歌わない時間

言葉と音楽について、思うところをだらだらと。お暇な方はおつきあいを。

駅伝でなつかしむ

2011年01月23日 | メモいろいろ
都道府県対抗男子駅伝は毎年見てます。駅伝のコースは、平和公園からスタートして宮島街道を宮島口のちょっと先まで走って折り返し、広島市街に戻ってきて、市街地をぐるっと一回りしてゴール。

毎年見て、広島をなつかしむ。市街地のコースはよく自転車でぐるぐる動き回っていた縄張りだし、それにわたしは宮島街道も知っている。合唱の練習場所があったんです。鈴峯女子大前で電車を降りて、八幡川を越え、左に折れてすぐを入ったところに指揮者のお宅があって、およそ8年間、毎週土曜日に合唱の練習にかよっていました。八幡川にかかる八幡川橋というのは毎年駅伝のテレビ画面に映るので、見逃さないようにしています。今はどうだかわからないけど、わたしがかよっていたころ、あの橋のあたりは川の中にサギがたくさんいてね、きょうもいるな、と横目に見ながら、歌うことにわくわくしつつ練習にかよいました。

西旭町に住んでいたので、皆実町六丁目から広電で己斐までいって、そこから郊外線に乗り換える。己斐はコイと読むんですが、たしかに最初は読めませんでしたね。そのせいですか、いまは「広電西広島(己斐)」って表記になってるのね。

学校が西条に移ったあと、土曜日に西条まで行った日は、山陽本線で西条からそのまま五日市まで直接行ってました。山陽本線は、広島駅を出ると、市街地の北のへりをふちどるようにして、横川、西広島の順に停まっていく。高架になってる横川の手前あたり、進行方向右側にマンションが続いていてね。土曜日の夕方6時半ごろ、それぞれの部屋の食卓のあかりが見えたりして、なにしろわたしは一人暮らしの学生だったので、家庭の団欒の灯りに、胸迫るものがありましたですよ。

広島駅前の再開発は知っている。それから、その後行ったことはないけど広電西広島も大きな屋根のしゃれた建物に建て代わった。大きな建物は様変わりしたところが多いけれど、たとえば広電本社前の「ランチボックス」とか、鷹野橋の「房州」とか、学生時代にかよったお店がまだあるらしい、というのはそれだけで、なんかうれしくなる。