ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

サヤエンドウ

2013-04-26 10:39:56 | 日々の暮らし・思い出
山の新緑を見ながら歩き、畑へと。

外出やら雨やらで2日畑に行かなかったら、膨れているサヤエンドウがいっぱいあった。

そういうサヤをそのまんまにしておくと、どんどん膨れ、

やがて黄色くなる。

採り忘れられたサヤは悲しそうにそんな姿でしょぼんとしてる。

人間と同じだ。老化現象。

そうなったサヤはもう食べられない。

来年用の種になるのもあるのかもしれないけど。

サヤのそういう姿にはすぐに諦めるのに、

人間は老化現象が諦めきれないでなんとかそれに打ち克とうとする・・?

この前、近くの友人と話したのだけど、その時彼女が、

延命治療をしてほしくないと思っているけど・・と言って、

こんな話をしてくれた・・・

近くの普通に暮らしていた85歳くらいの老婆が倒れて、救急車で病院に運ばれた。

検査すると動脈瘤が破裂して手術が必要と言われ、手術し、

1週間しても集中治療室から出てこられない・・という話。

医師から、コレコレこういう状態で手術しないと命の危険があると言われれば、

家族はそれに対し、手術しないでいいと言うことは出来ないんじゃないか、

それを言うことは言った自分が老婆を殺すような感じがしてしまう・・・。

と彼女。

なんとなくわかる・・けれども・・・

手術をしないという選択は殺すことなのか??

それを殺すことだと言えるなら、手術をしたら老婆は「生きる」ことが出来ると言えなければならない。

「生きる」とは意識もなく、管をつながれ、人工呼吸器で息をする、ということではないと思う。

「生きる」とはその言葉の通り生き生きとしていることだ。

昔は年寄りが倒れれば、あ~、この位の年寄りだから倒れる事もあるだろう、

寿命だ。倒れるまで元気だったから、このままぽっくり逝くんだろう・・

そんな感じで死を待ったのかもしれないと思う。

昔と言ってもそれほど昔の話じゃない。

今はぽっくり逝きそうになっても、医療側がぽっくり逝かせてくれないようにしてる。

その手術をしたらどのくらい今までのような暮らしでの寿命が延びるのか、

意識は100%戻るのか、

痛みや身体へのダメージはどうか、

今の状態で意識を失っている本人は苦しいのか、

・・・そんなふうなことを医師に聞いてみたい。


この人が今手術をしたらどうなるのか、と

この人が今手術をしなかったらどうなるのか、を比べることは不可能だ。

片一方を選択したら、もう片一方は選択できない。


もうじき97歳の義父は家で死にたい、病院には行きたくないと言っている。

文書にはしてないけど。

私もそういう最期を望んでいるし、私自身もそうだ。

その年になって身体を切り刻み、管を何本もつけ、人工呼吸器をつけるなんて、

そんな酷い目に遭うほど悪いことをしてないって義父は思うんじゃないかな。

手術をしない、延命治療をしないと意志表明するのは、

自然にまかせたいと思うから。


嫌がる事

2013-04-26 08:42:30 | テレビを見て
閣僚の靖国神社参拝についての報道がある。

「日本人が日本の神社にお参りするのは当然のことで、アレコレ言われたくない。」

・・それも尤もではある。

国と国とではいろんな立場やら都合やらなんやらかんやらあるからややこしいけど、

人と人とで考えるとそれほどややこしくはないように思う。

ひとが嫌がることはしない。簡単なことだ。

それをすることが権利だろうと自由だろうと関係ない。

ましてやお参りするなんてのは心がすることだ。

何処に居ようと心はいつもここにあるのだから、

何も嫌がる人がいるのに、そこへ行かなくてもいいんじゃないかと思う。

そんなことで人間の自由が奪われると言うようなひとの自由は、

その程度のものだということを広く世の中に知らせていることなのかと思う。