歌わない時間

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エストマンのモーツァルト四大オペラ/歌手についてのメモ。

2006年05月13日 | 音楽について
エストマンのモーツァルト四大オペラのCD。録音の早い順に並べ、おもな歌手を書き出すと、こうなる。

『コジ・ファン・トゥッテ』(1984)
 ヤカール、ナフェ、ウィンベルイ、クラウセ、フェラー、レシック。
『フィガロの結婚』(1987)
 サロマー、ボニー、ハーゲゴール、オジェー、ジョーンズ、フェラー。
『ドン・ジョバンニ』(1989)
 ハーゲゴール、カシュマーユ、オジェー、ジョーンズ、デルメール、ボニー。
『魔笛』(1992)
 ストライト、ボニー、ジョー、カシュマーユ、ジグムンドソン、ワトソン。

最初の『コジ』だけは、ほかの三つと雰囲気がちがう。主役の女声ふたりはともかく、男声のウィンベルイとクラウセの歌い方が古楽的でないのだ。悪くはないが、ふだん古楽器による古楽ばかり聴いていると、やや耳慣れない。ウィンベルイはカラヤンの『ドン・ジョバンニ』でオッタービオを歌った人、クラウセはやはりカラヤンの『フィガロ』で伯爵を歌った人である。

『フィガロ』の伯爵と『ドン・ジョバンニ』のタイトルロールをホーカン・ハーゲゴールが歌っている。この二役を同じ歌手に歌わせているのはガーディナーの場合と同じ。ガーディナー盤の歌手はロドニー・ギルフリー。ハーゲゴールは、ギルフリーよりも器は小さいだろうが、しかしハーゲゴールはエストマンの描くモーツァルトの世界にしっくりと嵌っていて、これはこれでいいのではないか。ハーゲゴールは『魔笛』にも弁者で出ている。

『フィガロ』では、カルロス・フェラー(バルトロ)とフランシス・エジャトン(クルツィオ)がガーディナー盤と同じ配役。(エジャトンはガーディナー盤ではバジリオも。)

ペッテリ・サロマーは、『フィガロ』ではタイトルロールだが、『魔笛』では第二の武士。降格? この人のフィガロは悪くはない。しかし、たとえばガーディナー盤のターフェルと較べてしまうと、たしかに没個性的ではある。

後半二作品に出たカシュマーユが前半の二作にも出ていたら、このエストマンのセット、もっと評価が上がっていただう。カシュマーユは、バルトロもパパゲーノも安定している。

『ジョバンニ』のマゼットはターフェル。この人はその後ショルティ盤でジョバンニ、アバド盤でレポレロ。

四大オペラに関するかぎり、テナーは冷遇されてるよなあ。タミーノのカート・ストライトも、ドン・オッタービオのニコ・ファン・デルメールも好演。

ヤカール、オジェー、ボニー、ジョーンズについては、以前聴いたことがあったが、アリシア・ナフェというメゾについてはなにも知らない。ドラベッラもケルビーノもよく歌えてると思う。あまり若々しい感じはない。1977年のアバドの『カルメン』にアダルジーザで出ているそうだ。

女声ではなんといってもボニーが光っている。オジェーもいいのだが、ボニーと較べるとやや薄味だ。

『フィガロ』のマルチェリーナと『ジョバンニ』のドンナ・エルビーラを、デラ・ジョーンズが歌っている。この人はかなりアクの強い歌い方をする人だ。どちらの役もなかなか面白い。ただし、とくにドンナ・エルビーラについては、生々しすぎるといって嫌う人もいるだろう。

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