてもいる。そしてこの辺では「飯能ツツジ」というヤマツツジとサツキの交雑種である珍しいツツジが発見されたところでもあるのだ。こんな限られた場所が植物学上の貴重な保護地であることも解った。
多峰主山々頂では東南には今登ってきた天覧山が市街地に突き出てこんもりした森となって続き、北西方面には奥武蔵の盟主武甲山が一際高く望めました。また「ヒガンバナが咲く巾着田へは、ほら、こっから見えるでしょ!まあー40分程の近さですよ」と地元の親父さんたちに下山方向を聞かれ、そのお奨めとお誘いは大変なものであった。
里の庭にはコルチカムやタマスダレ、友禅菊、そしてムラサキシキブやウメモドキなど、秋はもう盛りでした。
そのほか郷土館、雨乞いの池、十六羅漢像、多峰主山の経塚、よし竹伝説、上州沼田城主黒田直邦の墓、御嶽八幡神社など、飯能の史跡と自然に触れた里山歩きで、有意義な秋の一日でした。
万歩計:16699歩
↑上の{ヒガンバナ}の文字をクリックするとヒガンバナ科のホームページにリンクします↑⇒同様に能仁寺をクリックで同寺の紅葉に、天覧山をクリックで飯能百景にリンクします。