歌わない時間

言葉と音楽について、思うところをだらだらと。お暇な方はおつきあいを。

『魔笛』

2011年01月11日 | 音楽について
年末からこのかた、実は『魔笛』ばかり聴いています。昨年から継続中の「ドイツ語を聴こう」シリーズですな。それに年末年始にモーツァルトを聴くって、なんかふさわしい気がするぢゃないですか。とくに『魔笛』では、ドイツ語の、歌のついていないセリフもしゃべってくれるので、ドイツ語ってなんか面白そうぢゃんて気になってるわたしとしては嬉しいのよ。〈Keine Ahnung!─そんなこと知らないよ─〉なんてセリフが出てくると、「あ、これ《AWZ》でも言う!」ってうれしくなるんですよ。

うちにある『魔笛』の音源は3種。エストマンとガーディナーのCD、そして78年収録のグラインドボーンのDVD(指揮はハイティンク)。エストマンとガーディナーは同じく時代楽器派といえどもかなり方向性が違います。小ぢんまりとしているけれどモーツァルトの息づかいがよく伝わるエストマン。時代楽器を用いつつ尖鋭的なセンスのガーディナー。どちらも悪くないと思う。グラインドボーンのは同時期の『フィガロ』は名演として知られていますが、この『魔笛』はそれほどでもないね。でもデイビッド・ホックニーの舞台美術は話題になったそうで、1990年だったか、レバインがメトで指揮したときにもこのホックニーの舞台装置の案が採用されたそうです。このグラインドボーンの『魔笛』にはパミーナにフェリシティ・ロット、ザラストロにトーマス・トマシュケ、弁者にウィラード・ホワイトが出てるのね。3人とも、同時期に録音したヘンデルのオラトリオでわたしには馴染みのある人で、久々に声を聴いてわたしはそのことも嬉しかった。

それにしても、今さらながらだけど『魔笛』は面白いオペラですね。筋が破綻してるようにも見えるし、でも〈どこの世界でも現実なんてこういうふうに二面性あるんぢゃないの?〉と言われるとそうだよなあとも思うし。童話のようで、大人のための寓話でもあるようで。とにかくつかみ所がないところが面白い。

『魔笛』にはグロッケンシュピール(鍵盤つきの鉄琴)が出てくるので有名ですが、この楽器はヘンデルの『サウル』にも出てくるんだよね。モーツァルトは『サウル』はたぶん知ってたろうから、ヘンデルにならってグロッケンシュピールを使うことにしたんだろうね。