免疫学者の多田富雄さんの「寡黙の巨人」という本を読んだ。
新聞とかでしかこの人の文章を読んだ事がなかった。
脳梗塞で倒れた後の活躍、その努力についてはよく新聞に載っていた。
私が30代の頃か、新聞に何かを連載してたことがあったと記憶していて、
それを興味深く読んだというおぼろげな記憶があるけど、
内容はまるで憶えていない。
脳梗塞で倒れたときやその後の暮らしや思いがとても細かく書かれてあって、
脳梗塞についてこんなふうに表現された文章は私にとって初めてだった。
私の母も脳梗塞で倒れ、感情失禁、失語症、右半身不随になって、
それは多田さんと同じだったけど、
多田さんは考えることについての神経細胞はやられなかったみたいで、
だから、こうした文章が書けたんだけど、
そのことが苦しみとなり、また喜びにもなったのだと思う。
私の母みたいにそこがやられた(多分・・)場合は、
思いの苦しみはそれほどなかったろうと思われる。
倒れてそれほど経ってない頃は無念みたいな涙を見たけれど、
それも早いうちになくなってしまったように見受けられたから。
でもいつもどんな心の世界に生きているんだろう???というのは私にはあった。
さっきのブログで書いたけど、
「いつ何があるかわからない」
多田さんも倒れる前の健康診断ではいつもどこも悪くなく、
それまでとても元気に活躍してたみたいだ。
それが突然別人になってしまった。
昨日夫とこんな話をしていて、
自分がこんなふうに健康で日々を暮らせているのも、
私自身の努力とかでは全く無い、ということがよくわかる。
何故かこんな気質に生まれ、鼻炎や腰痛や五十肩はあるけれど、
今のところ何故か健康に恵まれ、
何故かやりたいことがやれている。
夫は「生かされているっていうことだろうね」と言った。
本当だと思った。私自身の力なんて無いといっていい。
いや、こんなふうに生きていられることに、
私自身とか私以外の何かとか、そういう区別はないんだな、と思った。
(すべてがこういう現れ方をしてるところの私)といっていいかな。
そして今以降の(すべてがこういう現れ方をしてるところの私)の身に
何が起こるのかわからない。
(すべてがこういう現れ方をしてるところの私)の管理人である私は、
何が起こっても引き受けたいと思ってるけど、
そんなこと思ってみても、
この本を読むと脳梗塞の症状やその後の暮らしの辛さに
耐えられるか心もとない(すべてがこういう現れ方をしてるところの私)だと観ている管理人の私だ。
彼にこんな言葉があった。
「受苦ということは魂を成長させるが、
気を許すと人格まで破壊される。
私はそれを本能的に免れるためにがんばっているのである」
がんばっている、という表現は
こう在りたいという管理人の思いかと受け取った私だ。
新聞とかでしかこの人の文章を読んだ事がなかった。
脳梗塞で倒れた後の活躍、その努力についてはよく新聞に載っていた。
私が30代の頃か、新聞に何かを連載してたことがあったと記憶していて、
それを興味深く読んだというおぼろげな記憶があるけど、
内容はまるで憶えていない。
脳梗塞で倒れたときやその後の暮らしや思いがとても細かく書かれてあって、
脳梗塞についてこんなふうに表現された文章は私にとって初めてだった。
私の母も脳梗塞で倒れ、感情失禁、失語症、右半身不随になって、
それは多田さんと同じだったけど、
多田さんは考えることについての神経細胞はやられなかったみたいで、
だから、こうした文章が書けたんだけど、
そのことが苦しみとなり、また喜びにもなったのだと思う。
私の母みたいにそこがやられた(多分・・)場合は、
思いの苦しみはそれほどなかったろうと思われる。
倒れてそれほど経ってない頃は無念みたいな涙を見たけれど、
それも早いうちになくなってしまったように見受けられたから。
でもいつもどんな心の世界に生きているんだろう???というのは私にはあった。
さっきのブログで書いたけど、
「いつ何があるかわからない」
多田さんも倒れる前の健康診断ではいつもどこも悪くなく、
それまでとても元気に活躍してたみたいだ。
それが突然別人になってしまった。
昨日夫とこんな話をしていて、
自分がこんなふうに健康で日々を暮らせているのも、
私自身の努力とかでは全く無い、ということがよくわかる。
何故かこんな気質に生まれ、鼻炎や腰痛や五十肩はあるけれど、
今のところ何故か健康に恵まれ、
何故かやりたいことがやれている。
夫は「生かされているっていうことだろうね」と言った。
本当だと思った。私自身の力なんて無いといっていい。
いや、こんなふうに生きていられることに、
私自身とか私以外の何かとか、そういう区別はないんだな、と思った。
(すべてがこういう現れ方をしてるところの私)といっていいかな。
そして今以降の(すべてがこういう現れ方をしてるところの私)の身に
何が起こるのかわからない。
(すべてがこういう現れ方をしてるところの私)の管理人である私は、
何が起こっても引き受けたいと思ってるけど、
そんなこと思ってみても、
この本を読むと脳梗塞の症状やその後の暮らしの辛さに
耐えられるか心もとない(すべてがこういう現れ方をしてるところの私)だと観ている管理人の私だ。
彼にこんな言葉があった。
「受苦ということは魂を成長させるが、
気を許すと人格まで破壊される。
私はそれを本能的に免れるためにがんばっているのである」
がんばっている、という表現は
こう在りたいという管理人の思いかと受け取った私だ。