歌わない時間

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「鎖国」

2011年02月17日 | 気になることば
日本史の世界では、最近「鎖国」ということばは旗色が悪いそうですよ。asahi.com2008年3月12日付の「江戸時代は本当に鎖国か?」という記事には、国立歴史民俗博物館の久留島浩先生のコメントとして、「東アジアの国際関係研究がこの20年ほどで進み、『江戸幕府は鎖国政策をとっていた』と正面から主張する研究者はほとんどいなくなった」との発言が載っていました。山川の『新日本史』という教科書では、ついに「鎖国」ということばは出てこないのだそうな。

日本史の先生たちの仰有るのはつまり、〈江戸時代の日本は鎖国、と言われるけれど、長崎は言うにおよばず、対馬、薩摩、松前ルートでも外国との接触を保っていたんだから、国を完全に閉ざしていたわけぢゃない。鎖国とか言うな!〉ってことらしい。

上記asahi.comの記事で学習院の高埜利彦先生は、やはり鎖国ではなかったとする立場から、「とはいえ、『国を完全に閉ざしていた』という認識は依然として強い。」と仰有っているんですが、そうなんでしょうか。「鎖国」=「国を完全に閉ざす」なんて、わたしは思ったこともないけどね。これはわたしが長崎県人だから? そんなことないでしょう。ほら、『解体新書』の翻訳とか、日本史で出てきたよ。教科書だけぢゃないよ。ドラマでも見たし。

ああ、でも確かに、琉球経由とか蝦夷地経由とかの対外交渉についてはよく知らない。それから対馬藩が対朝鮮外交の窓口だったってことは長崎県のローカルニュースでときどき話題になるので知ってたけど、これもそうメジャーではないかも。

でも、現に江戸時代は、直前の安土桃山や、それから幕末以降と比べると、日本に来る外国人は極端に少なかったし、海外に出る日本人なんて皆無だったわけでしょ。われわれ一般人はそういう状態を指して鎖国、と言ってるわけで、それを、〈いや、東アジアのルートがあるから鎖国ぢゃない〉ってのは、研究者の感覚にむりやり一般人の感覚を合わせろ、と言われてるようで、むしろ違和感を覚えます。