ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

僻み?また?

2013-03-20 22:17:10 | 実例体験観察
夕飯の支度してたら、電話が来て、片手で携帯電話しながら、夫にジェスチャーで、

あーしてこうして、と頼んだ。

夫は笑いながらか、いいよ、言われなくても出来るよ・・とか言ったような気がする。

否定された気がした。これを読む人はなんで??と思うかもしれない・・

そんなこといちいち言われなくてもやれるよっ!って言われたように受け取った私だった。

いちいち言うなと言われたように思った。

自分こそ、そういうこといちいち言わないでよ、と思った。

後になって考えれば、自分こそも何もない。

それに、否定されたと思っているのに、相手を「自分こそ」って、否定してた。

私が勝手に相手はこうだ、と決めてて、それに自分で反応してた。一人芝居。

まだ、そういう自分だったことに気づいてなかった時、

いちいち言ってるつもりなかった、と彼に言ったら、

あなたは電話してるんだから、そっちに専念してなよ、ここはいいからっていう

配慮の気持ちだったらしい。

彼は私の誤解、というより曲解に笑っていた。なんていい男なんだろう。

それにしても恥ずかしかった。

夫のその言動を私は上に書いたように解釈した。

なんでそういうことが起こったのか???書いてみる。

言われなくても出来るよ、という発言は、

黙ってろ、というプライドの表れだ、としていた私だったから。

そしてそれを嫌な事としていた私だった。

あ~、そんなふうに決めていたんだった。

言われなくても出来るよ、という言葉がプライドの表れだなんて言い切れない。

タダ単に自分を(言われなくても出来る)と観察してたということだろう。

あ~、ホントにこういう未熟未熟未熟な私でありました。

失敗が見つけられてよかったです。

それにしてもそれにしても、私はいい男と一緒に居るなぁと思ったよ。

今こうして書いていても恥ずかしいけど。
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在る

2013-03-20 14:32:08 | ひとの幸福
「しないという自由意志」というのは、

そうしたい、という行為の意志ではなく、

(~在りたい)という意志がある、ということか・・

・・・・と、昨日書いたけど、

単にこういう表現でいい。


「しないという自由意志」が働くのは、

(~在りたい)が“在るから”。


こういう表現がぴったり来る。これに変えた。

何故「しないという自由意志」が働くときは、

(~在りたい)が在る、と言えるのか


あいつをぶん殴っちまうか、

売り上げを誤魔化そうか、公費を使い込もうか、

腹いっぱいだけど美味そうだから食べようか、

ダイエット中だけど、ケーキ食べちゃおうか、

タバコ止めたいけど吸おうか、

明日までにコレをやっておきたいんだけど、遊んじまうか、

母親からあれをやってと言われて、やるって返事したけど、後でいいか、

・・・こんなふうな状況がある。

上のどれを見ても、

「本当はそれをしたいとは思ってないんだけど・・・」

「本当はこうしたらいいんだろうけど・・・」

そういう(本当は・・・こう在る)があるみたい。

その時、本当にしたらいいことは自分でわかっている。

誰か他者に指図されなくても、それを知っている。

だから、(しないという自由意志)が働く時空が存在してしまう。

人間は元々、真・善・美を希求してしまう存在でしか在り得ないから、

上に書いた状況のような時に選択できる時空が与えられている。

ベンジャミン・リベットいわく、0、何秒、もしくは数秒の時空が。

誰から?それは存在の意志から?愛という意志から?

・・ということは・・・

(しないという自由意志)は、(こう在りたい)が在り、

これは万人洩れなく在るけど、

そのように在る、と決心した時、働く・・んじゃないだろうか?


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