歌わない時間

言葉と音楽について、思うところをだらだらと。お暇な方はおつきあいを。

シュレッダーにネクタイ

2011年01月08日 | 演ずる人びと
《Alles was zählt》でKatja役をやっているのはAnna-Katharina Samselという女優さんで、前にも書いたように20代なかばにしてはえらい存在感のあるひとなんですが、この人のすごいのは、フィギュアスケートのシーンで吹き替えではなくて少なくともかなりの部分、自分ですべって見せていること。くるくる回転したり、跳び上がったり、を自分でやっている。かつてRomanやDenizが氷上でフィギュアの演技するシーンでは、さほど違和感なく編集してはあったとはいうもののあらかた吹き替えでした。腰から下だけ映ってる時間がけっこう長かった。でもKatjaがすべってるシーンでは、顔からシューズの先まで全身映ってることが多い。じつはこれはIsabelle役のAnia Niedieckもそうで、Aniaさんもそうとう自力ですべってたけど、Annaさんのほうがより本格的だと思う。

さいきんTomの出演シーンが多い。お姉ちゃんがこんなことになったり、叔父さんがあんなことになったりしたんで、自然、Tomの出番が多くなるわけですが。もうちょっとTomに注目しといてもらおう、って制作側の意図を感じる。Tomをお話のメインストリームに押しだす準備なのか、それとも降板間近なので花を持たせよう、って意味なのか…。Tomって、よく見るとかわいらしい顔してるもんね。「母性本能をくすぐる」ってやつ。女受けすると思いますよ。Katjaも、すんなりTomと付き合っていたら、まあTomは尻に敷かれるだろうが、いいカップルだったのにね。

AxelがRichardにつかまって、シュレッダーにネクタイ引っ張り込まれるシーンは面白かった。あれはAxelの夢なのかと思ったけど、現実だったのね。朝出勤してきたBrigitteにしっかり写真撮られていた。シュレッダーにかけられてざくざく切り刻まれたネクタイなんて、はじめて見たよ。っていうか、あんなものはめったに見られない。新年早々、貴重なものを見た。

《AWZ》のタイトルバック

2011年01月06日 | 演ずる人びと
《Alles was zählt》の番組冒頭、タイトルバックに映る映像が更新された。主題歌が流れている間、おもな登場人物が数秒づつ、紙芝居式に次々に画面に現われるもの。年末まで使われていた映像には、Dianaをはじめ、MikeとかOliverとかNinaとか、もう降板した人たちが何人も入っていたからなあ。このタイトルバック映像の更新は喫緊の課題であったといえる。この新映像は、RTL.de内の《Alles was zählt》公式サイトで公開されている。

新しいのはVersion 1とVersion 2と、この2パターンが作られていて、いろいろ臆測させられる。Simone & Richardとか、Annette & Ingoとか、1と2の両方に出てる人ももちろん多い。中でもとくにClaudiaとKatja母子の扱いが重いことと、Isabelle & Tomの姉弟がちゃんと1にも2にも出てきているのが目を引く。Katjaは、昨年までのタイトルバック映像におけるDianaのように重視されていて、主役扱いに見える。またIsabelleは火傷の痕も見えず以前のように美しく映っている。わたしは、Isabelleはそろそろ降板、それにともなってTomもEssenを去るんぢゃないかと独り決めしていたので、この扱いは意外だった。

いっぽう、Version1か2かのどちらか一方にしか出してもらえてない人が何人かいる。Version 1にしか出てこないのはBen、Vanessa、Florian、Franziska。Version 2にしか出てこないのはRoman、Marian、Axelである。F & Fは若手だがそのほかはどの人も大物で、そんな軽い扱いでいいのかと思わせる。なかでも、Denizが1にも2にもちゃんと出てくるのに対してRomanのほうは2のみで、それもなんだかオバサンっぽい媚びた笑い方をしていてちょっとキモチワルイ。そのうちDenizの新恋人が登場したりするかもしれない…。

『芥川賞全集』第十四巻

2011年01月05日 | 本とか雑誌とか
『芥川賞全集』第十四巻(文藝春秋)で、村田喜代子「鍋の中」、池澤夏樹「スティル・ライフ」、三浦清宏「長男の出家」、南木佳士「ダイヤモンドダスト」を読む。昭和の末期に発表された小説群。西暦でいうと1980年代の後半。今から二十年ちょっと前。いづれも面白く読みました。やはり選び抜かれた小説にはそれだけの力がある。もちろん、芥川賞にふさわしいのはどれか、という特定の眼で選ばれてはいるわけですけど。

「長男の出家」は、小学三年のときにお坊さんになりたいと言い出した長男が、中学三年から高校に進む時期にお寺の女の和尚さんの養子になって、ほんとに出家してしまう話。奇想天外だけどリアル。この和尚さんがもうすこし巧く書けていたらよかった。

「ダイヤモンドダスト」は農地や林が切り売りされて別荘地へと変貌しつつある農村が舞台。三十代の看護師のやもめ男が視点人物。父と、息子と、三人暮し。この父親と、それから患者として入院してくるアメリカ人の宣教師がよく書けている。この宣教師は元軍人で、ベトナム戦争で戦闘機に乗って実戦の経験を持つ。ただ、看護師「ぼく」の同級生の悦子というのはよく分からなかった。

「鍋の中」は、出てくるのがおばあさんと四人の孫のみ。孫のうち二人は自分たちの出自に関わる秘密をおばあちゃんに明かされるのだけど、おばあちゃんがすでにまだらに正気でないところがあって、聞かされたそれらの秘密もほんとに信じていいものかどうか分からない、という、聞かされた者にとってはとんでもない状況。

「スティル・ライフ」は、はじめのほうの染色工場でのアルバイトの場面のリアリティと、後半の株で金を稼ぐところの非現実感の折り合いかたがとてもいい。ちょっと散文詩のような小説。

『芥川賞全集』には巻末に各選考委員による「選評」が載っている。「ダイヤモンドダスト」については各委員のコメント軒並み好意的。わたしはこれを読むまで、芥川賞の選考委員は芥川賞をもらった作家ばかりがなるものだと思っていた。中村光夫とか、水上勉とか、こういう人も選考委員をやってたのね。水上さんは直木賞の受賞者。

久しぶりに小説らしい小説を読んだ。未読があと三編。読むかどうかは分からない。