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ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

「私、怒ってます」

2014-01-13 16:36:19 | 新聞を読んで
今朝の毎日新聞の「女の気持ち」欄の見出しが「私、怒ってます」

書いた人は匿名希望。

元日から息子や娘や孫が来て、その接待・対応に疲れ果て、

怒っているらしい。

・・・世の中のニュースなんかでは、

実家に帰る人の「何もせずのんびりしたい」

という若い人の声だけ報道されて、

受け入れ側の女性の苦労ももう少し知って欲しい、

マスコミにも大いに責任がある、

とあり、

年に2度の盆と暮れの過ごし方は、もうちょっと改めるべきだと思います、

と締めくくってあった。

普段と違って大変だという気持ちはすごくよくわかるけれど、

なんでそれを新聞に出すのか?と思った。

改めるべき、に自分が全然入ってないね~

この、改めるべき、というのは

文句を言わずに接待すべし、なんてことじゃないよ。

一人でやったら身体が疲れるという、当たり前な自分と、

息子や娘と直接話してベターな解決策を見出すのが一番かと思うよ。

まぁ、それが心理的に出来ないから、

匿名希望になるんだろうし、相手がマスコミにまでなるんだろう。

自分が自分の気持ちを発せられないでいるから、

外堀から攻めようという策だな、これは。

まず世論をそういうものにすれば、

息子や娘とのやりとりという大切な機会を経験せずに済む、というわけだ。


いやいや、こういうことを言っていても、

私もそこらへんが出来ずに苦しんだことがあるから、

こういう記事につい反応してしまうんだ。

お盆でたくさんの人が何晩も寝泊りしたときに、

自分がやりたくてやっているのに、疲れてくると、

なんで自分ばかりがこんな大変な目に遭わないといけないのか・・

こんな気持ちに襲われた。

大変だから手伝って、一緒にやってほしい、の一言が言えずにいた過去の自分。

いや、言えずにいたんだけど、

そもそも言おうという発想が浮かばなかった。

その時の暮らしを共に作っていこうという気がなかった。

自分ひとりで頑張ってた。

そんなふうに自分の中を本当に調べられた出来事だった。

そういう機会で、自分の思いを放す事がやっと出来たんだった。

(疲れてる、一人で大変だ・・そんなこと、とても言えない)・・・

この匿名の人もそうなんだろう。

この人の論調は私憤を公憤に変えてしまおうという魂胆が見える。

そういうことにちょっとアレ?と思うけど、

匿名さんは息子や娘に、(とても言えない)という思いを持っていることに

まだ気づいてないのかもしれない。

それで公憤にまで先走って行ってしまったんじゃないだろうか。

自分がやること(自分の気持ちを口に出して伝えること、手伝って欲しいとか、疲れたから替わってほしい、とか)

をやらないで・・ということはあるだろうけど、

その時はそれに気づいてないから、

しょうがないんだね~

これを書いたことでこの人は何か変化があったろうか・・

あったらいいけどなぁ・・

「考える」って・・②

2014-01-13 15:33:56 | ひとの幸福
考える、というのは“「言葉」の側から”

その問いが発せられる、といってもいいかな・・

その言葉がどういうことなのか、わからないから、考える。

上に書いた、恋愛中の(彼の思い)もわからないものだけど、

それは思い巡らしてもわかることはない。

・・ということは・・

「考える」そのことは、考えることによってわかる、ということが前提にある??

考えることによってその「言葉」に迫っていける。

「アレを得たい、それにはどうするか・・」といったようなことは猿でも考える。

猿のそれは考えるというより、本能に組み込まれた行動なんだろうと思う。

本能的な考え=行動 といったところかな。

そういうのは人間にしか出来ないことじゃない。

本当に人間にしか出来ないこと、それが「考える」ことなんじゃないか・・・

それは思い巡らすことではなく、想像することではなく、

妄想することではなく、計画案を練ることではなく、

やるべきことを探すことでもなく、

ただ考える。それはどういうことなんだ???と。

そしてそこで出てきた言葉に、又、それはどういうことなんだ???

なんでそうなのか???って考える。

考えるのは言葉がないと出来ない。

言葉によってしか出来ない。

「言葉」に導かれてやることなんじゃないかなと思う。

導かれるなんていうのを聞くと引いてしまう人もあるかもしれないけど、

「言葉」が人間が考えるのを待っている。

人間にしか出来ないことって、考える、そのことなんじゃないか・・・






「考える」って・・・

2014-01-13 14:33:07 | ひとの幸福
何か本を読んで考えたいなぁ・・という気持ちがプァ~と湧いてくる。

前回こう書いた。実に実に稚拙な表現だなぁ。

「考える」そのことをしたい、という表現の方が幾らか適切かな、と思う。

世の中にいて「考える」という言葉を聞いたり読んだりする。

その言葉の使われ方を観ると・・・

考え事をしていてちょっと手元が疎かになった、

なんていうのを聞くことがあるけど、

その考え事ってどんな感じなのか・・

あれをこうしようと思うけど、するとあ~なるから、

あ~なったら困るから、こ~する方がいいか・・なんて思ってる。

・・・この例、「考える」という言葉を使ってもいいけど、

或る事について計画案を練っている、というような内容かと思う。

こうしたらどうなるか想像しながら、案を練っていた、という表現でもいける。

こういうことはそう思っていた、という自覚がある内容だけど、

何を思っていたのか自覚のない、ぼや~っと、

なんとなくいろんなことが頭を通り過ぎて行った、なんてことも、

ぼ~っと他の事を考えていた、と表現することもあるのかなと思う。

他の例ではどうだろうか・・

恋愛中など、「いつも彼のことを考えている」と表現することがある。

彼は今頃何をしてるんだろう?

彼は私のことを本当に好きなんだろうか?

あの時、彼が言ったのは、

あ~いう意味じゃなくて、ホントはこ~いうことじゃなかったか??

彼はこれからのことどう思ってるんだろう??

・・等々。「考える」という言葉を使ってもいいけど、

他者の思いを詮索してる、想像してる、という表現でもいける。

他に「考える」という表現で、

子供の将来を考える、日本の未来を考える、とかいうのもある。

子供がコレコレこ~なるように、親としてどうしたらいいだろうか??

日本がコレコレこ~なるように、我々はどうすべきだろうか??

・・というような内容かな・・

これはするべきことを模索する、というような意味かな。


「考える」ことをしたい、と書いたけど、

その、「考える」ことは上に書いた例とちょっと違う・・

それは「考える」という言葉でしか他に言い替えようがないもの、と

言える気がする。