ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
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「働きかけ」 と 「働く」

2013-03-11 09:24:47 | 言葉
受身ではない能動的なことを「働きかけ」と言うと広辞苑にあった。

自ら他へ動作をしかけること、が「働きかけ」の意味。

広辞苑にそうあるのは、そういうふうにその言葉が使われている、ということで。

それが人が働く事と同じ言葉が使われているのが面白い。

「働き」は人が動くことをいう。仕事することでもある。

それ以外もいろいろな使われ方がある。

少し昔、日本人のことを「エコノミックアニマル」と皮肉っぽく言われていたことがあった。

経済的な利益ばっかり追求してる、って思われたんだろうけど、

ひとは働く時、一つ一つの行為をするとき、

(お金のため)は浮かばないんじゃないかと思うんだけど・・・

ここはこうしたら、もっとよくなるんじゃないか・・

こうすれば、コレがこうなって、アレがこうなるから、じゃこうしよう・・

この時間でアレとコレが同時に出来上がるには・・・

そういう時に頭に(お金のため)が浮かぶ事はあまりないんじゃないか・・・

考える事の中に経済というのもあるけど、

それはいろんな考えの中の必要な一つの材料に過ぎないんじゃないか・・・

本来お金を得るのは働きの目的ではなく、結果ということではないか・・・

お金を得るためというのはキッカケにはなるかもしれないけど。

あーなるようにしたい、それにはどうするか・・・

こんなのは本当に文句無く楽しいこと。

ワクワクの世界だ。

なので本来、仕事すること、働くことは自分が楽しくなるものなんだと思う。

働くということはまさしく“働きかけ”なのだから、

受身と違って面白く感じるのは当たり前。

それが面白く感じないのは、その働く内容がその人に相応しいものではないからじゃないかと思う。

自分の能力以上を要求されたり、関心の向かないことを要求されたりすると、

やる気を失うし、無理状態になる。

それがちょうどいい具合なら、働くのはテレビをボーっと見ているより、

ずっとずっと面白い。そう、働くのは面白い。

昔、若い頃共働きしていて、専業主婦をしていた人を半ば尊敬していた。

面白さをそこで一人で得られるなんて大したもんだと思った。

その頃、私は日々を暮らす楽しさを自分一人で用意できるとはとても思えなかった。

職場は自分で用意せずに面白そうな作業を割り振ってくれて、

退屈せず、次から次へとやることがあって、面白かった。

それが結果として人の為になっているのだから、

ありがたいことだ。

今は専業主婦だけど、いろいろと布や道具や言葉に働きかけながらやる作業があるから、

暇な一瞬はないのもありがたい。

いつも何かしていたくて、退屈を感じるのが苦手な私は、

手足や目が不自由になったら、どう感じるんだろう???

ずっとなんでもいいけど、“働きかけ”をしていたいもんだと思う。

関心も身体と共に変わって行くかもしれない。

死ぬまで退屈したくないけど、どうなるかなぁ。
コメント (1)
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