歌わない時間

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古楽の夕ぐれ

2013年11月03日 | 音楽について
ヒリヤード・アンサンブル解散、との知らせは、わたしに、古楽の時代の夕ぐれを思わせる。もちろん、これからも古楽は演奏されつづけるに違いないけれど、どの指揮者やグループがどんな新盤を出してくるか、いつもわくわくしながら待ちかねていたあの熱っぽい時代はすでに去った、というのがわたしの実感だ。

この前思い出したように、古楽の時代をささえたリーダーたちの多くが1940年代の生まれで、そろそろ活動のまとめの時期にさしかかっている。もちろん、より若い世代の演奏家もいないわけではないけれど、40年代の人たちの多士済々さとくらべると、どうしてもまばらな印象が否めない。

古楽の時代が過ぎ去りつつあるというわたしの印象と、ディスクで音楽を聴く行為がいまや時代遅れと言われかねまじくなりつつあることと、ふたつのあいだにどういう連関があるのかないのか、よく分からない。時代が変わっても、わたしはわたしの聴きたい音楽を聴くばかりなのだが、わたしの生きてるあいだは、CDプレイヤー生産打ち切り、なんてことはないようにしてほしいなあ。

ヒリヤード・アンサンブルの公式サイトによると、現在のメンバーは
DAVID JAMES countertenor
ROGERS COVEY-CRUMP tenor
STEVEN HARROLD tenor
GORDON JONES baritone
とのことです。デイビッド・ジェームスとロジャーズ・カビィクランプは初期からのメンバーで、とくにカビィクランプは、ダンスタブルからバッハまで、わたし、いろいろ聴きましたよ。ときにリュート歌曲やパーセルにおいてソリストとしても歌いながら、いっぽうでは、古楽アンサンブルの一員として練れたハーモニーを聴かせる。こんなカビィクランプのようなスタンスは、歌い手としてのわたしの理想形でした。

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