歌わない時間

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曽野綾子『二月三十日』

2011年02月13日 | 本とか雑誌とか
曽野綾子『二月三十日』(新潮文庫)読了。十三の短編。「パリ号の優雅な航海」「一言」「上海蟹」「ジョアナ」「道のはずれに」「四つ割子」「二月三十日」「おっかけ」「手紙を切る」「小説の作り方」「櫻の家」「極悪人」「光散る水際で」。

小説家曽野綾子はまだ現役だ。筆致は安定していて読みごたえがありました。アフリカの病院の話とか、妻が心の病気になる話とか、息子を溺愛する母とか、もう何度も読んだけど、語り口が巧いので、ああまたかよウンザリ、という気は起こりませんでしたね。よかったですよ。

「ジョアナ」はブラジルの修道会施設の話。南米の話は『リオ・グランデ』以来? 「四つ割子」は、息子を溺愛する母親が、癌で死んだ息子の通夜の夜に後追い自殺をする話。息子は警察官で武道も達者、体もがっしりしていたのに、大腸癌が見つかったときにはもう手遅れの状態だった。そのとき彼にはもう結婚相手もいた。語り手である彼の妹は、「その頃、兄は幸福の絶頂にありました。と言うか、世間にはそう見えていた、と思います」と言う。世間的にはそう見えていた、というのは、その兄にはフィアンセの〈女性〉とは別に、親密な関係にある〈男性〉がいたらしいから。表題作「二月三十日」はロンドンからアフリカに派遣された宣教師団の話。「神父」というからカトリックなんだろう。イエズス会から日本に派遣されたのと同じような組織がイギリスからアフリカへも向かったのでしょうか。しかも十九世紀になってから。この話はどうしても日本のキリシタン時代のことを思い起こさせる。

「極悪人」は、ちょっとヘミングウェイみたいだ、とか思ったけど、これはとんちんかんな感想かも知れない。読んでしばらくして民主党の小沢さんのことを思い出した。「〈極悪人〉はこうして作られる」って話。最後の「光散る水際で」は母と息子もの。母親は失踪した息子を探してマダガスカルまで追いかけていくが、旅先でいっしょになった鴫さんという男が出てきて、いつも(の曽野さんの母子もの)とは異なる結末に。

十三編はすべて『新潮』または『小説新潮』に掲載されたもの。『新潮』は純文学、『小説新潮』は大衆小説雑誌です。どれが『新潮』でどれが『小説新潮』に書かれたかは書いてないけど、曽野さんはとくに書き分けてはいないよう。

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